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 皇帝の首がすげ替えられた割りに、国民の混乱は小さかった。宮殿内は流血騒ぎであっただけに、いささか拍子抜けするくらいだ。

 考えられる理由としては、皇太子妃の処刑が公表されていなかった事が大きい。

 支援を打ち切られるのが不都合と考えた一部の廷臣がこの件を秘匿とし、外部に漏れる可能性を徹底して潰した結果。国民は皇太子妃が殺されかけたとは露知らず、皇太子が父親を討った事実だけを耳にすることとなった。ゼナスは洗いざらい公にすべきだと主張したが、これを他でもないステファナが宥めた。彼女はこのまま真実を闇に葬ることを望んだのである。渋るゼナスだったが最後には彼女の、祖国にいる家族へ無用な心配をかけたくない、という気持ちを尊重したのだった。

 もう一つ他の理由を挙げるなら、国民からの人気であろう。

 ゼナスは皇帝の座を奪った翌日に、父が条約を無視して再編した軍隊の解散と、いたずらに増やされた税制を廃止していた。この減税が国民に与えた影響は絶大だった。何をするにも事細かに、それも二重三重に課されていた納税が撤廃されたのだから、国民が万歳して喜んだのも頷けよう。それに加えステファナに関しても、国民の間ではしばしば話題に上っていた。シェケツ村での一幕が帝国北部に広まったのを契機に、噂は帝都にまで及ぼうとしている。「皇妃様は貧しい村を恐ろしい奇病から救った」という話に尾鰭が付いて拡散し、一部の人間からは女神のように扱われている状態だ。

 そもそも比較される対象が憎まれていたオダリスなのだから、二人の人気はもはや不動である。


 しかし国民からの支持は上々でも、貴族が相手では同じようにはいかない。国民への税制が軽減された代わりに、無いに等しかった貴族への課税は増えたからだ。更に、カルム王国から届く支援物資の独占が禁じられたため、貴族達の不満は募る一方だった。

 ゼナスの元には毎日毎日、大量の上奏文が届いた。内容は全て似たり寄ったりである。要は貴族への課税を元に戻せという事だ。ゼナスの眼光が恐ろしくて直談判できないから、こうして書面にして送ってくるのだが鬱陶しいことこの上ない。


「持ってる者から徴収するのが道理だろう」


 ゼナスは苛立ちを少しでも紛らわせるべく、苦言を呟いた。どのような上奏文でも一応は目を通しておかなければいけないから開封するが、本当ならこんなもの燃やしてやりたかった。


「それを理解できない馬鹿が廷臣をやっているから駄目なのだ」


 執務室にある長椅子で足を組んでいたルイーズは、片手に持っていた上奏文を投げ捨てる。


「行儀が悪いぞ、姉上」

「安心したまえ。ステファナがいたらやらないぞ。可愛い義妹にだらしがないと思われるのは、私も勘弁願いたい」

「………」

「で、いつまで無能な人間を臣下に置いておくつもりだ?」


 ゼナスも考えあぐねているのだ。本音を言えば即刻、追い出したいところだが、できるだけ内乱は避けたかった。既に多くの反発がある中で廷臣を一斉に離任させたら、謀反を起こされる可能性が大きくなる。別にゼナス本人としては刃を向けられても構わない。しかし、どうしたってステファナが巻き添えを食うことになる。それだけが気掛かりなのだ。ルイーズも弟を悩ませている理由が察せられるから強くは言わないものの、最後の手段として暗殺が頭を過ぎるくらいには苛ついていた。彼女が自分で語っていた通り、座って政務をこなすのは性分ではないのだ。

 重くなっていく執務室の空気を変えたのは、近付いてくる賑やかな声であった。


「絶対に大丈夫です。自信をお持ちくださいませ」

「俺、入っても良いか聞いてきますから」


 話し声はアニタとイバンのものだったが、二人がいるという事はステファナもいるのだろう。ルイーズはさっと姿勢を正し、ゼナスは無意識のうちに眉間の皺を消していた。

 イバンが入室許可を取り付けて間も無く、ステファナが執務室に入ってくる。


「お忙しいところ失礼します」

「構わない。何かあったのか」

「いえ。そうではなく…」


 照れて頬を染めるステファナは、茶器を載せた盆を持っていた。


「陛下は朝から働き詰めでしたので少し休憩されてはいかがかと、お節介を焼きに来ました」

「………」


 ゼナスは可愛らしい不意打ちで胸がいっぱいになり、言葉まで詰まってしまった。人相の良くない男が黙りこくっていたら、機嫌が悪そうに見えるだろう。自覚はあっても気の利いた台詞が出てこないのだ。

 案の定、ステファナは「お邪魔でしたら出直します」なんて眉を下げている。


「おお!これは嬉しいな!感謝するよ」


 しかし、朴念仁な弟を見兼ねた姉が対応してくれたので悲劇は回避された。


「ステファナも座るといい。なに、遠慮することはない。可愛い花があるほうが癒されるというものだ」

「ではお言葉に甘えて、ご一緒させていただきます」

「おや、義妹が手ずから茶を淹れてくれるのかい?」

「はい。お茶菓子も少しですけど用意しましたので、宜しければどうぞ」


 残念ながら安心するのは早かったようだ。ルイーズは弟を置いてきぼりにして、義妹と大いに盛り上がり始めた。

姉が面白がって意図的に疎外しているのは分かったが、ゼナスに割り込む余地は無い。


「もしやステファナの手作りか?」

「簡単なもので恥ずかしいのですが、アニタが勧めてくれたので作ってみました」

「私は武器しか握ったことのない人間だから尊敬するよ。包丁なんて持ったらまな板ごと切断しそうだ」

「ふふっ、硬いお野菜を切る時はお義姉様にお願いしましょう」

「ああ任せてくれたまえ。さて、冷めてしまってはいけないな。よく味わいながら頂戴しよう」


 横に立つミリアムが早く行けと目線で訴えてくる。そう言われてもゼナスは頃合いが掴めなかった。結局のところ、踏ん切りが付かない彼を救ったのは姉ではなくステファナだった。彼女はゼナスの分の紅茶を注ぎ、焼き菓子を一つ添えてから、机まで運んでくれた。


「陛下もどうぞ。お口に合えば嬉しいです」

「…ああ」

「気分転換なさる時は呼んでくださいね」


 気分転換とは乗馬のことだろう。ゼナスが首肯すれば、彼女は顔を綻ばせた。その笑顔だけで気持ちが晴れると伝えられたら良かったのかもしれない。だけどステファナはぶっきらぼうな頷き一つで満足して、ルイーズのところへ戻ってしまうのだった。

 楽しげな会話を聞きながら、ゼナスは焼き菓子を摘んで一口齧る。ステファナが手作りしたという菓子は、素朴で飾らない美味しさがあった。ゼナスは甘い物を好んで食べるたちではなかったが、この菓子だけはもっと食べたいと思った。


「わたしにもお手伝いできることはありませんか?」

「ふむ、手伝いか」

「為政者としては力不足ですが、雑用ならわたしでもできると思います」

「そうは思わないが、ステファナに意見してもらいたい事がある。廷臣から届く上奏文に辟易していたところなのだ」


 ゼナスが一服しているさなかに、ルイーズ達の話はどんどん展開していく。ステファナに何を言わせるつもりだと、彼は変化の乏しい表情の裏で慌てた。


「己の懐事情しか気にせず、一丁前に文句だけはつける廷臣が多すぎてな。排除したくとも強引な方法は選べない。ぐうの音も言わせず追い払うにはどうしたら良いと思う?」


 大仰な身振りをしながら語るルイーズに対し、ステファナは真剣に耳を傾けていた。


「課税を早急に進めたことが原因ですか」

「そうだ。一日でもはやく民の負担を軽くするために強行した、その代償が回ってきた訳だな」


 貴族の反発は予想していた事であるし、彼らを蔑ろにするつもりもない。ただ、片方に肩入れすればもう片方の負担が増える。吊り合いの加減が非常に難しいのだ。


「…現在の財政は、貴族の課税に頼らなくては立ち行かないのでしょうか」

「いや?父上の無駄遣いが無くなったゆえ、逼迫していた状態は抜け出したよ。父上ときたら血税の殆どを戦争の準備に溶かしていたからね。それがどうかしたかい?」

「でしたら一つ提案なのですが、貴族の課税は寄付に似た形式に変えてはいかがでしょう」


 毎月納めている税の義務化をやめ、貴族達が自主的に献上する制度に変更する。これがステファナの出した案だった。上限額は現在課している税と同額とし、超過しなければいくら払うかは各家の自由。もちろん払わない選択も有りだ。


「しかし一年間の期限を設けます」

「ほう?その理由を聞かせてもらいたい」

「長く続いてきたやり方を大きく変えるのですから、双方にとって最善の方法を模索する期間が必要だと思います」

「だが貴族連中が一人も納税しなかったら、流石に財政が厳しくなる」

「はい。ですので一種の賭けになってしまうのですが…上手くいけば登用する者を見極めることができます」


 納税は義務ではない、となれば当然反応は真っ二つに別れるだろう。払う者と、払わない者だ。


「この国を本心から想うのであれば、出し惜しみはしないはずです。支出を惜しむ者は、民より自分の懐を重要視していると判断できます」

「成程。着眼点は悪くないと思うが、金を出す者が愛国者と同義とは限らないぞ」

「そうですね。しかし、たった一年先すら見通せない者に、廷臣の座は荷が重いのではないでしょうか」


 こちらの思惑を察し、皇帝の好感を得ようとする下心があっても構わない。要は金に卑しいだけの無能な廷臣を追い出す口実ができれば良いのだ。銅貨の一枚すら渡すのを渋る者は、有無を言わさず去ってもらえる。

 ルイーズはぱんと手を打った。


「恐れ入った、義妹よ」

「得意になりたいところですが、実はお兄様が似たような策を講じていた事を思い出したのです」


 甘い餌をぶら下げてから振るいにかける…この方法でステファナの兄は、側に置く重臣を選んだことがある。ステファナはそれを真似してみただけだ。


「ああ、兄君は洞察力に優れた国王だと聞いているよ。非常に頭脳明晰な宰相がいる事もね。流石はステファナの兄弟だ」

「ふふっ、家族を褒めていただけると誇らしくなります」

「聞いていたな?ゼナス」

「勿論だ。今の話を詰めていく」

「よし!あとは皇帝陛下に任せて、私達は出掛けようか」

「えっ?」

「おい」

「私達は案を出したじゃないか。纏めるのは皇帝の仕事だろう?さあ行こう、ステファナ。私は姉妹でお買い物する事に憧れを持っていたのだ」


 ご機嫌の姉と不機嫌な弟の間で、ステファナは視線を彷徨わせる。ルイーズはというと、ステファナがおろおろしているのを良い事に、颯爽と手を引いて去ろうとした。


「…待てっ」


 だが扉が閉められる直前、ゼナスが唸るような声を発した。反射的にステファナは動きを止めて振り返る。ルイーズも手を引く力を緩めていた。


「…ありがとう。美味しかった」

「っ!良かったです」


 やっとのことで褒め言葉を伝えたゼナスの心境は、ひと仕事終えた後と大差なかった。でも得られた報酬は、ステファナの大層嬉しそうな破顔だったので、伝えた甲斐は十二分にあったと言えよう。





 ゼナスは翌日の朝廷にて、貴族の納税を見直すとの発表をした。論争の根源となっていた爵位税に関して、ステファナの提案を取り入れたのだ。

 貴族に課される主な税は、土地税、営業税、爵位税となっている。三番目の爵位税は長いこと免除されてきたのだが、ゼナスの即位に伴い徴収が宣言された。不満の声が噴出したのは、これが原因である。

 それぞれの爵位に応じて納める税を、義務から自主性に変更する旨を発表した際、廷臣達の顔は明るくなった。しかしゼナスは一年という期間については敢えて言及しないでおいた。一年後の今日、朝廷に座る顔触れは一新されることだろう。ゼナスは表情を変えることなく、己を誉めそやす廷臣達を見下ろしていたのだった。

【補足】

ルイーズとステファナは皇族だとバレないよう、変装してお買い物に行きました。ルイーズの変装技術にステファナは興味津々でした。

ステファナは民の暮らしの方に興味を示したので、買い物というより散策になってしまいます。彼女が購入したものはゼナスへのお土産だけです。

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