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 ゼナスはミリアムから内廷の改装作業が完了した報告を受け取った。改装といっても敷物を新しくし、家具を入れ替えた程度である。そのため期間は半月もかからなかった。

 ゼナスは早速、ステファナを呼んで内廷を案内した。オダリスの在位中、立ち入りを禁止されていた場所だったので、彼女の目には全てが新鮮に見えた。皇妃のために一新された私室は、広くて一番陽当たりが良かった。勿論、ゼナスが指定した事である。寝室は隣接しており、ゼナスと共有になっている。此処に留まりゆっくり談話でもしていきたいところだったが、ゼナスは政務に追われて忙しい。残りの案内はルイーズに任された。義妹をいたく気に入っているルイーズは嬉々として構いにいく。


「私の部屋にもおいで、ステファナ」

「はい。お邪魔させていただきます」

「ははっ!邪魔なんてとんでもないさ。良かったら共に昼寝でもしようか?」


 仲が良いのは結構だが、ゼナスとしては若干の疎外感を覚えた。ただ、致し方ないことでもある。ステファナはゼナスの補佐を望むものの、彼が時期尚早だと判断してあまり公の場に出さないようにしていた。はっきり言って、皇妃に対する廷臣達の心象は宜しくない。ゼナスの制裁が恐ろしいから、表立って批判しないだけである。ゼナスはもうステファナに心痛を味わってほしくなかったのだ。

 無論、ステファナが隣にいてくれるのは嬉しい限りである。ゼナスの力になりたいと常々願っているのも知っている。けれど、まだ駄目なのだ。彼女を快く思わない人間が宮殿を闊歩している間はせめて、ゼナスに守られていてほしかった。


 しかし表に出そうとしないゼナスの寂寥を、ルイーズは察知していたようだ。明くる日、彼女は弟を部屋に呼びつけた。


「頑張っている弟に、私からご褒美をあげようと思ってな」


 そこはかとなく嫌な予感がしたが、逆らうことは許されない雰囲気である。ゼナスは無言で眉根を寄せた。


「そう訝しむな。とりあえず、そこの衣装棚に身を潜めるんだ」

「は?」

「気配を消し、耳を澄ませておきたまえ。私が良いものを聞かせてやろう」


 衣装棚に隠れるなど、泥棒じみた真似ができる訳がない。逃げるが勝ちかと思い、ゼナスは椅子から腰を浮かしかけたが、がっちり腕を掴まれた。姉の目は本気だった。本気で面白がっている。十五年も会わないうちに強かになりすぎではなかろうか。


「観念しろ。弟よ」

「………」


 そうして観念せざるを得なかったゼナスは、顰めっ面のまま衣装棚に押し込まれたのだった。

 じっとしていること数分、やがて朗らかな声が彼の耳をくすぐった。ルイーズがステファナを呼んだのだろう。


「失礼いたします、お義姉様」

「我儘言ってすまないな。ステファナが淹れてくれるお茶が飲みたかったのだ」

「ふふっ、光栄な役目でしたよ」


 まさか衣装棚に皇帝が押し込まれているなどとは露にも思わないステファナは、明るい調子でお喋りしていた。ゼナスは何が悲しくてこんな所にいるのだろうと薄闇の中で遠い目をする。たとえ二人の会話に混ざれなくとも、楽しげなステファナの横顔を眺めているだけで満たされるのに。ひたすら虚しい気持ちになった。やはり観念などせず、姉に全力で抵抗すれば良かった。どうしてあっさり押し負けたのだと、ゼナスは数分前の己を恨んだ。


「ところでステファナ」

「はい?」

「私には心配事があるのだが、聞いてくれるかい」

「もちろんです。お役に立てるか分かりませんが、私で宜しければお聞きします」

「ありがとう。心配事とは弟のことなんだ」

「ゼナス陛下の…」


 ゼナスの名前が登場したことで、本人もステファナも小さく息を呑む。ゼナスは胸騒ぎから、ステファナは緊張からである。


「弟はあの通り朴念仁だ。顔は整っているかもしれんが、見てくれの価値など歳を取ればいずれ無くなるもの。私は君が弟に嫌気がさすのではと心配になってな」

「えっと…?」

「私は姉だから可愛い弟のやる事だと流せる。だが君はどうだろう。愛想が無く、言葉足らずで、見るからに冷淡な男と生涯を共にするのだ。今は『良い(かた)』と言ってくれても、これから先の事はわからない」


 ゼナスが沈黙しているしかないのを良い事に、言いたい放題である。でも姉の言い様は一理あるとも思った。ゼナスとステファナは全く正反対の気性だからだ。

 ステファナは笑顔を絶やさず明朗としているが、ゼナスのほうは概ね姉の語った通りである。それに、言い掛かりをつけられて追放されるわ、義父に殺されかけるわ、ゼナスに関わった所為で彼女は数々の悲劇に見舞われた。よくもまあ愛想を尽かさないものだとゼナスでさえ思う。というより、一度くらいは怒ったらどうなんだと、何故かゼナスがもどかしい思いをするばかりだ。

 幸か不幸かルイーズが耳を疑う発言をしたのは、彼が落ち込みかけた時だった。


「そこでだ、惚気話の一つや二つ、聞かせてもらいたい。君の心が離れていかないという判断材料があれば私も安心できる。どうか頼む。ここだけの秘密にすると誓うよ」


 ゼナスは危うく物音を立てそうになった。いや、僅かに身動いでしまったが気が付かれずに済んだだけである。ステファナは彼以上に動揺していたのだ。


「えっ!?の、惚気話…ですか?」

「そうだ。ここには私とステファナしかいないのだから、赤裸々に語ってほしい」

「あの、でも…そんな…」


 ステファナの困惑する気配が、衣装棚の中にいるゼナスにまでひしひし伝わってくる。可哀想なことをするなと思う反面、ちょっと聞きたい己がいるので始末に負えない。戦場でもないのにゼナスは何故か、手に汗握ってしまっている。


「頼むよ、ステファナ。どうしても知っておきたいのだ」


 ルイーズはステファナが断れないような言い方を選んだ。故に、純朴な彼女の陥落はあっという間であった。


「…具体的にどのような事をお話しすれば良いのでしょう?」

「ふむ。では私が質問していこうか。まず弟の顔は怖くないか?」

「全然怖くないですよ。凛々しくて涼やかなお顔立ちでいらっしゃいます」

「そうか。良かった。ぶっきらぼうでやりにくくないかい?」

「いいえ。そんなことはありません。わたしは陛下が時折、柔らかな表情をされるのを見つけるのが好きです。目の細め方が素敵だと思います」

「その調子で頼む」


 ステファナは質問された事に、嘘偽りなく答えていく。義姉の懸念を解消しようと一生懸命だった。

 しかしステファナの言葉が真っ直ぐ刺さってくるゼナスの心臓は大変なことになっていた。鼓動が騒がしくてならない。外に心音が漏れてしまわないか不安に駆られる有様である。


「弟に惚れたのはいつだろうか」

「………」


 それまで素直に答えていたステファナが急に言葉に詰まった。声しか聞こえないゼナスは知る由もなかったが、彼女は目元をこれでもかというくらい真っ赤に染め上げていたのである。けれども律儀なステファナらしく、聞かれた事には正直に答えるのだった。


「…陛下には窮地を何度も救っていただいて…その颯爽としたお姿に、ときめきを覚えずにはいられませんでした。我ながら単純すぎて恥ずかしいのですが…」


 ゼナスのさり気ない優しさや、民を憂う心、正義を重んじる信念など、美点はたくさん知っている。だが心を奪われた瞬間と問われれば…そういう事だ。王女だから、皇妃だからといって、女心を綺麗さっぱり失った訳ではない。己を律する訓練を重ねてきただけで、元来持ち合わせている感性は普通の乙女と変わらないのだ。


「いいや。物事は複雑より明快なほうが良いし、それはどちらかと言えば弟に当てはまると思うよ」

「?」

「弟は昔から小鳥みたいに可愛くて小さいものが好きらしい」


 ステファナはきょとんとしながら聞いていたが、ゼナスは身悶えしたい衝動を抑えるのに必死であった。身内の口から恋慕を語られるほど、恥ずかしいものはないだろう。というかゼナスがひた隠しにし、乳兄弟でさえ知らぬ秘密を、何故ルイーズは把握しているのだ。


「小鳥はさておき、教えてくれてありがとう」

「安心していただけましたか?」

「ああ。とても、な。今後も弟をよろしく頼むよ。そうだ、ささやかなお礼に良い事を教えてあげようか」

「良い事です?」


 ゼナスはこの目で見るまでもなく、姉がとても良い笑顔を浮かべているのがわかっていた。絶対に碌でもない事を暴露すると予想したし、事実その通りだった。


「弟はな、君に『陛下』と呼ばれるのが寂しいのだ。私のことは姉と呼んでくれるから尚のことな」

「…そうなのですか?」

「そうなのだよ。あれでも中身は普通の男だ。小さな事で嫉妬もするし、拗ねたりする。まあ、陛下と聞くと父上を連想してしまうのもあるだろうが」


 思いきり図星を突かれたゼナスは、衣装棚の中で悶絶する。

 ステファナは誰に対しても親しみを込めて呼ぶが、やはり「お義姉様」と「陛下」とでは距離感が全然違う。礼儀正しいのは美徳であるけれど、ゼナスが少し隔たりを感じていたのは事実だった。しかし、そんな情けない妬みを悟られるのは、彼の沽券に関わる事なので言葉は勿論、態度にも一切出さないようにしていた。そのはずなのに、どうしてかルイーズにはしっかり知られていたらしい。もはや姉に知らぬ事は無いのではなかろうか。本当に末恐ろしい。


「では…ゼナス様と、お呼びしたら喜んでいただけるでしょうか」

「勿論だとも。夕食の時にでも呼んでごらん」

「お伺いを立てなくて大丈夫ですか?」

「こういう事は内緒にしておいたほうが面白いものだよ」

「ふふっ、わかりました」


 それからステファナは、本番で声が上擦ってはいけないので練習してくる、と言い残して部屋を出ていったようだ。もう勘弁してほしいとゼナスは頭を抱える。そんないじらしい背景があると知らされていざ名を呼ばれた時、とるべき反応が皆目見当もつかなかった。


「政務に励む気力が湧いたのではないか?弟よ」


 ステファナの足音が聞こえなくなると、ルイーズは閉じられたままの衣装棚に話しかけた。ややあってゼナスがものすごい仏頂面で出てきたが、額から首筋まで赤くしていてはまるで迫力が無い。


「…おかげさまでなっ」

「そう苛々するな。可愛かっただろう?恥じらう表情も見せてやりたかったが、そこは許せ。お前も変質者と思われたくなかろう」

「私を変質者に仕立てたのは姉上だ!」

「しかしまあ妹とは、あれほど可愛らしいものなのか。ゼナス、私が姉で良かったな。男だったらお前から略奪していたよ」


 ルイーズは面白そうに笑っているが、姉弟でなければ本当にやりかねない。この姉だけは敵に回したくないと、ゼナスは心底そう思うのだった。




 その後ゼナスとステファナは、それぞれ微かに気を張りながら夕食の席についた。しかしゼナスはステファナの緊張の理由を知っている。というより強制的に聞かされたのだが、逆に彼女はゼナスが緊張しているなんて思ってもいない。二人の微細な心理状態を把握しているルイーズは、含み笑いをするのみだった。


「ふと気になった事があるのですが、お聞きしても良いですか?」

「なんだ」

「…ゼナス様の好物は何でしょうか」


 ステファナの声にはいささか固さが残っていたものの、練習の成果か上擦ることはなかった。切り出し方も色々考えたのだろう。不審に思われないよう頑張っているのが分かり、ルイーズは笑みを深めた。

 片やゼナスも平静を保つ事に全力を注いでいた。姉の前で照れている態度など絶対に出せない。だがしかし、ステファナが彼の反応を窺い、大きな瞳でじっと見つめてくるので全然落ち着けなかった。ゼナスには耳の端へと熱が集まる自覚があった。勝手に速くなる鼓動には困ったものである。


「…凝った料理よりか、素朴なものの方が好みだな」

「素材の味を活かした料理がお好きなのですね」

「君は?」

「わたしは野菜を使った料理なら何でも好きです。特に子供の時分に家族で食べたじゃがいもが本当に美味しかったんですよ」

「そうか」


 家族の話題になるとステファナはいつもの調子に戻って、幸せそうに喋り始めた。己の手で育てて収穫した作物がいかに美味だったか熱弁する彼女を、ゼナスは相槌をうちながら眺めている。その眼差しは優しげで、分かりやすいくらい緩んでいたのだが彼はステファナの話に夢中になり、姉の目がある事は忘れているようだった。

【補足】

姉の指摘通り、ゼナスは小動物が好きです。しかし父親の目があったので、ペットを飼うことはできませんでした。胡桃の欠片を窓辺において、鳥たちが啄む様子を見て楽しむのが精々でした。幼少期にこっそりやっていただけですが、姉に目撃されていたようです。

同じような理由で、乗馬は好きでも狩猟は好みません。

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