表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
星天のカナタ  作者: クロウ
第一章(上) 永久の刹那
4/13

第03話 なんでわたしは生きているんだろう?

 流星があった。

 一条の閃光となり、尾を引いて振り落ちる星。刹那の輝きを身に宿し、燃え盛る。その正体は──

 少女だった。

 爆音を上げて墜落し、巨大なクレーターが形成された。その中心には、見るも無残な少女の形をした肉塊があった。摩擦熱で全身が炭化し、黒く変色している。腕や足があらぬ方向を向き、白い骨があちこちから覗く。もはや血すら流れ落ちない少女の残骸は、真人間が見れば吐き気を催すような凄惨さだった。

 なのに。

 ──じゅる、と。

 その少女だった何かに、ゆっくりと変化が生じる。まるで時の流れが反転したかのように、ばらけた少女のパーツが中心に集まっていくのだ。

 じゅる、じゅる、じゅるじゅるじゅる。

 生々しい音を立てながら、肉体が再構成されていく。炭化した肌が潤いを取り戻し、細胞の一つ一つが命を吹き返す。消し炭にされてどこかに吹き飛んでいた腕があるべき場所に戻り、あらぬ方向を向いていた指先が綺麗に整う。血が生まれ、血管を駆け抜ける。骨が接合され、髪が再生され、瞳がはめ込まれ、人としての形を取り戻していく──

 どくん、と。

 心臓が一度強く脈動した。それは、命の再起動を表す鐘の音であり、身体の再構成が完了したことを示す合図だ。


「……んぅ?」


 少女はゆっくりと顔を上げた。肩口をくすぐる髪色は、陽の光を反射し煌めく黄金。長い睫毛で彩られた瞳は、アンティークドールのような印象を抱かせる。作り物のような小さな顔、生まれたての子供のようにみずみずしい肌。一糸纏わぬ姿の幼き少女は、不思議そうに周りを見回している。しかし、見覚えのあるものは一つもない。


「ここ、は……?」


 状況が飲み込めないという以上に、少女は何も理解できていない様子だった。


「わたし、は……ぅ」


 思い出そうとした瞬間、頭に激痛が走った。

 名前。家族。出自。過去。それら少女のパーソナリティを構成する一切が、記憶から消え去っていた。

 自分に関する手かがりはないかと身体を見下ろしても、どこか他人のような錯覚を覚える。右の手の甲にある、円を組み合わせたような不思議な紋章が気になったが、それも記憶を思い出す鍵にはなりえなかった。


 ──あてどなくさまよう少女。空腹に倒れても、数秒後には再び目を覚ます。魔獣に身体中を食い散らかされても、瞬時に身体が再生される。

 痛みと苦しみだけが、少女の精神を侵食していく。決して「死」という安易な逃げ道を許さない。永劫続く苦痛が、罪なき少女の精神を蝕む。

 ──なんでわたしは、生きているんだろう?

 少女の中にある疑問は、その一点に集約された。生きる意味。自分がここに存在する意義。何のためにこの世界に生を受けたのか。

 決して死という逃避を許さない運命を、少女は呪い続ける。ぶつける先も分からない怨念だけが、少女という器の中に溜まっていく。

 ──あれは、人……?

 ある時だった。ついに少女は、自分以外の人間と遭遇したのだ。


「ぁ……っ、ぅあ……っ」


 久しぶりに動かした声帯はまともに働かず、掠れた声がわずかに漏れ出るのみだった。しかし少女の精一杯の声は届いたようだった。荒野の先にいた一団が、方向転換し、こちらにやってくる。

 陽の光が希望の光に思えた。少女は、その時生まれて初めて笑みを浮かべた。

 しかし。そのような分かりやすい救済を、運命が許すはずがなかった。

 少女が違和感に気がついたのは、近づいてくる一団の会話内容が聞こえた時だった。


「なんだこいつ、捨て子か?」

「分からねえ。だが、こんな上玉が道端に転がってるなんてことあるか?」

「何にせよ、儲けもんだ。……お嬢ちゃぁん? お名前はぁ?」


 薄っぺらな笑顔を貼り付けて、小太りの男が話しかけてくる。少女は困惑しながら「……わからない」と首を振るしかなかった。


「分からない? 名無しか? はたまた、記憶喪失……?」


 もう一人の男が訝しげに少女を眺める。


「訳ありかもしれねえな……どうする?」

「一旦アジトに連れて帰ろう。こんだけ容姿が良ければ、北の物好きどもなら飛びつくだろう。しばらく様子を見て、何もないようなら捌く」

「了解だ。おら、歩け。お家に連れてってやるよ」

「ぁ……う……っ」


 何も分からない少女は、ただ言いなりになるしかない。その男たちが奴隷商であることなど、世界を知らない少女に理解できるはずもなかった。


 ──奴隷商たちに案内されたアジトは、廃墟となった地下鉄を改造して作られたものだった。薄暗くジメジメした広い地下空間にはいくつもの鉄格子が並び、物々しい雰囲気が辺り一帯を支配している。

 檻の一つに少女は放り込まれた。中には既に何人かの少女が座り込んでおり、どの少女も薄汚れたボロ布を纏っている。服装は貧相で汚れていたが、身体や顔に傷はない。そこは、「上玉」を収める檻だった。少女はそこで『五番』という名をつけられて生きることになった。

 ある日、檻の中で『二番』が泣き出してしまったことがあった。『五番』よりもさらに年下で、与えられる食事の少なさから、空腹を訴えて泣き出してしまったのだ。


「これ……」


 だから『五番』は、『二番』に自分の分の食事を与えた。『五番』は、餓死することすらなかったから。

『二番』は躊躇わずその食事に口をつけた。泣きながら食べ続ける女の子を見ながら、『五番』は初めて自分の特殊な性質に感謝した。

 長くは、続かなかった。

 ──『五番』はなぜか、食事を取らなくても死なないらしい。

 そんな噂が、檻という小さな閉鎖空間の中で広がっていくのは時間の問題だった。日が経つにつれて、『五番』の食事は「善意で分け与えられるもの」から「悪意で奪い取られるもの」へと変わった。食事の時間が訪れるたびに、『五番』の食事は奪われた。一人を見下すことで、残りの少女たちは団結していった。やがて小さな空間に押し込められた少女たちは、苛立ちのはけ口として、『五番』に暴行を加えるようになった。『五番』は黙ってそれを受け入れた。反撃すれば、相手に痛みを与えてしまう。『五番』は誰よりも、その痛みの苦しさを知っていたから。

そんな異変に、巡回する奴隷商の男も気がついた。奴隷商からすれば、売り物である少女に傷をつけられるわけにはいかない。そうして、止めようとした時だった。

 見てしまったのだ。少女の頬に刻まれた傷が、瞬時に修復されるのを。


「お前……なんだ、それ?」


 奴隷商は『五番』の髪を引っ張りあげた。試しに目立たない脇腹の下をナイフで浅く裂いた。


「い……っ」


 身をよじる『五番』だったが、数秒後には血の一滴を残してその裂傷は塞がってしまっていた。


「おいおい……お前の体、どうなってんだ?」


 本当の地獄が始まった。

 殴っても蹴っても、刺しても切っても折っても傷一つ残らない。そんな神秘の肉体に、興味が湧かないはずがなかった。奴隷商の男たちとて、就きたくてこの仕事に就いているわけではない。街に定住する権利を失ったドロップアウト組には、ストレスも多い。


「見ろよこれ……!」


 まるで見世物のように男は『五番』の手首を切り裂いた。血が噴き出す。


「ぁ……ぐぅ……っ!」


 涙目でうめき声を上げる『五番』。しかし男たちは誰一人意に介さない。珍しい生き物でも眺めるように、傷がふさがっていくのを見物している。

 好奇心を刺激されたもう一人の男が、腹にナイフを突き入れた。


「ぉぁ……ごへっ……っ」


 血を吐き、がくりと項垂れる『五番』。しかし、


「おいおい、マジかよ!」


 傷は跡形もなく消え去り、生気を失っていた少女は再び顔を上げた。その瞳に、絶望の色を宿しながら。


「嘘だろ……こいつ、本当に人間か……?」


 身震いした男が少女を突き飛ばす。地べたに倒れこんだ『五番』は、小さく震えている。争う力はない。もとより少女の中に「反撃をする」という考えはなかった。その優しさが、仇になるとは知らずに。


「あは、ははは!」


 男たちのリーダーは、まるで壊れてしまったかのように哄笑を上げると、少女の中指に足を掛けた。


「ぁ……、」


『五番』は腕を引っ込めようとしたが、リーダーはそれを許さない。もう一方の足で手首を思い切り踏みつけ、完全に固定する。


「ぃい、やめっ、……お願い……いやぁ……っ」


 ギリギリと、可動範囲の限界を超えて曲がる中指。そして──

 パキャ、と。

 小気味よい音を響かせて、中指は反対側に曲がった。


「ぎ──ぃぁぁああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああッッ!?!?」


 地下に響き渡る、少女の絶叫。『五番』は耐え難い痛みに身をよじらせた。気が狂いそうなほどの激痛が腕から駆け上がり、脳髄を揺らす。意識が三度飛んだ。幼き少女の許容限界を超え、思考が爆発し、真っ赤に染まり──しかしやがて傷が修復され、痛みが引いていく。少女にとって痛みが消えていくことは恐怖でしかなかった。それは、再びあの激痛に襲われるということに他ならなかったから。


「ぁ、ぁあ……うぁ…………」


 びく、びく、と痙攣しながら、虚ろな目で少女は男たちを見上げた。

 ──なんで、こんなひどいことをするの。

 その問いを口にすることすら、今の少女にはできなかった。


「は、は、ははは……やべえ、癖になりそうだ!」


 リーダーは身体を震わせて、その快感に身を委ねる。少女の肉体を壊す──そんな禁忌の体験。男は、今まで感じたことのないような衝動が身体の中心を駆け抜けていくのを実感した。


「は、ははは、こりゃあいい、売れるぞ!」


 影響された男の中の誰か一人がそう口にした。奇怪な生き物を蒐集する物好きに高値で売り捌ける。間違いない。そう確信した男は、すぐさま売り手を探し始めた。


 ──髭をいじる小太りの富豪を前に、男たちは笑みを浮かべてごまをすっている。


「今からご覧に入れるのは、世にも不思議な少女! まずはこれをご覧ください!」


言うと、大きな処刑人の剣エクスキューショナーズソードを手に取った大男が現れ、羽交い締めにされた少女の前に立った。


「んんん! んんん……っ!?」


 口を塞がれ、手足の自由を奪われ、台の上に釘付けにされた少女は逃げる術もない。必死に首を振って助けを乞うが、誰一人のその声に耳を貸すことはない。

 そしてなんの躊躇いもなく、固定された腕に剣が振り下ろされた。


「──────────────────ッ!?」


 猿轡さるぐつわを噛み締めた少女の口の端から、血が滴った。

 完全に分断された左腕。滝のように噴き出す血。台から流れ落ちる紅は、瞬く間にカーペットに池を作り上げた──が、それもつかの間。血の広がりが一瞬停止したかと思うと、少女の身体の中へと戻っていく。やがて全ての血が体内に吸収され、腕がピタリと接合された。傷一つ、残さずに。


「な、なんだその化け物は……!?」


 富豪は口をあんぐりと開けて硬直した。いかに特殊な性癖を持つ富豪といえど、こんな理解不能な現象を見せられて楽しめるほど、人間を捨ててはいなかった。


 ──またある日。広大な地下市場にある闘技場の中心に、少女の姿はあった。はぐれ者たちの賭博会場には、奴隷商が伝手を使って全力で集めた見物客がいた。

 何が起こるのかとどよめく客たち。血走った目でリーダーは口元を歪め、『ショー』の開始を告げた。


「本日はお集まりいただきありがとうございます。さて唐突ですが──ここにおります少女、ただの見目麗しき少女にはございません」

「…………」


 無言で俯向く『五番』。もはや抵抗する意思もなく、されるがままにしている。


「なんとこの少女、神の子なのです!」


 首を傾げる観客たち。またいつもの法螺吹きか、と帰り支度を始めるが──


「まあまあ、話は最後まで聞いてくださいよ。今から神の御技を披露して差し上げますから」


 男の部下たちが何か運んでくる。それは真鍮で鋳造された、中が空洞の牡牛の像であった。


「ほら、ぐずぐずしてないで入れ」


 担ぎ上げられて、『五番』はその空洞に放り込まれた。

 観客は話半分にその様子を眺めていたが、次の行動を見て目を見開いた。

 その牡牛の下で、火を焚き始めたのだ。


「おいおい、本気かよ! あいつ死ぬぞ……?」


 誰かが叫んだ。その通りだ。普通の人間ならば間違いなく死ぬ。しかし、少女は普通ではなかった。

 熱が通り始め、真鍮が黄金色に輝き始める。同時に熱が伝わり始めて──


「ぁぁ、い、ぃや────ッ!?」


 じゅうううううううう!! と、肉を焼き尽くす音が、地下闘技場に響き渡った。


「いやああああああぁぁ──────────────!?!?」


 その絶叫は、牡牛の中にある複雑な管を通り、本物の牛の鳴き声のような音に変調される。凄惨な現場に慣れた闇に生きる人間たちも、奴隷商の所業には思わず目を逸らした。

 ようやく男が火を消し、牡牛の像を倒した。観客の誰もが、骨と化した少女の残骸を想像した。


「……え?」


そして、一気に困惑の声が広がる。牡牛の像から転がり出てきたのは、服こそ焼き尽くされたものの、肌には火傷一つ残っていない少女だった。


「いかがですか皆さん! これが神の子! どんなことをしても死なない、奇跡の少女です!」


 両手を広げて観客にアピールするリーダー。しかし、観客の間に広がるのは困惑だった。


「これ、ヤバい案件なんじゃないか……?」

「ああ、俺たちの手に負えないだろう……」


 きっとこれは触れてはいけない領域だと、曰く付きの少女を求める声は上がらない。そんな情けない観客たちに、リーダーは苛立ちを募らせた。


「クソ、この腰抜けどもが……」


 ──結局、あまりにも異質な少女の貰い手は見つからず。地下のアジトに連れ戻された『五番』は、再びリーダーの部屋で鎖に繋がれる。


「嬢ちゃんよぉ……なんで誰ももらってくれねえんだろうなァ……」


  苛立ちをぶつけるように頬を蹴りつけるが、その頃になると少女はこの程度で悲鳴をあげることもなかった。それが逆に、男の感情を逆なでする。


「なあ、どうすれば気持ちよく鳴いてくれる……? おい、なんとか言ってみろよ、オラッ!」

「ぐっ、ふ……ぅう」


 腹に何度も何度も何度も蹴りを入れ、男は不満げに少女の髪を引っ張り上げた。ブチブチ、と美しかったはずの金糸が抜けていく。何度感じても痛みに慣れることはなかった。たとえ瞬間的なものでも、幼き少女の脳に、その記憶は強烈に刻み込まれる。悲鳴を上げるだけの精神力も残っていないというだけだった。

 終わりなき闇は、消して少女を逃がしはしない。


 ──少女は、『生』という呪いに縛られて今日を生きている。生きるという当たり前の活動が、少女にとっては最も残酷な刑罰だった。

 光を求めて手を伸ばすことすら忘れてしまった彼女に、笑顔が戻る日は来るのだろうか。

 未来永劫続くこの苦しみの円環から、解き放たれる日は来るのだろうか。

 暗闇の底でうずくまる少女。絶望に終わりはない。運命が少女を逃さない。

 もしこの地獄から救えるというのなら、どうか光を見せて欲しい。この昏き深き闇の底から引き上げて欲しい。叶わぬ夢と知りながら、少女は未来を思い描く。



 そして。



 そして──





 少女は、奇跡と出会う。





評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ