異世界で物をよく知る族長に会った
「私はヨハネス・グルーバーだ。
客人、貴方の名前を教えて欲しい」
来人が答えようとすると、ユハが代わって答える。
「この人はライト。
私の命を助けてくれたの。
悪い存在じゃないよ」
それを聞いたヨハネス・グルーバーは目を見開いた。
「その方、もしや名を与えられたのか?」
「うん、ユハって名前をつけて貰った。
すみません。
他の皆は名前が無いし、きっと長以外は名前持っちゃダメなんだよね」
(そうだったのか)
来人はもっと別な理由を考えていたので、意外な階級社会にまた勝手にショックを受けた。
だが、来人の推測の方が正しいようで、ヨハネス・グルーバーは思考が伝わった為か返事をする。
「客人ライト殿、名は精神の芯となるもの。
名を与えられた事で、この者には自我が生まれた。
魔法を操る膨大な知識や技術を持つ我々だが、自我を持たないようにしている。
自我を持つ事で、そうだな……君たち四肢族の社会のもので例えるなら、油に芯を通して火を点けるようなものになる。
ただ油に火を点けても、それは効率の良いものではないだろう。
油を吸い上げる芯に火を点けると、ただ油を燃やしたものよりも安定し、長時間使い続けられ、しかも消すのも簡単になる。
我々にとって自我とはそういうものなのだ」
「……よく知っていますね」
来人はちょっと恐怖を感じた。
今までこの世界で会った者たちに比べ、物を知り過ぎている。
ユハも世界の事象について色々知っているが、自分の概念に無いものは知っていても説明が出来ない。
どうしてドラゴンが火を吐けるのか聞いた時、
「ドラゴンは体内に燃えるものを持っていて、それと魔力を合わせて火を吐くんだよ」
と答えた。
それに対し来人が
「燃えるものって、気体? 液体?
魔力ってどうやって使うんだ?
ドラゴンって魔法を使う知能が有るの?」
と重ねて聞くと
「ええっと……普段はドロドロのもので、火を吐く時に、近くて広い物に対しては霧みたいにして、遠くの物に対してはそのドロドロのまま、強い力で吐き出すよ。
魔力って、私たちは普通に、手足羽根を動かすように使ってるから分かんない。
知能って……何?」
こんな回答であった。
知能について、知識や技術的なものであるなら、それは持っていると言った。
自我というものについては、説明してもよく分からないようだ。
だが、このヨハネス・グルーバーという天使長は色々と知っている。
「実はね……ライト殿以外にも異世界からの客人が来た事があるんだよ」
やはり見透かしたようにヨハネス・グルーバーが答える。
かつて「約束の地を追われた部族」や「二つ頭の猛禽の旗を掲げた軍隊」がこの地に現れ、猛威を振るったという。
だが3日程で彼等は原因不明だが、全滅してしまった。
(おそらく、高血圧による脳出血だな。
このヨハネス・グルーバーって人も、どうやら全部を知っているわけではないようだ。
高血圧による病気というのを、概念ごと理解していないっぽい)
そして、ちょっと可笑しくなった。
(H.G.ウェルズの小説「宇宙戦争」で、火星人は地球の環境に負けて全滅した。
この世界からしたら、俺たちが「宇宙戦争」の火星人みたいものなんだな)
ヨハネス・グルーバーは語る。
そういう異世界からの侵略者、彼等はここに居を構えようとし、自分たち以外を殺そうとした。
だから皆は怯えてしまって、来人が近づくのを察知し、隠れてしまったと。
「察知とか、俺が来るのが分かるんですか?」
「分かるよ。
異世界人は感情が複雑で、まともに受け取ると頭が痛くなるんだ。
特に耐性の無い者たちにしたらね。
ライト殿は……どうやら魔法を何か使えるようだね。
まだ漏れまくってはいるが、意思の制御が出来ている」
「意思の制御?」
「魔法って分かるか?」
「ええ、まあ」
補足すると、発音的にも語源的にもヨハネス・グルーバーは「魔法」とは言っていない。
意味が通じるこの世界の会話で、来人の脳内変換が「魔法」と解釈したまでだ。
この世界からしたら、別次元に干渉してそこから力を得るもので、善でも魔でも無く当たり前の能力だが、使い方には様々なやり方があるといった「当たり前の力」である。
だからユハはよく説明が出来なかったのだ。
来人の概念で「魔法」というものは、意思によって制御するという。
「燃やせ」と念じると、それが可能になる。
ボールを投げる時に、ボールを持つ、振りかぶる、前に押し出す、指で回転をかける、という一連の動作を考えながらはしないように、魔法で火を起こす時も熱エネルギーを発生させる、可燃物を濃縮する、換気するという工程を「燃やせ」という意思の中で瞬時に行う。
これは慣れというものだ。
この世界からしたら異世界人である地球人は、まず意思の力で別次元から必要な力を取り出す事を知らない。
概念そのものが無いのだ。
ゆえに、意思が力に直結する事を知らないから、強烈なまま全方位に放射してしまっている。
それこそこの世界での自我と同様のもの。
この世界の者は、無意識に「意思」を収束して魔力を操る際の芯と出来る。
だから強い力を発生させられる。
地球人は意思の情報量こそ莫大だが、収束させられないから、別次元に働きかけるエネルギー量にならない。
全体として非常に眩しい光ではあるが、それより出力が低いレーザー光のような事が出来ないという事だ。
収束して指向性を持たせたレーザー光が様々な事に利用出来るように、制御された意思は魔法を使う力となる。
逆にその制御が出来ない地球人の意思は、近くに物凄い光源が現れたようなもので、不快でたまらないのだと言う。
「だから、俺が何か考えると、貴方にもユハにも読まれてしまうのですね」
サトリという、他人の思考を読む妖怪がいるが、自分たちはその逆のような思考駄々洩れ状態だったのだ。
ちょっと恥ずかしい。
ユハを見て(可愛いな)とか思ったのも、伝わっていたのだろう。
「そういう事だ。
貴殿は何度かこちらの世界の者を助けたと言ったな。
貴殿は何かの魔法が使えるから、他の異世界人に比べて不快ではない。
だが、長く近くにいると頭が痛くなるから、皆逃げて行ったのではないか?」
その通りだ。
折角助けたのに、ちょっとの間はこちらを観察するようにしているが、すぐに何も言わずに逃げられていた。
「では、ユハも俺の近くだと不快だったんですか?」
そう思うと可哀そうな事をした。
ヨハネス・グルーバーは首を横に振る。
「名付けをしただろ。
あれであの子には耐性が出来た。
それだけじゃない。
君のその思考のようなものが、気持ち良く感じるようになった。
なんというか、親のそばにいる温かさというようなものか……」
そしてヨハネス・グルーバーが真面目な表情で言う。
「名付けの問題は、まさにそこにある。
名付け親に支配されるようなものだ。
名を与えた者の思考に寄り添ってしまう。
だから無闇に名を与えてはならなかった」
更にもう一つ問題がある。
「名は自我に影響を与える。
貴殿が与えた名は、どうやら美しい名のようだ。
だからあの子は問題無い。
だが、悪意を持った名を付けると、その自我もそれに染まる。
我々のような魔法を操る者が、自我によってその威力を増大させた上で、悪意を持つ自我を得ると……」
以前やって来た異世界の入植者は、奴隷として捕えた有翼人に、自分たちを故郷から追放した敵の王の名を付けてこき使おうとした。
その入植者たちは3日程で全滅したのだが、使役する者が消えた上で自我を持った個体名「ネブカドネザル」という有翼人は、強力な力を持って周囲を征服しようとしたという。
このネブカドネザルを討伐する為に、有翼人たちは初めて団結して戦ったが、それこそ自我が薄弱な彼等はネブカドネザルに蹂躙されていった。
「で、どうやって勝ったんですか?」
「私には名がある。
これで理由は分かるだろう?」
「なるほど……」
族長には名があり、自我がある。
名は厳重に扱われている。
やっとこの世界の理屈が飲み込めた。
「それでなあ……君が名を与えた事で困った事になっている。
あの子、ユハなんだが……」
ユハは能力が急成長している。
今までの彼女は、空を飛ぶ能力の他に、羽根を擦り合わせて発生させる静電気を増幅した電撃、歌のようなさえずりで相手をリラックスさせる治癒と入眠作用を持っていた。
それが強化される。
ドラゴンには全く歯が立たず、喰われるのを待つだけだったユハだが、今は電撃は雷撃へと進化し、ドラゴンにダメージを与えられる程になった。
治癒や入眠導入は、回復魔法と強制睡眠に進化した。
力の使い方が上手くなったからだ。
だから、この村に置いておけない。
可哀そうだが、力を得た彼女は来人に連れていって貰うと、族長としてヨハネス・グルーバーは言った。
「村をただ追放すると、あの子程度の力だとまだドラゴンやグリフォンには勝てない。
ただエサとなってしまう。
それは余りに可哀そうだ。
理由があったとはいえ、名を付けた貴殿に責任を取ってもらいますよ」
女の子を預けられて「責任を取れ」と言われると、来人も戸惑ってしまう。
地球では、日本ではそれは別な意味を持っているのだから。
だが確かに、村を追放されると分かっている子を、放置して旅を続ける程に来人は心が冷たくない。
「分かりました。
ユハは俺が面倒を見ますよ。
でも、その前にお願いがあります」
「何でしょう?」
「夜になりますので、泊めてくれませんか?
野宿には慣れてますが、やはりたまには家の中で寝たいもので」
「よく分かります、よく分かります」
ヨハネス・グルーバーは頷くと、
「一晩だけなら、皆も我慢するでしょう。
族長の権限で、宿泊を許可します。
それで……こちらもお願いがあるのですが……」
「何でしょうか」
来人はちょっと警戒した。
だがヨハネス・グルーバーは笑うと
「異世界人はよく酒を持って来ています。
もし有ったら、一杯いただけないものでしょうか」
そう言った。
(やはりこのオッサン、油断ならんわ)
天使長からオッサンへと格下げされた瞬間であった。
※補足説明:
約束の地を追われた部族は、バビロン捕囚後のユダヤ人のどこかの支族
二つ頭の猛禽の旗を掲げた軍隊は、第一次世界大戦中「セルティックウッドの怪」で失踪したオーストラリア陸軍第1師団第10大隊71名の事。