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 宮殿内の牢屋に入れられたステファナは、静かに腰を下ろしてじっと夜明けを待つ。

 牢の壁はごつごつした石が積まれていて、出入り口にだけ鉄格子が嵌っているが窓は無い。床には申し訳程度に敷き藁がばら撒いてあった。見張りは入り口に一人だけだ。手首に鎖の枷がついているゆえ、脱出は不可能と考えて、こんな甘い警備なのだろう。もしくは、怖気付いて逃げるのも一興だとでも思っているのか。たとえ錠前が掛かっていなくても、ステファナに逃げる気は無いというのに。


 同じ頃、朝廷は少し騒ぎになっていた。

 皇太子妃の処刑が決定した際、皇帝の剣幕に気押されて声を出せなかった廷臣達が、今になって意義申し立てを始めていたのだ。と言っても皇帝の怒りが怖いので、あの手この手で宥めすかしているだけである。


「陛下…あの王女を処刑したとカルム王国に知られたら、支援は打ち切られます」

「我が国の財政は未だ回復しておりません。首を刎ねるのは早計かと存じますが…」

「なに…?余が早計だと申すか」

「め、滅相もございません!」


 ここにいる廷臣達の思いは一つだ。せっかく得た贅沢を手放すことはしたくない。それだけである。口では経済状態について語っているが、彼らにとって帝国の貧窮など些細な事なのだ。


「王女を生かしておけば、戦争の折にも人質として使えましょう」

「そうです陛下。人質として牢に繋いでおけば宜しいのです」


 笑みを貼り付けていた廷臣達は、オダリスが机を殴り付ける音に硬直した。


「黙れ!!カルムの王女が泣いて命乞いしない限り、生かしてはおかぬ!人質として使いたくば勝手に替え玉でも用意しろ!」


 昂った皇帝を止めようとする者はもう居らず、廷臣達は顔色を悪くしたまま退散していくのだった。


 ミリアムは衛兵に変装し、朝廷に潜入していた。中で起こった事の詳細を調べるためである。彼とてゼナスの身が危ないと聞いて、居ても立ってもいられなかったのは同じだ。そして調べて分かった事は、己の予想は大して外れていなかったという事だった。

 罪状が何であれ、身分が高い者ほど尊厳を重んじたやり方で刑が執行される。平民ではあるまいし、即日など以ての外。皇太子妃の処刑ともなれば然るべき手順を踏むものだ。処刑場の準備も必要であるはずなのに、こうも簡単に明朝首を刎ねると宣言し実行できたのは、前もって根回ししていたからに他ならない。仮にゼナスが処刑の下準備を察知していたら、間違っても単身で出て行くことはしなかったはずだ。ゼナスでさえ父の謀りに気がつけなかったとは、少々オダリスをみくびっていたかもしれない。口を開けば戦争だと叫ぶ短絡的な皇帝のわりに、隠蔽が得意らしい。

 近頃、妙にゼナスの仕事が増えたとは思っていた。まさかそれが、皇太子と妃を葬ろうとするオダリスの時間稼ぎだとは、考えが至らなかった。忌み嫌うステファナならともかく、皇太子の命まで狙うなんて狂っているとしか思えない。

 彼は足音を忍ばせながら朝廷を後にする。次に向かう先はステファナのいる牢だ。何としても彼女を説得しなければならない。助かる道は最早それしか無かった。




 物音が聞こえ、ステファナは閉じていた瞼を震わせた。見張りが交代するらしい。何気なく眺めていたが、新たな見張りの横顔に「あっ」と声を上げそうになった。どんな手段を使ったかは不明だが、ミリアムがここまで来てくれたのだ。

 周囲から人の気配が無くなってから、ミリアムは鉄格子の方を向いて屈むのだった。


「イバンとアニタの二人が宮殿を出ました」

「そうですか…ひと安心です」

「妃殿下。僕からもお願いがあります。どうか…どうか今回だけは退いてください…っ!」


 彼は石畳みに両手をついて頭を下げる。


「妃殿下のお心が皇帝陛下に届くことはありません。命を差し出しても無駄死にになるだけです…!」


 ステファナの献身を帝国の民が知れば胸を打つ美談にもなっただろうが、あの皇帝は例外だ。仇国の王女に誓った約束など、はなから履行する気は無い。ステファナを処刑しても、カルム王国への進軍は中止しない事は充分に考えられる。ここで意固地になっても、ひとりの尊い命が失われるだけだ。


「こんなところで死ぬ為に嫁いで来られたのではないはずです。祖国のご家族だって嘆かれるでしょう」

「…わたしがここへ来たのは、平和の種になりたかったからです」

「平和の、種…?」

「蒔いた種が芽吹くには時間がかかるもの…花開く時を見る事はないかもしれないと、初めから覚悟していました」


 しめやかな声音は澄んでいて、ちっとも暗さを感じさせなかった。不意に青い瞳が石の天井を見上げる。それはまるで、見えない空を眺めているかのようだった。


「わたしの死によって平和の開花へと繋がるなら、身を投じるのも本望です」

「…っ、ご家族はどうなるのです!妃殿下の死を知れば、もう和平どころではないのではありませんか!?」

「家族は怒るかもしれません。悲しんで泣いてくれるでしょう。でも、何故わたしが死ななければならなかったのか、それが分からない家族ではないです」


 ステファナは眉を八の字にしながら微笑をたたえる。無垢な笑い方にミリアムは絶望さえ感じた。いつも明るくて笑顔を絶やさなかった彼女は、胸の内に壮絶な覚悟を秘めている事など悟らせてくれなかった。


「ミリアム」

「…はい」

「親切にしてくださった皆に、心からの感謝を伝えてください。ありがとうと言うことしかできませんが、本当に感謝しているのです。あと、我儘ばかりで申し訳ありませんが、ブランカの引き取り手を探してくださいますか?」

「…ゼナス殿下には、何か…お伝えすることはございませんか」


 項垂れたミリアムが問うと、彼女は一旦唇を結んだ。そうして考え込んだ末に、彼女はこう告げるのであった。


「わたしはゼナス殿下の妃になれた事を、少しも後悔しておりません。おそばにおいてくださって幸せでした…と」


 顔を上げたミリアムを、穏やかな青い瞳が見つめていた。その奥に宿る優しい光に、確かな深い想いを見る。ミリアムはなりふり構わず叫んでしまいたかった。喉が千切れるまで喚いてやりたいのを耐えて、声を絞り出す。


「…わかりました。ゼナス殿下をお助けした暁には必ず、一字一句間違えることなくお伝えいたします」


 その言葉を聞いて、ステファナは安心したように笑うのだった。




 処刑をただ待つ夜は孤独で、静寂で、酷く長かった。

 果たしてどこからがオダリスの罠だったのだろう。ゼナスの外出は仕組まれたものなのか。それとも彼が宮殿を出る時を虎視眈々と待ち構えていたのか。全貌を知らないステファナの疑問は尽きなかった。


「どうか…ご無事で」


 死んだと断言されても、血に塗れた証拠を見せつけられても、ステファナはゼナスが生きている事を信じて祈り続けた。彼女の願いは彼の無事と平和、それだけだ。

 ステファナの兄が苦慮して設けた三年という期限のうち、半分も頑張れなかったのは不甲斐ない。けれどミリアムにも話した通り、誰かが和平の悲願を繋いでくれれば良いのだ。ゼナスが生き延びてくれてさえいれば、ステファナの悲願はきっと叶う。彼ならば信じて託せる。


 ステファナは朝が来るまでの時間を全て、ゼナスを想うことに注いだ。


 やがて夜は終わる。

 執行の時間です、という通告の言葉が鉄格子の中へ投げられる。ステファナは黙って応じた。牢の外へ出ると枷が外され、両手が自由になった。それについての説明は無かった。恐らく、逃げ道を残されたのはわざとだ。土壇場になってステファナが恐怖し身を翻す様を、高みの見物といきたいのだろう。しかし拘束具があろうがなかろうが、オダリスの目論見通りにさせるつもりは更々なかった。相手の思い通りにさせるのは己の命のみ。ステファナは信念まで明け渡すことはしない。

 ステファナは迷いのない足取りで先導する衛兵について行く。その途中でクロエと出くわした。これから処刑されるステファナへ、クロエが掛けたのは「必死に庇った侍女にも見捨てられて、どのようなお気持ちですか?」という嫌味の言葉であった。侮辱を受けたステファナだが何も答えることはなく、真っ直ぐ前を向いて歩いていくのだった。




 正門前の広場は、騎馬隊がずらりと整列できるほど広い。そして中央殿へ続く、長い長い石畳の階段が真ん中にある。その一番高い所でオダリスは待ち構えていた。

 眼下には急拵えの処刑場が出来ている。其処が憎い仇国の王女の墓場となるのだ。それを思うと今から笑いが込み上げてくる。ただ一点、鬱陶しいのは小雨が降っていることだった。


「カルムの王女よ。最後にもう一度だけ問うてやる。考えは変わったか?」

「いいえ。この命に代えても両国の和平を陛下に請願いたします」

「良かろう」


 オダリスが右手を挙げると、処刑人の男が斧を担いで此方へ向かってきた。

 斬首刑にはギロチンが使用される時代である。斧を使った斬首はとうの昔に廃れたはずだ。それを今になって持ち出してくる理由は一つ。処刑される罪人を苦しめるためだ。斧による斬首の場合、一撃で絶命させられるのは極めて稀である。何度も首へ斧を振り下ろし、それでも死ねなかったという凄惨な事例が残っている程だ。

 処刑場が酷く簡素であるのも納得できる。用意するのは斧と罪人が首を乗せる台だけで良いのだから、大掛かりな装置は必要ない。


「そなたの為に、斧を持つのは今日が初めてという者をわざわざ呼んでおいたぞ」

「………」

「さあ、その細い体でどこまで耐えられるかな。首に斧が落ちる激痛は耐え難いらしいぞ?」


 周りにいる廷臣達が青ざめる中、ステファナは顔色ひとつ変える事なく、オダリスから視線を逸らす事もなかった。

 堂々たる姿に苛立ちを募らせたオダリスは、額に青筋を浮かべるのだった。


「小癪な…それほど死にたくば、惨めに殺してくれる!痛みにのたうち回るがいい!!」


 ステファナは膝をついた時、一瞬だけ大空を見上げた。小雨はまだ止まないものの、雲の隙間から青空が見え始めていた。この分ならじきに晴れるだろう。願わくば、雨上がりの澄み渡る空を見て逝きたかったが残念だ。

 地面に置かれた首斬り台に視線を戻す。首斬り台なんて大層な名前がついているが、変わった形の枕みたいなものだ。硬い台に首を乗せたステファナはゆっくりと目を閉じた。何も見えなくなっても死が目前に迫っているのは不思議と感じられる。


─── 助けが必要なら、いつでも私を呼べ。


 閉じていた目がはっと見開かれる。意図して思い起こした訳ではない。突として蘇ってきたのだ。

 己の心が最期の瞬間に求めたのは家族ではなく…


「ゼナス殿下…っ」


 ステファナが聞きたいと願ったのは、ぶっきらぼうな言い方に優しさを隠したゼナスの声。

 しかし彼女の耳が拾ったのは、残酷にも鉄の刃が風を裂く音であった。

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