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 ステファナがいなくなった宮殿では、その件についてゼナスは父から尋問を受けていた。追放処分はゼナスの独断であった。皇帝の許しもなく勝手な行動を起こしたのだから、皇太子といえど責任は問われる。

 しかしながら父の性格を熟知しているゼナスは、どのような回答が求められているのか分かっていた。仇国の王女を悪く言えば父は満足するのだ。要約すると「目障りだったから追い出した」というようなことをゼナスは語り、呆気なくオダリスを納得させたのだった。


「お帰りなさいませ」

「…ああ」


 ゼナスの私室で書類整理を任されていたミリアムは、主人が戻ってくると手を止めた。


「皇帝陛下は納得されましたか?」

「問題ない」


 ゼナスは長椅子に腰を下ろす。その動作はどことなく雑だった。眉間に深く皺が寄った顔で、彼も書類に目を通し始める。だがミリアムは作業を止めたまま、主人のほうをじっと見ていた。


「……何だ。私に言いたいことがあるのか」


 わかりやすい視線に気付かぬゼナスではない。目は書類に落としたまま、苛立ちが混じった声で従者に投げかける。


「どのような経緯があったのか何の説明もなく、ただ妃殿下が出て行くから護衛しろと指示されて、疑問を抱かない人間はいません」

「……父上に説明した通り、目障りだったからだ」

「僕にそんな嘘が通用すると思わないでください」

「………」


 ミリアムはゼナスの乳兄弟だ。遠慮の無さは二人が気の置けない仲である証拠だった。皇太子と従者という関係ではあるが、幼馴染で互いに唯一とも呼べる友人でもあった。だからこそミリアムは、此度のゼナスの行動が「らしくない」と言わざるを得なかった。主人から切羽詰まった空気を感じとったので、問い詰めるのは今日まで我慢していただけだ。


「殿下が口下手なのは知っていますが、誤解されたままで良いのですか?もしや誤解してもらわないと都合が悪いのでしょうか」

「それ以上、無駄口を叩くなら部屋から追い出すぞ」

「次は僕ですか?オダリス陛下はルイーズ殿下を追放し、ゼナス殿下は妃殿下を…やれやれ、困った親子です」

「いい加減にしろ。ミリアム」

「…妃殿下、悲しんでおられましたよ」


 宮殿を去る前のステファナの沈んだ横顔が思い出され、ミリアムは語勢を落とした。

 ここでようやく、ゼナスが僅かに視線を持ち上げたのだった。


「オダリス陛下から酷い扱いをされても毅然となさっていた妃殿下が、貴方の言葉には傷付いたのですね」

「………」


 彼がミリアムを見たのは一瞬のことだった。またすぐに書類へ視線を戻し、作業に没頭し始める。こうなると彼の口を割らせるのは困難である事を知っているミリアムは、己も書類整理を再開させた。結果、室内には居心地の悪い静寂だけが続くのだった。




 時を同じくしてシェケツ村では…先日の騒ぎを覗き見ていたという少女が、ステファナのいる城の扉を叩いていた。

 所在なげに立つおさげの少女は齢十五、六であろうか。対応にあたったアニタが用向きを尋ねると、少女は「昨日の人は大丈夫でしたか」とこわごわ訊いてきた。どうやらステファナを心配して来てくれたらしい。

 その事を知ってステファナが喜ばない訳もなく、少女は城の中へ招き入れられた。ただ一つの誤算は、少女がステファナのことを皇太子妃ではなく、使用人のひとりだと勘違いしていた事か。ステファナの着ている服が質素であったから、思い違いをしてしまったようだ。


「ひぃ…っ!ご、ご、ごめんなさい!あたし、お妃様だなんて知らなくて…のこのこと来てしまって…!」

「わたしは気遣いの気持ちがとても嬉しかったのです。そんな事はどうか気にしないでください」


 ステファナが懇々と頼み込めば、慌てふためいていた少女は少し落ち着いたらしかった。


「ところで、あなたのお名前は何というのでしょう?」

「あっ!すみません、名乗りもせずに…あたしはエレナって言います」

「まあ!とても素敵な名前ですね!」

「そ、そうですか?ありきたりな名前ですよ…?」

「わたしには妹が二人いて、ラトナとエレノアというんです。双子でとっても可愛いんですよ。エレナって二人の名前を合わせたような響きがありません?思い遣りがあるところも似ています」


 満面の笑顔でそんな風に褒められたら、悪い気はしなかろう。エレナも頬を赤らめ、口元をむずむずさせていた。これが打ち解けるきっかけとなり、エレナの口は徐々に軽くなっていく。


「あの…昨日のことですけど…口ではあんな事を言ってても、きっと心の中の思いは違うはずなんです。兵役に行って貰えるお給金なんかほんの少しだったし。兵役が無くなる前はみんな『行きたくない』って言ってたの、あたし知ってるんですよ」

「苦しみを吐き出せる場所が無かったのですね…」

「それはそうですけど、だからってお妃様に石を投げるのは間違ってます!食べ物もいっときは全然手に入らなくて、雑草とか土とか家畜の餌でも食べたりして…もうこのまま餓死するんだろうなって思ってました。それが今、ちょっとでもまともな食べ物が市場に並ぶようになって、安心したんです。あたしに分かるんだから、この村のみんなだって本当は分かってます」

「エレナ。本当のことを伝えに来てくれて、ありがとうございます」

「お礼を言われるようなことじゃ…昨日は何もできなかったし、傷薬とか包帯とかあれば渡したかったんですけど、家に何もなくて。ええいままよ!っていう勢いで来ただけですから」

「ふふっ、その気持ちが何より嬉しいのです」


 ステファナが笑いかけると、つられたエレナも歯を見せて笑うのだった。


「折角ですから、色々教えてもらえませんか?」

「ええっ?あたしがお妃様に教える事なんてないですよ」

「この村のことはエレナのほうが、うんと詳しいでしょう?あと、わたしのことはどうぞステファナと呼んでください」


 それから更に話が弾み、気付けば長いこと二人は話し込んでいた。遠くのほうで教会の鐘の音が鳴った瞬間、エレナは椅子から飛び上がった。家で食事の支度をしなくてはいけないらしい。さぼると母が怖いのだとか。彼女は兎のように跳ねながら帰宅していった。転ばないように、というステファナの声は果たして届いていたのか。


「あれ?彼女、帰っちゃったんですか」

「ええ。たった今」


 エレナと入れ違いになるように、薪割りを終えたイバンが戻ってきた。


「二人に仕事を押し付けてごめんなさい」

「何を仰るんですか。それが普通ですから。皇太子妃殿下が厨房で包丁を握ってるほうが大問題ですよ」

「三人しかいませんもの。わたしだけ休んでいても落ち着かないです」

「まあ、ステファナ様ならそうでしょうね…」


 皇太子妃が愛馬に餌をやりに行き、城の掃除をし始めても、イバンは止めなかったし、代わるとも言わなかった。見慣れてしまったのもあるが、ステファナを説得するのは諦めているのだ。




 冬本番が近づく季節柄、水は冷たく、洗濯や皿洗いをしているとあっという間に手がかじかむ。ステファナは冷え切って真っ赤になった手を、暖炉の前にかざして温めた。そうしているとアニタがやって来て、ステファナが頭に巻いている白布を交換すると言った。


「ありがとうございます。傷口はどうなっていますか?」

「少しですが赤みがあります」

「その程度なら明日から白布は要らないですね」

「恐らく大丈夫かと」


 頭上からは布が擦れる微かな音が、暖炉からは薪の爆ぜる音が聞こえる。


「…ステファナ様はさぞかし優しい姉君だったのでしょうね」

「実際にできているかはさておき、そうでありたいとは思っていますよ」


 不意に落とされた呟きは、直前の会話との脈絡が無かった。当然ステファナは違和感を覚えたものの表には出さず、アニタにも暖を取るようさり気なく勧めるのだった。


「もしかしてアニタにも妹がいるのですか?」

「姉と弟がいます。わたくしは中子です」


 勧められた椅子へ遠慮がちに座るアニタは、いつもみたいに感情が読みにくかった。けれど読みにくいだけで、今の彼女が抱えているのは、あまり良い感情ではない事くらいは見て取れた。


「…ステファナ様は、その……」


 アニタは何かを言いかけたきり、口ごもってしまう。それほど言いにくい事なのだろうか。


「アニタ、大丈夫ですよ。何を言われても怒りませんから。約束します」


 ステファナの台詞には説得力しかなかった。アニタは主人が怒鳴る姿など一度も見かけていないし、何なら想像もつかない。逆に何を言えば主人が気分を害すのか、こちらが知りたいくらいである。

 ちょっと的外れな事を言う主人に、アニタは気抜けしたらしい。依然として迷いは見え隠れしていたが、彼女は重たい口を開き始めた。


「…ステファナ様は家族のために自分が犠牲なったと、そうお感じになったことはありますか」


 他人に感情を悟らせない侍女の核心に、ほんの少しだけ触れることができた気がした。でもステファナは深掘りするのではなく、聞かれた事にのみ答えるのだった。


「わたしより家族のほうが、犠牲を払っているように見えました」

「えっ…?」


 アニタは思わず瞠目する。何故ならステファナが数多の理不尽を耐え忍ぶ姿を、間近で見てきたからだ。あれらより酷い事が、彼女の祖国で起きていたとは到底思えない。


「わたしがそう気付いたのは、お兄様がきっかけだったと思います」

「兄君というと…カルム国王のライファン陛下ですか?」

「はい。そうです」


 二つ歳が離れたステファナの兄は、生まれた時から次代の王になるべく育てられた。即位したのは十にも満たない時分であった。思慮深い兄は子供ながらに、事の重大さが分かっていた。ステファナと違って…


「お兄様は即位された日のことを振り返り『自分ひとりだけ切り離されたような感じがした』と、話していました」


 兄妹の中でこの事を知っているのはステファナだけだ。前後の会話の流れは覚えていないのだが、ふと溢れてしまった呟きであったのは記憶している。恐らく兄としては、ずっと己の胸にだけ秘めておくつもりだったのだろう。しまった、とでも言いたげな表情で、皆には内緒にしてほしいとお願いされたからだ。

 兄が即位した日。ステファナは両親を真似ながら玉座に向けて頭を垂れた。今日から公の場に出る際は、兄をお兄様ではなく国王陛下として敬わなければならないと教えられていた。でも内廷に戻り、家族として過ごす時間はそれまでと何も変わらなかったから、ステファナは母の言いつけを深く考えることがなかった。

 故に上述した兄の言葉を聞きいた時、ステファナは目から鱗が落ちる心地であった。ステファナから見た兄は、いつでも柔和で弟妹の面倒を根気強く見てくれる勤勉な人だ。弟妹の尊敬を一心に集める兄が、家族から「切り離され」ていると感じていたなんて、全然知らなかったのだ。

 それから兄が感じたであろう痛みについて真剣に考えた。つい昨日まですぐ隣で微笑み、抱きしめてくれた両親から陛下と呼ばれ、跪かれた瞬間を。家族みんなを玉座から独り見下ろす、その景色を。使命から逃げなかった兄の勇気を。ステファナは自分に置き換えて想像してみた。


「…どれほど寂しかったか。どれほど心細かったか。わたしは想像するしかありませんが…当時十歳だったお兄様を想うと涙が出ました」

「………」

「お兄様はこれからも一国を背負っていかれます。重圧に潰されてしまうようなお兄様ではないですが、背負うものが少しでも軽くなればと、弟妹はみんな同じ想いです。真っ先に大きな犠牲を払ったお兄様が『私は犠牲者だ』なんて仰らないんですもの。だったらわたしがしている事など、犠牲でも何でもないですよ」


 ステファナは一点の曇りもない笑顔と共に話を締め括る。冷え切っていたアニタの指先は、いつの間にか熱を取り戻していた。


「…宜しければ、ステファナ様のご家族のこと、もっと聞かせてほしいです」

「ふふっ、良いのですか?わたし、延々と喋り続けてしまいますよ?」

「望むところです」


 丁度その時、イバンも暖を取ろうと部屋の近くまで来ていたのだが、無表情な同僚が珍しく楽しげに相槌を打っているのが見えたので、彼は退散することを選んだ。女が話に花を咲かせているところへ、男が無粋に踏み入るものではない、これは彼の経験則である。

 手足はかじかんだままだったにも関わらず、イバンは妙にご機嫌な様子であった。

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