池の男
青年は、とある池の近くのベンチに腰掛け、昼食を取っていた。
人通りは多いが、彼の様にこの場に留まろうとする者はいない。
昼食を取るなんてもってのほかだ、と言わんばかりである。
稀有な目で見られる彼だったが、そういった事はあまり気にしないようにしていた。
しかし今日は珍しいことに、池の向こう岸に、同じように昼食を取るハットを被った男性が居た。
片手で豪快にハンバーガーを食らっている。
青年は、自分に向けられていたものと同じ様な視線を、その男性に向けた。
やがてハットの男性は食事をし終える。
彼を見るのに夢中になっていた青年は、自分の食事が進んでいない事に今更ながら気づく。
しかし青年の視線は、さらにハットの男性に釘付けになる。
男性は、傍にあった梯子の様なものを持ち上げ、池にそっと浮かべ始めたのだ。主人公は凝視し続ける。
ハットの男性は、その不安定な梯子に乗り、池に浮かんだ。
さながらサーフィンの様に、上手くバランスをとっている。
青年は相変らず見守っていたが、彼以外の通行人は、ハットの男性に一切興味を示していなかった。やがて男性が、池の中心部まで来た。
青年は、だんだんと薄気味悪さを感じてくる。こちらに向かってきている様に感じたのだ。
しかし突然、ハットの男性は池に飛び込んだ。青年は大きな声を上げる。
「人が落ちたぞ!」
青年は慌てて池に入ろうとする。
しかし、ピタリと足を止めてしまった。
やはり自分以外の誰もが、ハットの男性に興味を示してしなかったのだ。
道行く人々は、みな一様に首を傾げ、ハットの男性の存在を認めてくれなかったのだった。
翌日の青年は、またいつもの様に昼食を取る為、池近くのベンチを目指した。
主人公は、昨日の事もあり、なんとなく向こう岸を見るのだった。
そこには、昨日のハットの男性が居た。昨日と同じように梯子を持ち、ハンバーガーを貪っている。
そうしてまたハンバーガーを食べ終わると、梯子に乗り、池の真ん中まで来て、最後には飛び込んでしまった。
それから何日も、青年はその池に行くたびにその光景を見せられたのだった。
いつしか青年は、彼の行方や動機が気になっていた。
誰にも興味を示されないのだから、誰も助けてくれないはずなのに、次の日にはまた同じように飛び込みを繰り返す。
初めは自殺志願者かホームレスかとも思ったのだが、それにしては身なりは清潔で、死ぬにしても、やり方が下手くそだ。
自分も池に飛び込んでみよう、そう思って主人公は簡素なボートを購入し、翌日の昼を待った。
さて翌日もハットの男は池に飛び込んだ。
青年はその様子を見届けて、用意したボートを池に浮かべた。
腕をオール代わりにして池の真ん中まで進む。
すると、通行人達が途端に騒がしくなった。
彼が何をするのか悟ったのだろうか、制止を強く呼びかけている。
しかし長期間、ハットの男が気になっていた青年に声は届かず、青年は池に飛び込んだのであった。
その日以来、ハットの男は現れなくなり、池近くのベンチにも誰も現れなくなった。
しかし、そのベンチの向こう岸には、ボートを用意した青年が、毎日、昼食時になると現れるという噂が広まっていた。