胸騒ぎ
エウリとオルフェの結婚式当日。
教会の花嫁の控室で、エウリは養父母と向き合っていた。
レースと刺繍、そして真珠を縫い付けられた真新しい純白のウェディングドレス姿のエウリは、まさに女神のように美しかった。
「とても綺麗だ」
ウェディングドレス姿のエウリを見て心から称賛してくれたのは、養父であるラケダイモン・グレーヴス男爵だった。
今年三十七になる養父は栗色の髪と榛色の瞳の美形だ。義弟は実の父親である養父にそっくりだ。それでもまだ年齢や経験、性格などによる表情の違いで、敬愛する養父に大嫌いな義弟の面影を見ずにすんでいる。
「……本当に」
養母であるスパルテも感極まったように涙ぐんだ。
今年三十五になる養母は中背で華奢で母に似た儚げでたおやかな印象の美女だ。母に似た養母に幼いエウリは懐いたのだが、今は勿論、養母自身を「もう一人の母」として慕っている。
「ありがとうございます。お養父様、お養母様」
もう二度と着る事はないだろうと思っていたウェディングドレス。
そして、これが最後だ――。
「……アリスタ様の時は、私の我儘で別れる事になってしまって、いろんな方にご迷惑をおかけしました。でも、今度は、オルフェ様やご家族の皆様が私を要らないというまでお傍にいます。そして、私のできる事は何でもしたいと思います」
エウリの出自を知っても家族として受け入れてくれた人達だから――。
「……アリスタの時は、私が悪かったんだ。親友の息子というだけでなく……亡くなった『エウリ』が彼を好きだったから、新たなエウリとなったお前に、あの子の願いを叶えてほしいと思ってしまった。私の我儘に付き合わせてしまった結果だ。お前だけでなくアリスタにも悪かったと思っている」
真摯な顔で切々と語る養父にエウリは首を振った。
「……いいえ。あれは、私が悪いのです」
知っている。亡くなった「エウリュディケ」は幼馴染だったアリスタが大好きで「将来アリスタのお嫁さんになりたい!」とよく言っていたそうだ。名前を受け継いだ養女に亡くなった娘の願いを叶えてほしいと養父母が思ったとしても責められはしない。
「今度は大丈夫ね。宰相様は……あなたのお母様の事を抜きしても、あなたを大切にしてくださると思う。それに、ご家族も、とてもいい方達だわ。あなたは、幸せになれるわ」
湿っぽくなってしまった雰囲気をやわらげるように養母が言った。
ミュケーナイ侯爵家の中庭での顔合わせの時は、養父は仕事で忙しく養母は風邪で寝込んでしまったため結局エウリ一人だけでミュケーナイ侯爵家の人々と向き合う事になってしまった。あれから双方で何とか時間を作り何度か会ったのだ。
結果、互いに好意を抱いたようで、養父母もエウリがミュケーナイ侯爵家に嫁ぐ事を心から祝福してくれるようになった。
「ええ。きっと私は幸せになれます」
エウリは微笑んだ。
相愛の夫婦である養父母には到底受け入れられない結婚条件だっただろう。それでもオルフェとエウリが納得しているのならと最後は認めてくれたのだ。
「……こんな時に言う事ではないのだが、知っておいたほうがいいだろう」
養父が突然、こんな事を言いだした。彼としても口にしたくないのだろう。何とも苦々しい顔だった。
「何でしょう?」
エウリは首を傾げた。
「……アミュの事だ」
アミュは義弟アミュクラスの愛称だ。
大嫌いな義弟の事を持ち出されて、エウリは何とも言えない顔になった。
二年前は、まだ養父母の前では何とか義弟に対する嫌悪を隠していた。けれど、自分の全てを打ち明けた後は、はっきりと義弟に対する嫌悪も口にしたのだ。……エウリが言う前に、義弟と違って人の心の機微に聡い養父母は気づいていたようだが。
「……あの子が何か?」
義弟は演奏旅行から帰って来ているのだが、エウリを慮った養父母は、この結婚式に連れてこなかった。
「あの子の君に対する恋情は、もうないから安心してほしい」
血の繋がらない美しい姉に息子が恋心を抱いていた事を養父母は気づいていた。
「……それは、嬉しいですけれど」
エウリは何となく嫌な予感がした。
息子の養女に対する恋心が消えたのなら養父母は素直に嬉しがるはずだ。養父母にとってエウリは血の繋がりに関係なく娘だと思ってくれている。息子が娘に恋心を抱くなど血の繋がりがなくても養父母には許容できる事ではなかったのだ。
だのに、何だか養父母の顔は苦々しげだった。
「……今度もまた厄介な女性に恋心を抱いたんだ」
「……ラケダイ様、その言い方は」
ラケダイは養父ラケダイモンの愛称だ。
エウリもまた「厄介な女性」だと養父が言っているも同然だから、養母はエウリを気にしてくれているらしい。
「……すまない。エウリ」
男尊女卑の帝国では珍しく養父もオルフェと同じで、自分が悪いと思ったのなら相手が養女でも謝れる人なのだ。
「いえ。仰る通り、私は厄介な女ですから。それで、あの子は、どんな女性に恋心を抱いたのですか?」
わざわざエウリに知らせるという事は、エウリの身近にいる女性という事だろう。
「……レディ・デイアネイラ・ミュケーナイだ」
「は?」
エウリは思わず間抜けな声を上げてしまった。それくらい養父が口にした名前が衝撃だったのだ。
「あの馬鹿! 何考えているのよ!」
エウリは養父母の前にも係わらず義弟を、二人の実の息子を思わず罵倒してしまった。
自分への恋心がなくなったのは勿論嬉しい。けれど、これは素直に喜べない。なぜなら、彼女は――。
「……ミュケーナイ侯爵令嬢で、数ヶ月後には皇太子妃になる方なのよ。高嶺の花じゃない。何考えているのよ」
きちんと整えられていなければ頭を押さえたい所だ。
「……レディ・デイアネイラのはとこ、ポリュボイア・マグニシアがアミュと共演する機会が多かっただろう。それで、アミュはレディと知り合って恋心を抱くようになったらしい」
エウリは義弟が出演している限り他に共演者がいたとしても絶対に演奏会に行かない。
けれど、デイアは仲の良いはとこが出演しているのなら他に共演者がいたとしても構わず演奏会に足を運んだのだ。それ自体は勿論構わないのだけれど、そのせいでアミュに恋心を抱かれたのなら何とも厄介だ。
確かに、デイアは可愛らしいだけでなく聡明で優しい少女だ。誰だって好意を抱く。異性ならば恋に堕ちたとしてもおかしくはないのだが――。
「……アミュが結婚式に絶対に参列すると言って聞かないから訳を尋ねたんだ。そしたら――」
「……デイア様への恋心を打ち明けたのですね」
苦々しく説明する養父は、もうこれ以上話したくないという様子だったので、エウリが代わりに彼が言おうとした事を口にした。
義弟は義姉の結婚を祝福したくて参列したいのではない。デイアに会いたいから義姉の結婚式に参列したいのだ。
当然そんな事は認められない養父母は、義弟を部屋に閉じ込めた上、見張りも置いて、ここに来たのだ。
「……こんな時に、すまない」
「……いえ、お養父様。知らせてくださって、ありがとうございます」
デイアはこれからエウリの義理の娘になるのだ。その彼女に息子が、エウリの義弟が恋心を抱いているとなると……養父としては教えておいたほうがいいと考えるのは当然だ。
デイアはミュケーナイ侯爵令嬢で将来の皇太子妃だ。義弟が彼女に何かできるとは思わないが、なぜだろう、エウリは嫌な胸騒ぎがしてしかたなかった。




