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 ステファナが祖国に別れを告げてから、季節は三度巡った。その間にウイン帝国は著しい変化を遂げていた。

 まず何処を見渡しても、道端で物乞いをする民はいなくなった。街を歩けば、人々の笑い声が聴こえる。とはいえ民の暮らしは豊かであると、言い切るにはまだ課題が残されている。しかし国内を覆っていた殺伐とした空気は、やがて消えていくだろう。

 宮殿内の変化と言えば、朝廷に列席する顔触れが一新された事だ。儲け話にしか関心が無く、出すのは余計な口ばかりだった廷臣は問答無用で叩き出された。件の血戦から一年後の出来事である。新たに選出された廷臣達は、帝国の発展に意欲的だった。他国との交流も盛んに推し進めている。

 宮殿の内廷に焦点をあててみると、皇帝が皇妃のために作った庭がある。最初は一つの花壇があったのみだが、今や花壇が三つと小さな畑まで作られているそうだ。皇妃が後生大事にしているその庭を知る者は少ない。まさしく秘密の花園である。

 そして最も特筆すべきは、仇国カルム王国との和平だ。互いの国が興った頃からの宿敵が、途方もなく長い戦争の歴史を経た末に、平和への一歩を踏み出したのである。


 和平条約の調印は、両国の国境地点で行われる運びとなっていた。間違いなく歴史の転換点になると誰もが考え、訪れる未来に期待を膨らませた。その証拠として、国境に設けられた城は、調印のためだけに建造されたのだ。

 立会人は国王または皇帝の家族と重臣数名だった。カルム王ライファンの後ろには両親と弟妹達が並び、ゼナスには皇妃と姉がついていた。背負う立場は違えど、家族全員が揃った瞬間であった。

 調印の儀は、非常に厳かな雰囲気に包まれていた。国王と皇帝が調印を終え、固い握手を交わした直後、割れんばかりの拍手が沸き起こる。


 ステファナが蒔いた平和の種は芽吹き、無事に花開いたのだ。

 この日をどれだけ待ち望んでいたことか。父が成し遂げられず、兄が憂いていた懸念は今日で終わる。和平なんて無謀だと失笑されても、絶対に諦めようとしなかった家族の努力がやっと日の目を見た。

 平和の花が開く時を見届けるのは叶わぬかもしれないと、覚悟の上で決めた結婚であった。だからこそ、今日という日に立ち会えたステファナの感慨はひとしおなのだ。


 気付けばステファナの目の端には光る涙があった。

 皆の眼が二人の若き君主へ集中するなかにあって、太后エイレーネだけは娘を見つめていた。一粒の涙の理由に、エイレーネほど共感を寄せられる者はいなかった。




 調印を終えた後も国王一家とゼナス達は、城に数日留まった。両家が揃うことはこれから先、幾度あるかわからない。もしかしたら、これが最後の機会になるかもしれなかった。

 貴重な団欒の機会をステファナは目いっぱい楽しもうと、全力を注いでいるようだった。家族みんなに抱擁し、顎がくたびれるまで喋り続けた。話題は尽きなかった。夜眠るのが勿体なくて、朝は目が勝手に覚めた。

 楽しい時間を過ごした分、別れは惜しくなる。末の妹達ももう大きいので、号泣することは無かったものの、それがまた知らないところで成長している寂しさに繋がった。

 しかし未練がましく引き留めることはしない。ステファナも含めて各々、成すべき使命と帰る場所があるのだ。


「…君はもう少し長居しても良かったのだが」


 帰途につきながら、ゼナスはそう言ってくれた。ステファナがいつもより静かだったからであろう。


「身重ゆえ、太后のそばにいる方が安心な事も多いだろう」


 彼の視線がステファナの腹へと落ちる。そこは衣装の上からでもわかるくらい大きくなっていた。ステファナは第一子を身籠もっており、間もなく臨月を迎えるところだった。

 此度の外出に際しても、宮殿で安静にしているべきではとゼナスは控えめに頼んでみた。だがしかし彼女は同行すると言って聞かなかった。両国の和平にかける彼女の想いを知っているので、ゼナスはそれ以上強く出られなかったのだ。

 宮殿から国境は決して近い距離ではないため、腹の大きなステファナがゼナスの旅程に合わせる必要はなかった。一人だけ後から休み休み移動しても良かったのだけれど、彼女は幸福に満ちた笑顔で言うのである。


「おそばにいます、と約束しましたから。ゼナス様の隣がわたしの帰る場所です」


 彼女の返答を聞いていたゼナスは、感じ入るように目と口元を緩めた。難しい顔をしていることが常だったゼナスも、優しい表情でいることが増えた。それが嬉しくてステファナがほくほくしていると、思いがけず彼が顔を寄せてきた。口付けされると分かった時には既に唇が重なっていた。ステファナは目を伏せて享受する意思を示す。

 ところが、二人を甘やかな雰囲気が包んだ直後。外からルイーズのよく通る声が響いてきたのだった。驚いた二人は揃って目をぱちくりさせる。


「ステファナ、それに弟よ。聞こえているか?外を見たまえ」

「………」


 ルイーズは並走している別の馬車に乗っているというのに、彼女の台詞は一言一句はっきり聞こえた。

 水を差されたゼナスは仏頂面に戻ってしまい、無言で小窓を開ける。


「おや、なんだその顔は?もしや良いところを邪魔してしまったかな」

「…やかましい」

「お義姉様、いかがなさいました?」

「沿道を見てごらん」


 勧められた通り、ステファナは反対側の小窓を開けてみた。すると───沿道が民衆で溢れ返る光景が、視界に飛び込んできたのである。


「皇帝陛下と皇妃様に感謝を!!」

「ウイン帝国の救い主に祝福を!!」


 離れていても民衆の熱気を肌で感じる。それくらいの熱烈さだった。大歓声の中には感謝の涙声も混じっていた。

 ステファナはこの声に聞き覚えがある。あれは三年前の早秋、祖国を去る王女を見送るために集まった民が大勢いた…今、眼前に広がる光景は、当時のそれと酷似していた。見渡す限り続く民の列はまるで、ウイン帝国の端から端までステファナの味方である、と語りかけているようだった。感動が全身を駆け巡り、ステファナは身を小さく震わせた。


 帝国史の初頭から続いていた敵対関係に終止符を打ち、安寧の時代の先駆けとなった皇帝ゼナスの功績は、遠い将来まで語り継がれていくであろう。

 しかしながら、己の首を差し出してまで和平を願った妃のことは、公的な文書に一文字も記録されていない。よって目撃者がこの世を去れば、彼女の決死の行動もまた儚く忘れ去られるのだ。


 でも、ステファナにとって己の功績など取るに足らない事だった。ゼナスのほうへそっと身を傾ければ、すぐに肩を抱き寄せられた。ステファナはそのまま彼に体を預け、静かに寄り添う。

 人々の記憶に残りたいとは思わない。豪華な褒美も、大々的な賛辞も要らない。ステファナにはゼナスがくれる言葉の花が、最も価値のある栄誉だからだ。


「ありがとう、ステファナ。君は"救国の皇妃"だ」




政略結婚のお相手は、仇国の皇太子でした。〜完〜

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