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 ミリアムは主人の命令を忠実に果たしていた。仕事中は常に帯刀、休息も全て返上してステファナの護衛に徹している。イバンとアニタまで武器を隠し持つほどの警戒態勢だった。ステファナもまた彼らの緊張を察してか、執務室から一歩も出ないようにしていた。愛馬にさえ会いに行こうとしなかったのである。

 だが、皇太子という防御壁の無いステファナの立場は、あまりにも脆弱だった。執務室に籠城していても、ひとたび皇帝の召集がかかれば呆気なく崩される。

 ゼナスが宮殿を出た翌日は、何事もなく一日が終わった。ステファナは朝廷に呼ばれたのは、その次の日である。皇帝から執政の場へ呼び出されて、痛い目に遭わなかった試しは無い。それでも呼ばれたからには向かうしかなかった。ミリアム達も無許可で付いてきてくれたものの、やはり大扉の前で止められてしまう。


「僕達は扉の前で待機しております。ですから有事の際は大声で呼んでください。すぐに突入します」


 ミリアムは念を押したが、果たして彼女がどこまで実行してくれるか。微笑むステファナに歯痒さが増すばかりだった。


「ステファナ妃殿下が参られました」

「皇帝陛下が通すようにと仰せです」


 外に立つ衛兵と、室内にいる側近とでやり取りを交わした後、朝廷の大扉が開く。ステファナが一歩中へ足を踏み入れるとすぐに後ろの扉は閉められ、あっという間に孤立してしまった。異端視されているのを、ひしひしと感じる。

 しかしステファナは狼狽もしなければ怯えもせず、高い位置に座る皇帝を見上げた。


「跪かぬか。無礼者」

「失礼いたしました」


 廷臣達は装飾の施された椅子に座っているというのに、皇太子妃であるステファナは床に跪く。ステファナは頭の上から嘲笑が降ってくるのを、ただ静かに受け止めた。


「そのまま聞け。余はそなたを祖国へ返すことにした」

「!?」


 流石のステファナも跪きながら動揺する。何故いきなり帰国などと…いや、この際理由はどうでもいい。帰れと言われて帰ることはできないのだから。ステファナの婚姻は三年という条件付きではあるが、二国の和平の証である。三年を待たずに帰国するということは即ち、和平条約の破綻を意味する。


「…いま一度ご再考を。和平の破棄は両国にとって不利益となります」

「不利益とな?余にとってそなたがこの帝国に存在している方が不利益だ」

「恐れながら申し上げますが、たとえ今、戦争を起こしても敗れるのはウイン帝国です」


 ステファナは強がって言った訳ではない。純然たる事実を述べたまでだ。未曾有の繁栄を遂げた彼女の祖国と、餓死が日常と化している帝国では、地力に大差が生まれる。どれだけ狡猾な作戦を練ろうとも、それを実行する人間に力がなければどうにもならない。尚且つウイン帝国の武力は削減されたのだ。勝ち目などありはしない。


「軍隊の再編は完了しておる。出兵も可能だ」

「まさか…!公約をお破りになったのですか!?」

「口が過ぎるぞ!この国は余のものだ。余所者の指図は受けぬ!」

「余所者ではございません。わたしは祖国の姓を捨て、ゼナス殿下の妃となった身です」

「婚姻を結ぼうが、そなたに蛮国の血が流れていることは変わらぬ!」

「わたしは和平の証として嫁いだのです。約束を果たせずおめおめと帰ることはできません」

「ほう?ならばその覚悟がいかほどか、余に見せてみよ」


 したり顔になったオダリスは声高に叫ぶ。


「カルムの王女!戦いを阻止したくば、その命を投げうて!命を賭して余に請願してみろ!」


 条約決裂の報せを持って祖国へ帰るか。

 文字通り命懸けで戦争を食い止めるか。

 オダリスは分かっていたのだ。義娘の答えなど聞くまでもなく一つしかない事を。

 無論、ステファナに迷いは無かった。彼女は跪くのをやめて両の足で立つ。そして堂々と宣誓するのであった。


「わたしの命一つで両国の敵意が根絶されるのならば、喜んで差し出しましょう」


 オダリスはその返答を待っていた。彼もまた立ち上がり、勝ち誇って命令を下し始める。


「聞いたか皆の者!この者は命を差し出すと確かに言った!発言に嘘偽りがない事は、当人の首を以って証明とする。処刑は明朝、場所は正門前の広場だ!カルム王女よ、明日まで猶予をやろう。考えが変われば、命だけは助けてやっても良いぞ」


 甘言には一切耳を貸さず、ステファナは毅然とした姿勢を崩さなかった。


「皇帝陛下もお誓いくださいませ。わたしが命を差し出しましたなら、和平条約の仮署名を本当の物にすると」

「良かろう。誓ってやる」

「ここに同席しておられる皆様が証人です。必ず履行してください」

「あいわかった。衛兵、カルムの王女を拘束し、牢へ入れておけ」


 衛兵に囲まれたステファナは抵抗せず、大人しく枷を嵌められた。平然と受け入れる態度が気に食わなかったオダリスは、退室する小さな背中へ残酷な事実を突き立てるのだった。


「ゼナスを当てにしているなら無駄だぞ。あやつは死んだ。無様にも刺客に遅れをとったそうだ」

「………ぇ…」


 それまで淀みなく動いていた足が止まる。

 ゼナスが、死んだ?そんなはずはない。二日前に彼の無事を祈ったばかりだ。皇族の男は皆、剣が強いのだと聞いた。とりわけゼナスは武術に長けた人だとも。刺客に負けるなんてあり得ない。オダリスが出鱈目を言っているだけだろう。ステファナの心を折るために。そうに決まっている。

 ステファナの思考は彼の死を否定する理由で埋め尽くされる。動揺を見せるなと叱咤するが、それでも体の震えが止まらない。


「例のものを持ってこい」


 オダリスの合図で一人の廷臣が動いた。彼は部下に何か大きな包みを持って来させると、それを無造作に床へ放り投げるのだった。

 放られたものへステファナは目を凝らした。血痕の付着した防具、鋭利な刃物で裂かれた外套…それらは出立前にゼナスが身に付けていたものと酷似していた。でも、よく似ているだけかもしれない。きっと己が見間違えているだけだ。彼女の淡い期待は、防具からはみ出ている"ある物"を見つけた瞬間に打ち砕かれた。薄く開いた唇から、吐息ともとれる掠れた音が漏れる。

 彼女が食い入るように見つめる先で、ミミナグサが一輪、力なく萎れている。ゼナスが大切そうに包んでいた薄紙には、どす黒い染みがついていた。防具や外套は見間違えることもあるだろうが、あの小さな花に限ってそれはない。

 ありがとう、と気恥ずかしそうに告げた彼の声が思い出される。視界がぐらぐらした。上手く息が吸えず、膝から崩れ落ちそうだった。慟哭できるものならそうしたいのに、喉は引き攣るばかりだ。


「残念であったな。これでそなたの頼みの綱は潰えた」


 だが、ともすれば愉快そうに聞こえる声がステファナを我に帰らせた。

 それが子を亡くした親の姿勢か。あの方に対する態度か。どうして人の命を軽んじるのか。瞬く間に義憤が燃え上がり、挫けそうになっていた意気地が繋ぎ止められる。彼女の瞳には煌めきが戻っていた。


「…この目で亡骸を確認するまで、わたしは絶対に信じません」

「フン、戯言を。確認する前に死ぬのはそなたなのだぞ」


 ゼナスは四日で戻ると話していた。明日はまだ三日目。刺客の襲撃を受けたのなら、旅程は狂ってしまっただろう。予定通りに帰ってくることが困難になっているかもしれない。仮にオダリスが嘘を言っていたとしても、明日処刑されるステファナに確かめる手立ては無い。いずれにせよ、彼の姿をこの瞳に映すことはもう二度と無いのだ。


「それでもわたしは、ゼナス殿下の無事を信じます」




 外にいたミリアム達は、部屋の中の様子を把握しきれずもどかしく思っていた。朝廷の大扉は頑丈で音が漏れにくい構造をしている。辛うじて聞こえたのは皇帝の怒声くらいだった。しかもそれがステファナを処刑するという内容だったから、正気でいられない。

 そうこうしているうちに忌々しい大扉が開く。ミリアム達は駆け寄ろうとしたが、枷を嵌められたステファナの姿に絶句する。嫌な予感はあったが、やはり彼女は処刑を受け入れてしまったのか。皇帝の厳命なんて、どうやって覆せば良いのだ。彼女を救う方法が何も思い浮かばない。

 顔面蒼白になって言葉に詰まる三人とステファナの目が合う。


「ミリアム!」


 彼らを見つけたステファナは、苦しそうな表情を浮かべて体を寄せようとした。だが手枷があるせいで二歩目を踏み出すこともできていなかった。


「ミリアム!ゼナス殿下を探してくださいっ」

「ひ、妃殿下…?どういう、」

「陛下によれば刺客に殺されたと」

「!!」


 衛兵が焦れたように鎖を引くので、ステファナはたたらを踏む。彼女はよろめかされても、嘆願をやめなかった。


「しかし亡骸はありませんでした。だから探してください」

「僕はゼナス殿下から側にいるよう命じられています。背くことは、」

「明日散る命に構わなくて良いのです!」


 彼女の切羽詰まった様子は己の死が迫っているからではなく、残された僅かな時間でゼナスの安否を知りたいからだとミリアムは理解した。ステファナの悲壮な想いに、胸が締め付けられる。

 衛兵が再び鎖を引っ張った。強い力で引かれ、ステファナはつんのめるようにして歩かざるをえなかった。


「お願いします。刺客に狙われたのが事実なら、助けが必要なはずです。行ってくださいっ」


 引き摺られて廊下の曲がり角へ消えるまで、ステファナは懸命に訴え続けたのだった。


 暫くの間、ミリアム達は立ち尽くしていた。ゼナスの暗殺、ステファナの処刑…大変な事が一度に起きて、頭が考えることをやめてしまっているのだ。早く何かしなければという思いだけは募るのだが、指の一本さえ動かない。

 そんな放心状態からいち早く脱却したのはアニタであった。彼女が何も言わずに歩きだしたのでイバンは慌てた。どこに行くんだと肩を掴むが、冷たく振り払われる。


「…ステファナ様は行けと仰った。その通りにするだけ」

「そりゃあそうだけど、ステファナ様を置いて行くのかよ!?」

「わたくし達が残っても、できる事なんかない。だったら…」


 淡々と喋っていたように見えたアニタだが、注視すれば拳が小刻みに震えているのがわかった。主人が処刑されるのを指を咥えて眺めるだけなど拷問に等しい。だけどステファナは、アニタ達が運命を共にする事なんて絶対に望まない。あの優しい主人は、自分ひとりで死ぬことを望むのだろう。


「だったら、ステファナ様の最後の頼みくらい意地でも果たすわ」

「……そうだな、わかったよ。俺も行く」

「…勝手にしたら」


 イバンとアニタはそれきり無言になり、廊下を大股で走っていくのだった。

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