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 シェケツ村で過ごす一週間はあっという間に感じられた。毎日、誰かしらステファナのところへ来て雑談をし、笑い声を立てていた。皆、思い思いの手土産を携えてはステファナに渡していくので、帰りの荷物はいっぱいだ。高価な物は一つもなかったが、彼女はさながら貴重品を貰ったかのように扱うのだった。

 帝都に戻る日の朝は涙ぐむ者も多数いたけれど、ステファナは今回も耳飾りを"忘れて"いった。再会の暗示にエレナ達は表情を明るくし、別れ際には笑って送り出してくれたのだった。

 村で襲撃事件が起きたためか、往路より警備が増やされた。滞在中はもとより、実は道中でもステファナに近付こうとする民は多くいた。だがそれは彼女に対して負の感情があるからではない。皇妃と皇女を間近で見れる機会なんて早々巡ってこない、物珍しさからである。あとは、件の血戦で義勇軍として参加した兵士が各地に散っているので、近くを通るなら挨拶をと考える者もいた。

 ステファナに敵意を抱く国民は殆どいないとはいえ、また襲われるような事があってはいけない。ステファナは馬車の中から手を振るくらいで、交流らしい交流はできなかった。宿で休む際も外出は控えるよう、やんわり勧められた。

 自由に街を散策することはできなかったが、ステファナはルイーズと宿で過ごす時間も充分楽しんでいた。ルイーズが各地を放浪していた話はとても興味深かったし、幼少期のゼナスの話を聞いたりもしたのだ。


 そして今日が行程の最終日である。正午には宮殿に到着予定だが、休憩を一回挟むことになっていた。

 休憩所に寄った際、ルイーズは「少し席を外す」と告げて出て行ってしまった。この辺りは貴族街でもあるから、ついでの用事でもあるのだろうと、ステファナは深く考えなかった。

 ところが、お茶を飲みながらのんびり義姉を待っていたステファナに、予想外の来訪者があった。なにしろ扉を開けたら、ゼナスが立っていたのだから。


「迎えに来た。帰るぞ」


 ステファナは目を白黒させている間に抱き上げられた。声を出す暇も無い。突然、視界が高くなったステファナは思わずゼナスにしがみついていた。そのまま掴まっているよう言われ、彼女の体は反射的に従ったが頭の中は真っ白である。

 そして何一つ問い質すことができないうちに、ステファナは彼の愛馬に乗せられていた。ゼナスは彼女を軽々と抱き上げていたが、セリオンも同様に軽々と走る。大人を二人も乗せているとは思えない、力強い走り方だった。


「…待ちきれなくて来てしまった。迷惑だったか?」


 片手でステファナを支え、もう片方の手で器用に手綱を操るゼナスは微かに赤面していた。己が迎えに行くと先触れを出し、ここまで駆け付けたのはやけくそ紛いの勢いであった。後で姉から揶揄いの材料にされると分かっていたが、一分一秒でも早くステファナに会いたかったのだ。しかし勢い任せだった時は良いものの、実行してみたら照れるどころの話ではない。再会を喜ぶ気持ちが、羞恥心に押し負けそうである。


「…いいえ。嬉しい驚きでした」


 だが実に現金なもので、ステファナがはにかみを滲ませながら笑うと、ゼナスの羞恥心はたちまち消えていくのだった。




 弟たっての願いを聞き届け、手はずを整えたルイーズはというと、早速アニタ達と話題に上げていた。しかしアニタは一人も護衛をつけなかった事が不満のようだ。


「案じずとも大丈夫だ。弟は愛する女を守れぬような軟弱者ではない。剣の腕前も私に匹敵するし、義妹の前で敗北などという醜態は晒さないさ」

「………」

「さて、我々はもう暫くゆっくりしていこうか」

「良いんですか!じゃあアニタ、俺と買い物に行こうぜ」

「ステファナ様の後を追うべきではありませんか?」


 イバンの誘いは華麗に無視し、アニタはルイーズに進言する。だがルイーズの答えは否であった。


「夫婦二人の時間を邪魔するのは野暮だろう」


 年長者の目をするルイーズにそう頼まれては、もう言い返せなかった。


「…承知いたしました」

「決まりだな!」

「貴方に付き合うとは言ってないわ」

「せっかく街の近くにいるんだから、買い物して美味しいもの食べようぜ」

「それなら一人でもできるでしょう」

「俺はアニタと行きたいんだよ」


 イバンは必死に食い下がるものの、意中の相手には渋られてしまう。二人のやりとりを聞いていたルイーズは、アニタを諭すことで助け船を出してやるのだった。


「そう邪険にせず、たまには男の顔を立ててやりたまえ」

「…ルイーズ殿下はどうなさるおつもりですか?」

「ここら辺は良い酒ができると聞くからな。楽しんでくるとするよ。美味い酒はじっくり静かに味わうのが私のこだわりだ。供はいらぬ」

「左様ですか」

「そういう事だからさ、俺と一緒に来てくれよ」


 イバンが情けない声で駄目押ししたことにより、何とか了解を貰うことができたのだった。


「…仕方ないわね」

「やった!!お礼に髪留め買って贈るよ」

「つけないから要らない」

「仕事に支障が出ないような小さいやつにするから大丈夫、大丈夫!」

「ちょっと…!なんで手を握るのよ」

「雰囲気は大事だろ?」

「それこそ要らないわよ!」


 どたばたしながら出掛けて行く二人を、ルイーズは愉快そうに目で追っていた。復讐を目的に生きてきたルイーズにとって何気ない日常を眺めるのは、これまでできなかった楽しみなのだ。




 時を同じくして、ゼナスとステファナは間も無く宮殿に到着しようとしていた。ゼナスは回り道になる街道ではなく、整備のされていない野山を突っ切ってきた。人目に触れないためでもあるが、自然の中を駆けたほうがステファナも喜ぶだろうと思っての事だった。

 ステファナの手にはジューンベリーの枝が握られている。山道を抜ける途中でゼナスが手折ったのだ。無言で差し出された一本の枝を、彼女は至極嬉しそうに受け取った。花が散らないように大切に握る姿を見て、ゼナスは彼女を支える腕に力が入ったが、全く無意識であった。

 城門を潜るとすぐにミリアムが迎えに出てきた。ゼナスは愛馬の手綱を侍従に渡し、先に降りてからステファナに手を貸した。そのまま中へ入るのかと思いきや、ゼナスは「ついて来てほしいところがある」と言う。素直に頷いたステファナは、持っていたジューンベリーをミリアムに預けてから、再びゼナスの手を握るのだった。


 ゼナスに手を引かれ、宮殿の外をぐるりと回る。外といっても高い城壁の内側である。城壁は外周だけでなく、外廷と内廷を区切るためにも存在しているのだ。ゼナスの足は内廷の城壁を通り過ぎるまで止まらなかった。

 ようやく彼が足を止めた場所…其処には横幅三メートルほどの花壇があった。以前までは何も無くて、地面が剥き出しになっていたはずだ。摩訶不思議な現象に、ステファナは目を真ん丸にする。


「……君にと、思ったのだが…どうだろうか」

「…えっ?」


 彼は今、何と言ったか。聞き間違いでなければ、この花壇はステファナのために用意されたらしい。彼女の目はもう零れ落ちんばかりに見開かれていた。

 言葉が出ない様子のステファナに、ゼナスは依然として歯切れの悪い物言いをする。


「初めてのことで不恰好かもしれないが…活用してくれるとありがたい」


 彼の台詞を反芻したステファナは、はっと気付く。


「初めてって……もしかしてこの花壇は、ゼナス様が手ずからお作りになったのですか…!?」

「…職人に指示されるがまま、煉瓦を積んだだけだ」


 あれは彼女がシェケツ村へ発った後のこと。

 ゼナスはミリアムに、花壇を設置する計画を話した。計画だけはずっとゼナスの頭にあったのだが、言葉に出したのはその時が初めてである。ステファナが花を見る事も、育てる事も好きだというのは前々から知っていたから、いつかこの殺風景な宮殿に庭を設けようと考えいた。聞けば彼女の祖国には大庭園があると言うではないか。古城の跡地を利用して庭園に造り変えたらしく、ステファナとの会話でも度々登場していた。彼女にとって花咲く庭は、とても身近なものなのだ。

 現状を考慮すれば、それほど大規模な造園は不可能である。国の予算を使い込んで造園したところで、彼女は喜ばない。衣装の失敗からゼナスも学んだ。しかし小さな花壇くらいなら設置できる。何ならゼナスがやれば良いと提案したのはミリアムだ。人件費の削減にもなるし、きっと彼女も喜ぶだろうと言われ、ゼナスは頷いていた。職人から説明を聞き、見よう見まねで作業する彼は真剣そのものであった。


「土を入れるのは、詳しい君に任せたほうが良いと言われて…」


 ゼナスが息を呑んだために、言葉は途切れてしまう。続きを紡ぐこともできず、彼は硬直した。何故ならステファナの大きな瞳から、ぽとぽとと雫が転がっていたからだ。彼女は花壇を凝視したまま微動だにしないで、涙だけを落としている。


「こ、こんな見窄らしいものは、却って目障りだったな」


 やっとの思いでそれだけ独りごちたゼナスは、大変ぎこちない挙動でハンカチで探す。とにかく涙を拭ってやらねばとの一心だったが、ハンカチを渡そうとした時には彼女に笑みが戻ってきていた。でも、彼女の瞳も頬もまだ濡れていて、きらきらと光を反射していた。


「…もう、どうしてそんな事を仰るんです?嬉し涙に決まっているではないですか」

「そう、か」

「嬉しくて、嬉しくて…こんなに素敵な素晴らしい贈り物、本当に頂いて良いのでしょうか」


 笑ったと思えば、ステファナはまた歓喜の涙を溢れさせる。声を震わせてしゃくりあげる姿に堪らなくなり、ゼナスはハンカチを取り落として彼女を抱き締めた。


「私が君に贈りたかったのだ。受け取ってもらえないと、どうして良いかわからない」

「はい…っ、ありがとうございます…!生涯、大切にしますっ」

「大袈裟だな」


 ゼナスがくつくつと笑えば、ステファナも顔いっぱいに笑顔を広げるのであった。


「どんなお花を植えましょうか」

「君の好きにしたら良いだろう」

「候補がたくさんあって、迷ってしまいます。ゼナス様のご希望はありますか?」

「植物の知識に乏しい私に聞いてどうする」

「お花の色だけでも良いので、ご意見をください」


 まだ土すら入れていない空っぽの花壇の前だというのに、二人の会話は弾んだ。ゼナスはステファナの双眸を見つめてから一言、「青色が良い」と呟いた。


「青色ですね。ではネモフィラが良いかしら?デルフィニウムも捨てがたいですね。ああでも、毒があるお花は避けた方が…ブルースターは可愛いですけど寒さが苦手ですし…」


 ゼナスが青色を希望した意味は彼女に伝わることはなかった。けれど、ものすごく真面目に青色の花を吟味する様子だけで、ゼナスは既に満足していた。


「じゃがいもでも良いと思うが」

「それも良いですね!両親がしてくれたように、わたしも子供が生まれたら一緒に………」

「………」


 それまで無邪気に話していたステファナは、急に顔を赤らめて俯く。つられてゼナスも赤くなり、顔を逸らすのだった。


 結局、この日は花壇の使い道が決まらなかった。しかし花壇のことを考えるステファナは、つい笑みがはみ出てしまうほど楽しげだったそうだ。

【補足】

ステファナは貰った花壇を、アニタ達や料理人の兄弟にも紹介して回ります。可愛いらしいはしゃぎ方にゼナスもご満悦で、そんなご機嫌な弟を姉はしっかり観察していました。

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