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彼には野心があった

 その人がやってきたのはエウリとオルフェの結婚式前日だった。


 公国宰相イスメニオス・ヘヴェリウス。


 ティオの双子の兄でリノスとイオレの父親。


 そして……エウリの異母兄で伯父でもある人。


 リノスが言っていた通り、被っている前髪の長い黒い鬘で顔の造作は、ほとんど分からない。


 けれど、垣間見える耳や顎や唇は、やはり、リノスに……「あの男」に、そっくりだ。そして、その逞しい長身も。


「遅くなって、すまない」


 その艶やかな低音の美声まで、リノスや「あの男」と同じだった。


 ただ友人(オルフェ)の結婚式に参列するという私用で帝国を訪れたとしても、彼は公国宰相だ。礼儀として皇帝に挨拶しなければならない。結局、エウリがいるティーリュンス公爵邸にオルフェと共に来たのは夕食も終わった時間だった。


「いえ、お忙しいのに、わざわざ来てくださって、ありがとうございます」


 エウリは居間で向き合ったイスメニオスにそう言った。オルフェと共に対面のソファに座った彼は傍らに二胡ケースを置いている。彼は、それを抱えてやって来たのだ。


 エウリの隣にはアンが、一人掛けのソファにはパーシーが座っている。


 ミュケーナイ侯爵家はエウリとオルフェの結婚式に参列するために親戚が集まっているので、こちらにしたのだ。……エウリの出自の話が出る可能性が高いので。


「不愉快だろうが、まず、俺の素顔を見てほしい」


 イスメニオスの一人称は「俺」か。「あの男」は「私」だった。


 そんなどうでもいい事を考えながらエウリは身構えた。イスメニオスの素顔を見ても動揺しないように。


 イスメニオスは鬘を摑むとおもむろに外した。黒い鬘の下から、さらりと短い銀髪が流れ落ちる。それを長い指でかき上げると露になった紫眼でエウリを真っ直ぐに見つめてきた。


 リノスの言葉で覚悟はしていたので、エウリは表面上は動揺せずに済んだ。けれど、内心は動揺しまくりだった。


 顔はリノスだって同じだった。それでも、四十五で死んだ「あの男」よりもずっと若い上、髪と瞳の色、表情の違いなどで「あの男」の面影を見ずに済んだ。


 髪と瞳の色が同じで、リノスよりも「あの男」に年齢が近いだけで、これだけ印象が重なるものだろうか?


 年齢を重ねても全く美しさが衰える事がなかった「あの男」。いや、年齢を重ねただけ積み重ねた経験によって磨かれ美しさが増したようにさえ見えた。


 目の前のイスメニオスも同じだ。無能な大公に代わり公国を支える《公国史上最高の宰相》とまで讃えられている人。美丈夫な外見だけでなく人を無意識に従わせるようなカリスマ性まで「あの男」と同じだった。


(……落ち着くのよ。この方は「あの男」じゃない。「あの男」は、もうこの世のどこにもいない)


 内心でそう言い聞かせているエウリに、イスメニオスが言った。


「改めて自己紹介する。イスメニオス・ヘヴェリウスだ。イスメで構わない」


「……エウリュディケ・グレーヴスです。エウリとお呼びください」


「アンドロメダ・ティーリュンスです。ティーリュンス公爵の義妹(いもうと)です。アンとお呼びください」


 エウリだけでなくイスメと初対面のアンも自己紹介した。


 イスメとパーシーは外交などで何回も会っているので当然互いの事を知っている。


「皇帝陛下にお会いする前に家族と会ってきたんだが……ティオが君に謝ったそうだな」


 イスメは何とも言えない微妙な顔になった。


「……はい。でも、あの方がそんな事をする必要などないのです」


 エウリの言葉にイスメは頷いた。


「そうだ。あの子がそんな事をする必要はなかった。『あの男』の葬儀の日にオルフェと出会うまで、ティオは君と君の母上の事を知らなかったのだから。……いや、知っていたとしても、あの子には何もできなかっただろう」


 オルフェと出会いさえしなければ、イスメは生涯、双子の妹(ティオ)にエウリと母の事を隠しておくつもりだったのだろう。知ればティオは確実に苦しむのだから。


「……君と君の母上に謝らなければならないのは、俺だ。……いや、謝罪したところで到底許されやしない。君が生まれた時には、俺はもう公国宰相で、君の存在も……ミュラ姫が何をされていたのかも知っていたのだから」


「あの男」に酷似したイスメの顔は苦渋に満ちたものだった。「あの男」なら絶対に浮かべないものだ。


 リノスがそうであるように、イスメもまた「あの男」とは違うのだと、ようやくエウリは確信できた。同じ血を持っていようと同じ顔だろうと、違う人格を持つ違う人間なのだ。


「……だからって、あなたの事も私は責めたりしません。お母様だって、そう言います」


「あの男」は大公だったのだ。いくらイスメが宰相だったとしても、どうにもできなかっただろう。


「……ミュラ姫や君を救うのは、俺が『あの男』以上の権力を、宰相として完全に公国を掌握した時だと決めていた。……俺がいくらそう決めたところで、地獄の最中(さなか)にいるミュラ姫には、何の救いにもならないがな。


 俺が公国を掌握できたのは、皮肉にもミュラ姫が『あの男』を殺してくれたからだ。『あの男』の、大公の死で混乱する大公宮を俺が鎮めたからだ」


「あの男」の死がエウリ(アネモネ)の本当の人生の始まりであったように、イスメにとっても公国の真の統治者としての始まりだったのだ。


「……君にとっては、自分の存在を隠し、母親が地獄を味わった忌まわしい国だろうが、俺にとっては、俺と家族、友人、大切な人達が暮らす国だ。統治者が馬鹿で一番被害を被るのは国民だ。


『あの男』が大公でいるうちはいい。……人として許されない罪を犯していようと、史上最高の大公だ。だが、後を継ぐオクシュポロスは、父親の才覚を何一つ受け継がなかった愚か者だ。


 俺に『あの男』の才覚が受け継がれたかは分からないけれど、オクシュポロスが大公でいるよりは、俺が成り代わるほうがだいぶましだと思った。だから、大公に成り代われるくらいの権力(ちから)を求めた。そのためなら何だってできた」


 なぜ、イスメは命の危険や禁忌をおかしてまで公国の中枢に入り込んだのか、エウリは、ずっと不思議だった。それだけの野心が彼にはあるのかと。


 確かに、彼には彼なりの野心があって公国宰相になったのだ。


 祖国で暮らす人々が平穏に暮らせるようにという野心が――。






 











 





あと四話で完結です。

四月二十九日まで毎日〇時に予約投稿しました。

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