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ステファナは枯死病の患者がいた家の屋根に、ネルガシアという木が使われている事を発見した。聞き馴染みのない響きに、エレナは首を傾げる。
「ネル、ガシア…?」
「帝国語では何と呼ばれているか分からないのですが…」
祖国で読んだ本の知識であるため、ウイン帝国では名称が異なるのかもしれない。でも今の論点はそこではない。この木の樹液に毒が含まれている事が問題なのである。ゼナスは冷静に尋ねた。
「伐採しても毒は消えないのか」
「はい。しかしネルガシアの毒性自体はさほど強くありません。触った程度で人体に被害が出ることはないです」
触るのも危険な木が建築に用いられる事はないだろう。ステファナは「ただし」と言葉を続けた。
「厄介な性質を持っています。毒の持続性が高く、伐採から十年が経過しても毒性が残るそうです」
「そんな厄介なものが何故、木材として使われたんだ」
「わたしの憶測になりますが…たくさんの家屋が被害を受け、木材の調達が間に合わなかったのかもしれません。ネルガシアは加工には不向きだと書物には書かれていましたから、従来の家屋には使用されていないと思います」
「しかしながらステファナ様。触っても問題がないなら、屋根に使われても大丈夫ではありませんか?」
アニタの言う事は一理ある。樹液に弱い毒はあっても、屋根なんて頻繁に触れる場所でもないし、万が一触っても害が及ぶ可能性は極めて低い。
「そうなのです。経口で取り込んだりしない限り、害はないはずです。ネルガシアが原因だとすれば、口に入るまでの経路を突き止めなくてはいけません」
「………」
「………」
「………ああっ!!」
一緒になって考え込んでいたエレナが突然、大声を発した。そして勢いそのままに叫ぶのだった。
「氷柱です!ステファナ様!氷柱ですよっ!!」
「氷柱?」
「この村の人達は、雪や氷柱を溶かして生活水として利用するんです!」
「!!」
シェケツ村もそうだが帝都から離れれば離れる程、井戸の数は少なくなる。井戸の整備が進んでいないためだ。この村にある井戸は二つだけ。しかも片方は現在ステファナが滞在している城の中にあるので、村人が自由に利用できるのは実質一つである。夏ならともかく、出歩くのも困難な冬場にわざわざ一つしかない井戸へ行かなくても、溶かせば水になる雪が目の前にあれば使うだろう。長年、そうやって過ごしてきたなら尚更だ。
「特に小さい子供がいる家は氷柱があると危ないからって、大人が早起きしてとっちゃうんです。その辺に捨てたら意味がないので、雪と一緒に溶かすんですよ!」
「そうだったのですね…!たとえ沸騰させても短時間では無毒化できませんから、毒の樹液が混ざった氷柱を口に入れていたという事になります」
氷柱を溶かした毒水は水瓶に溜めておかれる。中毒を起こした家の住人は出歩けず、残っている食糧で食い繋ぐしかなかった。無論、井戸水だって汲みにいけない。溜めていた水を使うほかなかった故、どんどん体内に毒が蓄積する結果になったのだ。いくら毒性が弱くても長期に渡って摂取していれば、着実に体は蝕まれる。毒の氷柱が生活水に利用されたから、一家という単位で発病していったのも辻褄が合う。
冬季のみ、それも国内の限定された地域に発生したのは、危険な大きさの氷柱ができる環境である事。加えて、非常事態により本来使われるはずの無かった、毒性のある木が家屋に用いられた事。この二つの条件が重なった時のみ、枯死病の患者が現れるからだ。
集めた情報達が急速に繋がっていく。ステファナは逸る気持ちで指示を飛ばすのだった。
「エレナ!雪や氷柱を溶かした水は直ちに廃棄、生活水は井戸から汲み上げた水のみを使用するよう、村長さんに伝えてください」
「はい!分かりました!」
「城にある井戸も開放します。自由に使ってもらって構いません。アニタ、そちらはお願いしますね。わたしは解毒薬の準備を始めます」
「承知いたしました」
毒の種類が判っていれば解毒薬を作るのもそう難しくはない。原因が判明したから言える事だが、何もかも手探りであったなりに、病人が出た家の食材を使わないよう指示したのは英断であった。そのおかげで、もともと進行の遅い病が更に抑制され、死者が出てしまう前に治療ができそうだ。
「…駐屯兵には私から伝令を出しておく。近隣の村にも早急に指示が行くよう手配しよう」
「ゼナス殿下…!」
奇病の全貌が明らかになった今、やるべき事ははっきりしている。ゼナスは素早く行動に移った。しかしそのまま去っていくかと思いきや、彼は一旦立ち止まるとステファナを見つめてきた。そして冷静な口調で、彼女にこう告げるのであった。
「君は倒れてくれるなよ」
当然ながらステファナは力強く首肯してみせたのだった。
必要になりそうな薬草を書き出している間に、食糧調達で方々を回っていたイバンが合流する。彼はステファナ達の顔に活力が漲っているのを見て取った。アニタがごく簡潔に「枯死病の原因がわかったのよ」とだけ言うと、彼は飛び上がらんばかりに驚いた。ところが話を詳しく聞きたがる彼を、アニタは素気無く跳ねつけるのだった。
「ここに書いてあるもの全部、大急ぎで買ってきて」
「えっ俺いま帰ってきたところ…」
「大至急」
「あ、はい」
今し方「お疲れ様」と別れてきたブランカに再び跨り、イバンは雪道へと消えていった。同僚に怖い顔で急き立てられたため、彼は文字通り大急ぎで市場を駆けずりまわって薬草を揃える羽目になった。利口なブランカはあちこち走らされても機嫌を損ねることなく、主人ではない騎手にも忠実であった。
呼吸を乱れさせながらイバンが戻ってみると、城には初めて見る顔があった。誰かと思えば、ダリアの紹介でやって来た医者だという。一見して善人そうな老人だった。
「イバン、無理を言ってすみません。お疲れさまでした」
「良いんですよ。体力にはそこそこ自信があるので」
同僚は声を掛けてもくれないが、ステファナが苦労を労ってくれたので、働いた甲斐があるというものだ。
「こちらはブノワ先生です。後の作業はわたし達でできますから、イバンはひと休みしてください」
「いえ、俺も手伝える事があるならやります。休憩なんて後からでもできますよ」
同僚からはお調子者だとこき下ろされるイバンだが、人の命が懸かっている時に軽薄な態度をとるなんて事はしない。彼だって全力を振り絞りたいのだ。ステファナは「助かります」と微笑んでから、ブノワとの会話を再開させた。
「思いつく限りの薬草を揃えたつもりですが、いかがでしょう先生」
「ふむ…ふむ…」
ブノワは薬草を一つ一つ手に取って確かめる。それから感心した様子で呟き始めたのだった。
「…いやはや驚きました。単に解毒作用のあるものを選んだだけではない。こちらは重症者へ、こちらは軽症者へとお考えですかな?奥に入っているのは胃腸障害に使うものですね。ああ、解熱作用のあるものまで…」
「はい。あとこちらは妊婦の方にも使用できるかと思いまして。子供に使うのは、こちらの方が体への負担が少なかったと記憶しています」
「それだけでなく薬草同士の相性まで考えられていますね。見事というほかございません」
「恐縮です」
イバンから見たら、どれも似たような草である。乾燥して縮れているので、余計に何が何だかさっぱりだ。それなのにステファナは医師であるブノワとの会話についていっている。その光景を見ていると、イバンは何故だか泣きそうになってきた。
「もしや調薬もおできになりますかな」
「経験はあります。でも侍医かお母様のお手伝いをした程度です。今回は先生の補助をさせていただこうと思います。遠慮なく指導してください」
「かしこまりました。とはいえ指導する事は大して無いように思いますがね」
ブノワは北部の地域を巡ったことが殆どなく、ダリアの要請が無ければ枯死病という名を聞くこともなかっただろう。とるものとりあえず出発したは良いが、医者も看護師もいない辺鄙な村での診察はかなり難航するであろう事を覚悟していた。
しかし実際はどうだ。宮殿から追放されたという皇太子妃の指揮のもと、的確な調査が進められ、ブノワが到着した時には原因の特定まで終わっていたのである。確かな知識を持ちながらも謙虚であり、何よりも苦しむ民を想うゆえの行動力にブノワは感動し、叶うなら賞賛の拍手を送りたかった。
ステファナとブノワの二人により、解毒薬は瞬く間に完成した。薬はブノワが患者の診察を行なった後に処方されることとなった。発症してから日数が経過している患者や、重症化している患者を優先に薬を服用させ、効果が認められると追加の薬を調合していく。患者全員に薬が行き渡るまで、それが繰り返されたのである。
ステファナは休む暇もなく動いていたので、いつゼナスが帝都に帰ったか全然知らずにいた。皇太子としての立場がある故、長いこと宮殿を留守にする訳にはいかないはずだ。黙って帰ったことに対し憮然とする者もいたが、ステファナは彼なりの気遣いだと思った。忙しく動き回るステファナを、見送りだ何だと足止めさせるのが、彼としては忍びなかったのだろう。多くを語らない人だけれど、そういう思い遣りを持っている人だともステファナは感じるのだ。本当に冷徹な人なら、僻地を訪れる時間をわざわざ捻出したりしない。刺すような寒さの中で辛抱強く寄り添うなんて絶対にしない。
それにステファナは駐屯兵の隊長から聞いているのだ。ゼナスは帝都へ発つ前に「村に皇太子妃が滞在している間は、彼女の指示を最優先しろ」と通達していった事を。
「…また、感謝を伝えそびれてしまいました」
見送りはできなくても、ありがとうくらいは言わせてほしかった。ステファナはそう思って苦笑いを浮かべたが、彼女の頬はほのかな喜色を帯びていたのだった。
【補足】
ステファナはエレナ達に徹夜厳禁を言い渡しています。自身も最低六時間は眠るよう、時間を確保していました。容体が急変した場合に備えて、起きているのは一人だけと決めてあります。