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 生まれながらに虚弱であったリファトは、五十も近付きつつある。自身は変わらないつもりでも、体は着実に衰えていっている。折角、ウイン帝国まで来たのだから、名所を巡ってみたい気持ちはあるのだが、無理を押せば自国に帰る体力が残らないだろう。

 よってリファトとエイレーネは、帝国を訪問している間の殆どを、宮殿で寛ぐことに充てていた。その事に関して文句をつける者はいなかったが、リファト本人だけは申し訳なさそうであった。


「わたし達が見たかったのは名所ではなく、娘の笑顔だったはずですよ」


 しかし、愛する妃エイレーネから優しく笑いかけられたら、彼の負い目などたちまち杞憂に変わってしまうのだった。



 ステファナの両親は帰国するその日になって、大きな置き土産を残していった。


「兄上が『いつか観光のついでに立ち寄る』と話していたから、そのうちふらりと訪れるかもしれない」

「最初はわたし達に同行すると仰っていたのですけど、下の子達が『伯父上まで行ってしまわれたら寂しいです』と上手に引き留めてくれました」


 ステファナは手を叩いて喜んだが、ゼナスは対照的に引き攣った面持ちをしていた。義理の両親に続いて、姪を猫可愛がりしているという伯父も来訪するとあっては気も抜けなかろう。

 そんなゼナスの心情を察してか、リファトが「あくまで観光のついでらしいですので、仰々しい歓迎は必要ないと思います」と提言してくれたのだった。


「お義兄様は両陛下のお出迎えさえあれば、それだけで嬉しく思われますよ」


 それとなくエイレーネも同調して、ゼナスを安心させようと気を遣ってくれた。おかげで不安は軽減されたものの、顔の強張りが治ることはないままであった。

 ゼナスの心労は、まだしばらく続きそうだ。




 ステファナの伯父マティアスは、リファト達の来訪から大して日を空けずにやって来た。

 観光する時間はいつあったのか、などという問いは愚問でしかない。祖国から脇目も振らず姪のところへ来たのは疑いようもなかった。そうでなければ、祖国から持ってきた大量の土産について、どう説明するというのか。

 堅苦しい挨拶は全て不要、そう事前に聞いてはいたものの、ゼナスは半信半疑であった。普通、他国の王族を招き入れる際は、訪問の理由が公的にしろ私的にしろ、いつも以上に気を配るものだ。逆に何もしないでいるのは落ち着かなかった。けれどステファナが気楽に構えているので、表向きはゼナスも彼女に倣っているだけである。

 かくしてマティアスは宮殿の門を潜った訳だが、ゼナスの第一印象は「似ていない」だった。

 義理の両親は二人ともステファナに似通う部分があったが、マティアスには全然無い。見るからに不機嫌そうだし、顔立ちも厳つくて、ステファナはおろか弟にあたるリファトともあまり似ていなかった。一応、自己紹介だけはしたものの、億劫そうに頷かれただけだった。人の良さが滲み出ていた義両親からは、想像もできない態度である。

 帝国語は通じないかもしれないと思い、カルム語で伝えたのだが発音が下手だっただろうか。そんなゼナスの不安をよそに、ステファナは喜びを顔中で表現していた。


「…すぐに帰ってこいと言ったはずだぞ」

「嫌になったら、でしょう?でもおじ様から来てくださって嬉しいです!」

「いつまで経ってもお前が来ないのが悪い。年寄りを振り回しよって」

「ふふっ、ごめんなさい。おじ様はお年を召したように見えませんから、つい子供時代の気分のままでいました」

「俺はまだ爺になったつもりはないぞ」


 相変わらず捻くれた言い方をする伯父である。ゼナスは完全に戸惑ってしまい何も言葉が出てこなかった。しかし慣れ切っているステファナは、皮肉を言われてもどこ吹く風だ。むしろ、そういう会話を楽しんでいる節さえある。


「おじ様、ブランカにも会っていってくださいな」

「まあ良かろう」

「車椅子はわたしにお任せください」

「…それなら私が」


 車椅子を押すのは力が要る。ステファナの細腕なら尚更だろう。気を利かせたゼナスであるが、マティアスには睨まれてしまった。否、出会い頭からずっと睨まれていたが、悪化したのである。どうやら押してもらうのは、姪でなくては駄目らしい。


「ふふっ、昔はみんなで取り合いでしたね。今日はわたしが独り占めです」

「フン…揃いも揃って物好きばかりだ」


 口では悪態をつきながら、マティアスは満更でもない様子だった。これは邪魔しないのが得策であろう。すぐに結論が出たゼナスは、静かに退散していくのだった。


 ゼナスが近くにいると不機嫌になり、ステファナが甘えにいくと緩和される…という事は繰り返された。そのためゼナスはマティアスと碌に話すことも叶わなかった。その態度から察するに、ゼナスは可愛い姪を奪った憎き若造なのだろう。

 しかしゼナスとしては、ありがたい面もあった。義両親はあまりにも優しく接してくれた故、ステファナに対して未だ抱いている罪悪感が疼いたのだ。理由はともかく、こうして責めてもらえたほうが、若干気持ちが楽になった。

 とは言うものの、ゼナスを差し置いて姉のルイーズと話を弾ませているのは、何となく腑に落ちない。会話に入りたくても、義妹ができた喜びについてはちょっと共感しかねる。主に話しているのはルイーズであったが、まともに会話が成り立たないゼナスからすれば羨ましい限りである。

 しかし一番、彼を唖然とさせたのはマティアスが、イバンとアニタに馬を贈ると約束した事だった。何でも、自分の馬を持たないと「皇妃付きの者として格好がつかん」らしい。イバン達が恐縮しながらも、命名について議論しているところに出くわした際、彼らの気まずげな表情にちょっと傷付いた。

 嫌われるのは仕方ないにしろ、他者との扱いに顕著な差があるのは、思っている以上に気落ちさせられるのだった。




 考え様によっては、義理の家族のことで四苦八苦するだけの余裕が生まれた、ともとれるかもしれない。どんな時も前向きな誰かさんに思考が似てきたな、なんて思うとゼナスは自ずと相好を崩していた。

 頭の中で思い浮かべた人物と無性に会いたくなり、彼は歩調を速めた。目当ての人物は外を散歩しているらしい。

 ところがゼナスの足は唐突に、動きを止めることになるのだった。


「…お前はちゃんと大事にされているんだろうな」

「あら。おじ様はわたしが無理やり笑っているように見えますか?」


 弁解すると最初から盗み聞きするつもりではなかった。花壇の近くを通りかかろうとしたら偶然、二人の会話が聞こえてきただけだ。しかし引き返さなかったのは、偶然ではなく故意である。


「お前は能天気だから、何でも笑って済ませる」

「そんな事はないですよ。悔しい時は地団駄を踏みますし、嫌なことがあればむっとします」

「嘘だな。俺はお前の地団駄も、むっとした顔も見たことがない」

「そうでしたか?」

「そうだ。だから正直に白状しろ」

「『馬を大事にする人間に悪人はいない』って教えてくださったのはおじ様ですよ。セリオンをご覧になったでしょう?大事にお世話されていなければ、綺麗な毛並みは保てないですよ」

「………何事にも例外はある」


 それが苦し紛れの台詞であることは、聞いているだけのゼナスにもわかった。とりあえず大きな憎しみを向けられている訳ではなさそうである。

 少しでも可能性があるのならば、すぐに退散するのではなく歩み寄る努力をしよう。ゼナスはそう密かに決めた。とりあえず当面の目標は、嫌な顔をされても怯まないことからだ。


 しかしゼナスは元々、寡黙な男である。捻くれ者のマティアスと対話するなんて、至難の業といっても過言ではない。ゼナスから挨拶をし、軽い話題を振ってみても、返ってくるのは面倒そうな頷き一つだ。あちらから喋りかけてきた事は、ただの一度もない。

 流石に心が折れかけて、ステファナに助言を求めたりもした。彼女を挟めばぎりぎり会話は成り立つが、如何せんマティアスの恨めしい視線が痛いのだ。


「おじ様は恥ずかしがり屋なんです。ゼナス様とは顔を合わせたばかりなので、照れているのだと思いますよ」

「慰めてくれたところ悪いが、全くそうは見えない」


 いったいマティアスの何処をどう見たら、照れていると捉えることができるのか。ゼナスは内心で見当違いだろうと呟いてしまった。


「おじ様だってゼナス様のことを知りたいと思っていらっしゃいますよ」

「……本当にそう思うか?」

「はい。おじ様はどのような話でも真剣に耳を傾けてくださいます。お顔はちょっと…怖いかもしれませんが、ゼナス様が話される事は全部きちんと聞いておられるはずです」


 そう励ましてくれた彼女の言葉を信じ、ゼナスは会話をする努力を重ねた。




 そしてようやく最後の最後に、マティアスからまともな返事を貰えたのである。

 それは彼が帰りの馬車の椅子に座り、扉を閉めた後のことだった。


「おじ様、こちらへ観光に来たら必ず立ち寄ってくださいね」

「今度はお前がこっちに来たらどうだ。それに…あれだ。他に男がもう一人くらい増えても文句は言わん」


 小窓から覗くマティアスは、この上なく不本意そうであった。

 伯父の言葉を咀嚼したステファナは、ぱっとゼナスを見上げる。遅まきながら彼も、放たれた言葉の意味を飲み込めたらしい。

 非常に分かりにくいが「お前のことも家族の一員として数えてやる」と言われたのである。一国の皇帝に対し恐ろしく不敬な台詞だが、ゼナスは喜びを噛み締めながら感謝を言葉で表すのだった。しかしながらマティアスは不貞腐れたままである。


「…幸せにしないと承知しない」

「はい。生涯をかけて彼女を大切にします」

「足りん。死んでも幸せにするんだ」

「はい。しかと肝に銘じます」


 返事だけは一丁前だ、なんてマティアスが悪態をついているうちに馬車は動き始めた。ステファナは伯父へ手を振り、ゼナスにも同じ事をするよう促す。彼女の微笑に負け、ゼナスはぎこちなく手を振ってみれる。すると小窓から手が半分ほど出てきて、ひらりと一回だけ振り返されたのだった。


 余談であるが後日、ステファナのもとへ兄から手紙が届いた。手紙には「伯父上はゼナス陛下の愛馬のことを『あれは悪くなかった』と不承不承ながら認めていた」と書かれてあったという。

【補足】

マティアス伯父さんは、挫けずに話しかけてくれる相手を無碍にすることができません。進んで彼を構う人間は、今までの人生の中でほとんどいなかったからです。

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