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シェケツ村へ向かうステファナ達の旅路は実に順調だった。日程に狂いも出ず、無事に目的地へと到着していた。
事前に来訪の報せが送られていたおかげで、村人達が総出で出迎えてくれた。小さな村はお祭り騒ぎであった。エレナが先頭を切って飛び出してくると、続いて彼女の友人達、それから村の子供達が走ってくるのが見えた。けれど周囲にいた駐屯兵に止められている。流石にウイン帝国の皇妃の元へ、突進して行くのは見過ごせなかろう。
収拾がつかなくなる前に、ステファナ達はいったん城へ移動する。そこでまず、代表として村長と駐屯兵の隊長が挨拶をしに来た。
「遠路はるばる、ようこそお越しくださいました。シェケツ村一同、心より皇妃様方を歓迎いたします」
「ご滞在中の警護には、我が隊の精鋭を選出いたしました。細心の注意を払い、皇妃様の御身をお守りいたします」
「ありがとうございます。短い間ですが今回もお世話になりますね」
「ご用向きの際はどうぞ我々にお声がけください」
「では早速ですが、村の皆さんとお話しできればと思います」
ステファナが皆との対話を希望する事は、隊長も予測済みだったに違いない。さして驚くことも、困った顔をすることもなく、すんなり話は通った。とは言え皇妃が勝手に出歩いては多方面に迷惑をかけるので、行動は制限されることだろう。ルイーズみたいに腕に覚えがあれば話は別だったが致し方ない。
「隊長殿。ステファナと特に懇意にしていた少女達がいるだろう。とりあえず彼女達から連れてきたらどうだ」
「はっ!ルイーズ殿下。ただいま呼んで参ります」
言うまでもなくシェケツ村で起きた出来事は全て、ルイーズも把握していた。自らも立ち寄ったし、アニタに報告を送らせていたからだ。ステファナに協力的だった村人全員の名前くらい記憶している。
暫くしてエレナ、ノエル、リュシーの三人が連れて来られた。
「本当に来てくださったんですね!あたし、ステファナ様の忘れ物は大事に保管してましたよ!でも奥に仕舞いすぎて取り出すのが一苦労なので、持ってくるのは後でも大丈夫ですか!?今すぐお返ししたほうがいいなら、」
「ちょっとエレナ!まずはお祝いのご挨拶でしょう」
「そうよ。ステファナ様は皇妃様になられたのだから。おめでとうございますって言わなきゃ」
「そうだった!練習したのに忘れてた!」
エレナは前のめりになって、再会の喜びを全身で表していた。相変わらずの勢いである。三人とも見るからに元気そうだったし、心なしか血色も良い。
「ふふっ、一緒に炊事をした仲ではないですか。お堅い挨拶は省略しましょう」
皇妃となっても物腰の柔らかさが失われることはなく、ステファナは優しい笑顔を浮かべた。
「三人に渡したいものがあるのです」
そう告げたステファナは、アニタに持ってきた手土産を持ってきてもらう。三人それぞれに用意したものだった。
「この刺繍糸はリュシーに。素敵なお花のお礼です」
「あっありがとうございます!すごい…綺麗な色がたくさん…!」
「ノエルには数種類の香辛料を用意しました」
「うわぁ…!ありがとうございます。色々と研究してみます!いつかご馳走させてください!」
「喜んでご馳走になります。エレナには辞書を持ってきました。ブノワ先生のもとで勉強していると手紙に書いてありましたので、一冊持っておくと便利かと」
隠れて手紙のやり取りをする必要がなくなってからというもの、ステファナはエレナ達とも頻繁に文通している。その際はステファナが配達人に返信の分まで代金を払い、エレナ達の懐が痛まないよう配慮していた。
宮殿から手紙が届くと、エレナ達は一生懸命に返事を書いた。綴りが間違っていることはあるが着実に文量は増えており、彼女達の目覚ましい成長が窺えた。とある手紙の中でエレナが「ステファナ様みたいに病人を救える人間になりたくて、ブノワ先生に弟子入りした」と書いていたのを感慨深く読んだものだ。
「ありがとうございますっ!本を借りても、全然読めなくて困っていたんです!使い方を教えてもらってもいいですか?」
「私も聞きたいです!」
「エレナと一緒に良いですか?」
「もちろんですよ。こちらへどうぞ」
皇妃と平民が肩を並べて一冊の本を覗き込む…それは本来、許される様相ではない。ルイーズは眼前の光景を、興味深そうにじっと眺めていた。
どちらかといえばルイーズも気さくなたちである。慕ってくれる部下も大勢いる。しかしステファナの慕われ方とは違う。ルイーズの場合は、畏れ敬われながら率いていくといった感じだろう。ただそこに立っているだけで民に希望を与え、憚りなく近付いてもらえるような存在ではない。
真に国民から愛されるとは如何程のことか、ルイーズは目の当たりにした気がするのだった。
ステファナに会って話がしたい村人は長い行列を作っていた。帝国の皇妃を一目だけでも見ようとして、遠くの村からも人が集まっているのだ。しかも顔見知りの者は皆、エレナのようによく喋る。一人ずつ面会していたら夜が更けても終わらないだろう。
「…ふむ。義妹の人気を甘くみていたかもしれん」
顎に指をかけ何やら思案していたルイーズだが、結論が出たのか一人で頷く。そして談笑しているステファナの横へ行き、華奢な肩に手を置くのだった。
「お義姉様?」
「村人が外で夜を明かすことになっては忍びない。ステファナが彼らのところへ行くと良い」
本人が村を回った方が早いと判断したルイーズにより、ステファナは城の外へ連れ出された。あっという間に村人達に囲まれて、小柄なステファナは人垣に埋もれる。押し潰されるような事態にはならないが、遠目からでは彼女の頭頂部さえ見えないだろう。
そんなお祭り騒ぎの中で、ルイーズは刺さるような視線を感じ取っていた。間違いなく殺気である。豪胆に構えるルイーズだが護衛役に志願した以上、常に全方位へ神経を研ぎ澄ませている。群衆の中心にいても、敵意を嗅ぎ分けるくらいの芸当は朝飯前だった。
ルイーズはステファナの背後に立ち、華奢な背中を三回突いた。無論、周りからは見えないように、である。軽く小突かれたステファナだが、彼女は振り向くことはおろか、何の反応も示さなかった。それがルイーズとの決め事だったからだ。
「もしも異変を察知することがあれば知らせておくれ。そうだな…私の背中でも腕でも良いから三回素早く叩く、これでいこう。逆も然り、ステファナに危険が及ぶ可能性が出てきたら、君に同じ合図をする。だがステファナは素知らぬふりを続けるように」
事前にそう指示を受けていたため、ステファナは危険を察しながらも子供達との交流を続行する。子供達が頑張って書いた手紙や似顔絵を、にこやかに受け取っている。
その傍らでルイーズがアニタに、賊が潜んでいるゆえ警戒しろと囁いていた。アニタもまた、大袈裟に驚くことはしない。素早くイバンに視線を寄越し、臨戦態勢をとるよう伝える。アニタが隠し持つ短刀に手をかけるのを見て、イバンはその意味を正確に受け取った。そうしている間にもルイーズは、同行させた私兵を通じて駐屯兵にも伝達を済ませていた。何も知らないでいるのは村人達と、じわじわ接近してくる賊である。
だがステファナを囲う人垣は厚く、村人達でさえ近付くのが難しい。それは彼女を狙う賊も同様だったのだろう。思うように進むことができず、やがて痺れを切らした賊は、強引に人を押し除けて前に出てきた。あまりに分かりやすい出方であったため、取り押さえるのは容易かった。一番近くにいたイバンが難なく賊を捕まえる。
「おっと。手柄は俺が貰っちゃったな」
「ふざけた事を言っていないで、共犯者がいないか警戒しなさい」
「それはもうアニタがしてくれてるだろ?」
その時ステファナは、喋っていた子供達を抱き寄せていた。万が一にも誰かの血を見る事態になってはいけないと思い、子供達の視界を遮ったのだ。ルイーズ達の力を全面的に信頼しているステファナは、己の心配なんて最初からしていない。何が起きたのかよく分かっていなかった子供達は、くすぐったそうに笑っていた。
「え、なに!?誰!?」
「こいつ短剣をもってるぞ!」
「村の人間じゃねぇな!?」
「落ち着いて!子供達を遠ざけるんだ!」
「賊は取り押さえた!慌てずゆっくり距離をとれ!」
凶器を持った賊の出現に一時、その場は騒然となる。しかし予め警戒していた者達による迅速な処理のおかげで、酷い混乱に陥ることはなかった。
そこへ、捕えられて踠いていた賊が初めて声を発する。
「汚い手で私に触らないでくださる!?離しなさい!!」
「離せって言われて離すわけ…ん?女?」
賊は冬に着るような外套を頭から被っていたので性別が分からなかったが、声からしてどうやら女らしい。
アニタはその声に思い当たる節があった。目をかっと見開いた次の瞬間には、全身から敵意を漲らせていたのだった。アニタの豹変ぶりにイバンはいち早く気付き、背筋を凍らせる。アニタが怒髪冠を衝くところなど、イバンでさえ見たことがなかった。
アニタは無言のまま女の前まで来ると、顔を隠していた外套を剥いだ。そこから現れた素顔に、イバンのみならずステファナも驚愕する。
「げっ!クロエ侍女長!?」
もう侍女長ではないが、イバンは染み付いた習慣でそう呼んでしまっていた。
"帝落の血戦"が決着したその日のうちに、クロエは解任され宮殿から永久追放処分となった。ゼナスが直々に執行したのだ。ステファナはそう聞かされていたが、事実は若干異なる。
クロエの処分は追放だけでなく、爵位の剥奪と財産の没収もあったのだ。その上で今後一切、ステファナに接近することを禁ずると言い渡されていた。違反すれば流刑に処し、生涯を離島の監獄で過ごすことになるとも警告されている。これでもゼナスに言わせれば、甘すぎる処分であった。
「私は皇族の血を引く人間ですのよ!しかも今は亡きオダリス陛下から、皇妃を約束された身でもあります!蛮国の王女なんかとは格が違うのです!皇妃たる高潔な血が流れているのは、この私!!」
「………」
「肉親を殺すなど獣でも致しませんわ。ゼナス陛下が道を踏み外されたのも、そこの小娘が甘言で唆したからです!なんと卑怯で穢らわしい!余所者は出ておいきなさい!!」
クロエがひと息に捲し立てた直後。アニタの強烈な平手打ちが炸裂した。派手な音が木霊し、かなりの威力を伴っていたのが窺える一撃だった。続け様にもう一発、アニタは正面から拳をぶつける。比喩ではなく、文字通り鼻っ柱をへし折ったのだ。
殴られたクロエはというと、痛みのあまり声も出せない様子であった。
「ステファナ様に罪をなすりつけ、理不尽極まりない暴力をふるった事。ステファナが許しても、わたくしは許しません」
ステファナの掌には赤い筋が残っている。小刀を掴み返した時の傷跡だ。それを見るたび、アニタがどんな気持ちを味わったか。
アニタの断罪の一言は、呆然と見守っていた村人達の激情をも呼び寄せた。途端に怒りの火がついた彼らは、口々に野次を飛ばし始める。
「ステファナ様に何しやがったお前!?」
「罪をなすりつけただと?卑怯なのはどっちだよ!」
「黙って聞いてりゃ意味不明なことばっかり!」
「アニタさん!もう百発くらいお見舞いしてちょうだい!」
「あたし達みんな、ステファナ様の味方なんだから!」
「ステファナ様以外の妃なんかいらないわ!」
「大体あなた誰よ!全っ然、高貴な人に見えないけど?」
一斉に非難を浴びるクロエは怒りで顔を真っ赤にさせていた。クロエには罪の意識など無い。下等な人間達に寄ってたかって責められる事が我慢ならず、罵り返そうとした。
だがしかしクロエは言葉を発することができなかった。口を開けるより早く、クロエの横腹を目掛けて綺麗な回し蹴りが飛んできたのである。
「貴女がこの後に及んでのこのこ出て来られるような、頭の弱い人間で良かったです。おかげで顔に二発、腹に一発。ステファナ様が受けた分をお返しできました」
ステファナにしてきた仕打ちを思えば軽い処分に関して、アニタは非常に業腹していた。本来ならば死罪でもおかしくないのに命だけはとらなかったのは、侍女長についていた勢力がとても厄介な連中だったためだ。執政は一筋縄ではいかない。ゼナスも忌々しく思いながら耐えていたであろう。それはアニタも伝わってきたが、頭で理解しているからといって恨みが消える訳ではない。愚かにも姿を現してくれたなら、成敗しない理由は無かった。
アニタの淡々とした台詞から具体的な光景が思い浮かんだ村人達は、更に怒りを爆発させるのだった。
「ステファナ様の敵は国から出ていけ!」
「一生ここへは戻って来るな!」
「お望みならオダリスと同じ目に遭わせてやろうか!?」
格が違うと豪語する貴女は、民のひとりでも救ったのか。そんな軽蔑を込めてクロエを見下ろすアニタは、最後に冷然とした皮肉を投げかけた。
「誰からも庇ってもらえなくて、どのようなお気持ちですか?」
あわや暴動に発展しそうになったものの、過熱しすぎる前に隊長が強制連行していって、この一件は事なきを得る。捕縛されたクロエは、なけなしの温情を反故にしたとの理由から、警告通りの処分を受けることとなった。離島へ流刑にされてからの消息について、ステファナの耳に入ることは無かったという。
騒動の後、ルイーズはステファナに語りかけた。
「君のことだから、アニタを止めに入ると思っていたよ」
ステファナは暴力を嫌う。アニタの一発目は止められなかったにせよ、二発目以降は制止することもできたはずだ。けれどステファナは黙認を選んでいた。その選択がルイーズには意外に感じられたのである。
「アニタが理不尽な暴力を振るわれていたのを知っているので、わたしも怒っていたのです」
「しかしそれだけが理由でもあるまい?」
恐らくだが、仮にあのままアニタが殴り続けても、ステファナは何も言わなかったように思う。それは分け隔てなく優しい彼女らしからぬ事だった。
「わたしは一度だけ、クロエに譲ったことがあります。ですが、もう二度としません。身を引こうとしてもできませんから。ゼナス様を奪おうとするならば、わたしは慈悲を捨てて闘うことも厭わない所存ですよ」
決意を表明するステファナは、強気の笑みを見せていた。彼女がこういう笑い方もできるとは、新しい発見である。
この時の会話を、ルイーズは留守番している弟へ書き送ることにした。事件の報告書だけを読んでいたら今頃、ゼナスは怖い顔をして村に乗り込んでいただろう。元侍女長の強襲を知って平静を保てるはずもない。報告書に加えて手紙を添えたのは、気が気では無い弟の心中を察したルイーズの気遣いなのである。
【補足】
侍女長が28話でステファナに言った台詞を、アニタは事後処理をしている時に聞きました。ステファナ本人からではなく、たまたまその場に居合わせた衛兵からの報告です。ステファナが何も言い返さなかった事も聞いており、侍女長に対する怒りが余計に膨らんでいました。
負けず嫌いなアニタなので本音を言えば、自分が殴られた分もお返ししてやりたかったのですが、ステファナが見ていたので自制しました。




