意図
高らかなヒットコールを残し、志穂と咲美は退去した。善戦できたせいか、満足そうな表情だ。
黙して二人を見送り、祥子はマルタ城に踏み込む。やはりここは見晴らしがいい。
(でも壁に囲まれている分、死角も多い。そこを突いて回り込めたわけだけど――)
どこかすっきりしない。
祥子がBB弾だらけの床を眺めていると、舞に肩を叩かれた。
「お疲れちゃん! いやー、結構粘られたね!」
「え? ええ、そうね」
「正志君、ナイス判断だったわ。敵の意図にすぐ気付いたもんね!」
サバゲでは開始直後に敵陣に向けてダッシュをかけ、戦線をできるだけ押し上げようとするのが定番の流れだ。しかし今回、イエローチームは突出を避け、守りやすい位置に引きこもっていた。ほぼ全員がディフェンスをしているのだ。
「つまりそれは時間稼ぎ。必ずフラッグを狙う別働隊がいるはずでござる――ってね」
別働隊が西回りでマルタ城を抜く意図を看破したのは祥子である。部活を通して咲美と志穂の運動能力はよく知っていた。他の者には無理でも、あの二人なら可能だ。祥子達は急遽引き返し、別働隊の対処に回ったのだ。
「んじゃ、正面に戻ろうよ。そろそろ時間ないし」
「……」
「どったの、祥子? まさか志穂ちゃん達、怪我でもしちゃった……!?」
「いえ、そうじゃないわ。ただ……ちょっと腑に落ちなくて」
確かに志穂と咲美は粘った。だがマルタ城に留まれば、包囲されるのは必然だ。祥子や舞がいなければもっと保ったかも知れないが、それも時間の問題だったろう。
「どうして城に入ったのかしら……」
「へ? そこに城があるからさ?」
「山男か! どういう意図があったのか、ってことよ!!」
志穂達は城に拘泥すべきではなかった。一刻も早く林に入るべきだった。なんとしてでも南陣地を目指すべきだったのだ。マルタ城にこもり、派手な撃ち合いに興じた時点でフラッグ奪取の可能性は潰えていた。
「単純に無理だったんじゃない? もし志穂ちゃん達が真っ直ぐ林に向っても、こっちの増援と鉢合わせしてた。たった二人しかいないんだから、城の方がまだ粘れるって話でしょ」
「それじゃ一時的にマルタ城を押さえることしかできないわ。無理も無茶も承知でとにかく押し進む。そうしないなら、そもそもこんな作戦は無意味よ」
フラッグを獲らなければ、勝てない。
これほど明々白々な事実をあの桜井志穂が見落とすだろうか……?
スピーカーが『残り三分、試合残り時間は三分です』と告げた。
「げっ、お喋りしてる場合じゃないよ! ほら、行こう!」
色めき立つ舞。急げば正面での戦闘に少しは参加できるはずだ。
やむなく祥子も身を翻し――突然、急停止する。
「そうか、これも時間稼ぎ……!?」
「ちょっと祥子!? だから、もう時間ないってば!」
「ふっ……あははは! 参ったなー。あの子達、ちゃんとアドバイスを聞いてくれてたのね」
「は?」
「わからない? 私達、射線を切ったつもりで切られていたのよ!!」
祥子の視線は舞を通り越し、開口部の一つに注がれていた。その先に見えるのは河川敷であった。
「簡単には勝たせないわ。舞、フラッグを守るわよ!!」
「え、ええっ? なんかわからんけど……がってんでぃっ!!」
祥子と舞は風を巻いて城から立ち去った。
□
ゆきと千晴が数分遅れでマルタ城に到達した時、すでに戦端は切られていた。
身を低くして河川敷に降りる。雑草が目隠しになっているが、立って歩けばすぐに見つかってしまうだろう。ゆきが右手にある城をそっと仰ぎ見ると、偶然にも開口部の奥にいた咲美と視線が合う。銃撃戦の只中にありながら、咲美はゆきを励ますように笑った気がした。
(咲美ちゃん、志穂ちゃん……!!)
火力は人数に勝るレッドチームが圧倒的に優勢だった。どれだけ頑張ってもいずれ咲美と志穂は数の圧力に押し潰されてしまう。ここからゆき達が敵の側面を突けば、あるいは――
「おい、ゆき?」
「……ごめん。急ごう、千晴くん」
ゆきは迷いを振り落とす。
河川敷の縁に身を寄せ、ゆき達は匍匐前進をはじめた。たちまち息が上がる。ここまでも走り詰めに走って来たのだ。苦しい。きつい。汗が目に入って痛いが、ゴーグルのせいで拭うこともできない。運動慣れしていないゆきには正直厳しい。
(でも、楽しい……! すっごい、ドキドキしてるよ……っ!!)
疲れているはずなのに、不思議なほど身体が動く。
やがて傍らの草丈が低くなり、密度も薄くなった。マルタ城を攻める敵がちょっと河川敷の方に近づけば、もぞもぞ進むゆき達の姿が草の間から見えてしまいそうだ。
『一番危ない部分は7メートルほどよ。そこを抜ければ一気に走れるわ』
志穂の事前説明は正確だった。少し進むとまた草が増え、やがて密集した草藪となった。ゆき達は中腰の姿勢にまで身を起し、足音をひそませて走り出す。河川敷の反対側、左手にある灌木の奥に網で覆われたフェンスが顔をのぞかせはじめた。サバゲーランド敷地の端である。
「――あった!」
前方にもフェンスが現れた。左手のフェンスと合流してコーナーを形成している。ゆきと千晴はほぼ180度ターンするといったん足を止め、前方の様子をうかがう。
レッドチームのフラッグはこの先だ。
千晴と視線を交わし、ゆきは低い姿勢でダッシュ。数秒駆けると停止し、モッドTを構える。今後は千晴が走り、ゆきの少し先まで進んで止まった。前進と援護を手早く切り替えながら歩を進める。本来なら完全停止して周囲を探る間合いも欲しいが、そうもいかない。
(急がないと……でも、慌てちゃダメ……!!)
やがて大樹の向こう側にある二本のポールと旗のシルエットを目視した。あの下に南陣地のフラッグがあるのだ。だが目前は木が伐採され、住宅一軒分程度の空き地になっている。うかつに踏み込めば丸見えになってしまう。ゆきはひとまず腰高の板塀に滑り込んだ。
(誰もいないのかな。もしかして、レッドチームのディフェンスはマルタ城攻防戦に出払っている……?)
もうしそうなら千載一遇のチャンスだ。
『残り三分、試合残り時間は三分です』
スピーカーも逡巡を押し流そうとする。
ここは一気に走り込んで決着を――
『ゆき、陣地の後方にもディフェンスがいるはずよ。こことこことこの辺がいい隠れ場だから、必ずチェックしてね』
ぎりぎりでゆきは踏み留まった。志穂がタッチペンで指し示してくれた茂みやドラム缶などの要チェックポイントを順繰りに偵察するが、やはり人影はない。振り返ると千晴は焦れた視線を寄越している。
ゆきはぎゅっと目をつぶった。
呼吸を止め、聴覚に集中――遠い銃声、小鳥のさえずり、かすかな葉擦れ――様々な環境音の中に一瞬生じた違和感。
(――いるっ!!)
恐らく身をひそめたまま、足の踏み替えでもしたのだろう。重ねた落ち葉を押し潰すような小さな音だった。
ジェスチャーで千晴を呼び寄せ、離れた木立の根元を覆おう茂みを指差す。よくよく見れば、枝葉を透かしてわだかまる影が認識できた。やはり陣地後方には警戒線が張られていたのだ。
「わかる? 千晴くん」ゆきのささやきに「ああ、見えた」と千晴も応じる。
まだ相手はこちらに気付いていないようだが、狙撃できるほど大きな隙間はない。
だがフルオートで掃射すれば茂みを撃ち抜ける可能性はある。
「ううう……は、走りすぎて、気持ち悪い……」
「だ、だらしねぇな。兵隊は走るのが仕事っていうらしいぜ」
「千晴くんも息切れしてるじゃない!」
「受験生は運動不足で当然だろ」
「開き直りの幅、広くない!? 成長期なんだから沢山食べて運動するでござるよ!」
「母ちゃんと武士のどっちだよ!?」
「わたしも他人事じゃないよね。みんなに迷惑かけちゃうの嫌だし、もっと走れるようになりたいな……」
「ふん、早起きしてジョギングでもしろよ」
「あ、いいね! 結構家も近いし、一緒に走ろっか?」
「は? な、なんでだよ!」
「わたしがサボらないように見張ってよ! なんて――」
「……別にいいけど」
「え!?」
「なんだよ。やらねーのか?」
「ううん、あの……ありがとう。じゃあ、後で待ち合わせ場所とか相談しようね!」
「ああ」
(千晴くん、本当に親切な子なんだなぁ……)




