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 深夜から明け方にかけて雪が散らつくようになった。聞くところによれば、シェケツ村の積雪量は多い年で大人の腰まで埋まる程らしい。足首を超える積雪を経験したことのないステファナには全く未知の領域である。

 それはさておき、雪が深まる前にやっておきたい事があった。ステファナに呼ばれたイバンとアニタは、てっきり豪雪への備えをするのかと思ったが、違ったようだ。ステファナが机の上に置いたのは、祖国から持参してきた立派な裁縫箱だった。皇太子妃に代わり旅支度を命じられたイバンが、手当たり次第に積み込んだ荷物の一つでもある。


「防寒着でも縫うんですか?一応、持ってはきましたけど…足りなかったですかね」

「いえ、そうではないのです」


 ステファナはイバンの質問に答えながら、裁縫箱の蓋を開ける。きちんと整頓された針や糸が、真面目な彼女らしい。しかし、じっと眺めていたアニタは少々違和感を覚えた。

 中が二重構造になっている裁縫箱は特段珍しくない。ステファナの裁縫箱も、針や糸が並んでいる箇所が内蓋になっているらしい。だが箱の前面には三段の引き出しがついている。蓋を開ければ二重底の収納、その下に引き出しが三段あるにしては、裁縫箱の縦幅が足りないように見えたのだ。

 違和感の正体は、ステファナが内蓋を外した直後に判明する。


「うわっ…すご…」

「これは…」


 二人が感嘆の声を漏らしたのも無理はない。内蓋の下には宝飾品がぎっしり敷き詰められ、美しい輝きを放っていたからだ。

 内蓋の下に物が隠せるよう裁縫箱を細工し、尚且つ、大量の宝飾品を詰めたのはステファナの父であったという。父曰く「貨幣に代わるものは、何かと役立つものだよ」との事だ。もしかしたら、父の実体験に基づく助言だったのかもしれない。それにしてもちょっと多すぎる気がしたが、親心の大きさを感じて嬉しくなったものだ。


「表の引き出しは飾りになっていて、この内蓋も外し方にコツが要るんですよ」

「あ、本当ですね。引き出しがくっついて動かないです。しかしこの宝石をどうするんです?」

「二人にはこれらを貨幣に換金してきてもらいたいのです」

「これ全部ですか!?指輪ひとつ売ったとしても、当面の暮らしは安泰ですよ!」

「金貨や銀貨をたくさん持っていると知られたら危険が増えます」

「わたしも一気に売り払うつもりはないですよ。ただ、早急に多めの貨幣が必要なのは変わりません。わたしはこの村から出ないよう命令を受けましたが、二人についての言明はありませんでした。ですから二人にしか頼めないのです」


 だがしかし、最大の問題があった。


「…任せてくださいって言いたいところなんですが、俺達じゃあ相手にされないですよ。宝石の価値が分からない田舎者って見られて、安い値段をふっかけられて終わりです。実際、俺は相場とか分かんないですし…提示された値段が正当なのか間違ってるのか、判断できないです」


 申し訳なさそうに頭を掻くイバンに何も反論しないあたり、アニタも同意見のようだ。


「そうですか…では両替商の方に、こちらまで来ていただくのはどうでしょう」

「おすすめできないですね。その場で換金してもらえなかったら、宝石だけ持ち去って蒸発される可能性が高いです。悪巧みする奴はごろごろいますから」


 一番良い方法は、やはり物の価値が分かる本人が両替商と直談判することだ。けれど身動きのとれないステファナにはできない。せっかく父が用意してくれたのに、これでは宝の持ち腐れになってしまう。


「どうしたら良いのでしょうか…」

「どうしたものですかねぇ…」

「………」


 三人は頭を悩ませ、あれこれと知恵を絞ったのだが結局、解決策は出てこなかった。


 ところがそれから四日後。予想外の救世主が現れたのだった。

 玄関の呼び鈴が聞こえ、イバンが応対のために出ていくと、そこには女軍人のダリアが立っていた。そういえば、別任務で近隣に赴いたら立ち寄ると話していたが、ステファナの想像よりも随分早い再会となった。


「何の沙汰も出さぬまま参じた無礼、どうかお許しいただきたく」

「とんでもない。わざわざ足を運んでくださって感謝しかありません。さあどうぞ中へ。わたしこそ、大したおもてなしができない事をお詫び申し上げたいです」

「軍人にもてなしなど不要ですよ」


 相変わらず、さっぱりとした気質の女人だ。茶葉が無くて一杯のお茶すら振る舞えなかったが、ダリアは必要ないと再度断り文句を述べていた。

 古ぼけた椅子に腰を落ち着けると、ダリアから口火を切った。


「妃殿下、此処での暮らしは不便でしょう。ご要望がございましたら、何なりとこのダリアにお申し付けください」

「ありがとうございます。確かに慣れないことは多いですが、案外楽しく過ごしていますよ。お気持ちだけ、ありがたく受け取っておきますね」


 まさか皇太子妃の口から、今の生活を楽しんでいるなどという台詞が飛び出すとは思わなかったらしい。流石のダリアも虚を衝かれたような顔をした。とは言えそれも一瞬のことで、彼女は軽快に笑い始めるのだった。


「……ステファナ様」

「アニタ?どうしました?」


 部屋の出入り口付近で待機していたアニタが、いつの間にか側まで来ていた。ステファナが小首を傾げたら、アニタはこう耳打ちしてきた。


「……例の件について、ご相談なさってはいかがですか」


 例の件、とは宝石の換金の事だ。しかしながらダリアは軍人で、今だって任務の途中なのだろう。仕事の妨げになるのではとステファナは迷いの色を浮かべる。その躊躇をダリアは見逃さなかった。


「お困り事がおありですか。是非とも仰ってください」


 ダリアが力強く願い出てくれるので、ステファナは厚意に甘えることにし、持参した宝飾品を換金したい旨を伝えてみた。


「…という訳なのです」

「ふむ…信用できる両替商なら伝手がありますので、話をつけてくるのは難しくありません」

「本当ですか!ではお手数ですけど、お願いできるでしょうか」


 思いがけない仕方で問題が解決しそうで、ステファナはつい前のめりになった。けれども反対にダリアは思案顔であった。


「お聞きしたいのですが、生活資金に困っておいでですか」

「いえ、そうではありません。シェケツ村の助けになればと考えたのです」

「…それは支援金を配るという事でしょうか。であるならお勧めしません。救済策は長期の見通しを立てなければ、単なる施しのばら撒きです」


 これだけの宝石があれば、シェケツ村に住むおよそ三百人の村人に金貨は行き渡るだろう。問題はその後だとダリアは語る。この村の貧困は一、二回の施しで改善されるほど簡単な話ではないのだ。


「すみません。言葉足らずでしたね。わたしは仕事を探している方々の一助になりたいのです。例えば、このお城の維持管理を日雇いの形でお願いして給金を支払う、とか。三人では手の回らないところが多いですから、わたしも皆さんに助けていただき、わたしは金銭面で皆さんの助けになれればと考えています」


 村人全員へ一律に配当するのではなく、職が無い者を対象にして仕事を斡旋する。日雇いならば発生する給金も少額だ。どのみち監督役が務まるのはイバンとアニタしかいないので、一日に募集できる人数は少ないだろう。あとは連日、同じ村人が来るのを避ければ、より均等に金が行き渡ることになる。

 そうやってステファナが淀みなく説明するのを、ダリアは真剣に傾聴していた。


「…成程。妃殿下のお考えはよく分かりました。無遠慮に私見を述べた己が恥ずかしい。お詫びというのも烏滸がましいですが、必ずや妃殿下のお力になることをお約束いたします」

「助言を貰えることは、とてもありがたいです。わたしの見解が正しくない時は、はっきり訂正していただいたほうが助かります」

「妃殿下の寛大さに感謝を。ところで換金の話に戻りますが、妃殿下の侍女をお借りしても宜しいでしょうか」

「アニタをですか?」

「はい。私を信頼してくださるのは光栄な限りですが、今回は巨額が動きますので証人を立てていただきたい。要は私が金をくすねないか、見張っておいてほしいという話です」

「そうすることでダリアが気兼ねしないのであれば、わたしは構いません。アニタはどうですか?」

「…ご指示とあらば従います」

「ありがとうございます。ブランカを貸しますから、乗っていってください」

「ステファナ様の大切な愛馬をお借りするなど畏れ多いです」

「大丈夫ですよ。暴れたりしませんし、ブランカだって久しぶりに走りたいはずです」


 アニタは恐縮して中々首を縦に振らなかったが、ステファナの粘り強い説得に負け、白馬を借りていくことで決着したのだった。




 ダリアの働きにより宝飾品の三分の一が無事、換金された。銀貨が大袋に二つ、銅貨がその倍あった。金貨は額が大きくて扱いにくいというダリアの考えで、銀貨と銅貨に分けたようだ。裁縫箱に隠してあった三分の一の量で、これだけの貨幣に換わるのだから、全て換金したら凄いことになりそうである。父の過保護ぶりが、こんな所にも現れるとは。ステファナは無意識に笑みをこぼしていた。

 ダリアは貨幣を届けるとすぐ、元の任務に戻ってしまった。忙しいなか申し訳ありませんでしたという謝罪は受け付けず、感謝の言葉だけを受け取ると笑顔で手を振っていた。本当に心地の良い御仁である。


「さて。もっと具体的な決め事を考えなくてはいけませんね」


 ダリアが帰った後は、再び三人で話し合いだ。ステファナが議長役で、二人が意見を出し合うといった形で進んでいく。

  

「日雇いの場合、お給金は幾ら支払うのが妥当なのでしょう?」

「平民は金貨一枚あれば家族五人を一ヶ月養えるって言いますし。銅貨一枚でもちょっと多いくらいじゃないですかね」

「ですが手持ちの貨幣で最少額は銅貨です」

「そうなると一日労働で、銅貨一枚の配当になりますね。依頼する仕事は多岐に渡ると思いますが、どなたも同じ金額では不公平が生まれませんか?」

「あぁ、それはあるかもしれないです。雪下ろしとかの力仕事が出てきたら、繕い物のほうが人気になっちゃうかもですね」

「…ステファナ様にできない内容の仕事は銅貨三枚、というのはいかがでしょうか」

「良いかもしれません」


 構想が固まってきたら、次はいよいよ試行である。とりあえずやってみなければ、改善点も浮上してこない。折よく、明日はエレナと会う約束をしていたので、彼女に仲介役を頼んでみよう、との意見で一致したのだった。




「…という取り組みをしたいと考えているのですが、力を貸してもらえませんか?」

「もちろんです!」


 翌朝。約束の時間きっかりにやってきたエレナは、ステファナから説明を聞くや否や、溌剌と請け負ってくれた。しかも、来たばかりだというのに「じゃあ今から人を集めてきます!」と言い、取って返してしまった。

 そんなこんなで元気に飛び出したはずのエレナだったが、城に戻ってくる頃にはしょんぼり肩を落としていた。


「…声をかけて回ったんですけど…例の男の人達が『騙されるな。俺たちの弱みにつけ込んで、良いように使われるだけだ』なんて言いふらすから、みんな怖気付いちゃって……うぅ…っ、役に立てなくてごめんなさい」

「ああ泣かないでください、エレナ。頑張ってくれてありがとうございます」


 優しく肩を撫でられると、エレナはますます顔をくしゃくしゃにするのだった。

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