顧問
用紙への記入自体に不備はないようだが、問題はあった。
「え……っ? ちょっと待ちなさい。これ、サバゲ部……!?」
愕然とした祥子に、ゆきはおずおずと言葉を返す。
「一応、サバゲ部じゃなくて……エアソフトガンクラブです」
「同じことでしょう!?」
「あうっ!」
祥子が反射的に言い返すと、ゆきは身をすくませてしまった。
そんな風に小動物じみた所作をされると、ハムスターをいじめているような気分になってしまう。
「あ……大声で、ごめんなさい。でもこれ……サバゲもやるのよね?」
「はい。申請用紙に書いてある通りです」
確かにそう書いてある。サバイバルゲームとシューティング競技会への参加を通して、心身の健全な発達を促し――云々と美麗字句が書き連ねてあった。この子は――いや、入部を希望している三人はこれを部活にしたいと本気で願っているらしい。
正気なの、この子達!? と、祥子はめまいを覚えてしまう。
「あなたね、そんな……学校でエアガンを撃つ部活なんて、サバゲをする部活なんて、そ、そんな……」
「は、はい?」
「そんなの、夢のような話じゃないっ!! ずるいわっ!!!!」
うっかり漏らした本音は、垂れ込めた暗雲を吹き払ってしまったらしい。
ゆきはぱぁぁぁっ、と顔を輝かせた。
「そ――そうなんです、夢みたいですよねっ!? わたし達にとっても、ホントに夢の部活動なんですっ!!」
「え、あ、うん。そ、そうね」
「よかったぁ……っ!! この気持ちを先生がわかってくださるなんて……う、嬉しいですっ!!!!」
ゆきは感極まり、涙ぐんでさえいる。
まずい。どうしてか非常にまずい方向へ進んでしまっている。急いで軌道修正しなくては――と、祥子は焦った。
「あのね、吉野さん。せ、先生はちょっとこの部活は、難しいかなーって。ほら、安全管理の問題がね? 部員はともかく、他の生徒が立ち入るような場所に射撃スペースは確保できないから、校内には」
「さすがです、先生っ!! 志穂ちゃんも同じことを言ってました。一緒に解決してくださいますよねっ!?」
即座に問題点を指摘したことで、ゆきはかえって祥子への信頼を深めてしまったようだ。
おかしい。墓穴が次第に深くなる。このままだと這い出せなくなってしまう。
「待って、吉野さん! だからね、私は」
「はいっ!! やっぱり、今宮先生はわたし達の仲間だったんですねっ!!」
「へっ?」
「勇気を出してよかった……古館さんの言った通りでしたっ!!」
唐突に旧知の名前が飛び出し、祥子はぎくりとしてしまう。
この流れでフルタチと言えば、あの古館舞以外考えられないのではないか。不幸にもその予想は的中していた。
「よ、吉野さん? その人から……なにを聞いたのかしら?」
「今宮先生と古館さんは学生時代、コスプレサバゲコンビ〝サバキュア〟をしていたんですよね? 今宮先生は〝キュア・ラピッド〟と名乗って、情け無用のオーバーキルで近隣のゲーマーさん達を震撼させていたとか!」
「ひ、人違いです」
「ネットに画像もありました!」
ゆきはスマホを取り出し、表示されている画像を祥子に見せつけた。
ドラムマガジン付きのアサルトライフルを構え、リボンだらけのゴスロリ衣装を着込んだ女性が写っていた。ミニスカートからタイツに包まれた長い脚をさらし、頑丈そうなタクティカルブーツを履いている。
一見すると、この格好でサバゲするの? もちろん、ネタ枠参加ですよね?
という感じだが、シューティンググラスの奥でぎらつく瞳と剣呑な笑みを浮かべる口元は、彼女が完全ガチ勢であることを示唆していた。全身を覆う殺る気オーラは画像からも伝わってくるほどであった。
「さすが、キュア・ラピッド! 眼光が鋭い……怖いくらいです!」
「うっ!? 吉野さん、校内でスマホの使用は」
「穿いてるタイツ、ナコールの衝撃吸収アンダーウェアですよね。使い心地、どうでした?」
「さ、さあー? 私じゃないし、その人」
「えっ? 誰がどう見てもキュア・ラピッドは今宮先生ですよね?」
怪訝そうな顔から一転し、ゆきは手を打った。
「――あっ、そうか! サバキュアは周囲に正体がバレると、大切な記憶を奪われてしまうんですよね!」
「な、なんでそこまで……っ!? 公開してない設定なのに!!」
ゆきはスカートのポケットから四つに折りたたまれたコピー用紙を取り出し、広げて見せた。
「衣装作る時、先生が古館さんに渡した妄想ノートのコピーを頂いたんです。そういえば、最初に奪われるのは〝愛に関する記憶〟って書いてますけど、これはどういう――」
「や、やめてぇぇぇーっ!!!!!?」
敏感な箇所を無造作にいじくられ、祥子は絶叫した。
残響の消えた職員室は、死のような沈黙に包まれてしまったという――
□
「あはははははっ!! ぷわはははははっ!!!」
『笑いごとじゃないわっ!! 学年主任から叱られるし、教頭からも事情聴取されるしで、散々だったのよ!! 舞が余計なこと、吉野さんに吹き込むからでしょうがっ!?』
祥子の怒りを余所に、舞は爆笑し続けた。笑いすぎて椅子から転げ落ちそうになるほどだった。ようやく笑いを収め、舞は涙を拭った。
「いやー、笑った笑った! こんなに笑ったの、久しぶりー」
『よく言うわね、毎日お気楽に生きているくせに!』
「本当だって。六年ぶりくらいかしらね。あの頃は楽しかったなー」
『……ふん』
自称〝若くない〟二人であるが、まだぎりぎり二十代だ。
それでも彼女達にとって、学生時代はもう戻らぬ過去なのだった。
「いわゆるあれよね。昭和は遠くになりにけり、か」
『平成生まれよね、私達っ!?』
「まあ、サバイバルジョークはともかく」
『またそれ!?』
「そんな嫌なわけ、サバキュア? 君、当時ノリノリだったのに」
『埋葬したものを無邪気に掘り返されると、恥ずかしいってだけよ。しかも職員室でよ?』
「そっか、そんなものかしらね」
サバゲに誘ったのも祥子なら、一緒にコスプレしたいと言い出したのも祥子だったのになー、と舞は肩をすくめる。
「結局、どうするの? ゆきちゃんから部活の顧問を頼まれたんでしょ?」
『どうもこうもないわよ……』
長々とした祥子のため息には、諦めが混ざっていた。
「あら、やるんだ? 嫌なら断ればいいのに」
『断れるわけないでしょう!? あんな真面目な子から、あんなに一生懸命頼まれて』
「本当にサバゲが好きよね、あの子達。見てるだけで癒やされるわ」
『あなたはお気楽に愛でてればいいだろうけど、こっちはすっごく大変だったんだからねっ!?』
普通、部活の新設は生徒会からの承認が先なのだが、ことがことだ。
校長とのトップ会談を経て、臨時の職員会議で祥子は熱弁を振った。なんだかんだで、ゆきにほだされてしまったのだ。
当然ながら教員の間には反対意見もあったが、生徒の自主活動を尊ぶ名西の校風もあり、安全管理の徹底を条件にエアソフトガンクラブの創設は許可された。
『人数足りないから、当面は同好会扱いになりそうだけどね』
「それでも画期的でしょ。女子校にエアガン部だよ? 正志君からゆきちゃんを託された時は、こんな展開になるとは思わなかったわー」
『……誰、タダシって』
怪訝な声で聞き返され、舞は気付く。
「そっか、祥子は会ってないわよね。ゆきちゃんのお兄さんよ。オタクのサバゲーマー」
『吉野さん、『仲間だ!』って言い出した途端、饒舌になってたわ』
「オタクあるあるよねー。ゆきちゃんも似たとこあるから。正志君の方は、実はすっごいハイスペックなんだけどね! 妹思いのお兄ちゃんだし」
手放しの褒めように祥子は驚いたようだ。
『待って。もしかして、あなたの彼氏なの?』
「あははは、まさか! 今年の春からやっと大学生の子よ。サバキュアをネットで知って、自分もサバゲを始めたんだって。私とフィールドで始めて会った時、『キュア・ラピッド殿にも是非お目にかかりたかったでござるっ!!』って、言ってたわ」
『ござる?』
「私もまた〝キュア・ハウンド〟をやろうかしら。サバキュアが復活したら、正志君が東京からすっ飛んでくるかも」
『やめてよ……舞は好きにすればいいけど、私はあくまで顧問なんだから』
「はいはい」
『それと、吉野さん達を煽った以上、あなたにも色々協力してもらいますから!』
「ははっ、仰せのままに!」
おどけた返事をしつつ、舞は穏やかに微笑む。
こうして二人のつき合いは復活することになったのだ。
「でも本当に羨ましいわ。今宮先生ぇー、私も名西に通学していい?」
『阿呆なの? 舞が制服着るには、十年遅いでしょ』
「歳のこと持ち出すの、もう止めよーよ。ほらほら、頭にブーメランぶっ刺さってるよ? 同い年なんだから」
『あんたが通学とか言い出すからでしょうがっ!!』
 




