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格ゲーって最高のコミュニケーションツールなんだ

作者: ぼるしち

人と人がコミュニケーションをとることができなくなってしまってから、随分長い年月が経過してしまった。

会話すらもできない。握手だってできやしない。

そんな時代のせいで、人間社会は荒廃していったのかというと、そんなことはない。

なぜなら、唯一のコミュニケーション方法というものが存在したからだ。

格ゲー。

そう、それが人間たちの唯一のコミュニケーション法。

格闘ゲームである。

格闘ゲームとは心と心のぶつかり合いであると偉い人が言ったことで、そういうものなのだと誰もが理解したのは遥か昔のことだ。

現代では、格ゲーの中で拳と拳をぶつけあってようやく理解できる。

超常現象というやつだ。

格ゲーをやると、いろいろな心の声が聞こえてきて、それによってコミュニケーションが図れるという、あまりにも陳腐な話だったが、それが現実だった。

私も格ゲーをよくやっている。初めは操作が難しかったが、慣れれば慣れるほどたくさんの大きな声が聞こえてくるようになった。だから私は毎日格ゲーを練習して、上級者のプレイヤーともコミュニケーションを図れるようになってきた。最近のことだ。

昔は初心者だった頃は、イエスかノーくらいのコミュニケーションしか取れなかったが、それが面白かったというか、今までどうやっても他人と交流できなかった反動から、とても最高の気分を味あわせてもらった。

その初心者の感動から、一ヶ月くらい毎日練習して、ようやく中級者と呼ばれるレベルまではたどり着いて、そっからコミュニケーションの幅が増えた。

好きなものや嫌いなものなど、簡単な自己紹介のような感覚までは拾えるようになってきたのだ。

立ち回りを研究し、差し込みに勝てるようになり、技を置き、判定の強い技を上手に扱い、そんなこんなで中級者を撃破できた。その時の相手の悲しみとか怒りが、鮮明に浮かんできて怖かったりもするが、私はその感覚にも酔った。上級者になったらこれよりも楽しいのかとわくわくしたものだ。

そしてそっから一年。

毎日の研究の成果だ。プロプレイヤーと呼ばれる人を幸運にも撃破できたのだ。

その時の感情の波というものは、言葉では言い表せないものだった。

最高の気分に浸りながら、私はまたこの感覚を味わおうと思った。

だがそう簡単にはいかなかった。問題が発生した。

私がやっていたゲームの新作が出たのだが、それがなぜか今までの操作方法や勝ち方など全てを一新して新しいものへと変わってしまったのだ。それは続編というよりは、完全な新作だった。

非常に大胆なその新作ゲームを私もプレイした。だが、勝てない。

勝てない。

勝てない。

勝とうと思ってがんばってふんばってコントローラーを押し、しかし、上手く技が決まらなくて、困って、考えて、うまいプレイヤーの動画を見て、研究し、再度挑戦し、負けて、負けてしまって、全然初心者相手にも勝つことができない。

私とは圧倒的に相性が悪いゲームなのだとこの時理解した。

それのせいで恐ろしいことに人とのコミュニケーション法が限られるようになってしまった。

イエス、ノー、くらいしかわからないのだ。

非常に困った。誰ともつながっていないということがこんなにも辛いことなのだと思い出した。

これは格ゲーによるコミュニケーションが発生する前の状態だ。

全人類の孤独。

そんなものが蔓延していた世界も、格ゲーのおかげで春がやってきたはずだった。

だが、このふざけた新作ゲームのせいで私のはまっていたゲームの人口は驚くほどに減ってしまったせいでコミュニケーションが取れなくなってしまった。

なんという不幸か。

こうなってしまってはもう仕方がない。

私自身が格ゲーを作ってしまえばいいのではないか。

そう思い立って、ゲーム会社を訪ねてみたが、どうコミュニケーションを取ればいいのかと考えて、その昔の格ゲーでコミュニケーションを取ろうと試みた。

その策はうまくいった。

多くの人間とゲームを協力して作るということができる準備が整ったのだ。

ゲーム作りのスキルを持っていなくても、格ゲーがうまいというだけでコミュニケーションがより深く行われるから、よりよいゲーム作りができる。

そういうわけでゲーム作りのノウハウを知っていなくても、格ゲーができるというだけでゲーム作りに参加させてもらえた。

これは良いことだった。

そして十年後。

格ゲーは完成した。その名はニルス・オーラヴ。

私はこのゲームが完成したことに歓喜し、みんなと格ゲーをして喜びを分かちあった。

ニルス・オーラヴは結構売れた。

格ゲーはそれこそコミュニケーションツールとして必須なため、多くの人間に活用された。

私はそのゲームを毎日プレイして、みんなとコミュニケーションをとり続けている。

十年間もがんばって、よかったあ。

そう思う。

そう思っていた矢先、バグが見つかって、それがひどいウイルスなのだと判明した。

そのバグはウイルスによるもので、ウイルスは潜伏するタイプのものなので、今まで気がつかなかった。

誰も気がつかなかったそのウイルスは、なんと人のコミュニケーションが取れなくなってしまっていた状態を治すワクチンへと転じることが可能なのだと研究者たちから発表された。格ゲー越しに。

そういうわけで、ウイルスはワクチンになって、人間のコミュニケーションが取れなくなる病はなくなって、人間たちはまた言葉や仕草で感情を表すようになり、コミュニケーションをとるようになった。

当たり前の世界が帰って来たのだ。

そのウイルスを誰が考えたのか、ワクチンを誰が考えたのか、それはわからないが余計なことをしてくれたものだ。

ニルス・オーラヴの続編はもはや売れなかった。

コミュニケーションツールとして役に立っていたそのゲームは、あまりゲーム性自体はよくなかったらしい。ゲームバランスも実は悪かった。

そういうわけで、私のこれまでの努力もパーになったような気分だ。

ひたすらコミュニケーションをとることに中毒になっていたから、こんなゲームを十年もかけて作ってしまったのだろう。

ようこそ世界。

さようなら世界。

私たちは、コミュニケーションを格ゲーですることはなくなった。

だけどそれでも、私はニルス・オーラヴをプレイしている。

クソゲーだろうが、もはや役にたたないと罵られようが、ここには私の十年間がある。

だからだろう、やめられないのだ。

このクソゲーから抜け出す方法を誰か教えて欲しい。

涙を流しながら、私は隣で対戦している友人にこう告げる。

「格ゲーって、最高!」

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― 新着の感想 ―
[良い点] わかるようなわからないようなでもわかるようなという短編でした。 語り手には焦燥があるんでしょうが、終始冷静ようにも見えて面白かったです。 叙述がずっと続いて息つく暇もありませんでしたが、そ…
[良い点] 落ちついた一人の語り手による、 格ゲー紹介が続く、 一風変わった小説でした。 [気になる点] コミュニケーションが具体的に、 どんな感じなのかが、分からなかったので、 想像に頼るしかない状…
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