30
ルイーズは復讐に燃える皇女だった。
父オダリスは娘の誕生を喜ばなかった。皇女なのに居ない者として扱った。だがルイーズが復讐を誓ったのは、そんな事が理由だったのではない。父が、母を殺したからである。
母だけはルイーズが生まれた事を心から喜んでくれた。弟が生まれるまでの六年間は勿論のこと、弟が生まれた後も変わらぬ愛情を注いでくれた。気弱な一面もあったが、優しくて大好きな母だった。そんな母は非業の死を遂げた。
世間では母の死が病没とされている。しかしそれは誤りである事をルイーズは知っている。医師から母の体は三度目の出産に耐えられないと言われていたのに、父は耳を貸さずに夜伽へ呼び、孕ませたのだ。そして呪いのように皇子を産め、皇女だったらその場で殺す等と毎日毎日、脅迫し続けた。後で聞いた話によると懐妊後も夜伽をさせたというのだから、野蛮も甚だしい。そうやってルイーズの母は命を落としたのである。
ルイーズも黙って見ていた訳ではない。子供ながらに母の盾になろうとしたこともある。けれどもそうする度、母は娘が傷つけられぬよう、身を挺して庇った。ルイーズが母を守ろうと頑張った分、母の怪我は酷くなるだけだった。大人の男と戦うにはルイーズは幼すぎたのだ。
あの日の無念は一瞬たりとも忘れたことはない。後悔の傷が癒えることもない。だからルイーズは母の墓前で約束したのだ。「いつか必ず、私が報復する」と。
宮殿を追放されてからおよそ十五年。ルイーズは基盤を固めながら好機を待っていた。好機とは即ち、"帝落の血戦"を仕掛けて皇帝を玉座から引き摺り下ろす機会である。
父も最初の頃は警戒していたらしく、監視の人間を派遣してきたが、ルイーズが各地を放浪し始めたあたりで見切りをつけた。彼女が勝手気ままに遊び呆けているように思えたのだろう。それこそルイーズの思惑通りだった。時間と自由を手に入れたルイーズにとって、戦いの部隊を編成するのはさほど難しいことではなかった。帝国内を転々としながら兵士を地道に引き込む事もできたし、民間人による義勇軍を募る事もできた。
大きな問題だったのは、弟のゼナスのことである。
"帝落の血戦"となれば当然、父に代わる次の皇帝を立てなくてはならない。第一継承権のあるゼナスが即位するのが最も自然かつ迅速だ。だが、ルイーズは弟と長いこと会っていなかった。年に一度、ルイーズが一方的に手紙を送りつけるだけでは、弟がどんな人間に育ったか判断できない。宮殿に送り込んだ間者達の情報では、寡黙で行動は消極的だとの事であったが、皇帝である父をどう捉えているのかまでは不明だった。
母は己の死期を悟り、ルイーズにゼナスのことを託していった。姉と弟で力を合わせて生きていくようにとも言われた。けれども弟を守る事と、帝位に座す事は同列で語れない。ルイーズには見極める必要があったのだ。
結論から言えば、弟は正義の心を失っていなかった。腐り切った父の元にいながら、よく真っ当に育ってくれたと思うが、とにかく僥倖であった。そうなれば、あとは好機を待ち構えるだけである。
しかし、焦ったい期間はことのほか長く続いた。餓死していく民を見殺しにするしかなかった日もある。仲間に加わってくれたものの、道半ばで力尽きた同志は数知れない。民衆の嘆き苦しむ声が、今も耳の奥にこびりついている。あと何人死ぬのを見過ごせばこの国は変わるのかと、答えのない自問自答を繰り返す日々であった。
それでもルイーズは耐えた。あらゆる苦悩を全て耐え忍んできたのは、復讐を必ず遂げるためであり、大切な人達が今後、理不尽に殺されることないためである。
奪う事は好きではない。だが大切な人を奪われる事ほど、耐え難いものはないのだ。その痛みをルイーズは子供の時分に思い知った。
オダリスとルイーズ、双方に目立った動きのないまま月日は流れた。
だがその間もずっと、ルイーズは潜入させた間者から宮殿の内情を伝え聞いていた。ゼナスが察知できなかった事でも、ルイーズは把握していたのである。そう、オダリスが皇太子を妃もろとも処分しようとしてる事さえ、ルイーズには筒抜けだった。父の動きは手に取るように分かっていたのだ。
逆にオダリスは娘の動向など歯牙にも掛けていなかっただろう。いきり立つほどオダリスの視野は狭まり、標的しか見えなくなる。父の怒りが義妹へ向かうほど、蚊帳の外にいるルイーズは動きやすくなった。多少大胆に動いても、面白いくらいに気付かれなかった。端的に言えば、義妹を囮にしたのである。
父が弟を暗殺しようとしている、その情報をルイーズが掴んだ時、すでに戦いの火蓋は切って落とされていた。
わざわざゼナスを宮殿から引き離し、ステファナを孤立させたのは、「皇帝が皇太子を殺そうとした故、防衛のためにゼナスは打って出た」という正当性を主張するためでもあったのだ。
唯一の誤算は、弟の腰が思っていたより重たかった事だろうか。ゼナスを宮殿から出すのにかなり骨が折れた。計画の漏洩を危惧するルイーズは手紙に詳細を記す訳にもいかず、向こうが聞き入れるまで「会いに来い」と送り続けるしかなかった。しかし弟を誘き出す事ができたら、いよいよ大詰めである。父が放った刺客から弟を救出し、落ち合えば良かった。尤も、刺客はゼナスが一人で蹴散らしていたので、要らぬ世話だったかもしれない。
ルイーズは手紙に書いておいた待ち合わせ地点へは行かず、近場の根城で待ち構えていた。そこで十五年ぶりに再会した弟から、挨拶代わりの詰問を投げつけられるのだった。
「見たところ、姉上に危険が迫っている訳ではなさそうだが。どういう了見で私を呼び出した」
成長した弟はなかなか男前の面になっていたが、恐ろしく苛立っているせいで強面に見えてしまう。ただしルイーズは微塵も動じない。
「十五年ぶりの再会だというのに情緒が無いな。それに、そんな顰めっ面では男前が台無しだ」
「軽口に付き合っている暇はない。時間が無いんだ。姉上は知らぬかもしれないが、宮殿は今…」
「知っているぞ。全てな」
怪訝に眉を顰める弟へ、ルイーズは自身の思惑を淡々と説いた。けれど話が義妹を囮にしたくだりに差し掛かると、ゼナスの顔つきは凶悪なものへと豹変した。それから躊躇なくルイーズに握り締めた拳を繰り出すのだった。
ルイーズは顔を横に反らして攻撃を交わすと同時に、弟の手首を掴んだ。
「時間が無いのだろう?話の腰を折るな」
「ふざけるなっ!!」
鋭く吼えたゼナスはすぐにでも宮殿に引き返そうとした。だがルイーズの手を振り払うことができなかった。彼女の指が肌に食い込むほど強く絡んでいたからである。
殴りかかられても鷹揚としていたルイーズが、初めて表情を引き締めた。
「大切な妃を守るために、お前が四六時中張りつくのが正解だと思うのか?今はそれで守ることができたとして、父上が死ぬまで続けるつもりか?」
「………」
「はっきり言ってやる。そんなことは無理だ」
二十四時間、三百六十五日、常に行動を共にするのは不可能に近い。皇帝の支配下にある宮殿で過ごすなら尚の事。それはゼナスが一番よく分かっていたことだった。
「…私とて、彼女を喪うわけにはいかない」
父が帝国諸共、滅亡していくのを座視するという選択肢もルイーズにはあった。腐った国を根本から治すには荒療治が必要だ。悪しき暴政を一掃し、零から始めるのも悪くなかろうと迷った事もある。
ルイーズが滅亡を選ばず"帝落の血戦"へと踏み切ったのは、ウイン帝国を救わんと奮闘する者がいたからに他ならない。それも仇国の王女と疎まれ、憎しみの的にされていた者が、である。心を震わせずにはおれなかった。たった一人でも帝国の未来を願う者がいるならば、戦う大義は十二分に立つ。
ルイーズは幾分か声色を和らげて続けるのだった。
「彼女は新しい風を吹き込む、ウイン帝国になくてはならない存在だ」
「………」
「そして私はウイン帝国の皇女。帝国のために生き、帝国のために死ぬ。その定めから逸れるつもりは毛頭ない。父上を殺し、国民と義妹を救う事、これが今なすべき務めと心得ている。弟よ、お前はどうだ」
ゼナスは再び姉の手を振り払う。今度は簡単に外すことができた。それから姉に向き直った彼の瞳は、爛々と光っていたのである。
「私は彼女を守ることに、一切の躊躇をしないと決めた」
淀みなく告げられた表明に、ルイーズは満足げに頷くのだった。
翌日の夕刻、宮殿にいる間者から伝書鳩が飛ばされた。明朝に皇太子妃が処刑される旨が記されていた。ルイーズは知っていたが、ゼナスは寝耳に水だったのだろう。報せを聞いた時のゼナスは、視線だけで人死にが出そうだったとルイーズは後に語る。
「怒るのは結構だが、理性は無くすなよ」
「…わかっている。それで策は?」
城攻めの作戦はおおよその型が決まっている。大軍で宮殿を包囲し、強襲するというやり方だ。ルイーズも古来より用いられてきた常套手段に倣い、計画を練ってきた。
「不本意かもしれないが、処刑の時間まで正門付近で待機だ。義妹が人質にとられる事態だけは避けたい」
「………」
「お前は正門から突入後、義妹の救出に向かえ」
「…それだけか?」
「実に明快だろう?」
「ああ」
「他は全て私が引き受ける。お前は義妹のために突き進めば良い。明日、皇帝になる男が冠をかぶる前にしくじってくれるなよ」
「当然だ」
伝書鳩の次に飛び込んで来たのは、皇太子妃付きの使用人二人だった。陽が落ちて鳩が飛ばせない時間になっていたため、二人の到着は丁度良かった。
ルイーズは彼らに「宮殿へとって返し、ゼナス直属の部隊に突入の補佐をさせよ」という指示を出した。
要塞のような宮殿を攻略するには、外部と内部の両方から攻めれば容易い。だが外部の戦力は申し分なくとも、宮殿内にはルイーズの間者が潜り込んでいる程度だ。少なくはないが隊列を組めるほど多くもないし、もともと間者達には戦いの計画を伝えていない。皇太子の親衛隊が協力してくれるなら願ってもない話だった。
来た道を全速力で戻る羽目になった二人であるが、休息もとらぬまますぐに出発していった。ミリアムが宮殿に残ってくれたおかげで、親衛隊との連携も円滑に進んだはずだ。
「お前は良い配下を持ったな」
「私ではなく、彼女の人徳だ」
成程、とルイーズは大いに納得した。何を隠そう弟が善人に育ったことを教えてくれたのは、ステファナだったのだから。
ステファナのほうへ歩いてくるルイーズは、ここが戦場であることを忘れてしまうほど美しく、堂々としていた。煌めく黄金の髪はゼナス血を分けた姉弟である事を如実に示し、容貌もよく似ている。強いて言うならば、ルイーズのほうが瞳の色が濃かった。
「ステファナ妃にとっては初めまして、かな。私はルイーズ。よろしく頼む」
何やら含みのある物言いだったけれども、ステファナは急いで姿勢を正し、自身も挨拶を返した。それにしても背が高い女人だ。流石はゼナスの姉というだけある。
憧れを含んだ眼差しで見上げていたステファナは、既視感を覚えて小首を傾げた。洗練された所作、鍛え上げられた体幹、そして力強い琥珀色の瞳。どこかで見た気がしてならない。
「…ルイーズ殿下」
「ん?何だろうか」
「なんだか…初めてお会いした感じがしないですね」
ステファナが自信なさげに尋ねると、ルイーズは口の端を持ち上げた後に、あっさり教えてくれたのだった。
「それはそうだろうな。ダリアという名に聞き覚えはないか?」
「……っ!?あのダリアが…ルイーズ殿下だったのですか!?」
「おやおや、大きな瞳が転がり落ちてしまいそうだな」
そう聞かされた後で思い返してみれば、面影を感じるし声も同じように思うが、髪色が違うだけでこうも簡単に騙されてしまうとは恐れ入る。いやそんな事より、気付かなかったとは言え、義姉にあたる皇女を顎で使うような真似をしてしまった。ステファナの顔からみるみる血の気が引いていく。
「も、申し訳ございません!ルイーズ殿下に何という無礼を…っ!」
「構わないさ。私は変装していたのだ。見破られるほうが問題だな。さて、諸々の種明かしは後回しだ。ステファナ妃。貴女にも見届ける権利がある。血生臭い光景を目撃することになるが、覚悟は良いか」
「はい」
「ははっ!即答だな。貴女ほどこの国の皇妃に相応しい人は他にいまい」
清々しく笑ってから、ルイーズは馬に跨った。続いてゼナスも愛馬に跨る。彼はステファナに手を差し伸べたが、彼女が握るより先に白馬が齧っていたのだった。
「ブランカ!」
「………」
何度も噛まれているゼナスは恨みがましい視線を向けはしたが、じゃじゃ馬と罵ることはしなかった。その代わりに「…お前の主人を泣かせて悪かった」と謝れば、ブランカは噛むのを止めた。彼女が自慢していた通り、利口な馬であると認めざるを得ない。
そこへ、別れたきりになっていたアニタ達も合流する。彼女がブランカを連れてきてくれたようだ。
「ステファナ様っ、遅くなって申し訳ございません」
「ゼナス殿下が速すぎて追いつけなかったんですよ」
「アニタ!イバンも!怪我はありませんか」
「わたくし達は無傷です」
「間に合って良かったですよ、本当に…っ」
涙ぐむ二人も武装し、ところどころ返り血が付着していた。軍籍に入っているイバンはともかくとして、アニタも戦えるとは知らなかった。
彼らの横でミリアムがゼナスから指示を受けている。
「私と姉上で先陣を切る。お前達三人は彼女を護衛に専念しろ」
「はい。お任せください」
ステファナがブランカに乗ったのを確認し、ルイーズは号令をかけた。
「さあ行くぞ!およそ二百年ぶりの"帝落の血戦"だ!我が国らしく速戦即決といこうではないか!!」
天に向かって突き上げられた拳は、空気を震わすほどの喝采を集めるのであった。
ルイーズが十五年の歳月を賭して作り上げた大部隊は、快進撃を収めていた。宮殿の構造から衛兵の配置まで熟知した皇女が、この日のために練り上げた計画だ。奇襲を受けた側は防戦もままならない状態である。
「宮殿の衛兵達よ、聞け!この私、ルイーズと戦う勇気のある者だけ前へ出るがいい!その勇敢さに免じて、一瞬で楽にしてやろう!」
それにしても、これだけ大勢の兵士や義勇軍を束ねて統率するルイーズの手腕には感服せざるをえない。
向かってくる衛兵を倒しながら、ゼナスは独りごちた。
「…皇帝の冠は姉上ほうが似合うのでは」
馬上から槍を振るい、敵を纏めて薙ぎ払う剛力は歴代の皇帝と比較しても遜色なかろう。だが当のルイーズは、弟の独り言をもばっさり切り捨てるのだった。
「皇帝など頼まれてもやらないぞ。私は自由気ままに外を駆け回るのが好きだ。大人しく玉座に座っているのはつまらん」
一旦、彼女の言葉が途切れる。やがて「それに」と再び口を開いた時、ルイーズの声は落ち着いたものに変わっていた。
「政の中枢である朝廷から、長らく遠ざかっていたからな。今の私に統治は務まらぬ」
「国政に関与していないのは私も同じだが」
「朝廷の空気を肌で感じ、交わされる議論を耳で聞き、政の流れを両眼で捉えていたなら、私とは大きな差がある。お前のことだ、ただ茫洋と眺めていただけではないだろう。傍観しているようで、思考は止めていなかったはずだ」
「まるで見てきたような口ぶりだ」
「姉だからな。やっと姉らしい事ができる機会が巡ってきたのだ。目いっぱい可愛がってやるから覚悟するといい」
「遠慮させてもらう。可愛がっていただくような年齢ではない」
「そう言うな」
「姉らしい事と言うならば、この血戦にかけた十五年の裏工作でお釣りがくる」
「その事と可愛がるのはまた別だ」
軽口を叩き合いながらも、ゼナスとルイーズは凄まじい勢いで長い階段を駆け上がっていく。最上階はもうすぐそこだった。最後の抵抗とばかりに、衛兵達が盾を構えて突進してくる。しかし、ただでさえ騎馬と歩兵では戦力差がある上に、相手は武術に長けた皇族の姉弟である。衛兵ごときでは二人の勢いを弱めることさえできない。
時々、ゼナスは後方を振り返っていた。戦う術を持たないステファナが心配だったが、護衛を任せた三人は優秀であった。ミリアムの実力は知っているが、意外にも使用人の二人が戦果を上げていた。アニタが敵を陽動するように怯まず懐へ飛び込み、隙が生じたところをイバンが仕留める……およそ素人の動きではなかった。思わぬ伏兵とは彼らの事を指すのかもしれない。驚くことにブランカも軍馬として訓練されていないはずなのに、乱闘に巻き込まれても動揺せずに走っていた。皇太子に噛みついてくるだけのことはある。
不意にステファナと視線が交わった。彼女は小さな微笑みを贈り、ゼナスは小さく頷くことで応える。
そして一行は、長い長い階段の頂へ到達するのだった。
【補足】
軍を率いて戦う能力だけを純粋に比べるなら、ルイーズよりオダリスのほうが勝っています。これは経験値の差です。一対一の戦いなら実力は互角でしょう。
しかしオダリスは非常に短気なため冷静さを欠きやすく、判断を誤っても気がつくことができません。ルイーズは経験こそ浅いですが、今回の戦いは綿密に練り上げた計画と、父の性格を熟知していることで局面を終始有利に進めることができました。




