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星天のカナタ  作者: クロウ
第一章(上) 永久の刹那
8/13

第07話 あなたはあなたの道を行きなさい!

 セツナが一人で剣を振るっている間、カナタは大忙しだった。

 まず、ミライのことだ。

 あの日保護した奴隷の少女たちは、九十九谷で保護されることになった。それぞれ保護施設に預けられることになったのだが……ミライだけはカナタに引っ付いて離れなかったのだ。

 何をどう言っても、カナタ本人が言っても、涙目で首を横に振るだけ。それはもう可愛らしい姿で──ではなく、困り果てたカナタは母に相談することにした。


「おかえりなさ……あら? この可愛らしいお嬢さんは……カナタの彼女さん?」

「ち、違うよ!」

「……ぅ?」


 キッチンから顔を出したトキネは、カナタの服の裾をがっちり掴んだ少女を見てにっこりと笑った。


「初めまして。お名前は?」

「名前……名前は、ミライです」


 腰を落として目線を合わせ、ふわりと笑うトキネに、若干警戒していたミライも笑みを浮かべる。


「カナタの……お母さん?」

「そうだよ。怒らせると怖いから気をつけてね」

「カナタ、一言余計よ?」

「このようにね」

「……ふふ」


 ぎこちなかったミライの笑みは、すぐに柔らかさを得ていった。カナタの底抜けの優しさが、ミライの心をふわりと解きほぐしていく。


「母さん、この子なんだけど……」


 カナタは事情を説明した。戦場で奴隷商から奴隷たちを救出したこと。中でもミライはカナタに引っ付いて離れないということ。


「なるほど」


 トキネは、不思議そうにカナタに抱きついているミライを見る。

 自分と同じ金髪。澄んだ碧色の瞳は長いまつげに彩られて宝石のように輝いている。土埃に汚れた頬はしかし、ふっくらと柔らかそうだ。カナタよりさらに小さい少女は、どこか小動物のようにも見える。

 そしてトキネは、ミライの手の甲に刻まれた紋章に目を留める。


「……なるほど」


 そこまで観察したトキネはパン、と手を打った。


「なら、うちの子にしちゃいましょう」

「……?」


 首を傾げるミライ。カナタも逆方向に首を傾げている。


「う、うちの子? 何を言って……」

「離れようとしないんでしょう? じゃあ仕方ないじゃない。これからちゃんとお兄ちゃんとして、面倒を見てあげるのよ。ミライ・エルグランドね」

「僕が兄!? そ、それは……」

「……にぃ?」


 つぶらな瞳で見上げてくるミライ。その純粋で透き通った瞳に射抜かれると、カナタに否とは言えなかった。


「分かった、分かったよ。だからその綺麗な眼差しをやめて……」

「そうと決まったらまずは……」


トキネはミライの全身をくまなく見渡して、ぽんと頭に手を置いた。


「汚れを落とさなくちゃね」


☆★☆


「んー」


 わしゃわしゃと金髪をかき混ぜて泡立てる。


「痒いところはないですか」

「ない」


 気持ちよさそうに目を閉じて、されるがままに髪を洗われるミライ。

 トキネに服を剥かれて風呂場に放り込まれた二人。土埃だらけで、何日もまともに体を洗っていないと思われたミライを、カナタが丁寧に洗う。

 正直カナタは恥ずかしくて顔を真っ赤にしていたが、ミライはどうもそういう方面の感情はまだ発達していないらしく、平然としている。


「流すよ、目閉じて」

「う? ──ひゃあ!」


 頭からお湯をかけて、泡を洗い流す。

 ミライは、カナタに対してだけは心を許しているようだった。トキネはカナタの血縁ということで反応は少なかったが、自宅に戻ってくるまでにすれ違った人々にはいちいちビクッと反応していた。

 人が怖い……というより、体が勝手に反応してしまうという様子だった。そんな中で自分にだけは心を許してくれているというのが、カナタは少しだけ嬉しかった。


「あわ、あわ……」


 洗い流されていく泡を目で追いかけるミライ。無邪気で、純粋で、しかし謎多き少女。

 聞けば、名前や生まれや家族といった、自分を構成する記憶の一切がないという。左手に浮かんでいる、複数の円を組み合わせたような紋章も謎だ。ミライ自身もこれが何かは分からないという。

 未知と謎に包まれた不思議な少女。ただ一つ、分かるのは──

 可愛い、ということだ。


「ありがとう、カナタっ」

「おわあっ」


 身体中濡れたまま、何より全裸のまま、ミライはカナタに抱きつく。どうやらミライは、抱きつくのが好きらしい。


「わわわわわわわおわおわわ」


 真っ赤になって硬直したカナタ。ぴたりと吸い付くように触れ合った素肌が、少女の体温を直に伝えてくる。


「? どうしたの? どこか、痛い?」

「い、痛くない! 痛くないけど! そうじゃなくて、離れて!」

「え……」


 言った瞬間、ミライはこの世の終わりのような顔でカナタを見つめる。切なげに細められて潤んだ瞳が、カナタの中に残っている理性をいとも容易く溶かしていく。


「分かった! でもほら、身体拭かなきゃ!」

「うう」

「どこにも行ったりしないから」

「うううう」


 このままでは色々とまずいことになってしまうと、ミライを宥めながらカナタは心を落ち着かせる。


「じゃあ、カナタも洗ってあげるね」

「へ?」


 突然の一言に、カナタはポカンと口を開ける。

 小さい身体で背後に回ると、カナタのしたことを真似するように、頭をわしゃわしゃと洗っていく。


「ぼ、僕はいいよ……」


 そう言ってもミライは止まらない。わしゃわしゃ、わしゃわしゃ、髪を洗い続ける。


「たのしい」

「人の頭で遊ばないでよ!」

「ふふふ」


 楽しい。

 あの頃の少女の絶望を知る者からすれば唖然とするだろう。今こうして、少女が笑えていること。それがどれだけ尊いものなのか。「楽しい」というその一言が、どれだけ価値のあるものなのか。


「……仕方ないな」


 少女の過去を知らないカナタは、自分が成し遂げた偉業の大きさに、まだ気づいていない。


☆★☆


「そうね、身長的には……昔カナタが来ていた服がちょうどいいかしら」


 トキネに浴衣を着せられたミライ。どうやら浴衣は初めて見るらしく、熱心に身体を見回している。


「うん、ちょうどいい」

「ありがとう、ございます」

「どういたしまして」


 すぐさまカナタのところに戻っていくミライを見送りながら、トキネは思う。


「あなたに、星天の加護がありますように」


 待ち受ける大きな運命に少しでも救済がありますように──と、トキネは星天神に祈りを捧げる。

 同時に、自分の息子の避けがたい宿命を感じ取り、「血は争えないのね」とトキネは一人笑った。


☆★☆


「高い!」


 ミライは柵の前に立ち、遥か下層まで続く九十九谷の形状に驚きを露わにしていた。


「この街はね、エストランティアの侵攻から市民を守るために地下に造られてるんだ。一番下は第四層まであるんだよ」

「すごい!」


 言葉一つ一つに大きなリアクションを取るミライを微笑ましく思いながら、カナタは街を案内する。


「僕たちは九十九谷守護兵団っていって、竜たちの侵攻からこの街を守るために戦ってる。……と言っても、僕はこの前仮入団したばかりなんだけどね」

「かっこいい!」


 どんなことでも興味を持ってくれるミライの可愛らしい反応に、カナタもついつい上機嫌になる。まるで本当に妹ができたみたいに自慢をしてしまう。実際、ミライはいろんなことに興味津々だった。「あれは何?」「これは何?」としきりにカナタに尋ね、その度に学んでいく。まるでスポンジのように、知識を吸収していくのだ。


「本当に何も知らないんだ」


 やはり謎だらけだ。奴隷になる以前はどこにいたのか、どこで生まれたのかすらも分からない。


「もっとお話聞きたい!」


 ミライは無邪気に言う。カナタもそれに応えるように、街を歩きながら様々なことを教えた。


「兄さんの話?」


 うんうん、とミライが頷く。家族の話には特に興味があるようだった。


「兄さん、か……」


 カナタにとって、兄は特別だ。兄はずっと一歩前を歩いていて、追いつこうと必死になっても届きそうで届かない存在。

 いつも笑っていて、前向きで、強くてかっこよくて。

 そんな兄に、カナタはずっと憧れていた──


☆★☆


 それは、キザンがまだ九十九谷にいた頃の話だ。


「セツナよお」


 縁側に腰掛け、何気ない語り口調でキザンは自分の息子に問いかけた。


「もし……自分が惚れた女一人か、それ以外の人類全員、どっちか救えないって言われたらどうする?」

「なんだその質問」


 セツナは剣を振りながら、その意味不明な質問について考える。


「そんなの決まってんだろ!」


 何を馬鹿なことを。答えなど決まっているじゃないか──と、セツナは笑い飛ばす。


「惚れた女を救う」

「だよなあ!」


 この親子は、馬鹿だった。キザンの英雄観を、息子であるセツナは色濃く受け継いでいた。父の背中を追い続けるセツナとしては、当然のことであったが。


「ちゃんとユキノちゃんを守ってやれよ?」

「な、なんでそこであいつの名前が出てくんだよ!」

「そこで恥ずかしがるのがガキだよなあ! ははは!」


 唸るセツナを押さえつけながら、キザンは笑う。


「セツナ。いいか、お前も理屈を投げ出せる男になれよ。あーだこーだ細かいことを気にするのは女の役目だ。男は真っ直ぐ、前だけ見て進めばいい。誰になんと言われようと気にするな。お前はお前の道を行け」


 俺にしてやれるのはこれくらいだから、と。


「そして、その姿をカナタに見せてやれ。言葉はいらない。その背中で、続く者たちが通る道を示してやるんだ。この俺のようにな!」


 背中をガツンと叩き、朗らかに笑うキザン。

 大げさだ、恥ずかしい。セツナはその暑苦しい絡みをいつも嫌がりながら──しかし心の中では、そんな綺麗事を平気な顔して言える、本の中の英雄のような父に、どうしようもなく憧れてしまうのだ。


「あなたー、セツナー、ご飯できたわよー」

「お、今行くぞー」


 トキネの声に、キザンが返事をする。そんな様子を見ながら、セツナは疑問をぶつけてみた。


「親父」

「ん?」

「親父は、母さんのこと大好きなんだよな?」

「そりゃあもう、気持ち悪いくらい大好きだよ俺は」

「気持ち悪いな」

「心が痛いから勘弁してくれないか息子よ」

「なあ、親父は……母さんのことも、救ったのか?」

「……」


 その質問に、キザンは居間へ向かう足を止めた。


「いい質問だ」


 振り返り、ニカッと笑うキザン。


「俺はあの女のために、世界を捨てたぜ?」


 どうだすごいだろうと、誇らしげに。

 お前もそれくらいやってみろよと、子供のように。

 遠き憧憬が浮かべた挑戦的な笑みは、今もセツナの脳裏に焼き付いている。

 あの日の父親の大きな背中を、今もセツナは追いかけている。今も昔も、そして未来も変わらずに、あの男を追いかけ続けるのだろう。

 だからこそ。

 きっと、こんなところで立ち止まっている暇はない。目の前に立ちはだかる大きな壁、その先に父はいる。足を止めたら、きっと遠のいてしまう。あの竜狼を超えた先にこそ、父の背中はあるのだから。


☆★☆


 二人の竜が、仲間たちの去った円卓に残っている。


「これは己の我儘に過ぎない」


 ゼファードは円卓の正面、『木星ジュピター』の席を撫でる。それはかつて父親が座した、気高き『理想郷委員会エル・ドラド』第一位の座だ。


「しかし、父上を倒した男の息子だ。己はどうしても、正面から、堂々と奴を打ち破りたい」


 それこそが父の無念を晴らす最善の一手だと、ゼファードは信じていたから。


「ディメナ。己はお前に、怪我をさせてしまった」


 静かにゼファードの語る願いを聞いていたディメナは、ゆっくりと首を振る。


「違うわ。あれは私の失態。ついていくと言った、私自身の責任よ」

「たとえそうだとしても、雄は雌を守るものだ」

「……っ」


 その一言にディメナは押し黙る。ゼファードの言葉には、有無を言わせぬ迫力が乗っていた。そしてディメナは、彼のそんな力強いところを狂おしいほど愛しているのだ。


「お前は星竜族にとって大切な人材──いや、お前は俺の願いを叶えるために必要なピースで──違う、己は……」


 そんな彼だが、大切な存在であるディメナをなんと形容すればいいかは分からないようだった。元々ゼファードは、言葉下手なのだ。雅やかな比喩も、女性を思いやるような言い回しも思いつかない。

 だから。

 ゼファードは、こう言うしかない。


「お前は、己の物だ」

「──っぁ、」


 ディメナは、その言霊が全身の細胞に染み渡っていくのを感じた。お腹の下あたりがきゅううん、と疼き、身体中に震えが走る。

 そう。ゼファードは言葉下手なのだ。彼は武に身を置く者。あまり周りの人物──それこそディメナにすら、言及することはない。そんな彼が突然放った一言。

 ──「お前は、己の物だ」。

 何度も脳内をリフレインする。己の物。所有物。ああ、なんと甘美なる響きか。

 今すぐゼファードの子を産みたい。

 彼を押し倒して、このままゼファードだけの物になってしまいたい。

 衝動的に駆け抜けていった思考が、甘く脳を溶かす。しかし──それは、できないのだ。彼にはやらなければならないことがある。父を越え、さらなる高みへ至るという野望が。

 だから、ディメナが足枷になってはならない。彼を支える『物』に徹さなくてはならない。

 そう、だけど。

 この身の疼きを止めるために、どうか今だけは。


「ゼファードくん」

「なん──」


 ディメナは振り返ったゼファードの唇を、勢い任せに奪った。

 頬に手を添え、決して離すまいと力強く唇へ吸い付く。

 精一杯の愛を伝えるように。あなたをずっと支え続けてみせると、誓いを立てるように。


「ぷはっ……」

「お、おいディメナ……」

「ごめん。今のは忘れて。──でも、これだけは言わせて」


 少し身長の高いゼファードを上目遣いで見つめる。


「私は、あなたの物。あなたの所有物。だから、好きに使っていいのよ。私のことなんか気にせず、あなたはあなたの道を行って」

「──────ッ、」


 その一言が、ゼファードの迷いを消した。

 そう──これは復讐だ。

 世代を経てはいるが、それがどうした。何も変わらない。紋章を持つ少女という一点を以って交差した二人。あの男を倒すためだけに刀を抜き、復讐を果たしてみせる。

 それは当初の目的であった『少女の奪取』とはかけ離れてしまっていた。しかしゼファードは、もう迷わない。今だけは、この我儘を貫き通す。それを、許してくれる者がいたから。

 あの時。確かにゼファードは、セツナの武技を破った。しかし、反撃する輪廻力リインが残っていなかったのもまた、事実なのだ。

 ──俺は、負けた。

 ゼファードは決して甘えない。あの戦いは少女を守り抜かれた時点で己の敗北であったと。たとえ力で勝っていても、目的を達成できなかったのであればそれは完全なる敗走であると。だから──


「必ず勝ってみせよう。完膚なきまでに、この手に勝利を掴んでみせよう。『理想郷委員会エル・ドラド』第一位──否、ギルフォード・ヴァナルガンドの息子であるという、誇りにかけて」


 ゼファードは静かに刃を研ぐ。

 まるで恋する乙女のように──二ヶ月後の再会を、心待ちにしながら。


☆★☆


 約束の日まで、あとわずかと迫った日。エルグランド宅に、ユキノが訪れていた。セツナは特訓に出ており今はいない。カナタとユキノだけが向き合って畳に腰を下ろす。大事な話があるというが……。


「話、っていうのは?」

「ミライちゃんのことよ」


 ユキノは神妙な面持ちで答える。

 ミライ・エルグランド。正体不明。なぜか二人の竜に追われる、元奴隷の少女。


「今度の戦いでも、奴らはミライちゃんを狙ってくると思われるわ。強大な力を持つ『理想郷委員会エル・ドラド』が本気で奪いに来たらどうなるか……分かるわよね?」

「……うん」


 前回のように上手く守りきることができるとは限らない。カナタとしては悔しいが……敵の実力は恐らく、セツナを超えている。


「だから、もし彼女を狙って竜が現れて、その結果として街に危害が及ぶようなら……守護兵団は、彼女を守れないかもしれない」

「……え?」


 正座したユキノは、膝の上で拳を握りしめる。


「守護兵団が守るべきは、あくまでこの九十九谷という街よ。突然現れた謎の少女一人のために、壊滅のリスクを背負うことはできない。もし少女一人の犠牲でこの街に生きる人々に平和が訪れるというのなら……その時は……」

「そ、そんなッ!?」


 カナタは耳を疑った。自分と兄で必死にあの竜狼と戦い守り抜いた少女を、諦める?

 ──ふざけるな。ミライだって、今はもう立派なこの街の住人だ。

 そう反論しようとするカナタを、ユキノの言葉が遮る。


「大丈夫、団長には何も話してない。あの竜がミライちゃんを狙っていることを知っているのは、あの場にいた私たちだけよ。代わりに、守護兵団という『組織』としては何もできない。でも、いち個人としてならば、手を尽くすことはできるわ。私も、そしてあなたも」


 つまり、とユキノは前置きして、こう言葉を締めくくった。


「あなたが守るのよ、あの子を」


 セツナにもユキノにも、この街を守るという役割がある。きっとミライ一人を守っている余裕はないだろう。その点、カナタはまだ仮入団だ。隊長である二人よりも、比較的自由に動ける。だから──


「僕が、ミライを……」


 強大な星竜族を相手に、ミライを守りきる。いかに無理難題かなんて、ユキノはもちろんカナタも分かっている。


 ──僕が、守るんだ。


 だが、やるしかないのだ。それができるのは、自分しかいないのだから。


☆★☆


「……私がいるから、街が…………?」


☆★☆


 セツナは、自身の限界を越えるべく、己が出せる炎の限界温度をさらに上げようと特訓をしていた。


「ぐ、おお……っ」


 しかし、あるところで限界がきてしまう。

 というのも、セツナの『星願天祈エスペラシオ』 は『陽/純粋』──つまり具象系外界改変能力だ。あくまで自然の摂理を外界に顕現させるに過ぎないこの能力では、セツナ自身が炎の熱に焼かれてしまうのだ。

 ある程度は防御陣が防いでくれるものの、限界を超えて熱量を高めようとするとセツナも火傷を負ってしまう。セツナの炎は自然現象だからだ。

 防御陣の出力を高める? いや、その分炎に回せる輪廻力リインが減ってしまう。

身体から遠いところであれば熱の影響は受けないが、その分コントロールが難しくなってしまう。セツナには、ユキノのような精密な輪廻力リイン操作能力はない。

 ──あいつの、爆縮……。

 課題は、あの超威力の衝撃波だ。ゼファードと戦った感触として、『切断』に多くの容量を割いた『星願天祈エスペラシオ』 であると、セツナは当たりをつけていた。ならば面に弱いだろうと、炎を渦を巻き起こす武技『螺旋焔翔斬らせんえんしょうざん』を選択した。実際それは間違っていなかったのだ。奴が爆縮を用いた全方位衝撃波などという奇策を思いつかなければ。

 掻き消された哀れな炎を、ただただ見送ることしかできなかったセツナ。あの無力感を二度と味わわないために、今できること。

 爆縮衝撃波への対策はいくつか考えられた。


 一つ。まず単純に、奴に爆縮を使わせる隙を与えないこと。

 空間に存在する空気を削り飛ばすほどの激甚な風を生み出すには、それ相応の『溜め』が必要だ。あの時も、数瞬の溜めを行っていた。その溜めを、潰す。つまり「速さで勝つ」という選択肢。


 一つ。爆縮衝撃波に耐え得る高熱を宿した炎で相対するということ。

 衝撃波は、確かに凶悪だ。単純なゼファード本来の風よりもさらに勢いがあり、さらにほぼ全方位をカバーしている。生半可な炎であれば、瞬時に掻き消されるだろう。しかし、話は簡単だ。それを上回る熱を持つ炎をぶつければいい。すなわち「力で勝つ」という選択肢。


 そして最後に、一つ。爆縮を使えなくなるまで粘り続けるということ。

 星竜族と天人族。今までの歴史で星竜族が大地を取り戻すに至らなかった、最も大きな要因である「輪廻力リインの呪縛」。星竜族はエストランティアを離れて輪廻力リインを回復することができないという、種族の弱点を突く方法。いわば「守りで勝つ」方法。一番簡単で、成功率も高く、確実だ。

 しかし、そんな方法をセツナ・エルグランドが許容するか?


 否。断じて、否なのだ。


 逃げ腰で、相手の実力に寄らない部分を突いて勝つ、と? その勝利になんの価値がある?

 理屈ではない。意地の問題だ。ゼファードという竜は、父を目指したセツナという男が越えなければならない壁なのだ。どんな手を使っても勝たなければいけない相手だ。しかしそれは決して、相手を舞台に立たせないようにすることを指すのではない。同じ舞台に立った相手を倒すことで初めて、越える意味が生まれるのだ。


 ──ああ、認めよう。あの時の自分の炎は生半可だった。


 そしてセツナが選んだ選択肢は、「力で勝つ」ということだった。単純な力比べ。分かりやすくていいじゃないか。

 セツナとしても望むところだ。完全勝利を掴むなら、力で押し勝たねば意味がない。


「ちくしょう……まだだ……まだ、俺は……ッ!」


 際限なく熱を高めていく。手のひらに生まれた炎を限界まで高熱に──


「っ、ぐぁ……!」


 しかし、伝熱がセツナの手を焼く。集中が途切れ、炎が霧散した後に残されたのは焼け爛れた無残な左手のみ。


「無理、なのか……」


 ──こりゃあまた、ミライちゃんに治してもらわないとだな。

 セツナは己の不甲斐なさを恥じながら、どかりと縁側に腰を下ろした。いつの間にか日は落ちてしまっていたらしく、見渡せば九十九谷のあちこちに光が灯っている。それほど長い時間、セツナは無心で特訓を続けていたらしい。


「せ、セツナっ」


 そこに声をかけたのは、私服姿のユキノだった。


「あなた、その手……」


 いつからそこにいたのか。心配そうに両手を握りしめるユキノ。しかしセツナは「なんでもないよ」と笑う。


「こんなのちょろっと火傷しただけだ。うちには優秀な治癒術師がいるからな、一瞬で治してくれるんだぜ? あの子、本当にすげえよな」

「そうじゃなくて!」


 ユキノは首を振る。たとえ全て治せるのだとしても、今この瞬間も痛みは続いているはずだ。そんな無理な特訓を続けたら、セツナは……。


「私、私は……」


 ユキノ・グレイシアという少女は、もう何年もセツナとともに剣を振ってきた。だからこそ、セツナ・エルグランドがどういう男なのかは私が一番理解している──そう自負している。

 彼が偉大なる父の背中を追いかけているのも知っているし、そのためならどんな努力も惜しまずに今日この日までやってきたことを知っている。そんな彼を支えたいと、負けないように彼の斜め後ろで同じだけの剣を振り続けたのだ。

 彼は、一度もユキノの方へ振り向かなかった。

 常に前を、父の背中を。振り返ることなく走り続けた彼は、ユキノの心など知らずに進み続ける。

 邪魔したくない。ずっとそう思って、声を押しとどめて、後ろをついてきた。だけど。


「私は、痛いよ」


 そんな一言が、勝手に口から漏れ出ていた。


「ど、どこか痛めたのか?」


 いつものように、セツナはそんな的外れな返答をする。仕方のないことだ。彼の人生において、女の気持ちなどを考える時間などこれっぽっちもなかったはずだから。


「違うっ。あなたがそうやって、自分を傷つけながら特訓しているのを見ると、私は……痛いのよ」


 ユキノはセツナに歩み寄ると、後ろに隠したセツナの手を強引に引っ掴み、己の氷で冷やし始める。


「だ、大体なんでお前が痛がるんだよ! もっと分かるように言ってくれないと──」


 要領を得ないユキノの言動に、セツナの方も少し熱が入ってしまう。ここから喧嘩に発展するのがいつもの流れ。

 しかし、今日は──なぜか今日だけは、違った。

 違ってしまったのだ。


「あーもう、言わないと分からない!? じゃあ言いますけどっ、そんなのあなたのことが好きだからに決ま」

「──」

「──あっ」


 空白。


「ちが、」


 月明かりに照らされて、真っ赤に染まる表情。


「今、のは」


 わたわたと手を振り、首を振り。


「なし! 違う! 今のは、なし! 間違い! そう、間違いっ!」


 パニックになるユキノを見て、逆にセツナは冷静になる。


「お、おう! 分かった! 俺は何も聞いてない! だから落ち着け!」

「あーもー忘れて! 全部忘れて! 完膚なきまでに忘れ去って!これはもっと然るべき時、然るべき場で言うことだからッ!」

「分かったって! いいから、まずは落ち着け!」


 肩をがっしり掴み、セツナは目線を合わせる。するとユキノはビクっと跳ね上がった。


「うぅ……っ」


 熱を持った頬は紅潮し、瞳は潤んで星の瞬きのようにキラキラと輝いている。わずかに震えながらセツナを見上げるその姿は、普段の自信に満ち溢れた才女ユキノ・グレイシアとは打って変わって、弱々しくて情けない表情をしていて……。

 ──あれ、こいつ、こんなに……。

 気まずい沈黙が流れ、どちらともなく目を逸らす。


「……とにかく、無理な特訓をお前が嫌がるのは分かったよ。別に俺だって、痛くないわけじゃないしな」

「……うん」


 セツナはそっと手を下ろした。一歩身を引いて、縁側に腰を下ろす。ユキノと並んで空を見上げると、そこには輝き始めた一番星があった。


「俺には、これしかないんだ」


 じんじんと痛みを発する手のひらをゆっくりと握りしめる。


「俺はカナタみたいに頭も良くないし、ユキノみたいにみんなをまとめるようなカリスマもない。ここまでの人生、俺は親父を追いかけることしかしてこなかった」


 セツナは、彼方から光を届ける星にそっと手を延ばした。決して届きはしない、その輝きを求めて。


「昔、親父が言ってた言葉がある」


 昔日の父との一幕を、セツナは鮮明に思い出す。あの日の言葉が、今でもセツナの胸の中に渦巻いている。

 ──『努力が必ずしも実るとは限らない。努力は裏切らないなんて言葉は嘘っぱちだ。でもな。お前が努力をしたその事実は、天地がひっくり返っても変わらねえただ一つの真実だ。結果じゃねえ、前に進もうと足掻いた──その事実が、土壇場でお前を支える力になってくれるんだよ』。

 だからこそ、セツナは決して止まらない。止まれないのだ。前に進もうと足掻き続けることこそが、あの星に届き得る唯一の道だと信じているから。


「ごめんな、ユキノ。だから、俺は……」

「……、」


 何年彼の後ろを追いかけてきたのだろう。一瞬でもいい。振り返って、その場にとどまって、私の方を見て欲しい。そう思い続けて、隣で彼を見続けてきた。それなのに、何も理解できてなかったのだ。

 どれだけ願っても、セツナは振り返らない──ユキノにも、それが分かってしまった。


「そっか」


 しかし、その方が逆に踏ん切りがつくと。


「……そうね」


 諦められる、と。


「……うん」


 ユキノは、笑った。


「……ならもう、絶対に振り向いちゃダメよ。徹底して、ひたすら前だけを向きなさい。誰に何を言われても、折れず曲がらず挫けず……あなたはあなたの道を進みなさい!」


 声が震えないように抑えながら、必死に笑みを浮かべて背中を押す。


「応援、してるから」


 その一言が、セツナの迷いを消した。

 ──俺は、あいつ《ゼファード》に勝てるのか。

 この一ヶ月、その棘が胸の奥に残って消えなかった。しかし今、ユキノの一言がすとんと心に収まった。同時に、迷いという名の棘を取り払っていった。

 ──勝てるのか、じゃない。勝つんだ。勝ってあいつを超えて、その先に進むのが俺だ。

 負けて悔しい。セツナは、何年ぶりなのかも分からない感情が己の魂を突き動かしていくのを感じる。


「ああ。勝つよ、絶対に」


 さあ、今こそ迷いを踏み越えて──

 決戦の時は近い。

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