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星天のカナタ  作者: クロウ
第一章(上) 永久の刹那
9/13

第08話 信じるんだ。この胸に宿る、勇気という名の炎を

 その日、九十九谷は厳戒態勢だった。


「上空、多数の竜影あり! 総数──目算、百!」

「総員、対竜魔導兵器起動! 決して奴らを大円環防御陣に近づけさせるなよ──ッ!」


 中央の『遠見の塔』から発された命令が、外縁上に配備された守護兵団団員に伝達されていく。団員たちは大砲型の魔導兵器に輪廻力リインを流し込み、起動する。


「おい、今回の襲撃……多くないか?」


 そんな団員たちのうちの一人が、言った。


「言われてみれば、確かに……この序盤で、百? まだ他の街に戦力を割いている頃じゃない、のか?」


 九十九谷とエストランティア大陸の間にも、まだいくつも都市がある。今はまだそちらと交戦中ではないのか、と疑問を呈する声が上がった。


「……今年は、何人だろうな」

「やめろよ、みんなで守りきる……そうだろう?」


 反論する男の言葉にも、力はない。

 戦の前の静けさが、沈黙が、団員たちの間を流れていく。

 何人──それが犠牲者の数であることは、団員たちにはすぐに分かった。毎年、エストランティア大陸が東域に差し掛かると竜たちは九十九谷を襲った。念願の地上奪取のために、憎き天人族から理想郷を手に入れるために、竜たちはやってくる。


「でも、俺らがやらないと……もっと多くの人が死ぬんだ。気張れよ、第一波がくるぞ……ッ!」


 遠くに見える無数の影から、光が放たれる。そして、中央の『遠見の塔』から命令が下される。


「対竜魔導砲、ェッ!」


 一斉に放たれる光の筋が、激突する──!


☆★☆


「始まったな」


 セツナは腰に備えた得物の存在を確かめながら、ぼそりと呟いた。

 一般市民の地下シェルターへの退避が完了し、セツナやユキノなどの戦闘要員たちは地上へ出ていた。街からの援護射撃を受けながら戦う近接戦闘専門の部隊、一番隊及び二番隊だ。


「ユキノ、今回お前に一番隊を預ける。上手く使ってやってくれ。血の気の多いやつらだが、その分仕事はきっちりこなしてくれるはずだ」

「……行くのね」

「ああ、俺にはやらなきゃいけないことがある。戦わなきゃいけない相手がいる。だから、悪いな。行かせてもらうぜ」


 セツナはこの街の最大戦力だ。一騎当千、万夫不当。

 たった一人で九十九谷北門を二時間守り抜いた逸話は、団員の中では有名だ。


「あとは、任せた」


 ──この二ヶ月、夢に見るほどその男を想った。あの日見た、去りゆく竜狼の背中が忘れられなかった。狂おしいほどにこの日を待ち望み、恋い焦がれた。

 まるで乙女のように──ああ、まさにその通りだ。この日を心待ちにして、準備を重ねてきた。どうすれば奴が悦んでくれるのか。どうすれば愉しませることができるのか。そればかりを考えて、二ヶ月を過ごした。

 この日のために、そのためだけに、牙を研ぎ続けて《プランを練って》きたのだ。

 さあ、では行こうか。


「──みんな待っててくれ、必ず勝つ」


 二人きりの、楽しい、楽しい、逢瀬デートの時間だ。


☆★☆


 襲い来る人間をものともせず。

 飛び交う無数の魔導弾を避けることもせず。

 ただ一歩、また一歩と、ゆっくり歩みを進める、一匹の竜がいた。

 誰もその竜を傷つけることはできない。無敗の暴風に阻まれ、地を這う蟻共は王者を直視することすら許されない。

 ただただ、決戦の地を目指して歩く。されど誰一人、その邪魔をすること能わず。

 竜は一人、王の道を歩む。

 九十九谷の方面に近づくごとに、その反撃は熾烈になっていく。しかし結果は変わらない。


「──煩い」


 まるで羽虫を払うように、両翼を一度羽撃かせた。それだけで、数十の人間を吹き飛ばし、魔導弾を両断され、大地が鳴動し天は哭く。

 ゼファードにとって『ギルフォード・ヴァナルガンド』は尊敬できる父だった。

理想郷委員会エル・ドラド』の長として誰からも信頼を得て、慕われていた。実力も星竜族歴代最強と謳われ、名実ともに頂点に君臨する存在だった。そんな父親の背中を見て育ったゼファードは、常に「この偉大なる父親を超えたい」と思って、生きてきた。

 しかし、父は敗れた。父に勝利した男の名は、キザン・エルグランドと言った。ゼファードはその事実を知った時、絶望よりも先に好奇心が生まれた。

 ──あの完全無欠の竜を超えた人間とは、一体何者なのか。

 キザン・エルグランド。神出鬼没。巡り会うことすら困難と言われる、ギルフォードを倒して英雄となった男。いつか必ず彼と遭い、そして──勝つ。それこそが、ギルフォードの意思を受け継ぐゼファードが掲げる人生の命題だ。

 だからこそ、その息子と出会えたという事実にゼファードは感謝した。彼を超えることが、その父を超えることの絶対条件となる。分かりやすい目標を得たのだ。

 ゼファードは笑う。ああ、この二ヶ月のなんと長かったことか。待ちわびたぞ──と。

 セツナ・エルグランドよ。我が人生の礎となれ──と。

 さあ、では征こうか。



「──道を開けろ。己が通る」



 二人きりの、愉しい、愉しい、舞踏会ダンスパーティの開幕だ。


☆★☆


「大円環防御陣、出力八〇パーセントまで低下! 団長、ますいですよ! 押されてます!」

「前線から二十人呼び戻せッ! 突出するな、専守防衛を徹底させろ! 自陣近くで戦えッ! いいか、ここがやられたら全ての終わりだからなッ!」


 第一層、九十九谷守護兵団前線基地。

 怒号の飛び交う作戦本部では、団長が募る焦燥を顔に浮かべていた。


「やはり、例年より攻めが厳しい……ッ! 本気で、落としに来てるのか……この東域を……?」


 東域各地の情報が続々と作戦本部に届く。そのどれもが、「被害甚大」を訴えている。『理想郷委員会エル・ドラド』構成員の姿も確認されているという。竜たちは本気で東域を攻め落とそうとしているのか……?


「だ、団長ッ!」

「今度はなんだッ!?」


 オペレーターの今までにない悲鳴のような呼び声に、団長のコテツもヒステリックに返事をする。また悪いニュースかと身構えた団長は、想像をはるかに絶する報告を耳にした。


「竜が一人、来ます」

「は?」

「たった一人で……全ての攻撃を封殺し、九十九谷を目指して歩く……何者かの姿が……!」

「……は?」


 オペレーターの女は、手元のパネルから前方のスクリーンに映像を転送する。二段階拡大され、円環撮影機カメラがようやくその姿を鮮明に捉える。そこに映し出されたのは──


「なんだ、こいつは……!?」


 襲い来る団員、魔導弾、その一切を羽撃き一つで跳ね除ける。そんな怪物がゆっくりと歩みを進めている。

 その様まさに、歩く絶望。


「まさかこいつがあの、ユキノの報告にあった──」


 最悪の想像が脳裏をよぎる。それがもし真実ならば、もはやこの『天災』を止められるのはあの『天才』だけしかいない──と。そう、コテツが思った瞬間だった。

 向かい合うように、一人の男が歩き出す。黒き外套、正団員の証である軍帽、そして隊長の証である腕章。荒野に響く戦場音楽に軍靴の音を割り込ませ、ニヤリと微笑を湛えた表情で、怪物へ向けて歩く。


「前線から通信が届いています! 二番隊隊長、ユキノさんですっ」


 オペレーターは通信を繋ぐ。騒然とする作戦本部に、凛とした少女の声が響き渡った。


『セツナから一言だけ、言伝を預かっています。──「あいつは俺が止める。だからその代わり、邪魔をするな」、だそうです』

「は、はあ? なんだ、そりゃあ……?」


 総力を挙げて食い止めねばならない敵ではないのか? 己一人で十分だから他に戦力を回せと、そういうことか? コテツはその、理屈も道理も通らない言伝に首を傾げる。

 それに対して、苦笑いしながらユキノが補足した。


『きっと、あの男の中に渦巻いてるのは理屈でも道理でもないんですよ。きっと……意地と覚悟と矜持と、胸に宿した勇気の炎、それくらいなんじゃないですか? 馬鹿ですよ、男って生き物は』

「……同じ男だが、奴が何を考えているのかは昔からよく分からん。親父に似て、セツナも意味不明な野郎だ……」


 とにかく、とコテツは仕切り直す。


「実際、あいつに全てを任せるしかないのは事実だ。邪魔をするなというのは……街に被害がない限りは、いいだろう。俺たちは他を抑える!」


 よく分からんが、頼んだぞ、英雄の息子──と、コテツは、これまで街を守り続けてきた天才を信じ、託した。


☆★☆


 ──男一人、荒野を歩む。外套を翻し、雪辱の待つ地へと向かう。


「二ヶ月ぶりだな、ゼファード・ヴァナルガンド」


 ──おす一匹、荒野を征く。夕暮れに染まる空を背に、因縁の待つ地へと向かう。


「ああ。待ちわびたぞ、人間。少しは楽しませてくれるのだろうな?」

「もちろんだ。てめえこそ、早々に時間切れなんて醜態を晒してくれるなよ?」

「戯けが。抜かせ」


 互いに笑みを浮かべ、そして抜刀。

 セツナは撃剣『ヴァヴ・ルギール』を。

 ゼファードは六連刀『兜脚』第一、第二を。


「語ることは、ねえな」

「然り。ならば──」


 瞬間──二人の闘気が、爆裂する。



「「あとは殺りあうのみッッ!!!!」」



 開戦。セツナは開幕から一切の手を抜かない──!


『「第二魔弾・撃焔オーバーヒートッ!」』


 すぐさま第二を発動、刀身を炎へと転化し溶断ブレードと化した愛刀を閃かせる。対するゼファードが取った行動は、どんな応手も返してみせると意気込んでいたセツナの度肝を抜くに足る一手だった。


銀風狼月ぎんぷうろうげつ光断ち」


 迫る炎刀を風で受け。


月下無双げっかむそうと闇を裂く」


 返す刀に斬撃を乗せ。


「遍く総てよ夢と散り──」


 燃える灼熱一切合切、例外なく尽き果てよと詠う。



「至れ開闢かいびゃくあだの風──『轟破烈風斬ゲイル・シュナイダー』ッ!」



 開幕から全力なのは、竜狼とて同じ。前回見せなかった武技を躊躇いなく放った。天を指し示す二刀を一息に振り下ろすと、大気丸ごと削り飛ばす剛撃が衝撃波へと姿を変える。そして、セツナの肉体を分かつべく迫る──!


「喝ッッッ!!!!!!」


 セツナは気合一声、爆焔ばくえん渦巻く炎刀の出力をさらに上げる。まるで白飛びしてしまった写真のように、刀身が白熱していく。


「二度も同じ手を食うかよッ!」


 衝撃波と爆焔が正面からぶつかり合う。

 瞬間、怒号疾駆。二人を中心として、荒野に蜘蛛の巣状の亀裂が走った。


「……はは」

「……ふん」


 そして男二人、笑う。待ち望んだこの瞬間を、この一分一秒を決して無駄にするものかと、全力で楽しむ《たたかう》。


「いいな……いいぞ、人間……ッ!!」


 昂ぶるゼファードはさらにギアを上げる。天空に二刀を放り投げ、抜刀するは次なる段階。第三及び第四が、夕焼けを反射し紅色に輝く。


「まだついてこれるか、セツナ・エルグランドよ……!」

「たりめーだ、ボケがッッ!!!!」


 苛烈にセツナを攻め立てる四本の牙。秒間およそ二十に迫る猛攻を前にして、しかしセツナは笑みを絶やさない。


『行きますよ、セツナ──!』


 ヴァヴの声。セツナは頷き、同時に叫ぶ。



『「第一魔弾・瞬光オーバークロックッ!」』



 瞬間二倍速。手数を増やされたのならば速度を上げて対抗してやるとばかりに、無数の残像を生みながら迫る四牙を、無駄のない体捌きで華麗に弾き飛ばしていく。


『どうもそちらは、数が多けりゃいいと思ってるみたいですが──』


 ヴァヴは普段の落ち着いた声音からはかけ離れた、苛立ちを思わせるような感情のこもった一言を放った。


『──あまりうちの一刀流を、ナメんなよ』


 流星の如く振り下ろされた至高の一が、セツナを飲み込まんと迫る牙の一つを──灼き斬った。

「──!」

 さしものゼファードも、この一撃には驚愕した。それもそのはず。四本の刀には、どれも常に風を纏わせており、熱は完全に遮断していたはずだ。前回もそうだった。そして前回は、灼き斬られるなどという事象は発生していない。つまり──


「腕を上げた、か」

「この二ヶ月、何もしてないと思ったか?」

「……いや」


 笑う、笑う、笑う。

 ゼファードは歓迎する。強き者の存在を。力ある者の存在を。

 そして、「己に斬れぬものはなし」という、竜狼の根底に渦巻く矜持を揺らす者の到来を。


「非礼を詫びよう。全力を出していたつもりだったが──己は貴様を、心のどこかで侮っていたようだッッ!!!!」


 第五、第六──抜刀。

 滅多に抜かれることのない、澄み切った刀身を持つ一対の刀。ついに全ての刀を抜いたゼファードは頬に伝う汗を確かに感じていた。

 ゼファードは何も、セツナを甘く見て第五、第六を抜かなかったわけではない。

 単純に、燃費が悪いのだ。手に持つ二本を抜いて、第三から第六まで計四本。風を操り、同時に四つの刀を精密に操作するというのは、想像以上に輪廻力リインを消費する。

 継戦を取るか、即時決着を取るか。その決断を迫られた時、二刀を手に持ち残りの二刀を風で操る風塵四刀流はバランスの良い形と言えた。

 しかし、だ。ゼファードは灼き斬られた第一に目を下ろし、考えを改める。

 ──この男は、強い。

 そう。今この時を以って風塵四刀流は破られた。このまま続けてもきっと、残りの刀を斬り飛ばされて終幕だ。

 ならばこそ──今この瞬間に、全力を。


「刮目せよ。我が父より受け継ぎし秘奥、絶風六刀流ぜっぷうろくとうりゅう──ッ!」


 ゼファードは、灼き斬られた第一を左手に持ち替え、擬似的に小刀としての役割を持たせる。

 変則的だが、絶風六刀流が今ここに成った。

 六つの刀が代わる代わる襲いかかることで、決して刀に熱を溜めない。

 四本の時よりも交代ルーチンに余裕が生まれ、熱は決して限界を超えない。それがゼファードの出した対抗策だった。


「続けよう。宴はまだ始まったばかりだ──ッ!」


 翼を撃って加速し、再び駆けるゼファード。ついに全ての刀を抜き放った竜狼を前に、セツナは──


☆★☆


「ベッドあと三つしかないですっ! これ以上はパンクしますよ!?」


 カナタは右往左往しながら、戦場病院を駆け回っていた。

 仮団員であるカナタは本来前線で戦うことを求められていたのだが、星竜族の例年を遥かに上回る攻勢にサポート側が先に限界を迎えてしまい、今は戦場病院の手伝いをして回っていた。

 次々と運び込まれる怪我人たちを診察し、トリアージ・タッグを付けていく。基本的な救命行動は、九十九谷では子供のうちに習得することが義務付けられている。常に戦闘と隣り合わせであるイグドランシア大陸においては、さほど珍しくないルールだ。

 トリアージ・タッグというのは、運び込まれる怪我人・病人の右手首に付けられる、治療優先度を示すカードのことだ。

 重篤な患者ほど優先して治療をしなければならないのは当然だが、戦場ではこのように治療待ちの患者で溢れかえる。その際に明確な指針として用いられるのが、トリアージ・タッグだ。


「脈拍安定、呼吸もある……僕のこと分かりますか? 手、握ってみてください!」

「……あ、あぁ……」

「うん、大丈夫。もう少しだけ待ってください! 頑張って!」


 一人、また一人と的確に診断を下し、素早く仮設テント内を駆けるカナタ。次の患者の元に向かうが、一種カナタは息を飲んだ。

 その団員は、竜の炎に焼かれたのか右半身が所々黒く炭化してしまっており、身体は裂傷、火傷、擦過傷で見るも無残な姿となっていた。


「大丈夫ですか!? 返事、できますか!?」


 しかし返事はない。

 気道を確保しても呼吸の兆候は見られない。冷や汗が頬を流れ落ちていく。


「来てくれっ!」


 カナタは怒号飛び交う戦場病院の向こうまで届く声で、人を呼んだ。

 はっと顔を上げ、振り返る人物一人。美しい金髪を鮮血でまだらに染めて、上がる息を必死に抑えながら駆け回る、少女。

 名を、ミライ・エルグランドと言うその子供は、この戦場病院において闇に差した一筋の光であった。


「うんっ!」


 たたたっと駆け寄るミライ。すぐさま重篤患者の身体にそっと触れ、目を閉じる。するとぽうっと髪が黄金色の輝きを帯びる。

 ──頼む、間に合ってくれ。

 そんなカナタの想いに応えたかのように、奇跡が顕現する。

 患者の身体に変化が起き始めたのだ。裂傷は塞がり、炭化した肌は細胞が蘇り始め、火傷は痕も残さずに消え去り、顔に血の気が戻っていく──!


「ぅ……あ……っ」


 そして、団員の男はゆっくりとまぶたを開いたのだ。


「あれ、なんで、俺……」


 状況が理解できない様子の男に、カナタが笑いかける


「もうきっと、ダメだって……思って……生き、てる、の……か……?」

「この子が、救ってくれたんですよ」

「えへへ」


 団員の男は、それでも呆然としている。すぐに呼ばれたミライは、次の患者の元へ走っていった。


「彼女のこと、見ていてください」


 カナタの言う通り、男はその短めの金髪を揺らす、戦場には似つかわしくない華のある少女の姿を目で追った。

 すると、どうしたことか。彼女の髪が淡く光を帯びたかと思うと、遠目に見ても重篤であると思われた患者の傷という傷が、瞬時に塞がっていくではないか。


「……あの子が、俺を……?」

「はい」


 笑うカナタを見て、必死に駆け回るミライを見て。

 団員の男は、ようやく自分が救われたのだと、彼女のおかげで命を繋いだのだという実感を得た。


「あ、ぁぁぁぁああああ…………っ」


 抑えきれない涙が、次々と目の端からこぼれ落ちて行った。ありがとう、ありがとうとひたすら繰り返す男の背中をゆっくりと撫でながら、カナタは言う。


「彼女にも、その気持ちを伝えてあげてください。きっと、喜ぶと思うから」

「ああ。ああ! もちろんだ、ありがとう……本当に……っ、ありがとう……っ!」


 カナタは、もらい泣きしてしまいそうになるのを必死に抑えた。

 必死になって一人の少女を救った、あの日。

 そして今、こうしてミライが誰かの命を救っているということ。

 繋がったのだ。ミライという小さな少女から始まった細い糸が、今こうして繋がりを広げているのだ。

 ミライのことなのに、カナタはそれが自分のことのように嬉しい。

 あの日あの時、あの場所に居合わせたのは偶然かもしれないけれど、今はその偶然にありったけの感謝を込めて、ありがとうと言いたかった。

 心の底から、出会えてよかったと、そう伝えたかった。


「ミライちゃん! こっちお願い!」

「お嬢ちゃん頼む! こいつ、息がないんだっ!」

「次はこっちに!」

「ありがとうミライちゃん、本当に、本当に……っ」


 その小さく愛らしい姿も相まって、この血臭漂う戦場病院においてただ一人、少女はまるで天使のような輝きを放っていた。

 一種の清涼剤として、暗い雰囲気に包まれる戦場病院を明るく照らそうと必死に笑う。

 そう、笑うのだ。

 ──誰にも言っていない秘密があった。その秘密は、ましてやカナタにすら教えていないものだった。ミライは、あの日初めてカナタに「他人の傷を治す」という能力を使った際に気がついていたのだ。



 ミライは、他人の傷を治す際に、その患者の感じている痛みや苦しみといった感覚を幻痛としてその身に感じている。



 数秒で引いていくとはいえ、重篤患者が感じる激痛を毎回その身に浴びているのだ。治療能力を使うたびにミライの精神は磨耗し、顔は青ざめて身体はふらついた。

 しかし、笑うのだ。

 ミライは決して苦痛を表に出さない。痛いのはよくないことだ。ミライはきっと世界で一番、それを知っている少女だ。だからこそ治療はやめないし、無理をしてでもみんなの笑顔を取り戻そうと必死になる。

 ──私が、頑張らなきゃ……!

 ミライにしか救えない誰かがいる。ミライにしかできないことがある。

 あの日私に手を差し伸べてくれた彼のように、誰かを救える私でいたいから──彼女は自覚していないが、その願いこそが、あの日初めてミライが「他人を想った」ことで変質した『星願天祈エスペラシオ』 なのだ。

 何人の命を救っただろうか。幼き少女の体力は、もうすでに限界に近かった。

 苦悶に満ちた呻き声と悲鳴に支配された戦場病院に咲いた一輪の花は、それでもなお人々に笑顔を届け続ける。


「ミライ、大丈夫……?」

「う、うん!」


 ようやく一息ついたカナタは、ふらつくミライに駆け寄る。気丈に返事をする少女だったが、疲労が限界に近いのはすぐに分かった。


「顔色が悪いよ。一回休もう。患者さんの波もだいぶ落ち着いたし」

「で、でも、私が頑張らないと……」

「本当に危険な状態の患者さんが来たら、もう一回力を借りるね。それまでは、大丈夫。僕たちが頑張るから」

「ごめん……」


 青ざめた表情でそんなことを言うミライに、カナタは笑いながら言う。


「何言ってるんだ。君のおかげで、何人もの命が救われたんだよ。僕の方こそ、無理させちゃってごめん。でも……僕たちの仲間を救ってくれて、ありがとう」

「……うんっ」


 カナタが笑ってくれたというその事実だけで、ミライは心の底からやる気が湧いてくるような気がした。しかし身体が付いてこないのでは意味がない。

 ミライは血まみれの身体を洗うために、一度戦場病院を離れた。それをしっかりと見送ってから、カナタも一度大きく息を吐き出す。


「ふう……」


 後方とはいえ、ミライを戦場まで連れてくるのは大きな抵抗があった。

 しかし、最下層のフィルターにいる少女を守るよりは、近くにいる少女を守ることの方が簡単だろうとカナタは判断した。何か起きた時に「近くにいなかった」では済まないからだ。

 それに、ミライには完全治癒能力という奇跡の技があった。

 完全に死亡していない限りどのような傷でも完治させるという、未だかつて類を見ない能力だ。この能力は、前線で負傷した団員が運ばれてくる戦場病院において神にも等しい力を発揮した。

 なぜそのような強力な能力を持っているのかは一切分からないが、それでも多くの命が救われたという事実は変わらない。

 ミライの天真爛漫な姿に励まされた団員も多い。彼女の存在は今も着実に大きくなっている。

 ──僕も、できることをしなきゃ。

 前線で戦うセツナやユキノ。己のできることを精一杯やり遂げているミライ。カナタも意地を見せなければ。

 日も落ちた。戦闘自体はおおよそ終結しているであろう。あとは残った患者たちへの治療と、夜明けの開戦へ向けての準備だ。

 意気込み新たに、カナタは再び患者たちの元へ向かった。


☆★☆


「はぁ、はぁ……っ」


 水道で手を洗いながら、ミライは荒い息で呼吸をしていた。

 頭痛とめまいが絶えず襲う。ぐらぐらと揺れる視界が吐き気を呼び起こす。


「ぇ……うぐぅ……っ」


 確かに辛さはあった。全身に激痛が走るたびに精神は磨り減っていき、限界だ無理だもうやめたいと何度も思った。

 それでも続けたのは、「ありがとう」と笑ってくれる誰かがいたからだ。その笑顔のためならば、この程度の苦痛、決して耐えられないものではない。

 それに、だ。

 おそらく今回の襲撃の苛烈さの一端に、自分の存在がある。それを、知ってしまったから。

 だからミライは手を止めてはいけない。

 この手で誰かを救えるのならば、救えるだけの人を──

 その時だった。


「はあ、やっと転移可能エリアまで出てきてくれたわね」


 ゾクッ、と。背筋に嫌な震えが走る。

 ミライは、その声を、耳にしたことがあった。


「二ヶ月ぶりかしらね?」


 突如として背後に現れたのは、妖艶な笑みを浮かべる竜姫──


理想郷委員会エル・ドラド』第二位、ディメナ・ドラクリアその人だ。

「あまり暴れないでね。この場で戦うつもりはないわ。ただあなたにだけ、用がある」


 ミライは一歩後ずさる。

 しかし未だに揺れ続けている視界が、身体の自由を奪って仕方ない。


「少し黙らせてから連れて行こうかと思っていたけれど……そんな必要もなさそうね」


 抗おうにも力がない。立つことすらままならなくなっていく。


「わた、しは……まだ……──」


 心とは裏腹に、限界を迎える体力。やがて、視界は闇に包まれ──

 ドクン、と一度。大きく心臓が脈を打った。

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