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 くどい様だが宮殿の内廷は、皇族の私的な居住区である。男の立ち入りに関して非常に厳しく、寵臣であっても奥へ足を踏み入れる事は許されない。

 とりわけステファナの身辺は厳戒だった。彼女と私室で会うことのできる人間はごく僅かで、ゼナスとルイーズを除けば、使用人の三人と料理人の兄弟しかいない。男は論外、女でもゼナスが良しと判断した者しか内廷に入れなかった。その扱いは下っ端料理人にとって荷が重いらしく、ジルとティムは食事を運んでくるたび肩身が狭そうにしている。ステファナが笑いかけてくれなければ、兄弟の心はとっくに折れていただろう。


「大切にしたいのはわかるが、度が過ぎると思うぞ」


 ステファナを悪意から守るためとはいえ、関わる者は限定され、内廷を出られるのはゼナスが連れ出す時だけ。しかもある日を境にして、囲い方が深刻になっている…という現状は、ルイーズの目にも余ったようだ。ある日というのは勿論、二人が契りを交わした夜のことである。ゼナスの甘ったるい蜜のような眼差しを見れば、下世話に聞き出すまでもない。


「これでは父上がいた頃と変わらないのではないか?」

「………」


 確かにこのやり方では、オダリスの手が届かぬよう彼女を執務室に匿っていた日々と大差ない。ルイーズからは今の状況を籠の鳥だと指摘されたが、ゼナスは何も言い返せなかった。彼とてステファナを内廷に閉じ込める事に後ろめたさはあった。でも、彼女にいかなる危害を及ばせないためには、内定に居てもらうのが最も確実なのだ。


「やれやれ。義妹も少しは怒れば良いものを…寛大すぎていけないな」


 正直なところ、元凶であるゼナスもその意見には心底同意したい。ステファナの所為にするつもりは毛頭無いのだけど、彼女ときたら不満や愚痴を漏らすどころか、ゼナスの姿を見つけるなり笑顔になって小走りで近付いてくるのだ。ゼナスがますます厳重に囲いたくなる衝動を抑えつけた回数は、もう片手では足りない。


「ここは一つ、私がひと肌脱いでやろう」

「結構だ」

「自分で自分を御しきれぬ男は黙って言う事を聞け」


 姉がこういう事を言い出したら、必ず振り回される羽目になるのは経験上わかっていた。だからゼナスは間髪を入れずに断ったのだが、口で姉に勝てるはずもない。


「私はステファナと共に、シェケツ村へ行ってくる。義妹もかの村の様子を気にしていたからな。丁度いい」

「は…!?」

「そうだな、お前のために滞在は短めにして一週間に留めておくか。ん?心配するな。この私がついているのだぞ。帝国いち安全な護衛だろう」


 確かに帝国最強の女人が付き添うなら、これ以上ない護衛である。しかしゼナスが文句を言いたいのは、護衛に関してではなかった。

 シェケツ村へ行くには片道で三日、往復となると六日だ。そこへ一週間の滞在時間が加わると、およそ半月はステファナと離れ離れになるのである。心配するなというのが無理な話だった。もっと言うと、ゼナスの心がちょっと耐えられないかもしれなかった。


「…ならば私も行く」

「馬鹿者。代行も置かずに宮殿を留守にする気か」

「しかし、」

「少し頭を冷やせ、弟よ。追放か監禁の二択しかないなんて、極端すぎて姉はお前の将来がとても心配だ」

「ぐっ…」


 改めて言葉にされると精神を抉られた。要注意人物の最たる者ではないか。ゼナスは苦虫を噛み潰したような顔で押し黙るしかなかったのだった。


 昼食の席でいきなりルイーズから旅行に誘われたステファナはというと、それは分かりやすく困惑していた。いくら内廷に閉じこもっていても、情勢に無頓着ではいられない。ステファナも今が呑気に旅行を楽しんで良い状況ではない事くらい理解している。だからゼナスに助力できないのであれば、せめて邪魔にならないよう心掛けてきたのだ。

 ステファナはそっとゼナスを一瞥する。気のせいか、彼はいつもより険しい表情だった。やはり多忙な皇帝を差し置いて、ステファナ達だけ出掛けるのは良心が咎めた。


「お義姉様、お気遣いは嬉しいのですが、今回は遠慮させていただこうかと…」

「行ってきたらいいだろう」


 辞退しようとしたステファナであったが、それをゼナスが阻んだ。彼の顔は依然として険しく、若干投げやりな声からは快く送り出そうとする気持ちなど、微塵も汲み取れなかった。


「ゼナス様、でも…」

「行って良いと言ったんだ。何を迷うことがある」


 不貞腐れたような横顔を見ては、迷いもするだろう。行くなと言われたほうが断然、納得できる。どうするべきなのか、ステファナはいっそう迷ってしまった。

 不穏な雰囲気を断ち切るように、ルイーズは小気味良く手を叩いた。


「よし!話は纏まったな。ステファナ、楽しみにしているよ」

「旅支度はわたくしにお任せを」


 行く気満々のルイーズに、しれっとアニタが便乗する。表には出さなかったが、実はアニタも腹に据えかねていたのだ。

 何せゼナスときたら、夜伽の翌日から丸五日、ステファナを私室から出さないばかりか、皇帝以外の男と会う事も禁止していた。情交を結んだ後の気怠げな姿を、他の異性に見せたくない心境は分からなくもない。だが丸五日はやり過ぎだろう。

 ただ、軟禁に関してはぎりぎり許容しても良い。アニタが未だに許していないのは、ステファナを目元が赤く腫れるまで泣かせて、微熱を出す原因を作った事である。ゼナスの過保護はそれも一因だろうと思ったが、だったら初めから彼女に無理をさせるなという話だ。熱が出るまで負担をかけたのは誰ですかと、声を大にして説教してやりたかった。寝込むステファナを見てから狼狽えているようでは遅すぎる。

 もしもステファナが「ゼナス様はあまり欲の無さそうな方ですから、求めていただけて嬉しかったのです」と、こっそり明かしてくれなかったら、アニタの持っている暗器が飛び出すところであった。


「あっ、俺も同行できるんですよね?久々に羽を伸ばせますね!」

「僕は残りますが、こちらに構わずぜひ楽しんできてください」


 イバンとミリアムも全面的にルイーズを支持する。誰もゼナスの味方になってくれなかった。皆、アニタほど過激ではないが、それぞれ思うところがあったのである。

 ゼナスを気遣わしげに見つめていたのは、ステファナだけだった。周囲からの圧が凄く強いためにステファナは曖昧に微笑みつつも、彼を慮って頷くことができずにいる。


「…村の近況報告は、君に任せる」

「…はい。わかりました」


 渋々といった感じではあったものの、視察という名目を貰った事でステファナはようやく首を縦に振ったのだった。




 出発の日は雲一つない快晴であった。あれからゼナスとは何となくぎくしゃくしてしまった。特段よそよそしくされたとか、機嫌を損ねたままだとか、そういう事は無かったのであくまでも「何となく」だ。

 しかしステファナの勘は当たっている。ゼナスは素直に見送れない己の情けなさに参りつつ、それでも離れて行くなと願わずにはいられない独占欲の狭間で揺れていたのである。


「あの…それでは、行ってまいります」

「…ああ」


 諦め悪く心の中で煩悶しながら、ゼナスは見送りに出て来ていた。ルイーズやアニタ達は先に馬車へ行っており、残るはステファナだけだった。


「……ゼナス様っ」

「どうした?」


 不意にステファナはゼナスの正面に回り込む。大きな瞳に覗き込まれた彼は若干たじろいだ。


「わたしの帰る場所は、ゼナス様の隣だと自負しています」


 金色の瞳が瞬く。程なくしてゼナスはゆっくりと眉を開いたのだった。


「良い心掛けだ」

「ふふっ、お褒めにあずかり光栄です」


 褒められたステファナは少し誇らしげに笑った。少しの間会えなくなるのに、ぎくしゃくしたまま別れるのは寂しかったのだ。

 愛嬌がこぼれるような笑顔を見ていたゼナスは、ほぼ無意識のうちに両腕を伸ばしていた。彼女の小柄な体は、ゼナスの腕にすっぽり嵌る。華奢だけど柔らかくて、とても温かかった。

 突然の抱擁には驚いたものの、ステファナも誘われるように広い背中へ手を回していた。彼に抱きしめられると、いつも大きな安心感に包まれる。


「まっすぐ帰ってきてくれ」

「はい」


 体を離そうとする間際に、彼はさり気なくステファナの頬へ口付けを落としていった。


「旅路の無事を祈る」

「あ…ありがとう、ございます」


 一瞬のことだったため、ステファナは頬に触れたものが何であったか、すぐには分からなかった。しかし理解できた途端、彼女はぽっと顔を赤らめた。蕾が色付いていくような様に、ゼナスはようやっと溜飲が下がるのであった。




 先に馬車に乗っていたはずの面々は、ちゃっかり一部始終を目撃していた。ルイーズはともかく、普段は気を回してくれるアニタまでも、良い雰囲気の二人を厳しい目で監視していたのである。


「ほう。弟があれほど情熱的な男だったとは知らなかった。はたまたこれが愛の力というものか」

「ステファナ様が少しでも嫌がる素振りをなさったら、わたくしが成敗いたします」

「物騒なことを言うなって…ああほら!ステファナ様がいらっしゃるぞ。その暗器を仕舞えっ」


 遠くから野次馬をしていたなんて知られたくはないので、ルイーズとアニタは瞬く間に表情を切り替えた。その早業にイバンは引き攣った笑いしか出てこない。

 疑うことを知らなそうなステファナは、ルイーズ達の演技に気付くこともなかった。


「ダリアではなく、ルイーズとして君と旅行できる日を待ち侘びたぞ」

「あの時は半日しか一緒にいられませんでしたね。ダリアというお名前は、花のダリアですか?」

「それもあるし、愛馬の名前でもある」

「お義姉様はダリアがお好きなのですね」

「…そうだな。ちなみにブノワは私の元、侍医だ」

「まあ!そういう繋がりでしたのね」


 緩やかに走り始めた馬車の中で、ステファナ達は思い出話に花を咲かせる。


「アニタはダリアがお義姉様だと、気付いていたのです?」

「ええ、まあ…ですが同乗するなんて聞いていませんでしたので驚きました」

「驚いているようには全然見えなかったけどな」

「貴方すら欺けないようなら、間者なんかできないわ」

「もしかしてイバンも知っていました?」

「まさか!知らなかったですよ。ただならぬ迫力がある御仁だなとは感じましたけどね」

「そうですよね。風格が違いましたもの。どうして思い至らなかったのでしょう…」

「ははっ!二人とも、なかなか良い勘をしていると思うぞ。初めてできた妹に会ってみたくてつい急いてしまったが、収穫は大きかったよ」


 時を同じくして宮殿に置いていかれたゼナスは、執務室に戻って政務にとりかかっていた。一人寂しい思いをせずに済んだのは、ミリアムが自主的に残ってくれたからだ。


「この静けさも久しぶりな感じがしますね」

「ああ」


 作業の邪魔をするものは何もない。そのはずなのだが…いまいち進みが悪かった。静かすぎるが故に集中できないなんて変な話だった。何なら姉がいきなり乱入してきて、ステファナを構い倒すくらいの騒々しさがあった方が、色々はやく片付いていた気がする。

 しかし元々はこうだったはずだ。ゼナスとミリアムの二人で、騒音を避けるようにして生活していた。母亡き後はずっと、同じ日々の繰り返しだった。


「…だが、あまり良いものでもなかったな」

「同感です」


 この場にステファナがいてくれたら。ゼナスはそう思わずにはいられなかった。

 例えばそこの長椅子に彼女が座っていたなら、漂う空気が和らぎ、穏やかな心地になっただろう。それこそ彼女がふわりと笑いでもしたら、室内であることも忘れて日向ぼっこをしている錯覚を起こしたであろう。

 優しい光を知ってしまった後では、かつて求めていたはずの静けさがただ寂しいだけのものに感じる。


「ミリアム。少し、考えていた事があるのだが…」


 歯切れの悪さは、ゼナスが照れている証拠の一つだった。十中八九ステファナが絡む内容だとミリアムは瞬時に察知する。そして顰めっ面の主人が考えた提案に、彼も一枚噛む事を即決したのであった。

【補足】

ルイーズの愛馬である「ダリア」には由来があります。

昔、ルイーズの宮殿追放が決定する日のこと。彼女は皇帝に向かって「父上のやり方は間違っている。あなたはただの人殺しだ」と責めたので、激昂した父から斬り殺されそうになります。しかし身を挺して庇ってくれた侍女がいたので、ルイーズは命拾いしました。殉職した侍女の好きだった花がダリアでした。

目の前で侍女が死んだ事により、ルイーズは勇敢と無謀を決して履き違えないよう胸に刻みました。その決意と弔いの気持ちを込めて、愛馬にダリアと名付けています。

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