さよなら子どもの日
無造作に一つに結ばれた髪、一緒に遊んで汚れてしまった白いシャツとズボン。
朝露で少し泥濘んだ草原を走り回った靴は泥まみれだ。
爽やかな風が汗ばんだ頬が撫でると少し涼やかに感じると同時に、友人のフワフワと揺れる後毛が目に入った。
「結構走ったな。」
友人がこちらを振り向いて美しく整った笑みを向けられると、何だかドクンと脈が跳ねて驚いてしまった。
「…ああ、そうだな。」
それが何故か後ろめたく顔を背けて、空を仰ぐ。
青葉の香りを吸い込んで見た空は清々するほど青く、おろし立てのシャツのような真っ白な雲が浮かんでいる。
「明日も遊ぶか?」
「ああ。次は剣をやろうぜ。」
「いいな、そうしよう。」
二人同じ空を見ながら、変わらない明日の話をする。
このまま二人、同じ風景を見続けるのだと無邪気に思っていた時のことだ。
*
それから数年後、同じような服装で友人は隣で座ってる。
違うと言えば子どものように服を汚さないようになったことと、身長が伸びたくらいだろうか。
しかし、友人は背もあまり高く無いし、袖から出た腕や首は華奢で、天使の様と評された顔はそのままに美少年といった風貌である。
もう少し整えれば、綺麗なのに。
不意に友人の後毛に触る。
「なんだ?虫か?」
色気の無い返答に、ハァっとため息を吐いて首を横に降った。
友人はこの数年で女になった。
全ては友人の母が友人の祖母からの圧力から逃れる為に友人を男として生活させていたのだったが、奇跡的に弟が生まれ、友人は男でなくても良くなってしまったと言うことらしい。
だからと言って、今更普通の女として生きることを友人は拒否して今日に至る。
あの時感じたイケナイような気持ちが正しかったのだと喜ぶ気持ちと友人の女性姿を見てみたい助平心はあるが、友人は急に掌を返されるような周りの所業に辟易していたようだし一時は憔悴もしていた様子だったため、その言葉を飲み込んだ。
走り回り、木製の剣を交わし、時にはしてはいけないと言われるようなイタズラも仕出かす間柄だったと言うのに、道理で下町の娼館に誘っても来ない筈である。
「…大事なことぐらい話せよな…」
ボソリと呟くと、生憎友人はその言葉を拾ってしまったらしい。
「大事なことねぇ…縁談が決まったくらい?」
「はぁ!?お前それこそ真っ先に言えよ!」
あまりに平然と言う友人の言葉に身を乗り出して食いつく。
「つい最近決まったんだよ。この歳では普通のことだろ。」
「そうだけどさ…」
婚期は男女で若干の差がある上に三男坊である自分には無縁な話だった為思いもしなかったのだ。
動かなければ、誰かに奪われるなんて…
「しかもこの姿を許容してくれるらしい。最も男色家との噂もあるがな。私にぴったりだと思わないか?」
「なんでそれを自信持って言うんだよ。逆に心配になるだろうが。」
現実的に頭を抱える状態になってしまった自分はほぼ剣のことやイタズラでしか使ったことの無い頭をフル回転させて考える。
…ずっとこのままじゃいられない。
*
「この前言っていた縁談、無くなった。」
知ってる、と友人の言葉に心中で返事をする。
何故なら、縁談が破談になるように、友人が本当はイイ体を持っていると噂を流した張本人が自分だから。
噂を聞いた途端に破談になるなんて、アレはやっぱり男色家だ。
幸せになれる訳がない。
そんな言葉を飲み込んで、横目で見た友人は残念そうに俯いているのが少し苛立つ。
「なんだよ、そんなにあいつと結婚したかったのか?」
「そりゃあね。私は訳あり品だからな縁談に苦労するんだよ。」
友人の卑下する言葉にまたもや心の中でツッコミを入れる。
訳あり品の訳あるか!
どちらかというと掘り出し物だ。
無造作にしていても分かる顔の作りの美しさに、女だったらよかったのに思ったのは自分だけでは無いはずだ。
ずっと、ずっと、自分だけの。
そのために隠しておいた、とっておきの。
そう、ずっと…友人を見たその時から無意識だけれど今思えば他の男友達を牽制したり、一番の親友のポジションを譲らないように気を張っていたのだ。
「そのまま行き遅れてろよ。最後はもらってやる。」
本当は飾り立てて普通に女を口説くような言葉を言いたい。
けれど今のこの距離感が邪魔をする。
いきなりかしこまった物言いだと嘘っぽくなるようで…
「お前かぁ…まあ、悪くないな。ずっと一緒だったからな。」
そうだよ、ずっと一緒だったよ。
これからもずっと一緒に居たいんだよ。
ふざけるなよと一蹴されると思っていたのに予想外の一言でこんなにも嬉しくなるのを友人は知らないだろうが、惚れた弱みで振り回されっぱなしなんだ。
「あ、贅沢を言うならば仕事をもう少し頑張ってほしいのと…」
嬉しがる自分に容赦なく現実を突きつけられる。
本当に色気がないな!
けれど、間違ってはいない。
結婚にあたってそれが一番のネックとなるだろう。
ぺーぺーの新米兵士卒業できるように頑張るしかない。
「娼館通いで病気は移さないでくれるなら…」
「ばっ…」
畳み込むように友人の言葉が刃となって自分の痛いところ、全部に突き刺さる。
男だと思っていた時に娼館遊びに誘ったり、ナンパに誘おうとした時のことは忘れてくれ!
現にお前が女だと分かってから誰一人とも遊んでない!
それこそ自分に湧いて出た男色家疑惑を吹っ切りたかったんだよ!
言いたかった言葉は出てこずに、口を開けたまま友人を見つめる。
「でも、そうだな。お前とが一番しっくりくるな。」
またもや友人に翻弄され、心臓は大忙しだ。
「…ああ、自分もそう思う。」
辛うじて出た言葉を紡ぐ。
今はこれが精一杯で、友人を迎えに行けるようになったらもう少し可愛げのある言葉を送ろう。
まだ幼さが残る横顔で青々とした気持ちのいい空を眺める友人を真似て、空を仰ぐ。
幼い日々に見た空とはなんら変わりのない光景だが、見た目がかわっても、関係がかわっても、これからも友人の隣は自分で、誰かに譲るつもりはない。