第06話 追いかければ追いかけるほど、遠いと分かるんだ
「そうか……報告ありがとう。こりゃ、騎士団を要請しないといけないだろうな」
守護兵団団長のコテツは苦い顔をしながら、ユキノの報告を聞いていた。
「にしても、突然現れたってのはどういうことだ? いまいち要領をえないんだが……」
「敵に次元干渉能力と思われる『星願天祈』 を持つ女がいます。あまり大規模に使用することはできないようですが、二、三人ならば人も転移させられるようです」
「……空想の世界じゃねえんだからよ」
空を回るエストランティアが東域にやってくると毎回コテツはやつれるが、今回のやつれ具合はユキノが今まで見た中でも上位だと思われた。
「……」
ユキノは迷っていた。
どうやら奴らの目的は、カナタが『ミライ』と名付けた少女のようなのだ。彼女を受け渡せば、そのまま戦うことなく終わらせられる可能性がある。
だが、それをセツナが許すか? カナタが許すか?
答えは、否だ。
たとえ会ったばかりの少女であろうと、その両手が届く範囲は守り抜いてみせる。それが、あの男たちだ。
「北域の被害は少なかったらしい。どうもキナ臭いな。東域に狙いを定めてんのか? あー、勘弁してくれ、本当……」
団長は色々と気苦労が多そうだ。ユキノは「この人、すぐにハゲそうね……」という言葉を何とか飲み込んで、部屋を後にした。
☆★☆
二ヶ月。
許された猶予期間はそれだけだ。セツナはあの日のことを思い出して、今日も自宅の庭で刀を振っていた。
「俺は負けた」
ゼファード・ヴァナルガンドという男。今まで戦ったどの竜よりも強く、気高かった。
「負けた──」
少女を守り抜くという意味では、あの戦いにおいてセツナは目標を達成した。ああ確かに、理屈ではそうかもしれない。
でも、それでもだ。感情が、あの日の屈辱を許すか? 武技を破られて、余裕の表情のまま、奴は消えていった。あの場を収めたのは、ただ「奴らが星竜族であった」という一点のみ。実力ではきっと、おそらく……。
「はっ!」
セツナは無心で刀を振ろうと心がける。しかしどうしても雑念が混じり、剣筋が乱れる。もう三日もこの調子だ。カナタとも距離を置いて、ひたすらに刀を振って、振って、振って──それでも脳裏に焼き付いて離れないあの男の姿を幻視する。
「ひうっ」
「──?」
小さな悲鳴のような声が聞こえて、セツナは顔を上げた。するとそこには、家の前を通りがかったらしい見知らぬ少女がいた。少女はセツナと目があうと、ビクッと肩を震えさせた。
「おにいちゃん、すごく怖い顔してるよ……? どうしたの……?」
そう言われてセツナは、顔をペタペタ触ってみる。確かにいつの間にか力が入っていて、眉間に皺が寄っていた。
「ごめんな、怖がらせちゃったな」
セツナは笑うと、以前カナタにしていたように少女の頭を撫でた。「んむっ」と目を細めた少女は、素直な疑問をセツナにぶつけた。
「なんでそんなに怖い顔してたの? 怖いものでも見た?」
「怖いもの、か……」
脳裏に浮かぶのはゼファードの顔だ。ああ確かに、言われてみればあれは怖いものかもしれなかった。
「そうだな。おにいちゃんは、ちょっと怖いものを見ちゃったんだ。だから、その怖いものを倒すために特訓してる」
「特訓……? すごい、おにいちゃんはおばけも倒せるの!?」
少女の中では「怖いもの」と言ったらおばけであるらしく、目を輝かせて驚いている少女にセツナは苦笑いをするしかない。
「ああ、そうだ。俺はおばけを倒さなきゃいけない。お嬢ちゃんのところに行かないように、街の外で食い止めなきゃいけないからな」
「わあ、頑張ってね! わたしおばけ嫌いだから、絶対倒してねっ!」
手を振って去っていく少女。その無邪気な姿を見て、セツナは気持ちを新たにする──が、しかし。逆に「絶対倒さなければならない」という一言がセツナの頭の中を埋め尽くし、太刀筋を曇らせる。雑念混じりの刀で奴を討ち取れるなど欠片も思ってはいないが、自身の感情をコントロールできるほどセツナは器用ではなかった。
『──セツナ』
「んだよ」
『少し休憩なさい。そのような乱雑な振り方、不快もいいところです』
「……」
刀にまでダメ出しをされては終わりだな、とセツナは腕を下ろす。タオルをとって、額の汗を拭った。
「なあ、ヴァヴ……お前、あんまり過去を話したがらないけどさ。俺の父さんと戦ったっていう、あいつの父親、知ってるのか?」
『……ええ。嫌というほど、知っていますよ』
「教えてくれないか」
『……』
ヴァヴは一瞬黙った。表情は分からなくともあまり気が進まないのだということは分かった。セツナとヴァヴも、もう何年もの付き合いなのだ。
『……研ぎなさい』
しばらくして、ヴァヴは口を開いた。研いでいる間だけお話ししましょう、と。
仕方ないと腰を上げ、セツナは自室に戻る。備え付けの砥石を用意すると、静かに刀身を当てた。
しゃり、という音を立てながら、ゆっくり滑らせる。
『あん……っ』
「……その声、どうにかならないのか」
『う、うるさいです。んっ、あなたの研ぎが荒々しいからいけないのですっ』
声音は怒りながらも、ヴァヴはセツナの研ぎに身を任せている。刀の気持ちはセツナには分からないが、研がれるというのは存外に気持ちのいいことらしい。
「それで」
セツナが先の話の続きを急かすと、ヴァヴはゆっくりと語り始めた。
『奴の名は、ギルフォード・ヴァナルガンドと言いました。キザンが生涯をかけて戦い続けたライバルです』
キザンとギルフォード。
キザンがまだセツナと同じくらいの頃から、二人は激突した。何度も、何度も何度も戦い、勝って負けてを繰り返した。
天人族の英雄を志すキザン。星竜族の未来のために戦うギルフォード。二人は苛烈な戦闘の中で、互いを理解していった。
ともに目指すは世界の平和。二つの種族が争わずに済む道はないのか。幾度となく戦い続けた二人だからこそ見える世界があるはずだ、と。
酒を酌み交わす日があった。意見の食い違いで殴り合いになる日もあった。互いの種の未来に想いを馳せる日もあった。
天人族と星竜族。
それはきっと、創世以降最も二つの種族の距離が縮まった瞬間であろう。
時は過ぎ、いつしか二人は天人族と星竜族の頂点に立つ存在となった。水面下で進められていた完全なる融和まであと一歩というところまで迫った、ある時だった。
二人は、世界の真実を知ることになる。
ヴァヴは、当時のことを詳しく知らない。ちょうどその頃、セツナの手に受け継がれたからだ。
分かっているのは、その真実を巡って二人が再び衝突したこと。世界を巻き込む大喧嘩を始めて、そして恐らくはキザンが勝利し、今に至るということ。
誰もその詳細を知らない。キザンは今も『円環連座星天騎士団』の第一席にその身を置き、ギルフォードは歴史から姿を消した。その事実だけが、まるで独り歩きをするように事実を主張している。
「──つまり俺は、あいつにとって復讐の相手ってわけか……」
『……私は、長くキザンに使われてきました。よく覚えています。彼は戦いが終わると、その傷だらけの無骨な手で私を研いでくれました。大雑把で適当な男のくせに、研ぎだけは丁寧なんです。腹の立つことにね』
「……そっか」
普段は冷静なヴァヴが熱を込めて語る父の存在が、セツナはどうしようもなく誇らしくて……少しだけ、ほんの少しだけ、泣きそうになった。
「ヴァヴの話も聞きたいな」
せっかくだから、とセツナは聞いてみる。これまで過去を話したがらなかったヴァヴが少しずつだが語ってくれている。相棒の生い立ちは、セツナとしてもずっと気になっていたことだ。セツナは、ヴァヴ・ルギールという刀を何一つ知らないのだ。
『わ、私ですか。私の話は……』
ヴァヴはほんのり恥ずかしそうな雰囲気を漂わせながら、
『あの男に勝ったら、教えてやらないこともないですよ』
「……そりゃあいい。絶対に勝たなくちゃな」
セツナは笑った。その時になってようやく、ここ三日ほど自分がずっと難しい顔をしていたのだと分かった。
「悪かったよ、ヴァヴ。俺はいっつも、お前にたしなめられてばっかりだ」
『セツナが不甲斐ないのがいけないのです』
ヴァヴはいつもの調子に戻ってツンツンする。そんな様子を見ていると、セツナは不意に初めてヴァヴと話した日のことを思い出した。
「そういえば、あの日もこうやっていきなり怒られたんだっけな」
『あの日?』
「俺たちが初めて会話した日のことだよ」
『……ああ、ありましたね、そんなことも』
そうして二人は、昔日の記憶に思いを馳せる。
セピアがかった風景の奥、父親と自分。見上げる巨躯が差し出した、一本の刀にまつわる大切な思い出を――。
☆★☆
――それは、『今』から六年ほど前のこと。
父と会うのは久しぶりのことだった。
よく晴れた日。差し込む下層光源の光が、穏やかな昼下がりを眩く照らしている。突然帰宅した父親は、傷だらけだった。
「ど、どうした親父……!?」
おかえりの一言よりも先にそんな言葉が出た。庭で剣を振っていたセツナは、慌てて父親に駆け寄った。
「いやあ、激戦激戦。世界がぶっ壊れちまうんじゃねえかってくらいの激戦だ」
「何と戦ってきたんだよ!」
問うと、キザンはニヤリと笑い、一言。
「運命と、だよ」
「何かっこつけてんだ死にかけで」
瀕死の重傷を負いながらそんなことを言われても何も響かないと、セツナはキザンを支えて家に上がる。大声で母親を呼び、玄関にキザンを座らせた。
「……あなた」
駆けつけた母親――トキネは、傷だらけの父親を見て、沈黙した。
「ごめんな、トキネ。もう少しで、終わるから。あと少しで、決着がつくから」
「……何で、そこまで――いや、私がそんなことを言ってはダメね。分かってる」
トキネはしょうがないと笑いながら、父を部屋へと招き入れた。
「ご飯にしましょう。ちゃんと家族で食卓を囲んで、みんなでご飯を食べましょう」
「ああ……きっとそれが、一番傷に効く」
☆★☆
「でよ、俺の八面六臂の大活躍によって風吹峠の戦いは集結したってわけ! そこで銀髪のルナって女の子拾ってな、弟子にしてやっただ。こいつがまた才能のあるやつで――」
「女の子?」
「……ぁ?」
感情を失ったトキネの瞳がキザンを撃ち抜き、食卓は冷気に包まれる。
「可愛いの?」
「まあ、結構……たぶん、将来は美人さんになるんじゃ……」
「ほおん」
「ぇあ、待って待って? 十歳くらい下だぞ? セツナと同じくらいだぞ? 俺は可愛い弟子を大切にしようと思ってるだけで――」
「ロリコンはみんな『こんなカワイイ子に変な感情なんて持ちませんよハハハ!』って笑いながら心の中であんなことやこんなことを考えているものですよねえ?」
「そおんなことあーりませんよ! 俺はいつだってトキネ一筋!」
「あら、そうですか?」
「そうだよ!」
「そうですか。そうですか」
ふにゃんと笑うトキネ、それを見てねっちょりとした笑みを浮かべるキザン。
それを見て……ドン引きする兄弟、二人。
「久しぶりだからって、息子の前で堂々とイチャイチャするのやめろな、キモいから」
「気持ち悪い笑みを早く引っ込めて父さん。僕の中のかっこいいお父さん像が音を立てて崩れていくから」
息子二人にあきれ顔で見られるキザン。すーっと真顔に戻っていく。
「効くな、自分の息子にキモいって言われるの」
「私はそんなキモいあなたも好きですよ♪」
「でへへえ、そうだろう? トキネは俺の全てを愛してくれるよな!」
ねっちょり笑みのキザンはがばっと手を伸ばし、全身で愛情表現を表現しに行くが、しかし。
「その顔はキツいです♪」
平手一閃、空中で見ごとに叩き落とされた。くるくる回転して飛んでいく父親の情けない姿を見送りな
がら、セツナはため息を一つついた。
☆★☆
キザンはしばらくここに滞在し、傷を癒したのちにまた出ていくという。いつだって慌ただしい父親だが、今回も例外ではなかった。
「……」
縁側に座り、包帯の巻かれた自分の見つめるキザン。その表情は、普段のふざけている父親の姿からは想像できないほどに真剣で、近寄りがたい雰囲気を放っていた。
セツナが近づいたことにも気づいていないらしく、手を握っては開いてを繰り返している。その瞳からは、キザンが何を思うのかを読み取ることはできない。
「……ん、おお」
そこでようやく気が付いたらしいキザンは、顔を上げてセツナを手招きした。
「来いよ」
「……ああ」
キザンのとなりに腰を下ろす。夕暮れ色に染まる九十九谷を眼下に見下ろしながら、清風に身を委ねる。
「どうだ、最近」
「なんだよその質問。別に、何もねえよ」
「そんなことないだろ。二カ月ぶりくらいか? 二カ月あって何もないなんて、そんなの俺の息子じゃねえよ」
「……」
セツナは言葉に詰まった。
変化は、あった。ただ、セツナは自身がなかったのだ。この程度で喜んでいていいのか、と。
「言ってみろよ」
キザンの笑みに誘われるように、セツナはおずおずと口にする。
「守護兵団に入った」
「お! やるじゃねえか!」
それを聞くと、キザンはまるで我がことのように喜んだ。背に手を回し、バンバンと叩きながら祝福する。
「い、痛えよバカ親父!」
「はっはっは! なんだ、ちゃんと前に進んでるじゃねえか!」
「こんなの大した前進じゃ――」
「いや、いいんだ。それでいい。前に進め。一歩ずつ、確実にな」
「……」
「一足飛びに進もうとしても失敗するだけだ。一気に三歩進もうとしなくていい。小さな一歩の積み重ねは、いつの日か世界だって変えられるんだぜ?」
「……」
セツナは黙る。
キザンの言うことは分かる。でも、それではキザンに追いつくことはできないじゃないか。そう反論したくなるのを、セツナは抑えこんだ。今すぐにでも父に追いつきたいと言ったって、きっと笑い飛ばされてしまうだけだから。
「そうだな。入団祝いをやろう。何がいいか――」
キザンは少し考え込んだ後で、ふと気が付いたように腰に手をやった。
「これ、やるよ」
手に取ったのは一振りの刀。キザンが愛用する得物だ。
「え、いいのか……?」
セツナはその刀が特別なことを知っていた。
実際に声を聞いたことはないが、「意志を持ち、話す刀」なのだそうだ。詳しくは知らないが、尋常の刀ではないことは分かる。たとえ人知を超えた力である魔法がありふれていようと、刀に意志を宿すなんて手法は存在しないはずだ。
「お、おい暴れるな、やめろバカッ!」
どうやら暴れているらしい刀を強引に押さえつけ、何事か言い合うキザン。傍から見ていると独り言の激しい危ないやつだ。
「ふう、やっと収まったか……」
しばらくして、ようやく暴れ終えたらしい刀を今度こそ差し出してくる。
「きっともう声が聞こえるはずだぜ。お前に所有権を譲ったからな」
言われるがままに、セツナは刀に触れる。するとその瞬間、
『――んで、なんでですかキザンっ! あんまりです! ここまでずっと頑張ってきたのに、あなたと二人で頑張ってきたのにっ! なぜ私を……最後の戦に連れて行ってくれないのですか……っ』
そんな悲痛な叫び声が、脳の奥に響き渡った。
「お、親父、こいつ……!」
「喋っただろ?」
「あ、ああ、喋ったけど……いいのか? なんか……」
「いいって! 気にすんな! お前にやると決めた。男に二言はねえよ」
「でも……」
『キザン! キザン、返事をしなさい、キザン! そんな……なんで……っ』
どうやら既にキザンには声は届いていないらしい。にっこりと清々しい笑みで夕焼け色に染まる街並みを見つめている。
「その刀と一緒に、一歩ずつ進んでいけ。じゃじゃ馬だが、手懐ければどんな刀よりも頼りになるぜ」
「お、おい! でも、この刀、なんか……」
「いろいろ言ってるか? 気にすんな。いいんだ。私闘にそいつを巻き込むのも忍びないし、これが……最後かもしれないからな。お前に託していくよ」
夕焼け色に染まるキザンの横顔は少し悲しそうにも見えたが、セツナは何も言えなかった。詳しい事情は何も分からない。キザンが何と戦い、どこへ向かおうとしているのかすら、セツナは知らない。ただひたすらに、何かを訴える刀の声と、物憂げな父の横顔だけが目の前にある。
「俺はすぐにでも戦場に戻らなきゃいけない。待ってるやつがいるんだ。そいつとの決着をつけなくちゃいけない。勝てるかどうかは……分かんねえ」
父が「勝てるかどうか分からない」なんて言うのを、セツナは初めて聞いた。キザンが弱気な発言をするのを、セツナは見たことがなかった。それほどまでの相手がこの世に存在するということが、セツナには信じられなかった。
「だからまあ、やるよ。俺が持ってるより、きっと役立てられるだろう。俺よりも――」
ぼす、とセツナの頭に手を乗せて、キザンは微笑んだ。
「お前の未来の方が長いんだからさ」
――キザンはそう残し、しばらく滞在したのちに再び戦場へと向かった。
☆★☆
「おい」
『……』
「なあ」
返事がない。ただの刀のようだ。
「おい! お前! 喋れるんだろ! 知ってるんだからな!」
『……』
「何とか言ってくれよ」
『……』
「……しまいにはキレるぞゴラァッ!」
「せ、セツナ……何しているの……?」
庭の真ん中で奇声を発していたところを、とある少女が恐ろしいものを見るような目で陰から見つめていた。
ユキノ・グレイシア。
九十九谷守護兵団によって開催される武術セミナーで一緒になってから、セツナとは長い付き合いの少女。
「これはだな、対話を試みているんだ」
「刀と?」
「刀と」
「……」
「なんだよ。言いたいことがあるならはっきり言えよ」
「頑張ってね……」
「待て待て待て! その憐れむような目で去っていくのをやめろ! 俺は決して頭がおかしくなってしまったわけではない!」
セツナはユキノに、この刀がどういったものなのかを簡単に説明した。首を九十度に曲げて疑問符を飛ばしていたユキノも、難しい顔をしながらも次第に理解を示して言った。
「ま、まあ何をしようとしているのかは分かったわ。で、いくら話しかけても返事をしてくれない、と」
「そうなんだ。聞こえてるはずなんだが……」
「そうね……」
セツナの力になりたいユキノは、必死に何か解決策がないか考える。そして生まれた解答が、これだった。
「刀がされて嬉しいことをしてみる、とか?」
「なんだよ刀がされて嬉しいことって」
「そんなの私に分かるわけないでしょ! 私が刀に見える!?」
「刀のように鋭いツッコミだな」
「やかましいわ」
そうじゃなくて! とユキノは脱線しかけた話を本線に戻す。
「例えば……ほら! 研いでみるとか!」
「研ぐ……? 研ぐ! ああ、研ぐ! それだ!」
何か納得を得たらしいセツナは、カナタの部屋から勝手に持ち出してきたらしい砥石を設置した。
「カナタくんに怒られるわよ……」
「後で返せばいいよ! それより今はこっちだ」
こんな兄に付き合わされる弟も大変だな、とカナタの心中を察するユキノ。
「い、いくぞ……」
ゆっくりと砥石をあてがうのを見守る二人。よく分からないが緊張の一瞬。ゴクリと唾を飲み込み、静かに刃を滑らせる――
『……っ』
「!」
セツナはかすかな吐息を聞き取った。間違いなく、あの時聞いた彼(彼女?)の声だ。
「ユキノ、効いてる!」
「よ、よかったわね……」
ユキノには声が聞こえないので、やはり幼馴染の少年の頭がおかしくなってしまったようにしか見えない。しかしその希望に満ちた横顔を見ていると、無粋な横槍を入れる気にもなれなかった。
「俺は、この刀で……父さんに……!」
セツナは一層の力を込めて研ぐ。
「ここか? ここがいいのか? おぉん?」
『……っ! く……ぁっ!』
次第に手を速めていく。我慢をしている様子の刀『ヴァヴ・ルギール』に声を上げさせるため、吐息の漏れる感触を頼りに『効く』ポイントを探り当てる――
「ここだぁ!」
しゅり、と一往復。それが決め手だった。
『んにゃぁぁあっ!』
「うおおおおおお! 喋った!」
「おめでとう……」
苦笑いするユキノに見つめられながら、セツナは刀を空高く掲げた。
『あなた! あなたね!』
すると撃剣『ヴァヴ・ルギール』は、怒りに満ちた声音でセツナを苛烈に攻め立て始めた。
『なんですかその適当な研ぎは! 私を馬鹿にしているんですか!? 私を由緒正しき円将器・撃剣『ヴァヴ・ルギール』と知っての狼藉ですかッ!?』
「へあ……?」
『もっと腰を入れて、それでいて刃が優しく砥石に接するように心がけなさい! 力任せではなく自然の流れに従って、滑らかな動きでッ!』
「な、なんだこいつ……?」
『返事ッ!』
「はいっ!」
『まったく、これがキザンの息子? 聞いて呆れますね。得物の扱い方ひとつ知らない若造が』
「……っ」
『今からでも遅くありません。キザンを探して、『僕には荷が重いです、お返しします~』と泣きついてきなさい。あなた程度に扱われるほど私の格は低くないッ!』
まくしたてるヴァヴに、さすがのセツナも頭に血が上っていく。
「っ、言わせておけば……っ!」
「せ、セツナ……?」
事情が把握できないユキノが心配そうに見つめる中、ついに二人は口論へと発展していく。
『どうしました? 気に食わないのなら反論してみればどうですか?』
「ぐ……お前も、刀の分際で俺に指図するんじゃねえ!」
『刀の分際? 舐めた口をききますね、人間。そんな『刀の分際』程度を満足に扱えないようなあなたは、さしずめ鉄くず以下ですか?』
「て、めえ……俺の実力も知らないでッ!」
『底が知れるというものです。一流の使い手は、道具一つ疎かにしない。当たり前のことです。もっともその当たり前すら、あなたには欠落していたようですが』
「んだと……? 叩き折ってやろうかクソ刀……ッ!」
『したければすればいい。その程度の男が、あのキザンに追いつけるとは到底思えませんがね』
ぎゃあぎゃあと言い合いをする二人。終わる気配のない言い合いにとうとう嫌気がさしたセツナは、逆ギレをするように叫んだ。
「なんだよ、何が気に食わねえんだ!?」
『……気に食いませんよ、全て。あなたも、あなたの父親も』
――二人の出会いは、およそ最悪で最低だった。
何を言っても口論に発展し、いつまでもいがみ合う。お互いに行き場のない不満をぶつけながら、思いの丈を叫び続ける。
どこまでも平行線を辿る二人の相性は、これ以上にないほど酷いものであるに違いなかった。
☆★☆
「クソッ、クソッ!」
その日は雨が降っていた。
セツナはそれでも庭で刀を振っていた。汗とも雨とも取れない雫が跳ねる。足は既に泥にまみれていたが、気にせずただ剣を振る。手からは血が滲み、柄から滴り落ちた血液は雨に流されて消えていく。苛立ちを含んだ小さな呻き声が、刀を振る動作に合わせて雨音の隙間から漏れ聞こえてくる。
『……私は錆びることはないですが、それでも水は嫌悪します。もう止めなさい。それ以上の鍛錬に、私は意味を見い出せない』
「黙れ」
セツナは、刀の制止を無視する。振り下ろし、斬り払い、鋭く突き、袈裟懸けて、斬り上げる――一連の動作を、一切の淀みなくこなし続ける。その動作はいつしか、機械のような正確さへと至っていた。
――集中力。体力。気力や忍耐力。この少年、基本的な身体性能が高いのですね……。
声には出さないが、ヴァヴは決してセツナが弱き少年だとは思っていなかった。
確かに粗削りだ。力の扱い方も、身体の使い方も分かっていない。無駄は多いし、逆に不足も多い。アンバランスで危うい。誰かが支えないと今にも倒れてしまいそうな平均台の上を、危なっかしい足取りで一足飛びに進もうとしている。
しかし、その足取りに迷いはない。ただがむしゃらに鍛錬をこなしているだけだが、進むべき道のりは確かにその目でとらえている。
キザン・エルグランド。
ここ数カ月、むちゃくちゃな鍛錬に付き合わされたヴァヴは、嫌でも理解できてしまった。
その構え。太刀筋。呼吸の間隔。間合いの取り方や視線の動かし方。どれをとっても、セツナのそれはキザンと瓜二つなのだ。
もちろん、キザンほど完成はされていない。しかし、二人をよく知るヴァヴは断言できた。この少年は、ああ正しくかの英雄の息子である、と。
だから、なのか。
少年の太刀筋にかつての主人の面影を見たからなのか。それは定かではないが、ふと一言。口を突いて出た言葉があった。
『脇を締めなさい』
「……へ?」
『聞こえませんでしたか? 脇を締めなさいと言っているのです』
セツナは茫然として刀を見つめた。まさか、あの、ヴァヴから、そんな言葉が……。
「……何の風の吹き回しだ?」
『うるさい。ただの気まぐれです。あなたがいつまでたっても納得しないせいで、私まで四六時中鍛錬に付き合わされるのです。こっちの身にもなってください』
「……すまん」
『……何をいまさら殊勝になっているのです。気持ち悪い』
「はあ? お前が『道具は大切に扱いなさい~』とか言うからだろうが!」
『なんですかその小憎たらしい言い方は! 刀の構え方以前に、心持ちについて教示せねばならないようですねッ!』
「んだとゴラァッ!」
『やりますか人間ッ!』
「上等だボケッ!」
……やはり、この二人の相性は最悪最低。それはどれだけの月日が経過しても変わらない事実のようだった。
☆★☆
さらに月日が流れた。
その日も雨が降っていた。
しかし、以前とは違う点が一つ。
『甘いッ! 脇が開く癖を直しなさいと何度も言っているでしょうに!』
「うるせえ! 癖は、直らないから、癖、なんだよッ!」
振り下ろし、斬り払い、鋭く突き、袈裟懸けて、斬り上げる。
『次、後方から仮想敵! 三秒で片づけなさいッ!』
「があああああああああああッッ!!!!」
振り下ろし、斬り払い、鋭く突き、袈裟懸けて、斬り上げる。
『遅いッ! キザンはその二倍の剣速でしたッ!』
「はあ!? なにがどうやったらこの二倍に――」
『口答えする余裕があると? よろしい、ならばさらに三方から仮想敵! 最高率で切り捨てなさいッ!』
「はああああああああああああああああああああああああッッ!!!!」
苛烈。
雨粒をを切り裂きながら旋転する刀身。旋転する足が水たまりを吹き飛ばし、空想の敵が一刀のもとに両断されていく。
振り下ろし、斬り払い、鋭く突き、袈裟懸けて、斬り上げる。
その一連の動作を軸とし、仮想敵に合わせて柔軟に形を変えながら、脳内に描いた千変万化の戦況を現実に再現していく。
「ラストおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおッッッ!!!!!!」
太刀風を巻き起こしながら斬り上げた一閃は、数多の雨粒を正確に切り落としながら天を貫いた。
『……』
ああ、まだ甘い。
ヴァヴから見れば、いまだキザンには程遠い。文句を言いたい部分は山のように残っている。
だが、それでも。
今かけるべき言葉は、何か。この数カ月ヴァヴの鬼のようなしごきに耐え、泣き言の一つも吐かずに刀を握り続けた少年に、今言ってやるべき言葉とは、何なのか。
『セツナ』
「はぁ、はぁ……んだよ、またお小言か?」
『そうです。心して聞きなさい』
「……はい」
『……』
嫌味っぽい一言だったにもかかわらず、セツナは文句を言わなかった。ただ黙してヴァヴの言葉を待っている。それは、ヴァヴの言葉が正しく、ちゃんと従えば自分が強くなれると理解しているからだった。
『あなたとの相性は、やはり最低最悪です』
「知ってるよそんなこと。耳がタコになるくらい聞いたよ」
『ですが……』
「?」
ヴァヴは黙る。プライドの高いヴァヴは、それ告げること、認めることを良しとしない。決して『努力する姿は称賛に値する』などとは言わないし、『あなたなりによく頑張りました』なんて、天地がひっくり返っても絶対に言わない。もし言う日が来るとしたら、それはキザンのいる次元へとたどり着いた時だろう。そんな日は向こう十年訪れない。それほどまでに、キザンは圧倒的だった。
だから……このちっぽけな少年にかけてやる言葉は、きっとこれくらいがちょうどいいのだ。
『まあ……そこらへんの有象無象に比べれば、多少はマシになりましたね』
「……今なんて?」
『二度も言うわけがないでしょう……セツナ』
「セツナ!?」
『い、いちいち発言に反応するのをやめなさい!』
初めてだった。
控えめとはいえ、間違いなくセツナは褒められた。
初めてだった。
小さな声だったが、間違いなく名前で読んでもらった。
ああ。そうか。
「俺は……お前に、認められたかったんだな」
『認めたつもりはありません。仕方ないから妥協したのです。キザンは、もう行ってしまったのだから』
「……そうだな。俺はずっとあの親父を追いかけてる。それは、お前も一緒だったんだな、ヴァヴ・ルギール」
『……ええ。認めましょう。肯定したくはありませんが、私の中にもそのような感情がある。私は、心のどこかで「捨てられたのではないか」と怯えているのです。あの偉大なる英雄の得物として過ごした栄光の日々に戻りたいと、知らず知らずのうちに思っているのです。それは、世にある刀にとって最上の栄誉であるに違いないのですから』
「……はは、そりゃ俺なんかじゃ不満だよな」
『それはもう。世界最高品質の砥石で手入れをしてもらっていたのに、いつの間にか路傍の石に取り換えられたような絶望感です』
「そんなにかよ! もうちょいオブラートに包めよ!」
『……ふふ』
「……ははは」
その日、初めて二人は心の底から笑い合ったような気がした。心の中にあったもやもやが晴れていくような、そんな清々しさが身体中を駆け抜けていった。
いつしか、雨は上がっていた。雲の切れ目から光が差し込んできて、下層光源が太陽光を吸収し、光を放ち始める。
「少しは追いつけたかな、あの背中に」
ぼそりと、呟いた一言。それは決して返事を期待したものではなかったが、しかしヴァヴは柔らかな声音で伝えた。
『ええ、一歩だけ。セツナは今、長く続く道のりのほんの些細な一歩目を踏み出したのです。それは決して劇的な変化は起こさないけれど……積み重ねた末に彼の背中を捉えるであろう、力強き一歩ですよ』
「ああ……ああ。そうだな。ありがとう」
雨露を丁寧に布巾で拭き取り、ゆっくりと刀身を撫でる。
「なあ、ヴァヴって呼んでいいか?」
『……特別に許しましょう。いつまでもお前呼ばわりされる方が癪に障りますので』
正体不明の不思議な刀。
プライドが高く、口の悪いじゃじゃ馬。
刀のクセに、使用者にあれこれと口出しをしてくる厄介な得物。
しかし――それは、かけがえのない大切な相棒。
セツナは今日も、明日も、父より受け継ぎし撃剣を握るだろう。
――ガミガミと、文句を言われながら。
☆★☆
「あれから、もう六年か。時間が経つのは早いな」
『……ええ』
完全に手に馴染んだ直刀の返事には、いつかのような嫌味は含まれていない。そこには確かな信頼感があった。
「なあ、俺は強くなったかな」
『強くなりましたよ、セツナは。待ちがないないです。ずっとあなたを見てきた私が言うのです。間違いありませんよ』
「……そっか」
その一声に安心したように、セツナは意識を過去から現在に戻す。
「父さんの宿命の相手、その息子……か」
ああ、目を閉じれば今でも浮かぶ。あの竜の姿が。
「超えなくちゃ、な……」
父の背中を追うならば、あの男を超えていかなければならない。
セツナは再び刀を握ると、庭へと足を向けた。




