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第六章:漆黒の真実と偽りの日々

「いやっ━━ !」

 反射的に押し退けたその手を絡め取る、骨ばった指と懐かしい匂いにヘーゼルは悲鳴を飲み込み、恐る恐る顔を上げた。

「うぃ、るふれっど、様」

「あぁ……すまない、遅くなり過ぎた」

 ヘーゼルの無事を確認すると赤い双眸が一瞬揺らめき、屋敷の主人、ウィルフレッドは再び肩を引き寄せ力強く抱きしめた。

「本当に……本当に、すまなかった……」

 ヘーゼルの髪に顔を埋め、その存在を確かめるように両頬に手を添え、しっかりと瞳の奥を見つめた。

「本当に……ウィルフレッド様、なのですね」

 ずっと待ち望んでいた再会は思わぬ形で叶えられたが、今はそれどころではない。

 その身を委ね、視線をじっくりと交わらせることなく、ヘーゼルは手短に現在の状況を説明した。

「そうか……覚悟はしていたが……。まずはアンの無事を確認しないと、だな」

「すいません……私……」

 アンに守られただけで手助けさえ出来なかった、と反省を口にしそうになったところで、ウィルフレッドの言葉に遮られる。

「こんな状況下でここまで自分の身を守れただけでも上出来だろう。……よく無事でいてくれた」

「そんな……」

 いつだって責めようともしないウィルフレッドの態度に罪悪感が先立つ。

 叱られたい、という訳でもないが肯定ばかりだと逆に不安になってくる。

 今それを告げるのは狡い、と喉の奥に押し込み、ウィルフレッドの後をピッタリとついていく。

 すぐに階段が目に入ったがウィルフレッドはそこには足を向けず、真っ先に食堂やキッチンがある方へと進んだ。

 壁に背を付けそっと奥を覗きこみ、即座に人差し指を唇の前に立てた。

 静かに、という合図と共にヘーゼルの背筋にピリピリと緊張が走る。

「……微かに唸り声がする。それも複数だ」

「アンさんもそこに……?」

「分からない。しかし、もしもそうだとするならあまりに静か過ぎるな」

 本で読んだ知識がまるで役に立たない、とヘーゼルは心の底で嘆き、ウィルフレッドの言葉にこくりと頷いた。

 血を求める吸血鬼とその血を持つアン、両者が同じ空間に居たら乱闘になるのではないか。

 それとも先にアンが力尽きたのか。考えたくもない結末がふと頭を過ぎる。

「……行こう」

「はい」

 周囲に注意しながら、唸り声がしたというキッチンに近づく。

「ヴゥ……ヴ……ッ」

 地を這うような声に鳥肌が立つ。

 ウィルフレッドと中をそっと見ると、四体の吸血鬼が上半身をふらつかせながら特に何もせずその場に立っている。

 気になるのは全員が同じ方向を向いているということだが、その視線の先には何があるのか。

 更に顔を出し、吸血鬼を引きつけている正体を探ろうと試みる。

「止めたほうがいい」

 ヘーゼルよりもキッチンの中が見やすい位置にいるウィルフレッドの腕が、その好奇心を制す。

「何故ですか」

 小声ながらも力強く訊ねるヘーゼルに、ウィルフレッドもどう答えれば良いのか、真剣に悩んだ。

「意地悪で言った訳ではない。ただ、ヘーゼルが見たらショックを受けるに違いない」

 違和感しか感じない返しに、ヘーゼルも黙っていられなかった。

「ショック………?もしかしてアンさんに何か………!?」

「落ち着け、ヘーゼル」

 ウィルフレッドの静止も聞かず、ヘーゼルは小声で叫びながら詰め寄っていく。

「無理です………!そんな……アンさんに何があったというのですか………!?」

 息が交わりそうな程近い距離でウィルフレッドを問い詰め、その胸で絞り出された声を押し殺す。

「私には知る権利も無いのですか……?」

「……違う、違うんだ、ヘーゼ━━」

 何かを言おうとしたウィルフレッドの声がプツリと突然に途切れる。

 強く身体を引っ張られたが、何が起こったのか分からないヘーゼルの足は、その場に縫い付けられたように動かなかった。

 その刹那、耳元であの唸り声が響く。

 自分の置かれた状況をその一瞬で理解できたが、動作がそこまで追いつかず、ヘーゼルができたことと言えば、首を腕で覆うことくらいだった。

 予想通り、左腕に鋭い痛みが走り、ヘーゼルは我慢できずに声をあげた。

「あうぅっ……!!」

 それでもどうにか音量を最小限に止め、その場に膝をつく。

 駆け寄ったウィルフレッドは、いつの間にかヘーゼルの背後にいた吸血鬼を素手で殴り飛ばし、懐に隠していたナイフを心臓に突き刺した。

「大丈夫か……!?」

 ヘーゼルは吸血鬼に噛みつかれた際にできた傷を押さえ、痛みを堪えるために無意識に下唇を噛み締めていた。

 ヘーゼルを落ち着かせようと背中をさすり、ウィルフレッドは自身の白いスカーフを包帯代わりにし、華奢な腕に巻き付け縛った。

 そして当然ヘーゼルの血の匂いを嗅ぎつけ、キッチンの中にいた吸血鬼達が一斉に外へと出てくる。

 ウィルフレッドの表情も険しく、手のひらは緊迫と焦りで汗が滲んだ。

 血を流さなければこんな不利な状況に立たされなかっただろうに、とヘーゼルは注意を欠いた数分前の自分に苛立ちを覚えた。

 このままでは屋敷の外にいる吸血鬼までも引きつけてしまう、と一旦身を引こうとした矢先、案の定嗅ぎつけてきた吸血鬼に退路を塞がれる。

 結局計七体の吸血鬼に囲まれる形となり、まさに絶体絶命という状況だ。

 じりじりと狭まっていく距離は、打開策をじっくり練る時間がないことを示していたが、ウィルフレッドの表情はそれとは真逆で、清々しいほどの笑みを浮かべていた。

「逃げ道の吸血鬼だけなら、私達だけでもなんとか……」

 そう提案したヘーゼルは、銃をホルスターから抜こうとしたが、ウィルフレッドが頭を横に振り、首を傾げながらグリップから手を離した。

「……他に何か方法があるのですか?」

「……ないな」

「じゃあ」

「銃声で更に寄ってくるだろうな。ここにいる吸血鬼は七体、装填されている弾は六発。一発でも外した場合は今以上の窮地に立たされるだろうな」

 淡々と否定されるが意地悪でも嘘でもないそれに反論する余地はない。

 名案も思い浮かばないまま時だけが残酷にも過ぎていく。

 吸血鬼とヘーゼルの距離が十歩ほどになったところで、ウィルフレッドは目覚めの挨拶のように優しい声音でその名を呼んだ。

「ヘーゼル」

 返事と共に勢い良く振り返ったヘーゼルの頭を自身の胸にすっぽりと収め、肩に腕を回した。

 再会の喜びなら先程分かち合ったばかりだ。

 では今、抱き締められているのはどういうことなのか、と切迫した空気に似つかわしくない感情に支配されかけたヘーゼルに、ウィルフレッドは更なる追い打ちをかける。

「……すまない」

 耳元を掠めた声は震えており、それは今までに聞いたことがないほど切ない謝罪だった。

 身動きがとれずに腕の中でヘーゼルがもがくと、ウィルフレッドは顔に掛かった髪をかきあげ、凍えた白皙の頬を指でそっと撫でた。

 そしてやがてその指は何かを言いかけているふっくらとした唇をなぞり、そこへウィルフレッドは、自分の唇を重ねた。

「んっ……!?」

 あまりにそれは急で、状況を飲み込めずにいるヘーゼルにウィルフレッドは容赦なく、そのか細い吐息を貪った。

 唇だけでは留まらず、ウィルフレッドの熱く湿った息は頬、耳、喉元を這い、吸血鬼と二人の距離があと三歩というところになるまでそれは続いた。

 そして酸素が足りずふらついたヘーゼルの首筋に牙が食い込む寸前。

「ありがとう……さよならだ」

 あまりにあっさりとした別れの言葉が放たれ、真っ白な光が閃いた。

 次に瞼を上げたヘーゼルの視界に入ってきたのは、床に倒れ伏す吸血鬼達とキッチンから現れたアンとウィルフレッド。

 ヘーゼルにとって大切な二人の無事な姿である筈だった。

 それなのに、今見えている光景はヘーゼルにとってとても信じ難いものだった。

 違和感などという単純な言葉で済まされない。喉の奥から縋る様に出された音は途切れ途切れで、今にも消えてしまいそうな声で訊ねる。

「どういう、こと……なんですか……?」


 ショックのあまり、その場に崩れ落ちたヘーゼルを見つめるのは赤く発光する目が四つ。


 固く引き結ばれた口はヘーゼルの問いに答えない代わりに牙が隙間からはみ出している。


 そのどちらもこの屋敷の主人、ウィルフレッドとその使用人、アンのものだった。

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