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第七章:後悔と惜別と赤い服

 沈黙の時間が残酷にも続く。

 誰も何も言わず、一歩も動こうとしない。珍しく痺れを切らしたヘーゼルがもう一度、その大きな背に訊ねた。

「お二人は……本当は……吸血鬼、なんですか?」

 吸血鬼、という単語にアンの肩がビクリと跳ねる。

 やがてばつの悪そうな顔のまま黙り込んでいるウィルフレッドが、徐ろにこくりと頷いた。

 ヘーゼルの目つきが鋭くなり、ウィルフレッドは何を言われるのかと身構え、アンに注意されたとき以上に眉が垂れ下がっていた。

 そんな顔を見て、ヘーゼルは開きかけた唇を閉ざし、ウィルフレッドの腕をとり、歩きだした。

「な……」

 左腕の噛み傷を抑えた時についたヘーゼルの右の手のひらの血は既に固まっていたが、吸血鬼であるウィルフレッドにとって、血の匂いを纏うヘーゼルが側にいるのは苦しいに違いなかった。

 思えばキッチンで怪我をしたあの時、二人がヘーゼルの血を見て顔を顰めていたのは吸血鬼という理由なら合点がいく。

 吸血鬼にとっての血は食事というよりは麻薬に近い、とウィルフレッドの部屋にあった本に書かれていた。

 目の前にあるにも関わらず得られないともなれば、その苦しみは尋常ではなかっただろう。

「ま、待て」

「待ちません」

「ヘーゼ……」

「黙って来てください」

「……」

 逞しい手首を掴んで引っ張り、ヘーゼルが立ち止まったのはカーテンが締め切られている窓の前。

 豪奢な刺繍が施されたカーテンの端を掴み、勢い良く開けると、眩い日の出の光が二人を包み込んだ。

 雪も雨も降っていないようで、それはヘーゼルが見る久々の晴天だった。

「もう朝、ですね」

 返事は無いが、ヘーゼルは一人で喋り続ける。

「二人が吸血鬼だからって……してもらったご恩を無下にすることは、私にはできません」

 だから、と言いながら自分より高いところにある顔を見上げ、ヘーゼルは涙を堪えながら気持ちを伝えた。

「『さよなら』なんて……寂しいこと言わないでください」

 一緒にいたいんです、と言う部分はハッキリ言うつもりが、息が詰まり、か細くなってしまった。

 黙って聞いているだけのウィルフレッドも、ヘーゼルの真剣な想いを受け止め、ようやく口を開いた。

「……俺がヘーゼルのことを餌だと思っていたのだとしても、同じことが言えるのか」

「え……?」

 ヘーゼルの困惑にも狼狽えることなく、ウィルフレッドは冷ややかな目で透き通る瞳を射抜いた。

 ウィルフレッドらしからぬ棘のある物言いに、その真意を探りづらくなったヘーゼルだったが、怯まずに質問を続けた。

「……そんな。でも、だって、ウィルフレッド様は見ず知らずの私にこんなに優しくしてくださいました。それなのに、餌だなんて」

「上質な血に栄養のある食事や、健康的な生活は欠かせない。……今までの俺の親切が全てそのためだったとしたら?」

 矢継ぎ早に告げられる真実は、受け入れ難い内容で、ヘーゼルは動揺を隠せなくなった。

 少しずつ後退りする足を止めることはできず、必然的にウィルフレッドとの距離が開いた。

「……それでいい。アン、ヘーゼルの服を持って来てくれないか」

「……っ、はい」

 アンも形容しがたい表情でパタパタと足音をたてながら指示されたとおりにする。持って来た服は相変わらずの鮮やかな赤と真っ白なブラウスでよく見ると胸元に紋章が付いている。

 ウィルフレッドの言葉一つで、目の前で進められていく別れの支度に、言いしれない感情がこみ上げる。

「……っ!」

 気付けばヘーゼルは扉に向かって駆け出していた。

「ヘーゼル……!?」

 服を抱えたままのアンがヘーゼルを引き留めようと手を伸ばすが、当然届くことはない。

 ウィルフレッドは追うこともせず、未だ感情が薄い目で、小突けば壊れてしまいそうな小さな背を見つめる。

 扉を開け、振り向きざまに喉が張り裂けそうな、出し得る限りの声でヘーゼルは叫ぶ。


「ウィルフレッド様の、バカッ!!大嘘つき!!」


 耳を劈つんざく音はヘーゼルが去っていった後も反響し、ウィルフレッドの心までも刺した。

「……自業自得、か」

 こんなにも誰かを大切に、それと同時に苦しく想ったのは何百年ぶりだろうか、と遠い記憶に思いを馳せる。

 そもそも森でヘーゼルを助けたのも、ウィルフレッドのただの気まぐれだった。

 身なりでヘーゼルの素性は見抜いてはいたが、記憶喪失というのも嬉しい誤算で、当初は本気で飼い慣らして餌にする予定だった。

 人間の血はこの森では貴重だ。

 普段は動物の血をコウモリたちから分けてもらっていることが多いウィルフレッドとアンだが、人間の生き血がどれほど甘美なものかは知っていた。

 飲まなければ喉の乾きで苦しむにも関わらず決して死ぬことはない。吸血鬼になりたての頃は嫌々吸っていたものだが、今となっては人間が酒をたしなむ程度のことだ、と割りきっていた。

 そこで現れたヘーゼルという存在はウィルフレッドにとってこれ以上はないというほど好都合だった。健康的な少女の血は人間の血の中でも最も美味だとされている。

 しかし、出会ってから今の今までその血を一滴も口にしていない。

 それには様々な理由があったが、ウィルフレッドの中で一番大きく枷となっていたのは、ヘーゼルに対して抱いていた感情だった。

 餌や家畜ではない、家族でも、親戚でも、親友に対してでもないこの気持ちは。

 口付けた瞬間のヘーゼルの顔を思い浮かべ、素直にその言葉を零した。

「……好き、なのか」

「旦那様……」

「分かってた。しかし、だからこそ、もうこんなところに縛りつけておきたくはない。彼女には、幸せになってほしい」

 足元を意味もなく見ては、ぎこちない笑みで自分に言い聞かせた。

 しかし、アンはそんなウィルフレッドの建前に苛立ちを覚え、使用人という立場を忘れ、装飾具の付いた襟をグイと無理矢理引っ張った。

「……本当に、ヘーゼルの言うとおり貴方はバカで大嘘つきですね」

「なっ……」

「まず幸せになってもらいたいならこんな雪が積もった寒空の下に放り出さないでください。あと、素っ気ないふりをして彼女への気持ちを蔑ろにするのも止めてください。……それが分かったなら、今すぐ追いかけてください」

 ばっ、と乱暴に手を離すと、その逞しい肩をドンと力強く押し、ヘーゼルが去っていった方へ一歩でも近付けさせる。

 人間としての時間は吸血鬼になってからは止まってしまったため、ある意味不老不死の身体といえる二人だが、まだ人間だった頃のアンは出産と育児を経験しているらしく、ウィルフレッドよりもいつも一枚上手うわてなのはそういう所以らしい。

 恋愛に関することでもアンの方が詳しいようで、ウィルフレッドは大人しくその助言に従うことにした。

 目の前にした扉の隙間からは、日が出ても凍える風が中へと入り込んできていた。

 外は一面眩い白の世界で、木々も雪を頭から被っていて寒そうだな、と似つかわしくないことを考える。

「さっさといってらっしゃいませ」

「……どっちが主だか、分からなくなる扱いだな」

 呆れたようにウィルフレッドが言えばアンも負けじと、

「それだけ旦那様には振り回されている、ということですからね」

「……すまない」

「謝罪は要りません。……ただ、これだけはお忘れなく」

 血で汚れたエプロンを外し、乱れた髪を再び結わえたアンは、いつもどおりキビキビとした足どりでウィルフレッドの元へ歩み寄った。

「ヘーゼルはヘーゼルです。……他の誰でもありません」

 アンのその一言はウィルフレッドの心の奥にチクリと刺さり、同時に遙か昔の記憶を呼び起こした。

 まだ人間だった頃に愛した人。

 ヘーゼルを見つけたら真っ先に話して謝りたい、と冷たい雪の上に残された足跡を辿り、駆けていった。



 雪に埋まる足を力づくで持ち上げ、ヘーゼルは息を切らせながら必死で前へ前へと進んだ。

 着の身着のままでここまで来たが、どう考えても命知らずな行動だった、と今更になって後悔しはじめるが、もう遅い。

 振り返り引き返そうとも考えたが、あんな形で出て来た手前、顔を合わせるのは非常に気まずい。

 しかし記憶を失くしたヘーゼルには帰る場所がない。

 もしかすると、吸血鬼と対峙した直後に頭に浮かんだ朧気な映像が手がかりなのだろうが、思い出す度にあの痛みを味わうのはごめんだ、と思っていた。

「っと、よいしょ」

 無我夢中で雪を掻き分けながら歩き、気がつけば馬車の通る大きな道まで来ていた。

 轍と馬の蹄に大小様々な靴の跡。

 こんな雪道でも馬車は走っているようで、ヘーゼルの心細さは少し薄れた。

 しかし金など一銭も持っていないヘーゼルは馬車に乗ることはできない。街までは相当な距離があるが、諦めて歩くしかなさそうだな、と既に感覚のない爪先を地につける。

 どこまでも続く白色の雪道は、ごちゃごちゃになった気持ちを整理させるにはちょうど良い景色だった。

 どうせなら陽の暖かさが氷の粒を溶かすように凝り固まった感情を解してくれればいいのに、とヘーゼルは思った。が、小説の一文のような格好つけた言い回しに、自分でも恥ずかしくなったようで、気持ちを言葉で細かく表現するのを途中で止めてしまった。

 けれどもウィルフレッドに対する複雑な心境は口に出しても昇華されることはなく、気分は一向に晴れない。

 餌でしか見られていなかったことも、今までの優しさは全て上質な血のためだったことも、今のヘーゼルにとってはどうでもよかった。

 過ごしてきた日々が全て偽りだとしても、記憶のない少女が救われたことは確かだったのだ。

 ヘーゼルが何より許せなかったのは、ウィルフレッドが自分自身の気持ちに嘘をついていることだった。

 共にいることはヘーゼルのためにならない、と冷たく突き放した可能性は十分にあり得る。

 もしそうだとするならば、あのときの「すまない」という謝罪も納得がいく。

「ただの餌に……口付けなんて、するわけない」

 こんな状況でも思い出すと、あまりの恥ずかしさに顔が火照ると同時に、そのことを本人に指摘できなかった自身の情けなさに悔しくなり涙が浮かんだ。

 そして唇に未だに残っている感触が、ヘーゼルの胸を更に締めつける。

 もう一度会って話がしたい。今までの感謝と、真っ直ぐなウィルフレッドへの気持ちを伝えたい。

 しかし後戻りができないところまで来てしまったようで、歩いてきた道を振り返る勇気すらなくなっていた。

「……さよなら」

 味気ない別れの言葉を呟き、再び歩き出す。

 背後からガラガラと馬車が近付く音が聴こえてきたため、できるだけ端に寄って歩く。

 通り過ぎるのを待っていたが、何故か馬車が目の前で急停車し、馬も荷台も前につんのめりそうになった。

 今にも倒れてきそうな勢いだったため、後退りしたヘーゼルは、足を踏み外し雪の上へ尻餅をついた。

「……っ!冷たい……!」

 起き上がろうとするが、柔らかい雪に着いた手がズブズブと沈み、上手く身体を起こせない。

 空気を掻くように右手を伸ばすと、何者かがその手を掴み、引っ張りあげてくれた。

「あ……ありがとう、ございます」

 ふぅ、と息を吐いて顔を上げると、突然頬を両手で挟まれ、首を動かせなくなった。

 いまひとつ自分の置かれている状況を飲み込めずに混乱していると、ヘーゼルの瞳と同じ色の双眸が穴があきそうなほどこちらを見つめていた。

 艷やかなブロンドとシミ一つない白皙に桃色のぷっくりとした唇。真っ赤なケープとスカートが意外にもよく似合っている。

 誰に訊ねても「美人」と評されるであろうその女性は、頬を挟んでいた両手を広げ、ヘーゼルの肩に手を回した。

 ヘーゼルはそのまま力強い抱擁をされ、手を一旦離した女性はもう一度まじまじと華奢な体躯を隅々まで見ていった。

 そして嬉しそうな声で、

「やっと会えた……!ヘーゼル……!」

と、ハシバミを意味するその名を口にしたのだった。

 何故この人は自分の名前を知っているのか、訝しげな視線を向けても女性はそんなことはお構いなしにヘーゼルの焦げ茶色の髪に顔を埋め、再び強く抱きしめる。

 どうすればいいのか分からず取り敢えず大人しくしていると、女性の肩の向こうから馬車を降りた人影が、こちらに近付いてくるのが見えた。

 短く切り揃えられた亜麻色の癖毛に、アンと同じ碧眼。赤いPコートにスリムパンツを着た少年は、ヘーゼルと歳が近いようでその顔立ちはややあどけなさを残している。

 猫のような目がキョロキョロと辺りを見回し、ひとつため息を吐くと、未だヘーゼルを放さずにいる女性に呆れながら声をかけた。

「おい、早くしないと遅れ……!?」

 視界にヘーゼルを捉えた少年の言葉が途中で止まる。

 瞬きを数回した後、目を擦りもう一度ヘーゼルを食い入るように見た。

「……へーぜ、る……?」

 確かにその名前であるがこの少年の知っている「ヘーゼル」と同一人物かどうかは断言できないため、返事をせずに黙っていると、ブロンドの女性が少年の方へと振り返り満面の笑みで首を縦に振った。

「ほんとにヘーゼルよ!信じられない……もう二度と会えないかと思った」

 女性は次第にぽろぽろと涙を流し、ヘーゼルの頭を何度も何度も撫でた。

 泣いても綺麗な目鼻立ちだな、とヘーゼルが余計なことを考えていると、少年がヘーゼルの顔を覗きこんできた。

「……おい、ぼうっとしてるけど大丈夫か?」

「えっと、あの……大丈夫です」

 知らない人にまで心配をかけまい、とヘーゼルはできるだけ普段通りの調子で答えた。

 しかし少年と女性は顔を見合わせ、喜びから一変、深刻そうな面持ちになった。

「……ねぇ、ヘーゼル。アタシが誰なのか、分かる?」

 その目はまだ、僅かな希望を持っているようだが、記憶のないヘーゼルにはその期待には応えられない。

 誤魔化しても良いことはないだろう、とヘーゼルはゆっくりと頭を横に振った。

「俺のことは……って覚えてるわけないか」

 これ以上の詰問は不憫に思ったのか、少年は口を閉じ、無言で手を差し出した。

「え……?」

「そんなとこにいつまでもいたら風邪ひくぞ。……ったく、こんなクソさみぃのに何でそんな薄着なんだよ」

 少年はヘーゼルの手を強引に握りその場に立ち上がらせ、着ているコートを脱ぐと、ヘーゼルの冷えきった肩にそっと掛けた。

「あの、ありがとうございます」

 丁寧に礼を言うと、ますます少年の眉間のシワが深くなっていき、形の良い唇が不格好に尖る。

「どのくらい記憶を失ってるか知んねぇけど、俺ら同い年位だし敬語とか使う間柄じゃねえからその……もっと気楽にしろよ。……てゆか、リリス。これから仕事だってのに、ヘーゼルはどうすんだよ」

 少年が溢れる涙を拭う女性ーーリリスに訊ねる。

 既にどうするかは決まっていたようで、間もなく今後の予定がリリスの口から告げられた。

「どうするって、こんなところに置いていくことなんてできないわ。仕事が終わるまで馬車の中か、何処かお茶が飲める場所で時間潰してもらうしかないでしょう」

 完全にヘーゼルを連れて帰る前提の話になっているので、ふと心残りになっているウィルフレッドの顔が脳裏に浮かぶ。

 正解かどうか確信はないが、仮に帰るべき場所がこの二人の元であったとしてもこのままではいけないような気がしていた。

 堪らずヘーゼルは、自分の意見を臆することなくハキハキと述べていた。

「あの」

「……?どうしたの?」

「……私、記憶を失ってからずっとお世話になってる方がいて。まだちゃんとお礼もしてないんです。本当の家族のところへ帰るべきだとは思うのですけど……ちゃんとするべきことをしてから帰りたいな、と思いまして。だから、今日のところはそちらも予定があるみたいですし、私はそんなに急に無理矢理帰らなくても良いかな、と」

 こんなに長文の意見を相手に伝えたのはいつ以来なのか、とヘーゼル自身が驚くほど長い内容になってしまった。が、一字一句聞き逃さずにリリスは時折頷きながら、最後まで黙っていた。

「ヘーゼルの言いたいことは分かったわ。……でも大事な妹を、こんな吸血鬼ばかりの森に置いていくことはできないわ。たとえ命の恩人がそこにいたとしてもね。それに……」

 すっかり涙の乾いた頬は冷気に晒され続け、赤く色づいている。

 リリスが冷たい皮膚を擦りながら下した判断に反論はせずとも、肯定もしないヘーゼルに念を押すように、決め手とも言うべき単語を織り交ぜる。

「何れにしても、『記憶』を取り戻したいなら一度は家に帰るべきだと思うわ」

 記憶、というワードにヘーゼルの目が大きく見開かれる。

 それが今のヘーゼルに足りないものだ、ということは本人が一番よく分かっていた。

 そして記憶があれば、こんなにも歯痒い思いをしなくて済むということも。

 元々住んでいた場所に行くというのは記憶を取り戻すには良いことなのかもしれない、と考えたヘーゼルは、ウィルフレッドのことを気にかけながらも真剣な面持ちで深く頷いた。

 それを見た女性は安堵の笑みを浮かべ、ヘーゼルの手をとり馬車まで誘導する。

「じゃあ……まず、覚えてないみたいだから自己紹介ね。アタシはリリス・レインブリーズ。今は二十一歳で、ヘーゼルと血の繋がったお姉ちゃんです」

 リリスが急かすように少年を一瞥すると、渋々と言った様子で頭を掻きながら、面倒そうにヘーゼルの目の前まで移動してきた。

「俺はロジャー・シャロット。……えーと、今は十八歳だから、ヘーゼルより一つ年上で俺らは幼馴染。……ってそれすら覚えてないんだよな」

 キョトンとしたままのヘーゼルを見て、少年━━ロジャーは事の重大さを思い知らされる。

「いいじゃない。これから思い出していけば」

「……簡単に言うなよ」

「家に帰って、いろんなもの見て、美味しいもの食べればきっと思い出すわよ。さ、行きましょ」

 リリスに促され馬車に乗り込んだヘーゼルだったが、不安と後悔も一緒についてきた気がしてならなかった。

「あの、これありがとうございました」

 肩にかけてもらったコートをロジャーに返そうとすると、ロジャーは仏頂面でヘーゼルにそれを押し戻した。

「寒くねぇから着てろよ」

「でも……」

「目の前でそんな寒そうな格好される方が寒く感じるから着てろ」

 言い方は乱暴だが、彼なりの優しさなのだと気付いたヘーゼルは素直にまたお礼を言った。

「昔から不器用なのよね、そういうとこ」

「うっせぇ」

 リリスに茶化されたロジャーの頬は寒さによるものなのか、先程よりも赤く染まっている。

 ヘーゼルが心配そうに見つめても「何でもない」の一点張りでそれ以上訊くことはできなかった。

 そうしている間にも三人を乗せた馬車は森を離れ、街へと近づいていく。

 ウィルフレッドといつか見た街は、雪化粧をして全く違った表情を見せていた。

 時計塔を眺めるヘーゼルに、残酷にも針は一刻一刻時間の経過を突きつける。

 後ろ髪を引かれる想いだったが、ヘーゼルが振り返ることは決してなかった。

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