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「…これはどういう事だ」


 大きくて逞しい背中。皇族の証である黄金の髪。抑揚の少ない低い声。それらは確かにゼナスの特徴なのだが、宮殿にいるはずの彼が何故雪の深い辺鄙な村にいるのか。理由が皆目見当もつかず、ステファナはぽかんと口を開けたまま静止してしまった。


「どういう事だと聞いている」


 一段と低くなった声はステファナというより、彼女を殴ろうとした男達に向けられているようだ。膝から崩れ落ちてしまいそうな威圧感を放つ皇太子に、男達は震え上がった。鋭く睥睨されて、平気でいられるはずもない。男達は足を縺れされながら、一目散に逃げていくのだった。


「………」

「……あの…お、お久しぶりです、ね?」


 じっと見下ろしてくるゼナスに何か言わなければと、ステファナが絞り出したのはどうにも間抜けな台詞であった。


「………」

「………」


 短い一言でも良いから返してほしかったが、彼は口を固く結んでいるので奇妙な膠着状態に陥る。それを破ったのは、何も知らずに走ってきたエレナだった。


「ステファナ様ー!分かりましたよ!この村で亡くなった人達はみんな、家を直してました!あとこれは隊長さんから聞いたんですけど、山向こうの村も火事を免れた家は病気にならなかった人が多いそうですよ!」


 走りながら一気に喋り終えたところで、エレナは見知らぬ青年の存在に気が付いたらしい。帝都から離れた村で、皇太子の顔を知っている人間はまずいない。エレナは不思議そうに首を傾げ、無邪気にも「ステファナ様の知り合いですか?」なんて言っている。


「え、ええ…この方は皇太子のゼナス殿下です」

「へぇ、皇太子の………こっここ、皇太子!?」

「………」


 エレナは素っ頓狂な声を出したかと思えば、ステファナとゼナスを交互に見比べた後、特大の悲鳴を上げたのだった。




 遡ること二日前。

 ゼナスは朝早くに一枚の報告書を受け取った。内容は簡潔なもので「シェケツ村にて奇病が発生、村中に広がる恐れ有り」とだけ記されていた。これでは詳細が不明であったため、ゼナスは以前のようにミリアムを遣いに出そうとしたのだが、食い気味に断られてしまったのだった。


「…私が行けと言っているのに断るのか」

「はい。お断りします」


 改めてきっぱり断ってきたミリアムが良い笑顔なのがまた、ゼナスを苛立たせた。


「ご自身の目で妃殿下の無事を確認なさったほうが安心できますよ。不安なのでしょう?」

「誰が…っ」

「僕の知るゼナス殿下はそういう方です」

「………」


 ステファナの追放先をシェケツ村に指定したのはゼナスである。あそこまで行けば皇帝の手が伸びる事は無いし、尚且つ、姉のルイーズが使っていた城が残っているからだ。姉は帝国各地に点在する城へ、気まぐれに訪れては滞在する癖があり、拠点にしていない城でも最低限の家財は残してある事を風の噂で聞いていた。ステファナを宮殿からいきなり追い出しても、何とかやっていけるだろうと踏んでいたのである。

 それがここへきて、奇病の蔓延だ。こんな事になるとは予想もしていなかった。ステファナを追放したのは皇帝の手が届かないようにするためで、彼女を虐待するつもりなど微塵もなかった。傍目には嫌がらせに見えただろうし、ゼナスも訂正しなかったが、悪い病気が流行る村だと事前に知っていたらシェケツ村には行かせなかっただろう。


「…妃殿下はシェケツ村の人々と親しくされていました。本当に心優しい方ですから、顔見知りが病に倒れたと知ったら居ても立っても居られず、渦中に飛び込んでしまわれるのでは?」

「………」


 このようにしてミリアムの口車に乗せられ、不機嫌なまま宮殿を飛び出てきたら、従者の言葉が寸分違わず的中していたという訳である。遠くから無事を確認できれば良かっただけなのに、今にも暴力を振るわれそうになっているステファナを見つけてしまい、間に割って入ったら大事になった。

 皇太子の出現は、村の住人と思しき少女を過度に仰天させてしまった。少女の悲鳴は村中に響き渡り、野次馬が集まってくる。


「…場所を移すぞ」


 まだ少し呆けているステファナを促した声は、苦々しさを含んでいた。




 城へ移動するなり、ゼナスは開口一番に状況を説明するよう求めてきた。正直なところステファナも聞きたい事が山のようにあったのだが、機嫌が悪そうな相手を見遣り、それは控えたほうが良さそうだと判断する。


「どこからお話したら良いのでしょうか」

「初めから全部だ」


 彼の言う「初め」とは具体的にいつなのか教えてほしかった。でも何となく聞き返すのは憚られて、ステファナはこの村で枯死病が出た日のことから話し始めた。リュシーが倒れた事を契機に本格的な調査をする決断をし、ここ五年間の情報を集めてきたと説明する。それから現時点で判明した事も、なるべく手短かに伝えた。


「発症する一家の共通項を探してきましたが、ようやく一つ見つかったので、これから調べに行きたいと思います」

「…君が行くのか」

「はい」

「私も行こう」

「はい?」


 ゼナスの考えがいまいち読めず、ステファナは終始戸惑っていた。どうして彼も行く流れになっているのだろうか。

 しかし今は己の戸惑いなんかより調査が優先だ。今のところリュシーの容体に著しい変化はないが、いつ悪化してもおかしくない。エレナとノエルも表面上は明るく振る舞っているが、内心は不安でいっぱいなはずだ。そして治療を待っている人はリュシーの他にも大勢いる。


「なんだ。文句があるのか」

「いえっ、文句はありませんが長旅でお疲れでしょう?お体も冷えていると思いますし、少し休まれたほうが…」


 説明を急かされて、軽食はおろか温かい茶の一杯も出せていない事をステファナは気にしていた。気遣わしげに見上げる彼女を、ゼナスは眉間に皺を寄せながら睨み返すのだった。


「寒いのは村の人間も…君も同じだろう。助けを待っている民がいるのに、私だけ暖をとるのはおかしいと思わないのか」

「………」


 ゼナスの視線や声色こそ険しいが、民を想う気持ちはちゃんと伝わってきて、ステファナはこんな時だというのに歓喜していた。


「…なぜ笑う」

「何でもありません。一緒に参りましょう、ゼナス殿下」


 出かける前に、席を外してもらっていたエレナを呼び戻す。彼女は酷く気が動転していたので、アニタに任せていたのだ。やはり皇太子を前にすると挙動不審になってしまうようだったが、ここはステファナが上手に落ち着かせ、中断されていた話の続きを聞き出した。


「つまり整理すると…枯死病に罹る家族の特徴は、五年前の大火事以降に家屋を修繕した経緯がある、という事ですね」

「でも、家を直しても発症してない家族もいましたよ?ノエルの家も少し壊れたけど、大丈夫ですし…ノエルの家は大丈夫で、リュシーの家は駄目だったのはなんででしょう。家を直したから病気になる、なんて聞いた事がないです」

「それはわたしもありません。とにかく一度、修繕した家を見に行きたいです」

「じゃああたしが案内しますよ」


 いつもであればステファナとエレナは並んで歩き、色んな話をする。しかし今はエレナが一人で先頭を行き、その後ろを皇太子夫妻が、更に後ろをアニタが歩くという陣形になっていた。皇太子を放って先に行く訳にいかない事くらいエレナにも分かるが、何とも言えない居心地の悪さが歯痒かった。普段朗らかに場を和ませてくれるステファナの口数が少ないのが原因だろう。皇太子に初めてお目にかかったエレナでさえ、すごくとっつきにくい皇子という印象を受けたのだから、無理もないことだった。


 ステファナが喋ってくれないと、エレナも喋ってはいけないような気持ちになる。一向はひたすら黙々と歩を進めることになった。

 だが居た堪れない時間も、一軒目の家に辿り着けば終わった。そこは家人を喪い、がらんとした空き家になっていた。一昨年に修繕したばかりなのだろう。誰も住んでいないのに比較的きれいであった。


「村長さんから鍵を借りてないので、中には入れないですけど…」

「大丈夫ですよ。必要があれば借りましょう」


 ステファナはまず、ゆっくりと家のまわりを一周した。よくある煉瓦造りの家だ。特段、おかしな所は見当たらない。

 次いでステファナは屋根を見上げる。しかし、身長の高くない彼女では全然見えなかった。


「屋根に登ってみたいのですが、梯子はありますか?」

「ええっ!?危ないですよ!」

「でも、もっと近くで見ないと分からないです」


 ここまで来て「よく分からなかった」では帰れない。その気持ちはエレナにも理解できたので、心配そうにしながらも梯子を借りてきてくれた。流石のステファナも梯子を使って屋根に登る練習はしていないが、何事も経験あるのみだ。

 ステファナが気合いを入れ、いざ梯子に足をかけようとした時だった。ゼナスが彼女の横をすり抜けて、さっさと梯子を登っていってしまった。淀みない動きに思わず見入っていたら、上から声が降ってくる。


「上は私が持っておく。一段一段、確認しながら登るんだ。下は見るな」

「あ…はい!承知しました」


 ステファナが安全に登れるように補助してくれるらしい。ステファナはゼナスの助言に従いながら、慎重に登り始める。下はエレナとアニタが押さえていたが、それでも梯子は少しは揺れ、その度にステファナの動きは止まった。ゼナスの倍以上の時間が掛かってしまったが、彼はじっと待ってくれ、屋根に移る際も手を貸してくれた。


「…ありがとうございます。ゼナス殿下」

「礼はいい」


 ステファナが見たかったのは、棟や軒先に使われている木材だ。だが、雪の積もった屋根は大変危険である。


「滑るから気をつけろ」

「は、い…っ!」


 注意されたそばから、足を滑らせそうになる。転落して怪我なんてしたら、目も当てられない。はしたないけれど、四つん這いになったほうが良いのだろうか。危ないから止めるという選択肢はステファナに無かった。

 葛藤を見せる彼女に何を思ったのかゼナスの手が腰に回され、ぐいと引き寄せられた。予期せず彼の体温を近くで感じることとなり、ステファナは慌てふためいた。顔だって言い逃れできないくらい紅潮しているだろう。


「あのっ、これは…」

「…私が支えているから、君は気の済むまで見分しろ」


 ゼナスと目が合うことはなかった。けれど、金色の髪の隙間から覗く耳が赤く染まっているのを、ステファナは見つけてしまった。そのせいでますます顔が火照るのだった。


「…ありがとうございます。お願いいたします」

「…ああ」


 屋根の上にいる緊張より、別の理由で緊張したが、ステファナは無理やり意識を逸らした。積もっている雪を掻き分け、屋根の一部を剥き出しにする。それから手袋を外し、素手で木材に触れてみる。

 建築用に加工された木は、種類の判別がしにくかった。しかも寒くて、指先の感覚がすぐになくなってしまう。ステファナはかじかむ手を何度も擦り合わせながら調査を続けた。その間ゼナスは一言も口を挟まず、ただ静かに彼女の傍にいたのだった。


 他にも三軒の空き家を巡り、同じような見分を繰り返した。ゼナスがしっかり支えてくれたおかげで、ステファナは手元にだけ集中することができた。最後は比較のためと言い、エレナの家の屋根にも登る。もう殆ど会話は無かった。

 エレナ達はステファナが結論を出すのを待った。やがてステファナは、長い沈黙を破るのであった。


「空き家となった家屋には、ネルガシアという木が使われていました。この木の樹液には毒があります」

【補足】

1話目の前書きにも記載しましたが念のため…

架空の病気&植物が登場しています。元ネタにしたものは特にありません。

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