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海、一つ

作者: 泡沫影法師

潮風、一つ。本日は快晴、波穏やか。空高く飛ぶカモメの鳴き声、空の色した水面を駆ける。暑い、夏の日であった。


女性が、一人。照りつける太陽の光を、気怠そうに見つめながら、海の音がする防波堤の上に座っていた。麦わら帽子に白いワンピース、細い身体の、綺麗な女性だった。

彼女は、海が好きだった。立ち上がり、透き通るような青を覗き込む。海の青に浸かって沈みたいと彼女は思っていた。もしそれが叶うのならば、地上に戻れなくても構わないとすら考えていた。地上の喧騒は、彼女の最も嫌いなものだ。

このまま水面に沈んでしまおうか。考えれば考えるほど、自らに地上への未練が無い事を彼女は悟った。

ため息、一つ。口から漏らして、彼女は帰路についた。誰も待っていない自らの家に帰ろうと、力無く足を動かす。彼女は歩く。もしかして、に賭けて未練を探す。

しかし本日も世は平穏無事。全くもって何事もなく、女性は家に着いた。電気を点け、ただいま、と言ってはみるが、返事など返ってこない。


女性はぽつんと、家に一人。居間に笑顔の両親の遺影と、ベランダに小さな小さな墓が二つ。それ以外は必要最低限の物しかない、質素な家。それが彼女の住まいだった。女性は椅子に腰掛け、天井を見る。目を閉じると、優しい記憶が浮かぶ。彼女は、海が好きだった。両親二人と手を繋ぎ、砂浜からたゆたう海を見た。


少女を呼ぶ声、二つ。陽光きらめく水面に惹かれ、走り出した少女を追いかける両親の声。砂浜と波の音、両親の声が響きわたる空間がある限り、女性は幸福だった。

猫への食器、二つ。家の外では大人しい少女が、海岸に捨てられていた二匹の子猫を拾ってきた。あの子が、と驚いた後、両親は飼おうと決めた。茶と白の猫と、グレーの猫。どちらもよく彼女に懐いていた、利口な猫だった。猫の甘い鳴き声が家で聞こえれば、女性は苦い思い出を忘れられた。


今や少女は、一人。昔を懐かしみ、過去に想いを馳せる。真上に位置していた太陽は、いつの間にか海へと沈みかけている。夜の静かな海の事を思い出し、女性は僅かな食事を取ると、再び家を出て、海へ向かって歩き始めた。


防波堤には、男が一人。竹の釣竿を持ちながら、大きな大きなあくびをしていた。海面に垂らした釣糸を忙しなく動かす様が、女性にはたまに見る他の釣り人と、少し違って見えた。男の側には、何も無かった。釣った魚を入れるクーラーボックスだかバケツだかも、何も。

女性は一つ、男に問いかけた。何をしているの、と。釣りかなあ、と自信無さげに答えた男を、彼女は麦わら帽子を持ち上げ、見つめた。

魚が可哀想じゃないのかしら、と女性はも一つ問いかけた。そうかなあ、と男は首を傾げた後、まあ俺のは許して欲しいね、と釣竿を振り上げはにかんだ。釣糸の先には、針も餌も無かった。

女性は目を丸くし、それで釣れるの、と聞いた。釣れなくてもいいよ、単なる暇潰しだから、と男は答えた。海を見るのが好きなんだ。そう続けた男に、女性も僅かに口角を上げた。

何故好きなの。またまた彼女が問いかけた。分からん!そう答えた男の声は快活だった。それじゃあ、とまた女性が尋ねる。いつから好きなの。そんな問いをした。男はまた、分からん!と笑って言った。覚えてないほど小さな頃さ、とも言った。

私も釣りがしてみたい、と女性は言った。あなたみたいな釣竿で、と付け加えて。予備はボロいぞ、と男が笑うと、ボロくなくても釣れないんでしょ、と女性も笑った。


夜の防波堤に、男女が二人。月の光が揺れる水面に、釣糸を垂らして座っていた。海が好きでいられるのは、と女性は麦わら帽子を深くかぶり、考えた。海が好きでいられるのは、地上があるからなのかな。

街の光を背に受けて、彼女は月を見た。海を見た。男を見て、今度は家のある方角を見た。僅かに微笑み、獲物などかかりそうも無い釣竿を揺らす。


男女が、二人。涼しい夏の夜、黒の水面に、高低の鼻歌が駆ける。本日は快晴、波穏やか。優しい潮風、多数。

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