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第八章:黄ばんだ日記と躊躇い

 二人の仕事が終わるまで、ヘーゼルは街の中心になっている、時計塔の側の菓子屋で時間を潰していた。

 店の中はバターの芳醇な香りと甘い匂いが充満しており、ヘーゼルが満腹になるのにそう時間はかからなかった。

 ヘーゼルが二杯目の紅茶を飲み終えた直後に、仕事を終えた二人が駆けつけ、再び三人を乗せた馬車は森とは逆の方向に走り出した。

 眼前に広がるのは、一本の幅広い道以外に何もない雪原。

 リリスに訊ねると、雪の下には畑が眠っている、と答えてくれた。

 ヘーゼルは春が来れば作物の芽が見られるのかと喜び、その景色を真っ先にアンに見せたいと思った。

「ほら、あれがアタシたちの家」

 ヘーゼルが物思いに耽るより早く、リリスの声がそれをかき消した。

 コスモス色の爪と白磁のような指が示す先には、ウィルフレッドの屋敷とそう大差ないほどの建造物があった。

 一つ違うことは、屋敷の周りを高い塀で囲っているところか。しかし馬車が近づくにつれてその物々しい雰囲気が明らかになってくる。

 門の両脇にはリリスとロジャーに似た格好をした男女がピンと背筋を伸ばして立っている。急に何者かが襲いかかっても腰に下げた銃や、背中に背負った剣で返り討ちにあうだろう、というほどの警戒だ。

 馬車が門の前で停まるなり、扉が徐ろに開かれる。

 門の前で警備をしていた女性が開けてくれたようで、リリスに続いてロジャーとヘーゼルも慎重に馬車から降りた。

「お帰りなさいませ、リリス様、シャロット様。……その者は?」

 目立たないように、と背の高いロジャーの背後で息を潜めていたのが逆効果だったようで、早々に目をつけられる。

 訝しげにヘーゼルの頭の天辺からつま先まで隈なく見た後に、二人の目線が合った。

「ヘーゼル……さ、ま?」

 よく見るとまだ幼さが残る顔立ちで、ヘーゼルよりも二つは年下であろう、その少女は薔薇色の唇を震わせながら、その名を口にした。

 門の反対側にいた男性も駆け寄り、ヘーゼルの帰宅が分かった途端、大袈裟ではないだろうかという程、全身で喜びを表現した。

 屋敷中が賑やかになっていったものの、ヘーゼルは誰の顔も覚えていないため、馴れ馴れしく挨拶されるのに抵抗しか感じなかった。

 そして何よりも違和感を感じたのは、リリスやロジャーと同じような装いの者達が、ヘーゼルの帰りを心から喜んでいないことだった。

 言葉こそ丁寧で優しさを表していたものの、その目は全く笑っていない。口角が上がっているだけの笑みほど気味の悪いものはなかった。

 それは屋敷の中に足を踏み入れても消えることはなく、本当にここが自分の帰るべき場所なのか、不安な気持ちを抱えたままリリスに導かれ、ヘーゼルは自分が使っていたという部屋に入った。

「レディーの部屋なんだから、ロジャーはここで待ってなさいよ」

「はいはい」

 幼馴染特有の気兼ねない掛け合いを耳にしながら、部屋中を見回す。

 ベージュ一色の壁と床は年頃の少女の部屋というわりにはあまりにシンプル過ぎるが、置いてある家具や天蓋付きベッドはやはり女の子らしい。

「あれから掃除は定期的にされていると思うけれど、物は移動してない筈だから、色々見たらいいんじゃないかしら。アタシは隣の部屋にいるから、何かあったらいつでも呼んでね」

 そう言い残しリリスは部屋を去ったが、部屋自体が広いため、隣の部屋までの距離が妙に遠く感じる。

 窓際の机には本が数冊と燭台、うさぎの人形が寂しそうに座っていた。

 表面に付いている細かい傷が、どれほど使い込まれているかを物語っている。

 此処は私の部屋なんだ、と言い聞かせ、ベッドの下やクローゼットの中など、あらゆるところを調べ尽くした。年相応のピンクのスカートや色のついた石が散りばめられたアクセサリー。どれも高価そうで触れるのに一瞬躊躇した。

 しかし私物を今さら目にしたところで簡単に記憶が戻ると言うことはなく、手掛かりの一つも見つけられず、ヘーゼルは机上に手をつき嘆息した。

 奇跡的とも言える本当の家族との再会。それだけでも有り難く思うべきで、それ以上を望むのは贅沢ではないだろうか。そんな考えが少しずつ心を蝕みはじめたヘーゼルの目に、うさぎの人形が映った。

 パッチリ開いた丸い目と威勢よくピンと立った耳は実に愛らしく、撫でようと手を伸ばしたその足元に、紐で括られた紙の束があることに気付く。

 読むための本にしてはあまりに粗末すぎる作りが気になり、うさぎの人形を退かし、よれて黄ばんだ紙の束を手に取る。

 表紙などない、何が書いてあるのかも分からない。埃を手でサッと払い、順番に紙を捲っていった。

 最初の数枚は何も書いていなかったが、ついにその内容が現れた。


 緑玉の月 二六日

 最近忘れっぽいから、日記を書こうと思う。

 三日坊主にならないように、毎日たった一言でもいいから欠かさずに記していきたい。


「……これは」

 戦慄しながらパラパラと勢いよく捲っていくが、見飽きた癖のある筆跡はまさしくヘーゼルのものだった。

 数ヵ月にも渡って書き留められたヘーゼルの記憶。これを読めば記憶を失った経緯も、自分の人となりも知ることができるかもしれない。

 そう分かっていても指が凍りついたように動かない。

 ここまで来て全てを知ることを恐れているのか。

 日記を読むことを逡巡していると、コンコンと扉をノックする音が響いた。

「はい」

 慌てて扉を開けると、使用人であろう老いた女性が優しげな声音でヘーゼルの名を呼び、手にはリリスたちと同じ服を抱えていた。

「ヘーゼル様、着替えをお持ちしましたよ。お風呂も用意しましたので、旦那様が戻られる前に入られてはいかがですか?」

「あ、ありがとうございます……でも私」

 記憶がないことをそう軽々しく口にしていいものか躊躇っていた。それをいいことに利用してくる輩もいるかもしれない、と警戒しつつ曖昧模糊な返答をしていると、使用人の女性はそっと静かに耳打ちをした。

「リリス様から事情はお聞きしております。他の使用人には話しておりませんのでご安心くださいませ。」

 そして浴室までの案内から建物の大まかな間取りまで丁寧に教えてくれた。

 もしかするとウィルフレッドの屋敷より広いかもしれない、とヘーゼルの緊張はますます強くなった。

 案の定浴室は豪奢なつくりで、七、八人が同時に入ってもゆとりがあるバスタブにはなみなみとお湯が溜められている。そのお湯には薔薇の花弁が浮かべられていたり、石鹸も見るからに高価そうで、リラックスのひとつもできないまま汚れだけを落としてすぐに浴室を出てしまった。

 暖炉の前で髪の毛を乾かしていると、いつの間にかその隣に立っていたリリスが絵になる笑顔で話しかけてきた。

「さっぱりしたわね。……ごめんね、勝手に記憶のこと話しちゃって」

 笑顔から一変、曇った表情で謝ったリリスだったが、ヘーゼルは「ずっと誰にも話さないわけにはいかないですから」と擁護した。

 記憶がないことを知って悪巧みをする者もいないとは限らないが、かといって全く知らせなければ話が食い違ったときに、より面倒ごとが起きるに違いない。

 リリスが話した使用人は、この家に仕えて四十年以上の古参で、一番信用している者らしい。

「あとは……お父様とお母様には話さないといけないわね……。はぁ……」

 自分の親に話すのに、リリスは長いため息をついた。

「もしかして、私たちの両親って……」

「お父様はものすごーく厳しいわよ。お母様は……厳しくはないけれど近頃は私たちに無関心だし、あまり家に帰ってこないのよね」

「そう、なんですか……」

 話を聞いていても両親の顔の一部分も思い出せない。

 正直に言えば、会うのが怖い。

「……此処は本当に私の家、なんですよね」

 今のところ頼りになっているのは自分が書いた日記だけで、それ以外には確固たる証拠はない。

 赤い服を身に纏った者たちの冷ややかな瞳もヘーゼルの中で引っ掛かりを感じていた。

 目の前のリリスの顔を見づらくなり、徐に視線を逸らしたが、リリスはそんなヘーゼルの頭を優しく撫でた。

「安心して、此処は貴女の家よ。ここで一緒に勉強して、ご飯を食べて、鍛練して……そういえば昔はお風呂も一緒に入ったわね。懐かしいなぁ」

 街で買い物をしたことや、二人でお菓子を作ったこと。

 リリスの昔話はどれも鮮明で、とても作り話には思えなかった。

 必ずあの日記とは向かい合わなければならないのだ、と痛感させられる。

「リリス様、ヘーゼル様。旦那様がお戻りになられましたよ」

 今度は中年くらいの男性の使用人が、二人の父の帰宅を知らせに来た。

「すぐに行きます」

 ヘーゼルが返事をするより早くリリスが一言発し、部屋の場所が分からないヘーゼルを連れて、父の部屋まで行くことになった。

 扉から出てきた使用人に挨拶をし、今度は代わりに二人が中に入る。

「失礼します」

「しっ、失礼します」

 リリスに倣って部屋に踏み入ると、ピリピリとした空気が伝わってきた。

 血の繋がった父の筈なのに、何故こんなにも緊張しているのだろう。

 そしてその答えはすぐに知ることになる。

「リリス、帰ったか。今回の仕事は上手くいったか」

「はい。ロジャーと二人だけで取りかかりましたけれど、特に問題はありませんでしたわ。お父様」

 眉間に深いシワを刻み、銀縁の眼鏡をかけている。リリスと同じブロンドはきっちりとしたオールバックで整えられ、切れ長の目はリリスだけを見ていた。

 リリスの報告が終わるなり、その目は射殺しそうなほど鋭くなり、ヘーゼルの視線とぶつかった。

「……てっきり死んだものと思っていた。今まで何をしていた」

「お父様、それは私から」

「リリスは黙っていろ。俺はヘーゼルに訊いているのだ」

 睨むだけで相手を圧倒するほどの威厳に、リリスが嘆息するのも頷ける。

 言葉を選びながらヘーゼルは今まであったことを簡潔に説明した。

「森の中で彷徨い、とある屋敷の方に助けて頂き、今までずっとお世話になっておりました。帰ろうにもそれ以前の記憶を失ってしまい、今朝偶然にもリリス姉様にお会いしまして……やっと戻って来られました」

 話が進むに連れて、父の表情は更に厳めしくなっていった。

 冗談の通じる性格でもなさそうだ、と出会った瞬間から覚悟していたヘーゼルだが、身体は少し震えていた。それでも逃げ出すわけにはいかない、と毅然とした態度を保っていた。

「……レインブリーズ家の人間でありながら吸血鬼を前に逃げ出し、その挙句、記憶喪失で帰ってくるとは。呆れて物も言えん」

「お父様……!」

「帰ってこられなかったということは、家族は疎か、家業のことさえ覚えておらんのだろう。これから一体どうするつもりだ。穀潰しを置いておくほど俺は優しくはないぞ」

「お父様、ヘーゼルが記憶を取り戻すまで待っては頂けませんか」

「そんないつ戻るかも分からんものを待てと言うのか、いい加減にしろ」

 目の前で繰り広げられる論争をヘーゼルはじっと静かに眺めていた。

 当事者であるにも関わらず、その内心はまるで傍観者のようだった。

「ヘーゼルは私の大切な妹です。見捨てるなんてこと、できません」

 粘り強いリリスの交渉でさすがに折れたのか、険しい表情は崩さずに妥協案を提示してきた。

「期間は一週間だ。それまでに仕事に戻れなければ、荷物を纏めて出て行ってもらう。」

「そんな……!短すぎます」

「いえ、それで十分です」

 このままでは一向に埒があかないと、ヘーゼルが口を挟む。

 納得がいかないリリスを他所に、ヘーゼルは淡々と父の出す条件を受け入れた。

 一週間以内に記憶を取り戻すか、もしも記憶が戻らなければ家業に貢献できるように技術や知識を習得し直す。そのどちらもできなければ、家を出て独りで暮らし、以降レインブリーズという苗字を名乗らない。

 傍から黙って聞いているリリスは、ヘーゼルにとって不利な条件を前に、下唇を噛み締めグッと堪えた。

「構いません。では、また一週間後に」

「その時にお前が此処に来られることを祈ろう」

 父の最後の言葉が励ましではなく、皮肉であることはヘーゼルにも、蚊帳の外のリリスにも分かっていた。

 会話をするという空気にもならず、姉妹二人は無言のまま食堂に着く。

 レインブリーズ家の本日の夕食は、海老がたっぷり入ったドリアにトウモロコシのポタージュと、色とりどりの野菜が盛られたサラダだ。

 あまり見覚えのない料理だ、とヘーゼルが呟くとリリスが

「今はあちこちの国からモノや技術だけじゃなくて、料理も入ってきているからね」

と、答えてくれた。

 それまで会話がなかったためにぎこちない態度をとってしまっていたが、他愛無い話題で、二人は顔を見合わせ思わず笑った。

「あんな言葉気にしなくていいから、しっかり食べてね。明日からビシバシいくんだから、体力つけてもらわないと」

 そう言いながら、リリスの持っている匙は素早く皿と口を往復した。

 その華奢な体躯のどこに食物が吸収されているのだろう、と不思議に思っている間に、リリスの皿は空になっていた。

 男性も顔負けの食べっぷりに、ヘーゼルも負けじと大きめにカットされた野菜を口へ運ぶ。

 咀嚼しながら今の自分にできることをやっていくしかない、と前向きに捉えてみるが、ウィルフレッドの冷めたようで何処か悲しそうな目が、頭から離れなかった。

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