相談
最後のネジを締め付け、作業は一段落した。
舞が壁掛け時計を見ると、アナログの針は午後十時を過ぎていた。ホビーショップ〝ホライゾン〟が閉店してから、たっぷり二時間は経っている。
「残業代も出ないのに……いやいや、まったくもー!」
首をぐるぐるまわし、コリをほぐそうと試みる。そういえば、まだ食事も摂っていない。作業を始めると根を詰めすぎる癖をどうにかしないと早死にするなー、と舞は他人事のように思った。
だいぶ前に買い置きしたカップ麺を、積み上がった箱の山から発掘する。レジカウンター奥にある窓のない狭苦しい小部屋にはモノがあふれているが、どこに何があるか、舞はちゃんと把握しているのだ。カップ麺にお湯を注ぎ、待つ間に工具を片付ける。
三分経つのを待ちかねたように、スマホが着信音を鳴らした。
画面を一瞥し、舞は吹き出した。
「ぷ……っ、あっはははは!! かけてきた、ついにかけてきたよ! こりゃ、カンカンに怒ってるのかなー」
鳴りっぱなしのスマホを作業机に投げ出す。
カップ麺の蓋を開け、割り箸をぱきっと二つにわけ、麺とスープをかき混ぜ、「いただきます!」まで言ってから、ようやく通話ボタンを押し、スピーカーフォンに切り替える。
『――もしもしっ!?』
「ハロー、ハロー、グーテンモルゲーン」
『とっくに夜でしょ、あんた海外移住でもしたわけっ!?』
舞はカップ麺にふーふーと息をふきかけ、「いや、そうなってても」ずっと麺を啜り、「おかひくないよね」また息を吹きかけ、「五年ぶり? んにゃ」また麺を啜り、「六年、かな」
『……何してるの? もしかして食事中?』
「まーね。残業食だよ」
言って、舞は麺を啜った。
『ちょっと、またカップ麺!? ちゃんとした時間にちゃんとしたものを食べなさいよ、もう若くないんだから』
「ええー? お肌の曲がり角は、舞ちゃんの華麗なコーナリングテクニックでとっくにクリアしたよ?」
『それが若くないってことでしょうがっ!!』
「あはは、だねー。お互いにねー」
スープまで飲み干すと、舞はカップ麺の容器を置く。スマホを持ち上げ、スピーカーフォンから通常通話に戻す。
「久しぶりだね、祥子」
『ええ……本当ね。舞』
懐かしい今宮祥子の声に、舞は頬を緩めてしまった。
「明里達から聞いてるよ。先生のお仕事、頑張っているんだって?」
『別に……それこそ仕事だもの。お金をもらっているんだから、きちんとやるだけよ』
「あははっ、その言い草! 君は昔のままだねー」
舞は軽やかに笑った。
学生時代と変わらぬ親密さを込めて。
『……あなたの方は、今何をしているの?』
「お客さんのメカボ修理よ。これがエグい感じにピストンクラッシュしてて、中身ぐっちゃぐちゃだったのよ。ついでにマイクロスイッチ組んで、配線も引き直してくれってオーダーで」
『詳しい作業内容はいいのよ』
とぼけた物言いをしてやると、祥子は苦笑したようだ。
『要するに、あなたはお店を継いだのね』
「まだ親父が頑張ってるから、従業員だけどね。週三で市民体育館のインストラクターもしているよ。ほぼほぼ、ボランティアだけど」
『そう。あなたが会社勤めなんて、続くわけもなかったか』
「あっ、ホットニュースもあるわよ? ムルイがついに新世紀電動ガンで〝MP5A4〟出すって知ってた?」
『知るわけないでしょ』
「新世紀シリーズだから、当然メタル外装にリコイル機能もあるんだけど、目玉は完全新設計の電子制御メカボックスね。キレのいい電子トリガーだし、やっとセミロックから解放されるし、シリーズ初のバースト機能つき。しかも、リポバッテリー対応よ!」
『えっ、急に進化したわね!? よさそうじゃない、いつ――』
途切れてしまった言葉を、舞は繕った。
「――発売は再来週。予約入れとく?」
『止めておくわ』
「公務員様でしょー? 冬のボーナス一括払いにすれば、へーきへーき」
『金欠だって意味じゃないの!』
「あら、祥子もまたサバゲしたくなったから、連絡してきたんでしょ?」
『んなわけないでしょーがっ!! 私は……もう、止めたのよ』
「いやねー、ムキになっちゃって。ちょっとしたサバイバルジョークなのに」
『あんた、それ言えばなんでも許されると思ってるわよね、昔っから!』
「えー? 逆に許されないことなんか、何もしてないけどー?」
ヘラヘラ笑う舞に触発されたのか、スマホの向こうから鋭い舌鋒が飛んできた。
『してるわよっ! 名西女子の生徒、唆したでしょうっ!!』
□
祥子は職員室の自席で、授業の準備を進めていた。
指導書に目を通しながら、近寄ってくる足音を聞くともなしに認識する。
「あの……いいい、今宮先生ぇっ!」
呼びかけに顔を上げると、担当する一年一組の生徒である吉野ゆきが立っていた。見た目そのままの大人しい子だ。自己紹介の折りにはとんでもない爆弾を炸裂させてはいたが、その後は目立たない立ち振る舞いに終始していた。
「あら、吉野さん。どうかしたの?」
「そ、相談があるんです、けど……」
授業の質問かと思ったが、祥子は地理歴史科の教員で日本史を教えている。入学して早々にわからなくなるような教科ではない。何だろうと待っていたが、ゆきはなかなか話し始めない。
「吉野さん? あ……もしかして、ここじゃ話しにくいかしら? 生徒相談室に移動して――」
「い、いいえっ、結構ですぅっ! あの、その……あううう!」
祥子が出した助け船を盛大に転覆させ、ゆきはいよいよ挙動不審となった。
救いを求めるようにさまよう視線を追うと、職員室の扉にあるガラス越しに動くものが見えた。廊下側に生徒が二人おり、何やらブロックサインのようなものを送っている。
サインの意味はわからないが、二人の顔には見覚えがあった。
「桜井さんと川本さん? あの子達、一体何やって」
「あ、あ、あのうっ!! 相談なんですがっ!」
服の袖をゆきにはしっとつままれ、祥子は浮かせた腰を椅子に戻さざるを得なかった。
ゆきは数枚のプリントを祥子に差し出す。
「あひゃら!」
「!?」
謎の擬音を浴びせられ、祥子は混乱した。効果はばつぐんのようだ。
「……あ、新しい部活を、作りたくて、その……」
「あ、ああ。それで申請用紙を書いてきたのね? これはまず生徒会に提出するんだけど……ちょっと見せてもらえる?」
やっと状況が理解でき、祥子はほっとした。
ゆきから申請用紙を受け取り、内容を確認する。几帳面な文字で部を創設する意義や見込まれる活動内容、入部希望者三人の名前が記載されていた。
「ううう……わたし一人で職員室に行くなんて緊張するよ……」
「なら、みんな一緒に校長室へ乗り込もうぜ。ババァーン! ここの看板はもらっていくぜ!! みたいな」
「どこの道場破りなのよ。ぞろぞろ押しかけたら、印象が悪くなるでしょ」
「じゃあ……やっぱり、わたし一人?」
「申請書は私が書いた内容で問題ないはずよ。後はゆきの情熱を先生にぶつけてきて!」
「わたしの情熱……」
「自信持ちなよ。あたし達がサバゲ始めたの、ゆっきーのお陰じゃん!」
「う、うん。わかったよ、頑張ってみるね!」




