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 生まれ育った地に別れを告げるのは、覚悟していた以上に堪えるものだった。それでもステファナは最後まで笑顔を絶やさない事を心に決めていた。


「今までわたしのことを、大切に守ってくださってありがとうございました。今度はわたしが、皆のことを守ります」


 家族全員から抱擁を受けた時、妹達は泣いていたが、ステファナは涙を見せなかった。残念だったのは、伯父に挨拶できなかった事だ。怒鳴って以来、臍を曲げて領地に引きこもってしまったらしい。手紙は出しておいたので、読んでくれるだろう。伯父は頑なに返事を書かないが、届いた手紙には必ず目を通す人である。


 王宮から出発した馬車が通る沿道は、人で溢れかえっていた。婚礼を知った民衆が、王女の見送りに出てきたのだ。祝いの言葉に紛れて感謝の涙声が混じっているのを、ステファナは馬車の中から聞いていた。

 民衆の見送りは国境を越えるぎりぎりまで続いてのだから驚きだ。カルム王国の端から端まで、みんなステファナの味方だった。彼女はわななく唇をきゅうと噛み締める。この身を包む大きな優しさに、感動して心が震えた。


 国境を越える前に、引き渡しの儀が行われる。大昔はややこしくて仰々しい儀式だったそうだが、今は簡略化されている。

 馬車を降りたステファナは、少し離れた道端のところに人影を見つけた。


「あっ…おじ様!」

「………」


 会えないままかと諦めていた分、ステファナの喜びは大きかった。従者に断りを入れてから、伯父の元へ駆け寄る。彼は不機嫌そうな面持ちをしていたが、それはいつもの事だった。


「…お前は能天気なだけでなく無鉄砲だ。伴もつけんで帝国に行くとは」


 伯父は開口一番に苦言を呈した。

 ステファナは嫁ぐにあたり、自国から従者を連れて行くことはしないと決断した。主人と僕は一蓮托生。信頼が強ければ強いだけ、喜んで苦楽を共にする。王女を慕う使用人は大勢いたから、同行を希望する者は後を絶たなかった。けれど彼女はカルム王国の人間を争いから守る為に嫁ぐのだ。この国の誰も危険に巻き込みたくなかった。危険に晒されるのは王女一人で充分だった。


「でも、ひとりぼっちじゃありませんよ?おじ様がくださったブランカが一緒ですから」


 ブランカとは、ステファナが可愛がっている白馬である。かつて狩猟が趣味だった伯父は下半身付随になった後、大切に育てた馬達を甥と姪に譲ってくれた。初めて対面した時はステファナも白馬もまだ子どもだったが、世話の仕方を習って共に成長し、今では最高の親友だ。ブランカだけは連れて行きたい、それはステファナが唯一我を通した事でもあった。


「…嫌になったらすぐ帰って来い。いいか、すぐにだぞ」

「ふふっ。ありがとうございます。おじ様」


 ステファナが抱きつくと、背中を控えめに叩かれた。触れ合いが嫌いではないけど、未だ不慣れな伯父らしい励ましだった。


「行ってまいります」


 彼女は朗らかな笑顔で手を振る。それはさながら家族旅行へ行くような明るさであった。




 帝国側が用意した馬車に乗り換えて、国境から中心部の帝都へ向かう。

 ウイン帝国に一歩足を踏み入れた瞬間から、ステファナは異質さを肌で感じた。用意された馬車には小窓がついていたが、厚布が貼ってあった為、外の景色は全く見えなかった。それでも空気が乾ききり、外の世界に活気が無いことが分かるのだから、現実を目の当たりにしたら絶句していたかもしれない。

 宮殿に到着してようやっと、彼女は辺りを見渡すことが許された。

 ウイン帝国の宮殿は要塞と称するのが相応しい外観であった。豪奢で絢爛なカルム王国とは違い、来る者を拒絶するような物々しさがある。ステファナが何よりも寂しかったのは、自然が少ない事だった。

 両親の趣向により、祖国の城は花で溢れていた。母が世話する花達が咲き誇る庭がステファナはお気に入りで、一緒になって園芸に精を出したものだ。花が大好きだから、自然を楽しむ場所が無いのは彼女をがっかりさせた。けれどもステファナはすぐに思い直す。己は土いじりをしに、ここへ来たのではないのだ。祖国の悲願は仇国との和解、そしてそれは彼女の悲願でもある。


 大広間が皇帝への謁見の場になるのは、国が変われど同じらしい。

 赤い絨毯の上を楚々と歩くステファナは玉座の前で足を止め、帝国式の挨拶として跪いた。普通ならすぐに「面を上げよ」と言われて立ち上がるのだが、いつまで経ってもその台詞が聞こえてこない。よって彼女は、跪いた姿勢を維持しなくてはならなかった。

 結局、ステファナは謁見中ずっと跪いていた。歓迎の言葉も労いの言葉もかけてもらえなかった。あったのは「富んだ大国だというのに貧相な体の王女もいたのだな」などという、侮蔑の言葉だけだった。ステファナは小柄で、お世辞にも豊満とは言えない体つきであったから、それを揶揄ったのだろう。

 そして皇帝の横に控えていた皇太子、つまりステファナの結婚相手は、一言も発しないままだった。




 皇太子妃となるステファナに用意された部屋は、そこそこ立派であった。じっくり眺めたい気もするが、室内に侍女がずらりと並んでいる中では難しかろう。


「私は侍女長を務めておりますクロエと申します。こちらはアニタ。皇太子妃付きの侍女でございます」

「…よろしくお願いいたします」


 クロエは侍女長という立場に就いているにしてはかなり年若い。集まっていた侍女達の中でも一二を争うくらい若いのではなかろうか。

 暗い髪色をしたアニタは表情が読みにくく、話し方も淡々としていた。ステファナがにこやかに挨拶しても、静かに頭を下げるだけだった。

 後ほど侍従も呼ばれたが、イバンと名乗った彼は気さくな青年で、全く対照的な二人がステファナの従者に選ばれたみたいだ。


 あてがわれた部屋で休息をとっていたステファナは、二人に話しかけてみた。といっても返事を返してくれるのはイバンばかりで、アニタはただそこに佇んでいる。


「皇太子殿下ってどんなお方なのでしょうか。二人はご存じですか?」

「あれ?大広間でお会いしませんでした?」

「ずっと跪いていたから拝見できなかったんです」

「あー…そうでしたか。えっと、殿下は皇帝家の証でもある黄金の瞳と髪の持ち主で、背も高いんですよ。あとは寡黙だって聞きますね。俺は話したこともないんで又聞きですけど」

「そうなのですか。わたしは背が低いですから、横に並んだら子供のように見えてしまうかもしれませんね」

「そりゃあ確かに…あっ、すみません。失礼でしたよね」

「ふふっ。構いません。笑ってくださって良かったです」


 朗らかなステファナに釣られ、イバンも歯を見せて笑う。気軽にお喋りしても大丈夫だと分かったようで、彼は色々と教えてくれた。


「殿下は剣術、馬術も一流で。といっても皇族はたいてい体が逞しくて、剣が強いんですけどね。殿下の姉君も滅法強かったって噂ですよ」

「まあ!ではわたしに、かっこいいお義姉様ができるんですね」

「いやぁ…そうなんですけど、多分お会いするのは難しいんじゃないですかね」

「どうしてです?」

「皇帝陛下と折り合いが悪くて、宮殿を追い出されてるんです。辺境の地に追いやられたって聞いてますよ。下っ端の俺には親子喧嘩の原因はわかりませんが…あっ!」

「?」


 突然、イバンが慌てて口元を押さえたので、ステファナは小首を傾げた。


「す、すみません。下っ端なんて言っちゃって。いや下っ端なのは本当なんですけど…」


 ステファナは大国の王女であり、これから皇太子妃となる人間だ。貴族の令嬢が奉公しても何らおかしくない身分である。下っ端が側仕えするなんて、本来ならばあり得ない事だった。

 しかしながらステファナの身近には、そのあり得ない事を実践していた人がいた。言わずもがな、彼女の両親である。両親が重用している腹心の部下達は、元奴隷や孤児といった、王族とは本来無縁の人間だ。


「わたし、仕えてくださる方の身分は気にしません。両親の側にいた使用人には、様々な身分の方達がいましたから」

「そうなんですか!俺、ちゃんと働く気はあるんで任せてくださいよ!」

「はい。イバンもアニタも、これからよろしくお願いしますね」


 イバンは威勢よく返事してくれたものの、やはりアニタは静かに頭を下げただけだった。

【補足】

ステファナは自分のことを兄弟と比べると凡庸だと思っています。兄や弟のほうが賢かったし、芸術面は妹達が秀でていたからです。でも卑屈になることはなく、わたしにしかできない事があるはずだと前向きに考えています。

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