魔素の再充填
港町にしばらく留まる事にした来人は、ユハを伴ってアハムイ師の工房に向かった。
マイハとメユノにはやる事がある。
マイハには転移魔法の練習をして貰う。
メユノは留守番兼、ジーザスを送り出すまでの世話役だ。
ジーザスは性欲を満たすと、今度は食事を求める。
ところがこの世界は、料理の種類が少ない。
「飯がマズい!」
と暴れられたら、地球人全体の評判が悪くなり、今後の活動にも支障が出る。
メユノには、この地で手に入る食材を買って来させ、地球の料理を一晩かけて教え込んだ。
地球の……というよりは日本の、である。
日本基準では、アメリカ人はメシマズ国民である。
日本基準では「男の料理」しか出来ない来人も、アメリカやイギリスに行けば
「お前はどこかのレストランで料理の勉強をしたのか?」
と言われるレベルであり、あの軍人を黙らす料理くらいは出来る。
「とにかく量を多く。
こっちの世界の食事は量が少ない。
軍人は大量に飯を食うから、こっちの基準では全然足りない。
あとは、脂たっぷりに。
味は濃い目に。
俺が持って来た調味料……俺用だけど……仕方ないから必要なら使って。
多分あいつは、性欲と食欲を満たせば、おとなしくしていると思うから」
という訳で、日本に行って食事をして来たメユノは、その味の記憶を使いながら面倒な仕事をこなす。
一見無駄と思える事でも、無駄にはならないのだと、メユノは改めて思っている。
そんな訳で、一晩メユノに料理を教えていた事に焼きもちを焼いたユハの機嫌を取る意味でも、彼女を連れて工房に向かったのであった。
「おお、異世界の旦那か。
また来てくれて嬉しいぜ」
アハムイが作業の手を止めてやって来る。
「旦那から貰った短剣、どうやっても作れない。
あれはどうやって作るんだ?」
冶金技術、合金技術等、現在の異世界の技術では再現困難だろう。
来人も説明は出来ない。
それでも、頼み事が有るから、アハムイの知的好奇心には答えておいた方が良い。
「実はあのナイフの作る方は俺も分からない。
だから、こちらの刃物を贈る。
こっちは正常なもの。
こっちは、あえて折ったものだ。
あげたルーペで断面を見て欲しい」
日本の刀鍛冶が作ったものである。
これならば作り方は分かる。
異世界の技術でも再現可能だろう。
「なんだ、この何枚も、いやそれどころではない折り曲げられた金属は。
どうやって作るんだ?」
そこでプリントアウトした、日本刀の製造工程を見せる。
説明を聞き、
「鋳造するのではなく、一回形になった鉄を叩いて、それで折り曲げるのか。
確かに鉄は叩けば硬くなるからな。
それをまだ熱い内に何回も繰り返す。
いや、旦那の国の鍛冶は変態だな」
多分褒めている。
「いや、良い物を貰った。
それで、俺に何の用だ?
貰った以上、何でも聞いてやるぞ」
上機嫌のアハムイは、ビールのような飲み物を出す。
気が抜けて、苦みも無い、麦の味だけする発酵飲料だ。
素焼の器から気化熱による冷却が起きて、案外冷えている。
「この前貰った、この魔素を詰め込む首飾りだが、再充填出来ないか?」
「は?
旦那、あれは並の魔法使いなら100人分の魔法力を詰め込める代物だぜ。
もう使い切ったって、冗談だろ」
「使い切ってはいないと思うが、見て欲しい」
「……ほとんど使い切ってるじゃないか。
何をしたんだ?」
来人は地球に持ち出した事を話す。
異世界人は魔素が全く無い地球では生きられない事。
だから魔素を高濃度で充填した首飾りがあれば、4日は生存可能と分かった事。
魔素が無い地球では、この首飾りですら急速に魔素を放出していく事。
「なるほどなあ。
それで、もっと魔素を貯め込めるアイテムが欲しいって事なんだな」
「出来るか?」
「無理だ。
あれは俺の最高傑作だ。
あれ以上は無理だ」
「そうか……」
それは何となく予想していた。
だから次に
「では魔法力の再充填は可能か?」
と問う。
「可能だが、時間が掛かる」
それが返事である。
魔素は時間を掛けて石に蓄積された。
それに魔法で操作をして、利用可能な魔法力を発するようにする。
それを周囲の魔法技術の装飾で、一度に放出しないよう、かつ使える量の放出をするように加工した。
「旦那、我々には心臓と脈があるのは知っているね?
首飾りは心臓に、腕飾りは脈に魔法力を届け、それが体を巡る事で常に魔法力を維持出来るものだ。
だから、本来魔法力を放出し切った魔素って事は考えられるが、魔素そのものが放出されてしまうのは俺には予想外なんだ」
地球の物理学で置き換えると、魔素とはウランの原子のようなものである。
これだけでも崩壊熱を出しているが、濃縮やプルトニウムへの転換でより強力なエネルギーを出す。
このエネルギーが魔力であり、それを活用して発電するとか爆発させるとかが魔法である。
魔法は、その制御能力とそもそもの魔力量の掛け算で能力が変わる。
この値が魔法力というものだ。
魔法力を消費すると、魔素はエネルギーを使い切った安定状態に戻る。
これならば再充填可能だ。
だが、魔素そのものが放出され、飛散してしまうと、残りは単なる石に過ぎない。
これにはいくら処理を加えても、魔力は宿らない。
だが、元々魔素が入っていた物である。
魔素を再び沁み込ませれば、再生可能ではある。
だが、魔素を沁み込ませるには時間が掛かるのだ。
元々自然界に満ちる魔素が、生物の寿命では考えられない程の時間を掛けて石に沁み込んだのである。
時間を掛けて自然が作り出したものを、一気に消費してしまう。
(地球文明の悪い所をよく似ている)
来人はふとそう感じた。
「そうか……残念だ」
すると、アハムイが何かを思い出す。
「そういえば、南の魔獣どもの陸地の奥に『聖地』とか『地下迷宮』とか言われる場所がある。
そこにはかなり濃い魔素が満ちた場所が在り、そこなら短期間で魔素を沁み込ませる事が出来ると聞いた事がある」
漬物を作る時、塩を振りかけても出来ない。
大量の塩で揉んで、塩塗れにした上で、上から圧力を掛けるものだ。
それは野菜の場合で、塩漬けは濃い塩水に漬ける。
周囲の濃度が高い方が、浸透圧で沁み込んで来る。
この世界にも塩漬け料理は存在していた。
だからアハムイは、それに例えて説明する。
そのダンジョンの奥には、濃い魔素で満ちた空間が在り、そこに持って行ったモノ全てが大量の魔素を沁み込ませるという。
「だが、そこにたどり着ける者はほとんど居ない」
「ならば、何故その事を知っているんだ?」
「俺の親父が、そこから持って来た魔鋼を使って武器を作った。
俺はそれを見た事がある。
その頃の俺はガキだったから手伝う事も出来なかったが、その鋼の見事さは幼いながらも覚えている。
親父の最高傑作だと、引退した今も自慢されている。
俺はアレを目指しているが、まだ作れない」
「それはどんなものだ?」
「短い刃物だ。
ただ、斬るよりもそこに魔法を纏わせ、増幅して打ち出す。
充填出来る魔法力には限界が無いという事だ」
「!!!!
ユハ、『退魔の小剣』は持って来ているな?」
武器を見ながら遊んでいたユハは、突然声を掛けられ驚く。
「う、うん。
肌身離さず持っているよ」
「アハムイさん、親父さんはまだ生きているね?」
「ああ、奥の部屋で入れ歯を作っている。
親父に何の用だ?」
「その親父さんが作った最高傑作って、これじゃないのか?」
「何?
ちょっと手に取らせて欲しい。
この感じ、確かに見覚え、感じ覚えがある。
ちょっと待ってな。
親父を呼んで来る」
アハムイの父親、アハニクは当代随一の名工として知られたドワーフだった。
年老いて、鎚を振るう力が無くなったから、鍛冶仕事を息子に譲って、魔石を使った入れ歯を暇潰しに使っている。
そんな老工は、ユハの「退魔の小剣」を見て
「おお、懐かしい!
これがわしの最高傑作じゃ!」
と喜んでいた。
「貴方はこれを、ここで手に入れたのですか?」
来人が聖地の写真を見せる。
アハニクは首を横に振る。
「わしが手に入れたのではない。
有翼人がこの剣を作る為の材料を持って来たのだ。
その時、漏れて来た思念から、地下迷宮から持って来た素材だと分かった。
持って来て有翼人は、そこを『聖地』と呼んでいたがな」
「その有翼人って、ヨハネス・グルーバーという名前では無かったですか?」
アハニクはしばし考え込んで
「下の名は合っておる。
確かにグルーバーと言った。
しかし、上の名は違っていた。
ヨハネスでは無かった。
そもそも、上の名、下の名と2つ持っている者はそうそう居らん。
大概が、どこそこ村の誰それと言えば通じるのだからな」
「あの場所にもう一度行かねばならんな……」
来人は小声で呟く。
聖地に近づくと気分が悪くなるユハが近くに居る為、大声で言うのは憚られた。
どうもあの場所には、異世界の重要な秘密が眠っているようだ。
魔素の再充填も、あそこに行かないと時間が掛かり過ぎるようだし。
「お若いの。
その迷宮に行く気か?」
心を読んだように、アハニク老が聞く。
「やめておきなされ。
魔素に侵食されるぞ。
魔素が沁み込むのは、何も石や草だけではない。
生き物にも沁み込み、過度の魔素は生き物を苦しめるのだ。
グルーバーなる有翼人も、ここに飛んで来たのではない。
暴走した転移魔法で、たまたまこの地に墜ちたのだ。
魔素の暴走に苦しんでいたから、持っていた魔鋼を加工し、魔力を吸収して安定させるようにしたのじゃ。
守り刀としたのじゃが、随分と膨大な魔力を吸収し、グルーバーの精神の崩壊を食い止めた。
グルーバーが落ち着いた所で、剣を更に調整をして貯めた魔素を媒介に、増幅して放てるようにしたのじゃ。
その制御に使った宝玉だが、これは普通に手に入る物で、最高品ではあるが魔鋼には劣る。
それ故、剣の魔素がざわめくような強力な魔物が近づくと、カタカタ鳴ってしまう。
それがしくじった部分じゃが、それでもそれはわしの最高傑作じゃよ。
じゃから、その小剣が有れば魔素を吸収するかもしれんが、それでも間に合わん場合があろうぞ。
それ程までに魔素が濃い。
並の生き物ならば、血を吹き出して死ぬじゃろう」
そう言いながら、来人をジロジロ見て、
「案外あんたは大丈夫かもしれんが、それでも止めておいた方が良いな」
と言った。
「どうするの?」
ユハが問う。
「もう一回聖地には行ってみたいけど、危険みたいだし、後回しにしておこうか。
何より、ユハは行きたくないんだろ?
連れて行く訳にもいかないし、だったら当分行かないよ」
そう伝えると、自分の為に気を使ってくれた事を感じたユハは、嬉しそうに来人の腕にしがみついていた。
遠くヘキサポーダ大陸の有翼人の村にて。
ヨハネス・グルーバー族長はまた瞑想していた。
そして呟く。
「聖地に興味を持たれたのは困るが、当分行く気も無いようだ。
行かれる前に手を打とうか。
それにしても、まさか異世界地球に出る手段が、あの小剣だったとはな。
我が世界の魔素と共に出れば、我々も生きていられる。
そしてあの小剣は、その魔素をほぼ無限に溜め込んでいる。
あれが有れば……」
そうして悪い笑顔を浮かべた。
「まあ良い。
あれはあの小娘に貸しておるだけだ。
ここまで有用な情報を得てくれるとは、思わぬ収穫だったよ。
今しばらく貸しておく事にしようか」
この男は何かをたくらんでいるようだ。




