ペイア・ラーキの正体
「あなたが、そう思ってくれて、よかったわ」
言った義母だけでなく、この場にいるミュケーナイ侯爵家の人々は、どこかほっとした表情を見せていた。
自己否定するようなエウリの発言に彼らも危惧を抱いていたようだ。
けれど、そんな危惧は無用だ。
どれだけ自らを否定し死を願う心持ちになっても、エウリはそれだけは絶対にしない。
そう思う度に母の最期の言葉を思い出すからだ。
――どんなつらい目に遭っても、あなたは自由に生きて。
我が子のために地獄のような三年を耐え、その手を汚す事さえ厭わなかった人。
あの人の事を思えば、自ら命を絶つなど許されるはずがない。
「そうだ。エウリとデイアに渡す物があるの」
エウリがあれこれ考えていると、義母が弾んだ声で背中に隠していたらしい本を二冊取り出した。
思わず反射的に受け取ったエウリとデイアは本のタイトルを見て驚いた。昨日の騒動で結局買えなかったペイア・ラーキの新作だった。
「ありがとう! お祖母様」
本を抱きしめ素直に喜色を露にするデイアはたいそう可愛らしかった。
そんな彼女を見て、ほっこりとした気持ちになりながらエウリもお礼を言った。
「ありがとうございます」
(デイア様から本を買いそびれた事を聞いて、わざわざ買ってきてくださったのかしら?)
そう思いながらエウリはバッグから財布を取り出した。
「お支払いしますわ」
「買ったのではないから、お代は結構よ」
「では、クレイオ様から貰ったのですか?」
ペイア・ラーキの本は全てプロイトス出版から出されている。義母のすぐ下の妹クレイオは、プロイトス出版の副社長ピエロス・マグニシアの妻でありBL部門の編集長だ。エウリもBL作家アネモネ・アドニスとしてお世話になっている。
姉である義母に頼まれてクレイオは本を贈ったのだろう。そう納得しかけたエウリに義母が驚くべき発言をした。
「確かに、あの子からだけど、著者見本で貰ったうちの二冊よ」
エウリは最初、義母の言葉を理解できなかった。
そんなエウリをどう思ったのか、義母はさらなる追いうちをかけてくれた。
「あなただって作家なんだから、著者見本は本が出版される度に貰うでしょう?」
「お、お祖母様?」
「エウリが作家?」
デイアの視線は兄とエウリを行ったり来たりしている。エウリがBL作家アネモネ・アドニスだという事を隠しているから気にしてくれているのだろう。
そんなデイアの隣で、ハークが怪訝そうな顔をしている。
ハークに対して何かしらごまかさなければいけないのだが、義母の言葉が衝撃すぎてエウリは、ただ呆然とするばかりだ。
「……ペイア・ラーキの本をお義母様が著者見本として貰ったって事は……」
「そう。私がペイア・ラーキよ」
義母は、あっさりと認めた。
「……本当に?」
義母がそんな嘘を吐く人でない事は短い付き合いながら理解していても、やはりすぐには信じられないエウリだった。
義母の家族、ミュケーナイ侯爵家の人々に動揺している様子は見られないから、生まれた時から彼女と付き合っている彼らは当然ながら知っているのだ。
「信じられない? 私の旧姓はカリオペイア・トラーキアよ」
(だからペンネームが「ペイア・ラーキ」か。失礼だけど何のひねりもないわね)
「……どうして、私を作家だと?」
エウリには、もうごまかす気力がなかった。
「何回か私に、いえ、ペイア・ラーキに、お手紙をくれたでしょう?」
「はい」
アリスタとの結婚前、まだグレーヴス男爵家にいた頃、読んだ本の感想を手紙で送ったのだ。
「知っていると思うけど、ペイア・ラーキはプロイトス出版に送られてくる新人賞の審査員をしているわ。最終選考に残ったアネモネ・アドニスの小説とあなたが書いた手紙の文字と文章の言い回しが同じに見えたから」
ペイア・ラーキほどの作家なら送られてくるファンレターも多数だろうに、その中のひとつであるエウリの手紙とアネモネ・アドニスの小説で正体に気づくとは、さすがは帝国が世界に誇る作家というべきか。
「ついでに言うと、ルペ・キャットは私の妹のエウテルペよ。
私のすぐ下がクレイオ、その次が現在トラーキア子爵をしているポリュドロス、この子だけが私達姉妹と母親が違うのだけどね。その次がエウテルペ、さらに六人の妹達、末妹がウラニアよ」
先代のトラーキア子爵の唯一の息子であり正妻が産んだ唯一の子供がポリュドロス。第二夫人が産んだのが義母をはじめとする九人姉妹だ。
「……私に話してしまっていいのですか?」
「エーペ、エウテルペの許可はとってあるわ」
エーペはエウテルペの愛称だろう。
「エーペの雅号の由来は名前と猫が好きだからだけど、何のひねりもないわね」
エウリがペイア・ラーキに思った事を義母は妹に対して発言した。
「特に三毛猫がお好きだからマークに使っているのでしょうか?」
エウリは常日頃の疑問を尋ねてみた。
「エーペの亡くなった夫が雄の三毛猫を飼っていてね。エーペがその猫を見ようと彼の家を覗いたのが二人の出会いのきっかけだったからでしょうね」
さして猫に詳しくないエウリでも知っている。雄の三毛猫は希少だ。三千匹に一匹とか三万匹に一匹だといわれている。猫好きとしては、ぜひ見てみたいと思うだろう。
「エウリは作家なのか?」
義母とエウリの話が終わったのを見計らってハークが声をかけてきた。
「ハークに黙っていたようだけど、家族になるなら知ってもらうべきだと思うわ。エウリをずっと見守っていたオルフェは、当然知っていたのでしょうしね」
「はい」
義母が視線を向けるとオルフェは頷いた。
「ハークだけ知らないのは不公平だと思う。勝手にばらしてしまったのは申し訳ないけれど」
「そうですね。同じ家に暮らすのなら、いつまでも隠すのは無理でしょうしね」
義母の言葉に納得したエウリはハークに向き直った。
「黙っていただければありがたいのですが、私はBL作家のアネモネ・アドニスなんです。あっ、BLというのは」
「……知っているから説明は不要だ」
考えてみれば、ハークの祖母である義母はBL作家として作家デビューしたのだ。知っていて当然だろう。
「……あー、もしかして、私と父上の顔が好きだと言っていたのは」
「はい! BLのネタとしてです! 私にとって男性はBLのネタですわ。それで男性への恐怖を克服できましたもの!」
嫌そうな顔で、それでも確認として訊いてきたのだろうハークに、エウリは、それはそれは綺麗な笑顔で答えた。
「……そうか」
何やらがっくりときているハークに、エウリは、ほろ苦く微笑んだ。
「……私が、こんな女だと知って幻滅しましたか?」
まあ、出会いが最悪だったのだから(エウリは憶えていないが)今更、幻滅も何もないだろうが。
「私を外見だけでなく愛しているのなら、私のこういう一面も受け入れてみせればいい」と思っていたエウリだが、今はハークに嫌われるのはつらい。自分の出自を知っても彼の態度が変わらなかったから余計にだ。
それでも、エウリは人生を懸けた仕事としてBL作家をしている。こんな自分を愛しているというのなら受け入れてくれなければ。
「……私を見くびるな」
ハークは期せずして父親と同じ事を言った。
「私はBL作家でもあるお祖母様とは産まれた時から付き合っている。好きになった女性がBL作家だろうと気持ちは揺るがない」
そう言いつつも、ハークの顔は引きつっている。
「……ショックを受けているお兄様に、さらなるショックを与えてしまうのですが」
デイアが恐る恐るという感じで口を開いた。
「今更これ以上、驚く事などないよ」
「わたくしは作家ではありませんが、BLが好きです」
デイアの告白にハークでだけでなくエウリも驚いた。まさか彼女がそれを打ち明けるとは思わなかったのだ。
「エウリ様が、ご自分の秘密を全て打ち明けられたのに、わたくしだけ黙っている訳にはいかないでしょう?」
驚くエウリに対して、デイアはそう説明した。
「……私が秘密を打ち明けたからといって、あなたまで、そうする必要はないのですよ?」
だから、義母も自分の秘密、自分がペイア・ラーキだと打ち明けたのだろうか?
「勿論、周囲には隠しますし、侯爵令嬢としての責務や皇太子妃としての責務は果たしますわ」
「……君がどんな趣味だろうと、責務を果たせば問題ないだろう」
デイアの弁明に対してオルフェはそう言った。




