第00話 俺は、遠くの世界より目の前の女を救える男になりてえんだ
──男一人、荒野を征く。外套を翻し、宿命の待つ地へと向かう。
「やっぱテメェが立ちはだかるか、ギルフォード・ヴァナルガンド」
──雄一匹、大空を翔る。大翼をはためかせ、因縁の待つ地へと向かう。
「ああ。……目を覚ませ、キザン・エルグランド。この世界の真理に辿り着いたのは、貴様と己だけだ」
竜人であるギルフォードは翼を背にしまい、荒れ果てた地に降り立った。必死にキザンを止めようと説得するが──しかし。
「悪りぃな、ギル。でもよ、俺はさ──」
キザンは外套の裾を風に揺らしながら、これまで何度も刃を交えた竜人に笑いかけた。これで最後だ、と。
「俺は、ヒーローになりたいんだよ」
一言。子供が親に夢を語って聞かせるように、キザンは笑みを絶やさない。これから命のやり取りをするとは思えない、清々しさに満ちた笑顔だった。
「なぜ貴様は、そこまで……」
「ヒーローってのはさ。一人の女を救うためならば人生投げ出しても構わねえって言い始めるような愚者のことを言うんだよ。それなら俺は、愚者がいい」
「……ディオーネ、いや、今はトキネと言ったか。『座』から降りれば、奴は多少魔力の強いただの女だ。貴様の価値とは、比べるべくもない」
「あぁ? 俺にとっては惚れた女だ! この世の何よりも価値がある。それこそ、俺の人生よりもな!」
「止まらぬ、か」
「ああ、無駄だ。一度決めたらテコでも動かねえ……俺の性格は、お前が一番よく知ってるんじゃねえか?」
「然り。ならば──」
瞬間──二人の闘気が、爆裂する。
「「あとは殺りあうのみッッ!!!!」」
キザンは腰に手を運ぶが、そこに愛刀の柄は存在しないことを思い出した。
「そっか。あれはバカ息子にやっちまったんだったな」
ならばと、キザンは拳に全ての輪廻力を集中させた。円環輪廻の真理へ至ったキザンが練り込むその力には、時空を支配する力が宿る。
「拳か! 面白い……ッ!!」
ギルフォードは背に備えた三対六本の刀を、捨てた。そして同じく、握りしめた拳に脈動する竜の魔力が集中する。宿るのは「空の力」。遍く存在する天空の大気が一点に圧縮され、抑え込まれた力は行き場を求めて暴れ狂う。
そして。
惚れた女を救うために拳を握った男と。
世界を救う鍵を失わぬために拳を握った雄の。
戦いが、始まる。
「英雄に憧れた。世界を救うヒーローになりたかった。何度もお前と戦って、何度も勝って、何度も負けた。いつからか、お前に勝つことだけが目標になっていった。
いつの間にか世界を背負ってて……忘れちまってたんだ。最初に夢見た光景を。ガキの頃思い描いた、本の中の英雄の姿を。
だけど、あいつを見て思い出せた! これ以上、泣き顔を見たくねえ! 惚れた女も救えぬ男に、世界を救う資格はねえってな!
『円環連座星天騎士団』第一席、キザン・エルグランド──
行くぞギルフォード!
これが俺の!
俺だけのッ!
彼方へ続く、英雄の道だッ!!」
「貴様が『正義』というのなら、己は悪でも構わない。どれだけ強く恨まれようと、己は己だけの道を信じて進む。
貴様が『理想』を説くのなら、己は現実を見据えよう。英雄とは世界の希望だ。貴様の語るそれは、わがままなガキに他ならぬ。だからこそ、止めるのだ。
それでも進むというのなら──見せてみろ、その決意を! その魂を! その矜持を! 己が認めるだけの、証を示せ!
『理想郷委員会』第一位、ギルフォード・ヴァナルガンド──
征くぞキザン!
この烈風を以って、貴様を阻む壁となってみせるッ!! 踏み越えよ! この竜狼、最期の輝きをッ!」
──世界と一人の女を秤に乗せて。
それでも一人の女をとった男のことを、愚か者と罵ることはできるだろうか?
──彼の想いを知りながら、それでも「世界のために戦え」と強要する男のことを、非情だと否定することはできるだろうか?
かつて、何度もぶつかり合い、その果てに互いを理解し、だからこそすれ違った者たちがいた。
無限に続く円環の終点は、再び遠のいた。掴みかけた何かは手の隙間からこぼれ落ちていく。
争いは、終わらない。
千年に及ぶ、長きに渡る闘争。
人と、竜。相容れぬ二つの種族は互いに屍の山を築き上げ、至る所で血の河が流れた。廻る円環輪廻の真理の下で、人は殺し合い、憎み合い、傷つけ合った。
世界の真理に至った者でさえ、こうしてすれ違う。
人と竜は、相容れない。
手を取り合うことは、決してできない──
そんな破滅の連鎖に終止符を打つべく、立ち上がった者がいた。
数多の犠牲。失われゆく儚い命。悔し涙を乗り越えて、世界最大の綺麗事をその手で掴むために──少年は英雄になる。
人と竜とを繋ぐ絆の円環こそ、本当の真理だと信じて。
星天の彼方まで、この環が繋がると信じて──
さあ。
英雄譚を、始めよう。