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 カルム王国から使節が来ると聞いて以来、皇帝はいつにも増して不機嫌なまま。そして実際にその日が訪れると、オダリスの機嫌の悪さは頂点に達するのだった。無理もない。憎き仇国の使節を歓待せねばならず、その上、義娘にあたるステファナまで丁重に扱わなければならないのだ。すべて演技だとしても、オダリスからしたら仇国に屈したも同然の行為である。一旦は廷臣達の説得に応じたが、やはり断固として拒否すべきだったと早くも怒り心頭の様子だった。

 皇帝の立腹に冷や冷やしているのは廷臣達だ。だが彼らの思惑は和平とは別のところにあった。和平を結ぼうが戦争しようが、彼らはどちらでも構わない。重要なのはどちらが金になるか、である。カルム王国からの支援が始まり、物資の独占による金儲けができるようになってまだ半年。せめて約束の三年間は甘い汁を吸っていたい、そういう魂胆があるゆえ必死に皇帝のご機嫌取りをしているに過ぎないのだ。


「今日という日を迎えることが叶いましたのも、オダリス皇帝陛下の拝謁を賜りましたゆえ…」


 カルム王国の使節は温厚な態度で、尚且つ、ウイン帝国の皇帝に謝意が伝わるよう、言葉を厳選した上で述べている印象だった。反対にオダリスは一目で不服とわかる面持ちである。己の内に深く根付いている敵意を、どうしても隠すことができないのだ。しかし、廷臣達の乞うような視線には気付いていたらしく、オダリスは無愛想に短い挨拶を返した後、それらしい理由をつけて謁見の間から去っていった。皇帝をよく知る人物からすれば、持ち堪えたほうと言えた。後の荒れ具合については、今は考えないことにする。

 さて、ここからはゼナスに丸投げされた訳だが、彼の考えは実の父とも、廷臣達とも違っていた。


「ようこそ我がウイン帝国へ。まずは長旅の労をねぎらいたい。父上に代わり私が取り仕切るのは、私自身がそう願い出た故。理解いただけると幸いだ」

「皇帝陛下がお忙しい身の上である事は重々承知しているつもりでございます。ゼナス皇太子殿下から労いを頂戴できますこと、光栄至極にございます」


 演技を頼まれるまでもなく、ゼナスは初めから和平推進派だ。

 戦争で領土を拡大しても、歴代の皇帝は民を豊かにする力が欠如していた。人々の血を流さない方法を模索することもせず、武力で解決しようとする父の愚行は、息子から見ても嘆かわしいと言わざるを得なかった。

 父が皇帝の務めを放棄した以上、重責は全てゼナスにのしかかっている。表情の変化が乏しくて分かりにくいが、ゼナスはかなりの緊張を覚えていた。


「久方ぶりですね。クレヴァリー公が使節で来ると耳にした時、驚きましたよ」


 しかし、横から朗らかな声が聞こえた途端、人知れず力んでいたゼナスの拳が緩むのだった。


「ステファナ妃殿下におかれましては、変わらぬご様子にて心より安堵いたしました」


 カルム王国の使節もまた、ゼナスと対話するよりずっと声の調子を柔らかくしている。それもそのはず、使節として来訪した彼とステファナは面識があった。


「お兄様がクレヴァリー公を指名したのでしょうか?」

「僭越ながらリファト殿下よりご推薦を頂きまして、訪いが叶った次第であります」

「お父様の推薦でしたか」


 クレヴァリー公爵家はカルム王家に代々仕えてきた貴族である。ステファナの父が重用していたのは先代のクレヴァリー公。現カルム国王の側近として仕えているのは先代の息子だ。大臣の中では若いほうであるが、王の忠臣に足る有能さを持っている。


「…積もる話もあるようだ。部屋へ案内しよう」


 折を見てゼナスが口を挟んだことで、三人は部屋を移す支度を始めたのだった。




 同郷の見知った者同士、ステファナとクレヴァリー公の会話は和やかであった。


「実際のところはマティアス殿下が行くと仰って譲らず、陛下も困り果てておいででした」

「ふふっ。おじ様は恥ずかしがり屋ですのに」

「見兼ねたリファト殿下が説得してくださり、事なきを得ました」


 ステファナの伯父は人付き合いが嫌いだ。伯父に長年仕える家令が言うには、驚くほど丸くなったとの事だが、未だ弟夫婦とその子供達以外には心を開いていない。ステファナからすれば優しい伯父でも、使節としてはこの上なく不適格である。ましてや両国に微かな緊張が漂っており、一挙一動に気が抜けない状況だ。口下手な伯父には不向きすぎる任務であろう。


「お父様は何と?」

「家族は全員もれなくステファナ妃殿下にお会いしたいと熱望している中、お一人だけ抜け駆けするなら嫌われますよ…と。効果覿面でございました」

「そんな事で嫌うなんて、有り得ませんのに。おじ様は信じてしまわれたのです?」

「弱々しいお声で、そんな訳はないと反論してはいらっしゃいました。しかしその場面を想像してしまったようで、それきり沈黙してしまわれました」


 祖国で起きた微笑ましい話にステファナはころころと笑った。言い負かされて拗ねる伯父の背中が、容易に思い浮かぶ。そして何より、出不精で人嫌いな伯父が自ら外国へ行くと発言した、その想いが嬉しかった。家族全員が同じ気持ちでいてくれる事が知れて、ステファナは幸せに包まれるのであった。


「陛下をはじめ、皆様からお手紙を預かっております。直接手渡しするよう念押しされましたゆえ、この場でお渡し致します」


 家族からの手紙と聞いた瞬間、ステファナの瞳が輝く。その煌めきといったらまるで星のようだった。


「すぐにでも読みたいですけど、やはり後でじっくり読むほうが…ああどうしましょう」


 手紙の束を胸に抱き、独り言を呟く彼女は本当に嬉しそうだ。声が踊るように弾んでいる。隣から注がれるゼナスの視線には、まるで気付いていない。


「返事を書いたら、届けてくださいますか?」

「勿論、喜んで賜りますよ」

「感謝します。クレヴァリー公」


 顔を綻ばせる彼女には申し訳ないが、明るい話題ばかりでは終われない。クレヴァリー公は意図的に声を落とし、「ところで」と話を切り替えるのだった。


「ステファナ妃殿下はお痩せになられたようにお見受けしますが…」


 案じるような言葉を述べたクレヴァリー公であるが、彼の目はステファナではなくゼナスの方を向いていた。

 ステファナはもとから華奢であったが、久しぶりに彼女を見た者は線の細さに驚くだろう。直前に小細工をしたところで、体型がすぐ元に戻るはずもない。彼女の笑顔に翳りが見られないことしか、クレヴァリー公には安心できる材料がなかった。

 皇太子がいかなる人物か見定めようとする眼から、ゼナスは逃げなかった。


「…私が至らなかったのだ。本当に申し訳ない」

「ゼナス殿下!?」


 彼の発言に吃驚したのはステファナである。満足に食べられなかったのはゼナスが仕組んだ事ではない、むしろ関与もしていないであろう事はステファナも見極めている。だからこそ何故、彼が己の非を認めるような発言をしたのか、理解できなかったのだ。


「クレヴァリー公、誤解しないでください。ゼナス殿下は決してわたしを害するような事はされず、」

「私を擁護するな」


 ゼナスはステファナの言葉に被せるようにして、話を遮った。彼女を陥れた首謀者ではないにせよ、ゼナスには父の蛮行を傍観していた事実がある。関わりを持つまいと決めていたくせに、見て見ぬふりをする己に我慢の限界を感じただけだ。初めから彼女を守るために行動していれば、回避できた事態は幾つもある。ゼナスは己をよく見せたいがために、隠し立てするつもりは毛頭なかった。

 だがしかし、こういう時に大人しく口を閉ざすステファナではない。


「ならば擁護ではなく、私見を述べさせていただきます」


 透き通る青い瞳に凝然と見つめられたゼナスは言葉を詰まらせた。いったいどんな理屈か知らないが、彼はステファナの真っ直ぐすぎる眼差しに思考が絡め取られてしまうのだ。


「飢えに苦しむ民が大勢いるのに、わたしだけ肥え太っていては滑稽です。わたしがふくよかになる時は、帝国の民も一緒でなくてはいけません」

「………」

「わたしの家族はきっと同じ事を言います。そうでしょう?クレヴァリー公」

「はい。仰る通りでございます」


 ウイン帝国の内情はクレヴァリー公も粗方察しがついている。皇帝がカルム王国に悪感情を抱いているのは謁見時に一目見て悟ったが、彼の関心は最初から皇太子に向けられていた。王国の宝であったステファナがどのように扱われているのか、それを調べる使命に燃えていたのである。

 そしてクレヴァリー公の懸念は一つ、取り払われる結果となった。尤も、質問を投げかける前から薄々感じてはいたのだが。何せゼナスときたら、ステファナが頬を染めながら笑う横顔に、露骨なくらい見入っていたのだ。眉間に皺もなく、心地良さげに耳を傾けている節まであった。あの雰囲気ではステファナを邪険に扱おうにもできないだろう、クレヴァリー公はそう結論付けた。

 無論、ステファナの態度にも注目していた。彼女の性格からして夫の面前で非難することはしなかっただろうが、ゼナスが要注意の人物であったなら、何らかの方法で知らせてきたはずだ。祖国にいる家族を心配させたくないとの理由で、彼女が判断を鈍らせることはない。だから彼女がゼナスに確かな信頼を寄せているのが、しかと伝わってきたのだ。気を張らなければいけない相手の前で、ステファナが惜し気もなく素の笑顔をさらけ出す訳がない。


「ゼナス皇太子殿下。思う所はおありのご様子ですが、私からも感謝を申し上げたく存じます」

「…かたじけない」


 クレヴァリー公が穏やかに締め括るも、ゼナスはいつもの仏頂面に戻ってしまっていた。いや、いつも以上に不貞腐れているかもしれなかった。




 定刻になっても皇帝は内廷に引っ込んだきり姿を見せることはなく、会食はゼナス達のみで始まった。一人ぼっちではない食事はいつ以来になるのか、明確な日数など覚えていないがとにかく、ステファナがゼナスと夕食を共にするのは久方ぶりである。でも陰湿な嫌がらせをしてくる皇帝がいないので、彼女は初めて寛いだ気分のまま食事をすることができた。

 食事後もやる事が残っているらしいゼナスは、ステファナへ先に休むよう伝えて何処かへ行ってしまった。そう言われては無闇に手出しする訳にもいかず、彼女は眠る支度をして離宮へ向かうのだった。

 ステファナは離宮にある物を持っていった。昼間に渡された、家族からの手紙である。ゼナスを待つ間に読もうと思ったのである。先に休めと言われても、先に眠るという考えが浮かばない彼女らしい行動だ。


「……皆の文字が懐かしいわ」


 手紙には両親、兄、弟妹達の思いの限りが綴られていた。単身で祖国を出たステファナを案じる心が文章から滲み出ている。胸の内にあるものを文字に収めるのはきっと大変だっただろう。ステファナが逆の立場だったらそうなる。便箋の一枚や二枚に収まるような気持ちではない。

 検閲されても支障が無い範囲ではあったものの、祖国の近況も書かれていた。持病のある父や体の弱い弟のことが心配だったが、元気に過ごしているようで安心した。残念ながら伯父からの手紙は同封されていなかったけれど、これに関しては想定通りである。伯父に手紙を送っても返ってこないのが常だからだ。伯父の家令の分析が正しければ、己の字の汚さを恥じて筆がとれないらしい。伯父の不器用ぶりに、ステファナはくすりと笑った。伯父の直筆は拝めなかったが、代わりに家族が伯父の様子を手紙の中に沢山含めてくれていたので充分だった。


「…まだ起きていたのか」

「あっ、殿下。一日お疲れさまでございました」


 愛する家族に想いを馳せていたら、結構な時間が過ぎていたようだ。深夜近くに離宮へ入ってきたゼナスは、長椅子に座るステファナを見つけて眉を顰めた。


「先に休めと言っただろう」

「手紙に夢中になっていましたのでつい。それに、いつもここで……」

「…?いつもここで、の続きはどうした」


 優しい思い出に浸り、気が緩んでいたのだろう。ステファナは明かすつもりのなかった事を口走ってしまった。咄嗟に口を噤んでも遅い。ゼナスの耳にはしっかり届いていた。


「どうして黙る」

「あの…」

「まさかとは思うが、これまでずっと寝ずに私を待っていたのか」

「い、いえ。寝ていました」

「私に偽りを言うのか?」


 ステファナのひたむきな気質は美徳であるが、この状況では少々不利に働いてしまう。戸惑うばかりで、ゼナスの鋭い追及から逃れることはできなかった。


「偽りではありません。睡眠はとっていました。ここにある長椅子で、ですが…」

「………」


 毎夜毎夜、ゼナスが来るのを待ち構えていた事がとうとう明るみになってしまった。礼儀作法とはいっても、これではまるで夜伽を期待していたみたいに思われないだろうか。ステファナは恥ずかしくて顔を覆いたくなるのを堪え、俯くだけに留めた。

 一方でゼナスは頭を抱えたくなっていた。実直な彼女のことだから、律儀に作法を守るのは想像できたはずである。それを今日まで考え至らず、長椅子に放置していたなんて手落ちだ。彼は初めて離宮に寄りつこうとしなかった己を呪うのだった。


「…いいか。寝台は眠る為にあるんだ。置いてあるものはきっちり活用しろ」

「しかし殿下より先に眠りこけるのは無礼です」

「構わないと言っている。今後は私に構わず寝るんだ。分かったな」

「…はい。分かりました」


 一応、頷いたステファナであるが、どうしても抵抗感が残るらしい。話が平行線を辿ることは避けたく、ゼナスは強めの口調で念を押した。


「この長椅子で待つなら、命令に逆らうことになるのだぞ」


 寝台で眠ることをむきになって説得する日が来ようとは、ゼナスは思いもしなかった。




 ゼナスは慣れぬ接待で気疲れしていたのかもしれない。自覚の無い疲労に気付いたのは、翌朝のことであった。彼は音に敏感なほうなのだが、今朝は横にいたステファナが起き出しても目が覚めなかったのである。しかしステファナも一心不乱に何かをしていて、ゼナスが起きた事に気が付いていなかった。

 寝台から降りる際の軋む音で、彼女は我に返った。


「おはようございます。ゼナス殿下」

「…ああ。君は早起きして何をしていたんだ?」


 ゼナスが目撃したのは、窓際に立って手紙を上に掲げるステファナだった。すると彼女は昨晩みたいに対応に困る素振りを見せる。黙秘したそうな様子が何となく気に食わなくて、ゼナスは意地の悪い言い方をしてしまう。


「君の手紙の読み方は独特だな」

「これは…えぇと……」


 しかしステファナが眉を八の字にして身を縮めるのを見たら、次第に罪悪感が浮かんできた。一旦、悪いことをしたと感じてしまえば、ゼナスは何も言えなくてなってしまう。完全に墓穴を掘った。


「…ゼナス殿下にだけ特別にお教えしますね」

「……?」


 背中に焦りの汗をかいていたゼナスをよそに、彼女は何某かの決心を固めたらしい。


「こちらへ来ていただけますか」


 ゼナスは誘われるまま、窓際へ近づいていった。するとステファナは先程していたように手紙を上へ掲げるのだった。


「どうぞ。殿下もご覧ください」


 正直、他人の手紙を見るのは気が引けるのだが、本人が見ろというのだから仕方がない。ゼナスは少し膝を折って、手紙を下から覗き込んだ。


「…!これは…っ」

「ふふっ」


 ステファナは得意げに笑った。というのも書かれている文字が、黒色と鮮やかな青色の二色に分かれていたのだ。昨夜、ちらりと見えた時は黒一色だったはずなのに。


「面白い仕掛けでしょう?陽の光に透かすと色が変わるのです」

「…どうなっているんだ」

「わたしの弟が考案した特殊なインクなのです。青い花の色素を使っているそうですが…詳しい原理は理解できませんでした」


 ステファナには弟が二人いるのだが、陽の光に透かすと色が変化するインクは上の弟が発明した。虚弱で寝床から起きられない日も多かった弟は、静養している時間も無駄にしまいと日々勉強していた。だから弟の寝台の周囲には、いつも大量の本が積み上がっていたものだ。一度読んだ本の内容は全部頭に入っているらしく、その記憶力は高名な教師をも唸らせた。大人達が弟のことを天才だと称賛するのも納得であった。


「ただ、少量のインクを作るために、青い花をたくさん摘まなければならないと言っていました。花が可哀想なので、このインクはわたしの家族しか使っていません。こっそり伝えたい事がある時、とても便利なんですよ」

「………」


 改めて手紙を見てみると大半は普通のインクで書かれており、青色に変わっている文字は僅かだ。しかし短いながらも、書き手が一番伝えたい事を浮き立たせていた。


『愛する娘。私達の宝』

『自慢の妹』

『尊敬する姉上』

『お姉様だいすき』

『あなたを思わぬ日はない』

『平穏無事を祈る』

『どうか幸福で溢れる日々を』


 この方法なら重大な機密を忍ばせることもできたであろう。けれどステファナの家族は希少なインクを、彼女への愛情を示すことに使ったのだ。青い文字から感じ取れる想いの強さは、ゼナスの胸をじんと痺れさせた。


「ここだけの秘密にしてくださいね?」

「わかった。誰にも言わない」


 即座に頷いてみせたゼナスの口元には、微笑の兆しのようなものが漂っていたのだった。

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