「愛人にしてください!」3
「私も基本的に母上と同じ考えだが、メガラだけでなくイオレも妻となってハークを支えてほしいというのが本音だ」
オルフェの言葉にイオレは困った顔になった。
「メガラ様だけで充分でしょう。メガラ様は少し……いえ、かなり個性的ですが、生まれながらの貴族で美しく賢いお方。それに、恋愛感情でなくてもハーク様とメガラ様は互いに好意を持っている。公私共に素晴らしい夫婦になれると思います」
「確かにな。だが、ハークを愛する素晴らしい女性がもう一人妻となれば、あの子の人生がより良いものになると思うんだ」
そこまで言うと、オルフェは、ほろ苦く微笑んだ。
「……そうなったとしても、あの子にした仕打ちが帳消しになる訳じゃないのだがな。私は、あの子が何よりも望む者を奪ったのだから」
「私が望んだ事です。あなたのせいではありません」
オルフェが、なぜそんな事を言うのかエウリは理解した。
オルフェは息子の想い人を妻にする事を息子に対して申し訳なく思っているのだ。たとえ、本当の意味で夫婦にならなくても国家が認めた夫婦だ。社交の場に出れば、愛する女の夫は、よりによって自分の父親であり、愛する女は義理とはいえ自分の母親だと常に突きつけられるのだから。
「私はどうしたってハーク様を受け入れられない。結婚したとしてもアリスタ様の時と同じになります。あんな事は、もう二度としたくありません」
そうだ。自分を愛してくれる夫を傷つける真似は、もう二度と絶対にしたくない。
「だから、私は、あなたを選んだ。決して、あなたのせいではありません」
エウリが言い終えると、イオレがぽつりと呟いた。
「……ハーク様の愛する女性って、あなたなんですね。エウリ様」
(……しまった。余計な事を言ってしまったわ)
オルフェがあまりにもつらそうで言わずにいられなかったのだ。それでもイオレの前で言うべきではなかった。エウリの出自を知っても彼女はごく普通に接してくれていたのに。
(……でも、ずっと隠せる事でもないわね)
エウリは自分のハークに対する気持ちを正直に話す事にした。
「……ハーク様を人として好きですが、恋愛感情はありません」
エウリの気持ちがどうであれ、ハークがエウリに恋愛感情を持っているのだ。イオレがエウリに嫉妬を向けても仕方ないだろう。
覚悟を決めたエウリだが――。
「私があなたに嫉妬して憎んだり意地悪する事はないですよ」
意外な事にイオレのエウリに向ける眼差しは穏やかなものだった。
「誰かを愛したり憎む気持ちは、どうにもできないでしょう? むしろ、ハーク様が愛する女性があなたでよかった。こう言ってはなんですが、つまらない女性なら、そんな女性を愛した男を愛したのかと自分に絶望しますもの」
「……私は、つまらない……いえ、ひどい女ですよ。求婚してきたハーク様から逃れるために、私の高飛車な結婚条件を受け入れてくれた彼の父親との結婚を決めたのですから」
エウリはイオレに「ハーク様が愛する女性があなたでよかった」と言ってもらえる女ではないのだ。
「私も人の事は言えないですよ。初対面で『愛人にしてください』と言う女ですもの」
イオレは苦笑した。
確かに、イオレは、たおやかでしとやかな外見からは想像できない言動を散々していた。
「信じてはいただけないかもしれませんが、自分から恋愛感情を告白したのは初めてなんです」
「愛人にしてください」という科白のインパクトが強すぎたが、イオレは最初に「あなたに惚れました」とも言っていた。恋愛感情の告白といえば告白だ。
「公国は恋愛大国、この見かけもあって男性からよく言い寄られます。余程好みに合わない男性でない限り、まず付き合ってみるのですが」
「余程好みに合わない男性でない限り、まず付き合ってみる」のは、イオレが恋愛大国で生まれ育ったからなのだろう。男性に嫌悪と恐怖を抱くエウリには絶対にできない真似だ。
「最短で一週間、長くて一か月で飽きてくるんです。こんな私だから愛人で充分なんです」
「それは、今までお付き合いした男性への気持ちが恋愛感情ではなかったからではないですか?」
今まで黙っていたアンが言った。彼女自身意識せず口から飛び出た科白だったようで、言った後で「しまった!」という顔になった。
「……申し訳ありません。出過ぎた事を」
「いえ。訊かせてください。なぜ、あなたは私の付き合った男性達への気持ちが恋愛感情ではないとお思いになったんですか?」
イオレはアンの発言が気になったようだ。
「本当の恋なら一か月経っても十年経っても飽きる事はありませんから」
出会ってから約十五年、一人の男性を想い続けているアンの言葉には重みがあった。
「……そうだな」
オルフェは長い睫毛を伏せた。強い意志に輝く瞳が隠れると性を感じさせない美貌と相まって、ずいぶんと儚げに見える。それはそれで美しいのでエウリは思わず見惚れてしまった。
「私のハーク様への想いが本当の恋だとしても私は愛人で充分です。ハーク様の子供を産めれば、それで満足できます。だって、帝国宰相の妻なんて面倒だわ」
「……イオレ、その言い方は、カリオペ様とエウリ様に失礼だろう」
ティオは姪をたしなめた。義母は帝国の前宰相の妻であり、エウリは、もうすぐ現在の帝国宰相の妻になる。「帝国宰相の妻など面倒」などと言えば、エウリや義母が不愉快になるのではと案じているのだろう。
叔母の言葉で、それに気づいたようでイオレは素直に謝った。
「……申し訳ありません。考えなしに言ってしまいました」
「別にいいわよ。あなたが悪気なく言っているのは分かるし、それに、あなたの言う通り、宰相の妻など面倒だわ」
義母は遠い目になった。夫がまだ存命で自分が宰相の妻だった当時の苦労を思い出しているのだろう。
「私も気にしてませんので、どうかお気になさらず」
エウリは言葉通り別段気にしていない。最初の結婚条件に『侯爵夫人としての責務の大半を放棄する』などと言い放ったのは、イオレ同様、「宰相の妻など面倒」だと思ったからでもあるのだ。
義母とエウリの言葉にイオレは、ほっとした顔になった。
「イオレ様は、どうやら愛する人の子供を産み育てられれば満足する方のようだな。だから、君に嫉妬しないんだ」
帰りの馬車の中でアンが言った。
愛する人の子供さえ産み育てられれば満足できるから彼に愛されるエウリに嫉妬しない。
アンは、そう言いたいらしい。
エウリには一生理解できない感情だ。エウリにとって男性は嫌悪と恐怖の対象であり子供は嫌いだ。
「……イオレ様が羨ましい」
「……アン」
エウリは何と言っていいのか分からなかった。
どれだけ愛する人の子供を望もうとアンには授からない。パーシーは男色家で、彼にとってアンは「妹」でしかない。絶対に恋愛対象になれないからだ。
「……私は傍にいられるだけでいいんだ。あの方の役に立てれば。それ以上は何も望まない」
アンの言葉は自分に言い聞かせているようだった。それ以上を自分に望まないように。




