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 何が起こったのか、わからない。ただ一つ確実であるのは、ヴァニスは今と全く同じ経験をしたことがある、ということだった。既視感や予知夢、そのどれとも違う。自分は以前、確かに彼のB世界に関する話を聞いた。つまりは、そう――自分の意識だけが、過去に戻っていた。


「実は先日、隣のB世界で家長の暴走を感知してね。家産世界平和維持条項第3条に則って、僕は家産世界における非常事態として動かなくてはならない。ただ、僕もA世界の家長としての仕事が忙しくてね。ちょっと手が回らないんだよ。だからさ、ヴァニス」


「……家長名代として私がB世界に行く。場所は日本、東京。そこで瑠璃という十七歳の少女と接触、若しくは監視を行い、家長の暴走について調査を進める。これで合っていますか」


「さすがヴァニス、話が……って、ちょっと早すぎないかい?」


 パルテが大袈裟に両手を広げて、焦ったように言う。


「あれ、僕、もう君に伝えておいたっけ。おかしいな……」


 彼の反応を見る限り、パルテはこの会話をするのは初めてだと認識しているらしい。つまりヴァニスとは違う――以前の記憶を保持していないということだ。以前と言ったのは、ヴァニスは既にある種の確信じみたものを得ていたからだった。

 A世界で瑠璃を殺してからパルテの連絡を待つ間、突然ヴァニスの視界が揺らいだ。そして雷のような光に目を閉ざしたあと、次の瞬間には彼はこの屋敷に戻ってきていた。そして、今現在の状況。さらにヴァニスはここに至るまでの情報を整理して、とある結論を導き出した。


「いいえ、あなたは間違っていません。私が一方的に知り得ていただけです」


「……なに?」


 パルテが眉を寄せる。何かを悟った、そんな雰囲気だった。


「パルテ様。東京は今、何日ですか」


「……グレゴリオ暦で、十一月十六日だ」


 やはりヴァニスの推測は正しかった。つまるところヴァニスは――タイムリープしたらしい。

 とはいえ状況が状況だ。うかうか慌ててなどいられない。ヴァニスはすぐ、以前の世界であったことをパルテに話した。


「……ふむ。なるほど、これは――ものすごく、面倒なことになったね」


 パルテは長机に寄りかかりながら、顎に手を置いて悩ましげに言った。


「おそらくそれは、瑠璃の権能によるものだろう。『時間遡行』の権能――それも、死ぬことでようやく発動されるように制限が課せられた力。いやはや、本当に面倒なことになったものだ」


「そもそも、家長がそれだけの権能を扱えるものなのですか。時間を巻き戻すなど」


「まあ、世界の管理者だからね。勿論ルール上は禁忌とされているけど、時を巻き戻すこと自体は可能だよ。ゲームのプレイヤーだってリセットができるだろう。ただ、知覚者にその権能を分け与えることは、世界の序列を根本から揺るがしかねない危険な行為だ」


「それは何故です?」


「記憶を保持できないからさ。今の僕のようにね。時間遡行した場合、以前の世界の記憶は権能の使用者にのみ引き継がれる。だから家長が自ら時を戻す分には問題ないが、その力を知覚者に付与した時点で、知覚者が使用する時間遡行の権能に家長は関与していないことになる。つまり、瑠璃が時を巻き戻している現状では、B世界の家長も記憶を保持できていない」


「……記憶という視点で見れば、瑠璃が家長より一歩抜きんでている状態になる。だから世界の序列を根本から揺るがしてしまう恐れがある。そういうことですね」


「ああ。暴走すると物事の区別がつかなくなるとはいえ、しっかりしてほしいよ、本当に」


「ですが、それでは私が記憶を保持できているのは何故なのですか。矛盾しています」


「最も大きな問題はそこだよ、ヴァニス。君は以前の世界で、瑠璃の暴走がピークを迎える当該時刻に、君と瑠璃の右腕が交換されたと話したね。それは二人が同じ知覚者として繋がっていたからだとも言った。僕も君と同じように考えている。知覚者というのは存在するだけでも珍しい異常な事象だ。そんなのが二人も同時に存命しているなんて、正直言って静かに世界を運営していたいこちらとしては迷惑千万だよ。だから、君たち二人が根底の部分で繋がっていたとしても何らおかしくはない。君と瑠璃の間には目に見えないコネクションがある。つまり」


「瑠璃と同じ知覚者として繋がっているから、私は以前の世界の記憶を引き継げた」


「そう。そしてもっと悪いことに、君はA世界の人間だから、本来ならB世界だけの問題だった強制的なタイムリープに、A世界まで巻き込まれてしまっている。つまり瑠璃の十六日の自殺を無視しても、瑠璃を通じた君を通じて、A世界まで時間が戻ってしまう、というわけだ」


「……なるほど。だから今回、A世界の時間まで一緒に巻き戻った、と」


 そういうこと、とパルテは疲れたように息を吐く。彼からしてみればB世界の家長の暴走を感知して、ヴァニスを調査に送り出そうとしていた矢先だ。次から次へと異常事態が舞い込んできたことで頭がパンクしそうになっているのだろう。

 それに彼が今言ったように、このままではA世界の時間も永遠に前進しない。早急に解決する必要がある、ヴァニスはそう考えて、矢継ぎ早に質問を加えた。


「今ごろ瑠璃はどうなっているのでしょうか。もし暴走も引き継がれていたら」


「その心配はないと思うよ。多分だけど、肝心の瑠璃が記憶を保持できていないだろうから」


「……は? 瑠璃は権能の使用者でしょう。彼女が覚えていなくてどうするのですか」


「瑠璃が死んだあとに権能が発動した。君の報告を聞いた限りでは、そうだったね。簡単に言えば、記憶を引き継いだままタイムリープするのには正常な意識が必須だってことさ。瑠璃が死んだ時点で彼女の脳は活動を止めている。でも権能だけは無慈悲に発動する。家長に付与された時点で、それは埋め込まれた爆弾みたいなものだからね。そうして瑠璃の中に刻まれた遡行システムだけが起動して、彼女の意識は放置されたまま、時間だけが戻る」


「それでは、以前の世界のことを覚えているのは私だけ……ということですか」


「そうなるね。まあ君の場合は疑似ループみたいなものだけど。時間を戻したのは瑠璃で、君はその記憶を引き継いだわけだから。何らかの事象には、それが存在することを確定させる観測者が必要だ。ヴァニス、君は今、A世界とB世界における唯一の観測者になったんだよ」


 観測者。初めは家長の代理として瑠璃を見張るだけで良かったはずなのに、随分と重たい役目を背負わされたものだ。勘弁してほしい、ヴァニスは心の中だけで愚痴るように思った。

 すると、彼の内心を慮ったのかもしれない、パルテは珍しく真面目な表情で言った。


「君には辛いだろうけど……この件に関しては、強制タイムリープに巻き込まれたヴァニスにしか対処のしようがない。君だけが頼りだ」


 そして彼は、同時に忠告する。


「ただ、いいかいヴァニス。その瑠璃という子に、あまり入れ込むなよ。繰り返す世界に見切りをつけることは、すなわち瑠璃を殺すことを意味する。その汚れ役を引き受けるのは、君だ」


「……承知しています」


 ヴァニスは重々しく頷いた。その後、パルテは以前と同じように洞穴を開き、ヴァニスをB世界へ送った。視界が真っ暗に染まる移動中、耳のイヤーカフから家長の声が聞こえてくる。


『さっきも言ったけど、君は観測者だ。君が観測した事象が、A世界とB世界における事実、正史となる。僕には一周目の記憶がないから、僕の指示が君にとって適切であるかどうか、わからない。だから、とりあえずは君に一任することにしようと思う。頼んだよ。これじゃあ家長も形無しだけど――今この瞬間、まさに君が両世界の所有者だ』


 パルテの声が聞こえなくなったあと、ヴァニスの視界が正常に戻る。洞穴を通過して抜けた場所は一周目と同じだった。

 散々小難しい話を聞かされたが、根っこの部分は至極単純だ。瑠璃が死ぬとA世界とB世界両方の時間が戻る。そして記憶を保持できるのはヴァニスだけ。だからヴァニスが何とかしなくてはならない。だが――どうすれば瑠璃が死ぬことなく十一月二十日を迎えられるのか。

 瑠璃の暴走が収まる二十日まで彼女が生き延びられなければ、二つの世界は永遠に十六日からの四日間に囚われたままだ。両世界の進退は、ヴァニスの手にかかっていた。


「……まったく。どうしてこうなってしまったのか」


 とはいえ、ぼやいていても仕方がない。ヴァニスは第一にやるべきことを考え、さっそく瑠璃の自宅へと向かった。近くで待っていると、遠くから制服を着た女子高生が歩いてくる。瑠璃だ。最後に会ったのは、ヴァニスにとっては数十分前、だが瑠璃にとっては時間軸の彼方。

 死んでしまったはずの彼女を一目見て、ヴァニスはすぐにでも話しかけたい衝動に駆られた。考えるべきことは山ほどある。ただ、今だけは、瑠璃が生きていることを素直に喜びたかった。


「……とはいっても」


 彼女のこのあとの行動はわかりきっている。鍵で扉を開けて自宅に入っていった瑠璃は、ホームセンターの袋を手に持っていた。あそこには縄が入っているはず。やはりこの世界でも自殺を企図しているのだ。つまり、ヴァニスが介入しなければ、彼女はまた死んでしまう。

 ヴァニスは幅の広い鉄骨階段を昇り、瑠璃の部屋の前で立ち止まったあと、何度か深呼吸をした。この世界では二人は初対面だ。自然に、落ち着いて、彼女と関わらなければ。

 意を決して、ヴァニスは扉を開けた。思った通り瑠璃が首吊りをしている。彼は急いでロープを切り、瑠璃を酸欠の苦しみから解放させた。ありがとう、と息も絶え絶えに述べた彼女を上から見下ろす。何も変わらない。以前の世界で見た瑠璃と、同じだ。

 ヴァニスはそのことが、彼女とまた会えたことが嬉しくて、思わず冷静さを欠いてしまった。


「私の名前がわかるか」


「えっ……」


「瑠璃。聞こえているか」


「あっ、はい」


 しまった。舞い上がったせいで、初めに考えていた接し方をもう変えてしまった。片膝を床についたヴァニスは、息を荒げてしまいそうになるのを何とか抑えながら、瑠璃の返答を待った。だが、ようやく返ってきたそれは、求めていたものとは真逆の内容で。


「え、何でルリの名前」


 その短い一言だけで、すべて理解した。やはり瑠璃は、何も覚えていないのだ。

 死んでしまう彼女には記憶が引き継がれない。パルテの仮説は、正しかった。


「そうか」


 ヴァニスは呟いて立ち上がる。すると、今度は瑠璃が問いかけてきた。


「あなたは……誰?」


 すべてやり直しか。ヴァニスは湧き上がる寂しさをこらえながら、努めて冷静に答えた。


「私はヴァニス・ペギーナ。他の世界から、来た」


 ヴァニスはまた家産世界の説明をするところから始めた。瑠璃の反応は一周目と大体同じだった。ただ一つ、ヴァニスがタイムリープして来たことは言わないでおいた。瑠璃が時間遡行について知ったことで、彼女の行動にどんな変化が起きてしまうか予測がつかないからだ。

 一周目と違った点と言えば、ヴァニスから瑠璃の家に泊まると言い出したことだった。初めに引いた素振りを見せながら断られそうになったときは焦ったが、一周目で瑠璃が自ら言っていたことを借りて事なきを得た。食器を洗っていた瑠璃に、ヴァニスは言葉を投げ掛けた。


「……瑠璃。その、ああは言ったが無理はするな。お前の暴走を防ぐには、お前を出来る限り刺激しないようにすることが肝要だ。だから迷惑なのであれば、私はこの家を出て――」


「なに普通のおじさんみたいなこと言ってるの」


「わかるのだ。私の娘にもそういう時期があったから」


「え、ヴァニスって娘さんいたんだ。というか、今いくつなの。年齢不詳すぎるでしょ」


 瑠璃は水の勢いを強めて、ぼそっと続けた。


「……別に構わないよ。一人なのは、ちょっと寂しかったから。家長のことも、少し怖い」


 ヴァニスは聞こえなかったふりをした。なぜ彼女が一人暮らしをしているのかも聞かなかった。聞く必要がなかったからだ。聞けば瑠璃の心を傷つけると理解しておきながら既に知っていたことを尋ねるほど、ヴァニスは無神経ではなかった。


「……まあ、そういう人間だって、いるだろう」


「そうだね」


 瑠璃が柔らかく微笑む。その儚げな姿は前回と何も変わっていなくて、――ヴァニスは再び誓った。自分が瑠璃を守る。今度こそ、彼女を殺す必要のない世界にしてみせる。


「じゃあルリ、お風呂入ってくるね。……あれ、体操服どこやったかな」


 絶対に、死なせない――と。

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