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 ステファナが考案した日雇い計画は、好調な滑り出しとはいかなかった。しかし生憎とステファナは、一度の妨害でめげるような根性など持ち合わせていない。やると決めた事はやり抜くのである。ステファナは尻込みしそうなアニタとイバンに発破をかけ、気落ちするエレナには立ち直るまで励まし続けた。その甲斐あってエレナは「明日は必ず誰かと一緒に来ますから!」と息巻くまで元気になった。そして翌日、彼女は見事に有言実行してみせたのだった。


「ステファナ様!あたしの友達を連れてきましたよ!こっちがお向かいの家のリュシーで、あっちが三軒隣のノエルです!」


 しかし張り切っているのはエレナだけで、他の少女達は見るからにおどおどしていた。例の男達の仕業により、村全体が「あそこへ行ってはならない」という雰囲気に包まれているのだ。此処へ来るだけでも、相当な勇気が必要だったことだろう。少女達の健気さに、ステファナは頭が下がる思いであった。


「お会いできて嬉しいです。来てくださってありがとうございます。これから宜しくお願いしますね」

「あっ…い、いえ…どう、いたしまして…」

「こちらこそ、あの…よろしくお願いします…」

「二人ともそんなに緊張しなくて大丈夫だって。それでステファナ様、今日は何をするんですか?」

「皆さんに今日お願いしたいのは室内の掃除、洗濯、炊事ですね」

「わかりました!任せてください。いつもやってる事ですから!」

「ふふっ、ありがとうございます。わたしも手伝いますから、手分けして頑張りましょう」


 連れられてきたリュシーとノエルは、居心地が悪そうに顔を見合わせていた。だが、萎縮する二人の態度も次第に変化していくことになる。

 というのも、何往復もして井戸の水を汲んで洗濯をし、雑巾を絞っているのが皇太子妃なのだ。二度見しても足りないくらい驚愕したし、何より驚いたのはステファナの腰の低さである。貧乏な平民の年下を相手に、ステファナはすこぶる友好的でちっとも嫌味なところが無かった。


「ノエルは料理が得意なのですね。羨ましいです」

「得意というか、ただ作るのが好きなだけで…」

「立派なことです。わたしも練習したのですが結局、食べるほうが得意なままでした。後で秘訣を教えてくださいね。リュシーも料理がお好きですか?」

「わ、私は縫い物のほうが好きです。破れた服を縫ってばっかりいるから…恥ずかしい話です」

「得意なものがある、というのはとても素晴らしいことですよ。それに二人の働きは、ご家族の大きな助けになっているはずです。人の助けになれる能力を持っているのですから、自信を持ってください」


 この時世、女の子が家の手伝いをするのは当然のことで、やらない選択肢なんて用意されていなかった。ましてや褒め言葉なんか一々かけてもらえない。だからこそ、ステファナが紡ぐ優しくてささやかな言葉達が、二人にとってはこの上なく嬉しかったのだ。


「あら?ノエルはここでお砂糖を入れるのですね」

「はい。砂糖は高いから家だと節約しちゃうんですけど、本当はこのくらい入れたほうが美味しいんです。蜂蜜があったら代用できます」

「料理は奥が深いですね。勉強になります」

「ステファナ様。そろそろパンが焼ける頃では?」

「もうそんなに経ったかしら。リュシー、焼け具合を見てもらえますか」

「頃合いだと思います」

「お皿が出てなかったので、あたし持ってきますね!」

「お願いします、エレナ。慌てなくて良いですよ」


 買い出しからイバンが帰ってみれば、すっかり打ち解けて和気藹々と昼食作りをするステファナ達がいた。ステファナの人柄が成せる業だと、ひとり感心していたら同僚に肩をぶつけられた。


「そこ邪魔よ。用が済んだら退いて」


 お帰りなさいの一言も無くアニタに押しのけられたイバンは、疎外感を覚えるのだった。


 冬季は陽が沈むのが早いのでもっと明るい時間に帰すつもりだったのだが、エレナ達は夕食の下拵えまで手伝ってくれた。本日分の対価として、ステファナは銅貨を手渡す。決め事に従えば一人につき銅貨一枚のところを、ステファナの判断で二枚に増やした。


「あれ…?ステファナ様のお手伝いは一枚のはずじゃ…」

「今日だけ特別という事でお願いします。嬉しさのあまり、皆さんを贔屓にしたことはどうかご内密に」


 人差し指を唇にあて、眉を下げる仕草はあどけない子供のようであった。つくづく人の良いお妃様だと思い知り、エレナ達は温かな気持ちになった。


「同じ人が連続で来るのは、なるべく避けるんでしたよね?」

「はい。ですが厳守という訳でもありませんし、遊びに来てくださるのはいつでも、何度だって大歓迎ですよ」


 ステファナに見送られながら、エレナ達は笑顔で連れ立ち帰途につくのだった。




 手伝いをしてくれた三人が村人の反感の買わないか、ステファナは気を揉んでいた。しかし実際のところ、彼女が心配するような事にはならなかった。却って、反感より食料を買いたい村人達が、支援金目当てにぽつぽつと城へやってくるようになったのだ。大人数とはいかなかったものの、ステファナが一人一人を温かく歓迎したのは言うまでもない。

 初めて来る人達は一様に、疑心を孕んだ眼差しでステファナを見た。だが帰る頃にはがらりと明るい表情に変わっているのも皆同じだった。その要因をエレナはこう分析した。


「皇族ってみんなルイーズ殿下みたいな感じだと思ってました。別に恐ろしい方とかではないんですよ?村人が通りがかると普通に挨拶してくれましたし。ただ何というか…あの方から風圧が出てるみたいな…?見えない力に押されて体が勝手に跪いちゃう感じです。子供の頃から『お貴族様の道を塞いでもいけない、何か聞かれる前に口を開いてもいけない』って、教え込まれてきたので変えられなかったんですよ」


 エレナは身振り手振りでルイーズ王女のことを教えてくれるが、分かるような、分からないような…ともかく、シェケツ村の人々は皇太子妃が来ると聞いた時、ルイーズ王女のような人物像を思い浮かべたという事か。だからどうしても身構えてしまい、悪気はなくても余所余所しい態度になってしまったのかもしれない。しかしそれが本来の距離感なのだろう。


「でもステファナ様といると、あんなにくどくど言われた注意も忘れちゃうんだから凄いです。気安くするのは失礼だって、後で思い出すんですけど…」

「ふふっ、今のままで構いませんよ。エレナが敬意を持って接してくれているのは、ちゃんと伝わっていますから」


 エレナの好奇心旺盛さは存分に発揮され、手伝いに来る日は大抵ステファナと一緒にいた。村で一番お妃様と仲良しだと自負しているくらいである。そういうところも可愛がっていた妹を連想させるのか、ステファナはエレナに殊更甘かった。


 支払われる給金になるべく大きな差が生まれぬよう、これでもエレナは我慢していた。本音を言えば毎日働いたって良いし、時間にも余裕があるのだが、村の助けになりたいと願うステファナの気持ちを汲んでいるのだ。でも仲介役の特権として毎日、城へ行く村人達を先導するのはやめなかった。

 エレナは今日も先頭に立って城へ続く道を進んでいた。本日は馬小屋の修繕を行うため、事前に男手を募っており、募集を任された彼女はいつにも増して張り切っている。ところが、城を目前にして急に呼び止められたのだった。


「そこの者。止まりなさい」

「えっ?あたし?」


 それが強めの口調だったのでエレナは驚いて棒立ちになってしまう。

 彼女を制止したのは、小綺麗な身なりをした青年であった。一目で村の外から来た人間だと分かる。それも貴族か、あるいは高貴な方に仕える立場の人間だ。


「この先には皇太子妃がお住まいになっている城がある。知らないのか」

「知ってます、けど…」


 ステファナが召し抱えている人間かとも考えたが、だとしたらエレナ達がここにいる理由を知らないのはおかしい。それにステファナは村に来てからずっと、侍女のアニタとさして変わらぬ格好をしている。使用人が主人より良い服を纏うなんて、あり得ないことだろう。そうなるとこの青年はいったい何者かという話になるが、エレナが答えを持ち合わせているはずもなかった。


「あなた方を蔑むつもりはないが、己の立場を弁えるのは礼儀だ。立ち去りなさい」

「でっ、でも今日は、ステファナ様が大切にされてる…」


 エレナがその名を口にした途端、青年の表情が険しくなった。ステファナが特別に優しかったから忘れていただけで、こちらは所詮平民。高貴な方々のお名前さえ、おいそれと口に出してはならない分際なのだ。エレナは悲しくなってきて俯いた。

 聞き馴染んだ優しい声音が耳朶を打ったのは、そんな時である。


「おはようございます、エレナ。いつも時間を守るあなたにしては珍しいなと思って、迎えに来てしまいました」

「あっ…!」


 エレナは勢いよく顔を上げる。思った通りステファナが微笑みを向けていた。それだけの事で、エレナの心はすうっと軽くなる。


「雪も降っていますし道中で何かあっては大変だと、」

「妃殿下!!」

「……ミリアム?」


 ステファナの言葉を遮るように叫んだ青年、もといミリアムは大慌てで駆け寄ってくる。きょとんとして此方を見てくる皇太子妃に、ミリアムは軽い頭痛がした。木槌や鋸を担いだ男もいるのに、皇太子妃が何の危機感も無く近付いていくのだから、肝が冷えるなんてものではない。


「何故ミリアムがここにいるのです?」

「…村人の襲撃を受け、妃殿下が負傷なさったとの一報が入りましたので、ご容態の確認に参上した次第です」

「襲撃…?ああ、そんな事もありましたね」


 石を投げられた事などすっかり記憶から抜け落ちていたステファナは、まるで他人事のような口調で言う。ミリアムが脱力するのも無理はなかった。

 しかしステファナは誰にも報告していなかったのに、いつの間に宮殿へ情報が届いていたのか。


「僕もお尋ねしたいのですが、この者達が犯人ではないのですか」

「違います。彼女達はわたしの依頼で来てくださっているのです。疑うのは見当違いですよ。ひとまず中へどうぞ。エレナ達も立たせたままですみません。イバンに頼んでありますから、彼の指示を仰いでください。わたしはミリアムと話をしてきます」

「あ、はい!わかりました!」

「よろしくお願いしますね」


 ステファナとエレナのやり取りを見ていたミリアムは何か言いたげではあったが、ここは口を噤むことにしたようだった。




 たくさんある空き部屋の一つを借り、ステファナはミリアムにこれまでの経緯を説明した。一通り聞き終えた彼は、不甲斐なさそうに吐息を漏らすのであった。


「…そうでしたか。僕は早とちりしてしまったようですね」

「わたしの負傷は報されたのに、こちらの件は報告が上がらなかったのですか?」

「実のところ僕は届いた報告書を読んでいないのです」


 報告書に目を通したのは、ゼナスだけらしい。そして彼は、皇太子妃が怪我をしたらしいから様子を見てこい、といった旨の命令をミリアムに下した。故にミリアムはその報告書を記した人物を知らないまま、急いで馳せ参じたのだ。


「ゼナス殿下がわたしを案じて…?」

「頑なに明言は避けておられましたが、そうでなければ僕に行けとは仰らないはずですよ」


 ゼナスをよく知る者からの言葉に、ステファナは顔を綻ばせた。


「…感謝の言葉は逆にご迷惑でしょうか」

「でしたら妃殿下のお気持ちは、僭越ながら僕が預かっておきましょう。それより先ほどの…エレナ殿と申しましたか。知らなかったとはいえ、不躾な態度をとってしまいましたのでお詫びしたいのですが…」

「彼女でしたら今日はもう帰ってしまったと思いますが、明日の朝にまた来てくれますよ」

「承知しました。それでは明日の早朝、再び伺います」

「部屋は空いていますから、ここで一泊されては?」

「お気遣い痛み入ります。ただ別件もございまして、宿は自分で確保しておりますので、お気持ちだけ頂戴いたします」


 ミリアムが去った後も、ステファナは暫く部屋に残っていた。頬がじわりと熱くなっている感覚があり、気休めに右手で押さえてみるが何の効果も無い。

 ほんの少しでもゼナスが心配してくれたかもしれない。たったそれだけの事がこんなにも嬉しくて、気持ちが舞い上がるのを止められないのだ。


 因みに、イバンとアニタに報告書を提出したかと尋ねたところ。


「俺、報告書を書くのって、始末書を書くことの次に嫌いなんですよね。いや今回はよっぽど書いてやろうかと思いましたけど。ステファナ様が不問にする感じだったので書いてないです」

「…わたくしもゼナス殿下には何もご報告しておりません」


 という返答であった。

 残るはダリアが報告した可能性だが、ステファナは彼女にも怪我をした事は話していなかったはずだ。疑問は尽きなかったものの、わざわざ問い正す必要性もないだろう。ステファナはいつしか疑問を抱いた事さえ、思い出さなくなった。




 さて、遥々シェケツ村へ来てくれたミリアムであるが、滞在したのはたった一日だった。彼は帰る間際までステファナに、足りない物はないか、困っている事はないか、しきりに尋ねてきた。ステファナが暮らしている城は、生活必需品すら若干不足しているのだ。間も無くやって来る厳冬を乗り越えられるか、ぎりぎりのところなのである。表向きは皇太子に追放された体であれ、最低限の尊厳は守られなければならない。ミリアムがしつこく確認してしまったのも致し方ない事だった。

 そんなミリアムの懸念を「大丈夫です」の一言で躱し続けてきたステファナだが、最後ははっきりとこう言い渡した。


「ミリアム。支援を本当に必要としているのはわたしですか?わたしに何か寄越す余力があるならば、助けを待っている人々へ回すべきです」


 古ぼけた外套を纏う皇太子妃に諭されてしまえば、ミリアムは深々と頭を下げるしかなかったのである。

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