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『皇太子妃の謹慎は解かれた故、早急に宮殿へ戻られたし』


 という旨の勅令がステファナのもとに書面で届いた。てっきりシェケツ村で春を迎えるとばかり思っていたのに、雪解けも待たずに帰還する事になろうとは。ステファナは書簡を読み直したが内容が変わる訳もなく、強制的に帰りの支度が進められた。


「大雪には難儀したけどここに居るほうが良かったような。あんまり宮殿に戻りたくないような…」


 少ない荷物を纏めていたイバンは、全然嬉しくなさそうな顔をして独り言ちる。それを冷めた横目で見るのは同じ作業をするアニタである。


「じゃあ貴方だけ残ったら?」

「置いてけぼりはやめてくれよ。でもアニタだって、あっちにいるよりステファナ様が生き生きしてたって思うだろ?」


 アニタは沈黙によって、彼の言葉に同意を示した。

 ここに来てからも揉め事や大変な事態に巻き込まれたけれど、それらを乗り越えたステファナは村人と親しくなり、日々を明るく楽しく過ごしていた。贅沢は一切できなくても心は確かに温かくて、とても居心地が良かった。


「性悪の皇帝陛下がいるところに戻るくらいならなぁ…ここにいた方がステファナ様は幸せなんじゃないかって考えちまうよ」

「…考えたところでどうにもならないわ。戻れと言われたら、戻るしかないもの」

「あーあ!世の中うまくいかなくて嫌になるぜ。というか、明日には発てって急すぎる!」


 イバンは乱暴に頭を掻くと、今度こそ作業に集中するのだった。まだまだ愚痴は言い足りないが、余計なお喋りを続けていると同僚から小言を食らう事になる。イバンと違って、同僚は生真面目なのだ。


 明日にはステファナが帝都に帰るという情報は、あっという間に村中へ広がった。小さな村だから噂の伝わりも早い。書簡が届いた日の正午には、エレナが事実を確かめに城の手前まで走って来た程だ。城の中へ入れなかったのは、昨日まではいなかったはずの衛兵が扉の前に立っていたからである。だが入れずとも、今まで見かけなかった使用人や護衛が頻繁に出入りしていたので、大きな変化が訪れたのは誰の目にも明らかであった。




 エレナを始めとするシェケツ村の住人は、明朝から城の前に集合していた。ステファナが帰る事は分かったものの、出発が何時を予定しているのか知らなかったため、朝一番から待つことにしたのである。これが見納めになるだろうと思えばこその行動だった。

 寒空の下で一時間ほど待っただろうか。ゆっくりと城の扉が開かれる。だがそこから現れたステファナの姿に、村人達は用意していた別れの言葉が吹き飛んでしまった。

 ステファナはいつも身なりをきちんと整えていたが、その装いは街娘のようであった。だからこそエレナ達は親近感を抱きやすかったのだけれども、ひとたび正装を纏えばステファナが高貴な女人であった事を思い知らされた。それもそのはず、皇太子妃とは即ち未来の皇妃。一緒に掃除をしたり、料理を作ったりする間柄になれたのは異例中の異例だったのだ。そんな常識を忘れてしまうくらい、ステファナは親身になってくれる人であったと、つくづく感動を覚える。


「皆さん、朝の早い時間から待っていてくださったのですね。ありがとうございます。ここにいる間、様々な事で助けていただき感謝しています」


 嬉しそうに笑う顔は間違いなくステファナなのだが、纏う衣装が変わったせいで急に接し方が分からなくなってしまった。ステファナに引っ付いていた子供達も、毎日のように談笑していたエレナでさえ、喋るのを控えている始末だ。

 しかしエレナ達が怯んでいる間にも、出発の時刻は迫っている。村長や駐屯兵、ブノワ医師にも世話になった感謝を述べているステファナへ、エレナは意を決して話しかけるのだった。


「…ステファナ様っ!」


 名を呼べば笑顔で振り返ってくれる人は今日、村から出ていってしまう。エレナは涙が出てきた。優しい姉のような存在ができたと勝手に思っていた。こうして考えてみれは、なんて分不相応な思い込みだったのだろうか。


「もう、会えないんですよね…?」


 身分の壁を嫌というほど痛感し、寂しくてたまらなかった。畑を耕すのは誰が一番上手かなんて会話をしていたのが幻みたいに思える。

 ステファナは「はい」とも「いいえ」とも答えず、徐に片方の耳飾りを外した。そしてその耳飾りは立ち尽くすエレナの手に置かれるのだった。


「…?」

「これはわたしの忘れ物です。預かってもらえますか」


 エレナは勢いよく顔を上げた。見上げた先には、何度も何度も目にした優しい微笑があったのである。その笑みの意味するところを理解したエレナは、耳飾りを両手で握りしめて叫ぶ。


「っ!厳重に保管しておきますからっ、いつでも取りに来てくださいね!」


 次いでノエルとリュシーがおずおずと後ろから出てきて、ステファナに小さな木箱を差し出した。箱の上には布でできた白い薔薇が置かれている。


「村のみんなからです。は、恥ずかしいので、後で見てください…」

「まあ!ありがとうございます。お花はリュシーですか?」

「はい。花がお好きだと聞いたので…生花がないばかりにこんな拙いもので申し訳ないのですが…」

「とびきり素敵な薔薇ですよ。枯れないからずっと大切に持っていられますもの」


 ノエルとリュシーも堪えきれずに泣き始めたところで、御者から「出発のお時間です」と声が掛かった。ダリアにも礼を言いたかったのだが会えず終いになってしまい、それが心残りだった。

 ステファナは最後にもう一度、深くお辞儀をしてからシェケツ村に別れを告げる。奇病から村を救ってくれた恩人へ、村人達はずっと手を振り続けていた。

 小柄な彼女では、人の波の向こう側が見えなかっただろう。しかしイバンは群衆の後方に、額を擦り付けて平伏する三人の男の姿を見つけていた。彼らは遠目からでも分かるくらいに号泣していた。イバンは目撃したものを己の胸にだけ留めることにし、口を引き結ぶのだった。




 往路と同様、三日かけて宮殿へ戻る旅程が組まれていた。ただ、皇帝に呼び戻されたという体面があるためか、用意された馬車も立派だったし護衛も大勢同行している。ステファナを毛嫌いする皇帝にしては、いささか不自然な扱いにも感じられた。


「そういえばそれ、何が入ってるんでしょうね」


 ゆったりと馬車に揺られ暇を持て余していたイバンは、村を出る時に渡された木箱が気になるらしい。


「ステファナ様への贈り物よ。卑しい目で見るのはやめなさい」

「俺、そんな目で見てたか!?」

「ふふっ。わたしも気になっていたところです。そろそろ開けてみましょうか」


 簡素な木箱をステファナは壊れ物を扱うような手付きで開けた。イバンが好奇心に負けて横から覗き込むと、中には大小様々な紙切れが詰まっていたのだった。紙切れには人名と「ありがとう」の言葉が綴られていた。どれもこれも拙い文字だ。だがステファナに感動を与えるには充分すぎたのである。


「皆さんからのお手紙が、こんなにたくさん…!」


 お世辞にも綺麗とは言えない文字、それに書き損じや間違いもあった。だけどそれらは、読み書きのできなかった村人達が、一生懸命に文字を覚えた証拠でもある。金のかかる贈り物はできないから、せめて感謝の気持ちが形に残るように…そんな一念が拙い文字からひしひしと伝わってくる。短い一言と名前しか書かれていない紙切れを、ステファナは「なんて素晴らしいお手紙かしら」と評した。


「あら!こちらはイバン宛てですよ」

「本当ですか!おっ、アニタさんへってのもあるぞ」

「えっ?」


 大半がステファナに送られた手紙だったが、中にはイバン、アニタ宛てに書かれたものも混ざっていた。


「うわぁ…何だろう、なんかこう…すごく嬉しいですね。感謝の手紙なんて初めてもらったかもしれないです」

「…わたくしもです」

「ふふっ、宝物になりますね」


 シェケツ村での思い出を語らっていたら、長いはずの馬車旅もあっという間に感じられるのだった。


 最後の宿泊地点ではミリアムがステファナを待っていた。


「ご無事の到着、何よりでございます。道中に不備はございませんでしたか」

「はい。何もありませんでしたよ」

「あの後、大変な事が起きたとお聞きしました。しかし妃殿下のご尽力により、死者を出すことなく解決に導かれたと。感服いたします」

「わたし個人への賞賛は不要です」


 見知った相手ゆえ、ステファナの表情も和らぐ。変わらない眼差しに安堵したのはミリアムも同じであった。

 腰を落ち着けてから、彼は此度の急な帰還について事情を話してくれた。やはり、何やら訳ありだったらしい。


「実は…カルム王国から使節が来ることになったのです。オダリス陛下はかなり渋られましたが、物資の支援を受けている側として断るのは厳しいとの判断が下りました」

「そういう事ですか…」


 カルム王国から使節が来るというのに、ステファナが宮殿を不在にしているのは体裁が悪い。ましてや謹慎のために追放されてるなど体裁が悪いどころの騒ぎではなかった。


「きっと、わたしから何の沙汰もないので、お兄様が心配なさったのでしょうね」

「…この際だからお話しますが、カルム王国から妃殿下宛てのお手紙は幾度も届いていました。しかし皇帝陛下が『皇太子妃への手紙は全て処分せよ』とお命じになったのです」

「何となく予想はしていましたから、気にしないでください」

「カルム王室の仲の良いご様子はこちらにも聞こえてくるほどです。ご家族のお心が込められたお手紙だったでしょうに…申し訳ございません」

「ミリアムが謝ることではありませんよ」


 ステファナの家族も返事が返ってこない事くらい想定していたに違いない。しかしそれが分かっているからといって、懸念が晴れることはないのだ。せめて安否だけでも確認したいという思いが、使節の派遣に繋がったのだろう。


「話を戻しますが、わたしがこの国で元気に過ごしていると、使者に証明すれば良いのですね?」

「ご理解がはやくて助かります」


 ミリアムが述べていた通り、ステファナ達の家族仲が良いことは周知の事実。大切な家族が嫁いだ先で酷い目に遭っているなんて知られれば、支援を打ち切られる可能性だって出てくる。ウイン帝国の権力者達はそう考えたのである。仇国の助けなんぞ要らぬと憤慨しているのは皇帝だけだという。


「重ね重ね申し訳ございません。妃殿下には苦しい役回りばかりを…」

「両国の平和のためですから、わたしは平気です」


 ステファナは気合を入れ直すくらい前向きでいたが、ミリアムはそうもいかなかった。皇太子妃として扱いもしなかったくせに、帝国が不利益を被りそうになる時だけ良いように利用するなんて最低極まりない。


「…ゼナス殿下も、苦虫を噛み潰したような顔をされておいででした」

「その知らせだけで充分、報われた気持ちがします」


 それこそ彼女の本心から出た言葉であった。

【補足】

村を出る時にステファナが着ていたのはごてごての正装ではなく、外出用の簡略な衣装です。でも平民からすればすごいドレスです。

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