第五章:遠い夜明けとセピアの記憶
夜、朝、夜、朝、夜……。
指折りで確認し、机上の紙切れに過ぎていった日数を記していくのが日課になった。
吸血鬼が屋敷に張りついてから三週間、そしてウィルフレッドが発ってから一ヶ月が過ぎたことにになるが、音沙汰は全くなかった。
天気も晴れたかと思えばすぐに曇りと雨に変わり、迂闊には外に出られない状態が続いていた。
暖炉から離れた部屋は息が凍るような寒さで、指先も悴んでいる。
ウィルフレッドが居なくなってから二人で向かい合わせに座り食事をしてきたが、庭の野菜は取りに行けないため食卓は殺風景で、話もいまひとつ弾まない。
香辛料と塩気がきつい干し肉を噛める硬さになるまで舌の上で転がし、瓶詰めにされた酢漬けの野菜を胃にひたすら押し込んでいく。
アンが焼いたパンが高級食材のように美味しく感じるのも無理はなかった。食料はまだ暫くは備蓄があるということで、心配するほどではない、とアンは言った。
しかし、ヘーゼルの一番の心配事は食料ではなく、窓の外から聞こえる音だった。
窓に近づく度に、壁を穿つ音だったり、窓ガラスを叩く音が鈍く耳を突く。
カーテンがきっちりと閉められていてもその向こうの光景を想像するごとにヘーゼルの身体は震えた。
――もしこのガラスが叩き割られてしまったら、血に狂った化け物たちはどのようにして自分を殺すのだろうか。
ライオンのように首筋に牙を立てて一瞬で仕留められてしまうのか。それとも手足の血を一滴ずつ搾り取ってゆっくりとその命が尽きるまで食事を楽しむのか。
いずれにしてもヘーゼルにとっては喜べない結末だ。
不吉な想像を払拭するようにブンブンと頭を横に振って、窓際から少しずつ距離をとる。
それから数秒経つと獲物の気配を感じとれなくなるのか、物音ひとつしなくなるのだった。
「本当に……無力だなぁ」
記憶を失くす前の自分が今の自分を見たら、酷くガッカリするかもしれない。
全てを思い出したときの自分自身に顔向けできるような日々を送ってきた、という自信は今のヘーゼルになかった。しかし今からでも遅くはない、と意を決して廊下に飛び出る。
真っ先に目があったのは銀色の鎧の置物で、此処へやって来たばかりの頃は何者かが鎧の下から睨んでいるような気がして、ヘーゼルは苦手だった。
最近になってようやく直視できるようになったが、目的はにらめっこではない。
鎧の右手が構えている一本の剣を拝借し、その柄をぎゅっと強く握った。
「ん……ぉぉお、お、重たい……!」
剣と言ってもその全長はヘーゼルの身の丈近くにもなり、幅もヘーゼルの顔がすっぽりと覆われてしまうほどの大剣だ。
振り回すどころか持ち上げるのも困難で、よろよろと覚束ない足取りになる。
折角の大剣はヘーゼルの杖代わりになってしまった。
「何を遊んでるの?」
「ひゃ……!?」
いつの間にかヘーゼルの背後に立っていたアンは、軽々と大剣を取り上げ、元の場所に戻した。
「もう……今怪我なんかされたら洒落にもならないんだから止めてちょうだい」
「う……でも万が一に備えておきたくて……」
いつまでも守られてばかりで、いざというときに足手まといになるのは嫌なんです、とアクアマリンに似た二つの瞳をじっと見つめた。
その真剣な眼差しに一瞬頷きかけたアンだったが、すんでのところで却下することになった。
「あのね、戦い方も忘れてて自衛すらままならないあなたに、武器なんか持たせられるわけがないでしょう。旦那様が帰られたら私が叱られるんだけど」
「……ごめんなさい」
そこまで言われると先程までの決意も何処へやら。ヘーゼルは黙って引き下がるしかなかった。
「それよりももっと短くて細い剣であれば、私だってある程度は戦えるのよ。そのときは私に任せておきなさい」
最初の頃は冷徹で笑みなど想像できなかったが、目の前のアンは拳を自分の胸にトンと当てて、自身げに笑っていた。
ウィルフレッドとアンがいるこの屋敷は自分にとって安全で安心な場所なのだ、と再確認できたようで、ヘーゼルの表情も和んだ。
その瞬間。
狙ったように破砕音が屋敷中に響き渡った。
跳ね上がるような勢いで踵を返し、二人同時に音のした方を向く。
「私が使っている部屋……ですね」
「……そういえば、庭に出られる大きい窓があったわね」
息を殺しながらそっと扉を開ける。
隙間から部屋がどのような状態になっているのか、アンは目を細めながら薄暗い空間を出来る限り見渡していった。
「ヴゥ……ヴゥ……」
地を這うような低い声にヘーゼルの身体は凍りついたように固まる。
聴覚が伝えてくる恐怖にただただ怯えるしかない。
恐ろしさと悔しさがないまぜになり、視界がぼやけていく。
「泣いてる暇はないわ。……どうやら風で飛んできた木箱の破片がガラス窓にぶつかったみたい。そこから一体だけ入ってきているけど、まだ私たちの存在には気付いてないから先手を打たないと」
そっと扉を閉め、隣の部屋から持ってきた鎖と南京錠で、扉を固く閉ざす。
音をたてないように、アンは慎重に鎖をぐるぐると巻いていったが、金属同士が擦れ、シャラシャラと楽器のように鳴ってしまった。
その音に鋭く反応した吸血鬼が、扉を突き破ろうと向こう側から殴打しはじめる。
「ひっ……」
「ほんとに、厄介な奴らね」
嘆息とともに長いスカートをたくしあげ、ヘーゼルの手を取り二階へとかけ上がる。
毎日掃除をしているせいで屋敷の広さを忘れかけていたが、特に今は、この階段さえも恐ろしく長いように感じる。
心臓は早鐘のように激しく脈打ち、呼吸はあっという間に乱れていた。
それでも足を止めるわけにはいかない、と一歩一歩確実に上っていく。
「……扉、大丈夫でしょうか」
階段を上りきり、二人で足を止めて階下を見る。
未だ微かに叩いているような音はするが、扉が破られた様子はない。
「長くはもたないと思うわ。鎖と鍵はともかく、この屋敷自体が老朽化しているから……ドアノブのネジ、緩んでるかもしれないし」
「これから、どうすれば……」
先程から訊ねてばかりの口に嫌気がさす。何の解決法も見出だせない、現状を打開できそうな妙案も浮かばない。悔しさに下唇を噛み締め、グッと感情を抑える。
「取り敢えず、貴女はそっち」
「え……?」
アンが真っ先に向かった場所はウィルフレッドの書斎だった。
どの部屋よりも重厚そうに見える扉は、ヘーゼルが訪れたときにも開けるのに一苦労した覚えがあった。
確かにここであれば多少殴打されたくらいではびくともしないだろう、と少し気を緩めたヘーゼルだったが、アンの行動にすぐさま疑問を感じた。
「アンさんはどうする気ですか……?」
両開きの扉の片側を難なく押し開けて、ヘーゼルを先に中へと入れたかと思えば、アンは扉を押さえたままその場から動かない。
一歩も部屋の中に足を踏み入れないどころか、無言で扉を外から閉めようとするのだった。
「まっ、待ってください……!」
扉の隙間から手を伸ばし、アンのエプロンを掴もうとする。が、その手はアンの冷えた手指に絡めとられ、部屋の中に押し戻されてしまった。
「私まで一緒に引き込もったって、奴らが出ていってくれる訳ではないわ。このままじゃお互いに寒さで凍え死ぬか、食糧が尽きて飢えて死ぬしかない。……旦那様がお帰りになる気配もないし。でも留守を預かっている以上、この屋敷も、貴女も失えない。……使用人をクビになったら困ってしまうでしょう?」
闇の中でも綺麗な微笑を浮かべ、扉をバタンと閉めて踵を返したアンを追いかけようと、ヘーゼルもドアノブに手をかけた。
「……っ、あっ、開かな、い……!」
どんなに引いても扉は微動だにしない。
扉の隙間を覗くと、外から鍵がかけられていることが分かり、ヘーゼルは直ちに諦めることにした。
何か他にできることは、とキョロキョロと辺りを見回す。
「あ……」
部屋の隅にある木目調の扉がふと、目に入った。
本好きのヘーゼルのために、ウィルフレッドは自分がいなくとも自由に出入りできるように、と施錠せずに出かけたらしい。
値打ちのありそうな貴重な本の存在を薄々と感じてはいたが「いつもは鍵がかかっている所なんだから」とアンの口から聞き、書架そのものの価値を思い知ったのだった。
それはさておき、一冊の本がヘーゼルの脳裏に浮かんでいた。
この絶望的な状況を覆せるだけの情報が書かれているとも限らないが、見てみないことには何も始まらない。
暗く湿気た空気の中へ手を伸ばし、目当ての本を探す。
しかし暗さにも慣れて、よく本を読みに来ているとなれば、どの本がどの辺りに置いてあるかを思い出すのはヘーゼルにとってそう困難なことではない。
「━━あった」
辞書のように分厚く、臙脂色の硬い素材で出来た装丁には、『吸血鬼を祓う者たち』とタイトルが刺繍で
書かれている。
最初に読んだときには気にも留めていなかったが、紙がよれていたり折れている箇所がある。
ウィルフレッドが何度も何度も読み、吸血鬼の対策を練っていたのかと思えば何ら不自然なことではない。
目が暗闇に慣れたとはいえ文字を読み進めるには限界があるため、ウィルフレッドの机上にある蝋燭に火をつけた。 そしてこの前途中で読むのを止めてしまったページよりも先をパラパラと捲っていく。
すると文字ばかりで埋め尽くされた小難しそうな紙面から一変、簡略化された図を交えての説明文になっていた。
「吸血鬼祓い」たちは生まれながらにして、その力を身体に宿しています。
その身体に流れる血は吸血鬼たちにとっては毒になり、血を塗った剣で心臓を突き刺さればひとたまりもありません。
一日太陽の元に晒した井戸の水に、浄化の力があるローズマリーやセージといったハーブを磨り潰して加え、その水を銀が含まれたナイフや銃弾にかければ、力のない者でも吸血鬼と戦うことができます。
ただし、効果が切れるのが早いため、「吸血鬼祓い」でない者は逃げるのが一番でしょう━━。
「……っ」
この部屋にそんな用意周到に材料があるわけない、と憤りながら本を閉じた。
そもそもこんな悪天候が続いているのに「太陽の元に晒した井戸の水」とはなんと意地悪なことか、とヘーゼルは困り果てた。
こうなったら自分で考えてなんとかするしかない。
罪悪感に胸を痛めつつも、ウィルフレッドの机の引き出しを「おじゃまします……!」と一言断りを入れてからごそごそと漁る。
何か使えそうなものはないか、と一段一段くまなく視線を走らせていくが、本の記述に沿ったものは一つも見つからない。
せっかく見つけた銃の中に入っていた弾は銀が含まれているようには見えない。贅沢も言っていられないので、万が一に備えてホルスターごと腰から下げた。
「……すいません、お借りします」
ずっしりとした拳銃の重みが、今が平凡な日常ではないことを思い知らせる。
「扉からは……やっぱり出られないか……」
ドンドンと強めに叩いてみたが、やはり結果は先程と同じ。
銃口を隙間にあてがったが、弾の無駄ではないか、とすんでのところで思いとどまった。
「他に……出られそうな場所は……」
ここで助けられるのをただ待つしかないのか。
そんなのはごめんだ、と頭をブンブンと振って気持ちを奮い立たせる。
俯いてばかりでは何も見えてこない、と何かの小説で読んだ一文を口にして顔を上げると、確かに一つだけ外へと続く扉が目に入った。
窓ガラスと言う名の扉だが、ヘーゼルは躊躇うことないしっかりとした足どりで窓辺に近づく。
キィ、と軋む音を気にしながらゆっくりと窓を開け、外の様子を伺う。
あれこれ物を置く程のスペースはないが、一応ベランダになっているようで、天候の良い日中であれば緑が濃い森を一望できるだろう。
しかし今、ヘーゼルの眼前に広がるのは透き通る白い景色。緊張であまり気にならなかったが、この雪景色を目の当たりにしたせいか、ヘーゼルの体は氷のように冷えきってしまった。
こんなことになっていなければ、雪が降り始める空をウィルフレッドと共に見上げることができただろうか。今となっては取り戻せない時間を求めてしまう自分に、ヘーゼルは嫌悪感を抱いた。
手すりに掴まりながら下を見ると、動いている「人影を二つ」視界に捉えた。
恐らくあれが吸血鬼なのだろう、と覚悟を決めながら深く深く息を吸い込む。
肺を刺激する凍てつく空気に噎せそうになるが、唾を飲み込みグッと堪える。
木の幹が雪に埋もれ、その身丈をかなり低く見せている。この雪の積もり具合ならばここから飛び降りても大丈夫だろう、と身を乗り出す。
できるだけ足が地面に近づくように、まず手すりにぶら下がり、それから柔らかそうな雪めがけ飛び込んだ。
ぼすん、と柔らかい雪に身体が包まれ、怪我も痛みもなく済んだが、当然体温で溶けた雪が水となって服の上から容赦なく染み込んでいく。
濡れた箇所から熱はどんどん奪われ、歯がカチカチと音をたてるが、それでも立ち止まるわけにはいかない。
(お願い、もう少しだけ動いて)
凍る足に鞭打つように、気力を動力にしてその場に立ち上がる。
既にヘーゼルの背後から、落下したときの衝撃に気付いた吸血鬼がのろのろと近づいていた。
幸い今はクリーム色のロングスカートに真っ白なブラウスという、雪に溶け込みやすい服装をしていたため、ヘーゼルはわざと雪の中に埋もれて息を殺した。
ぎりぎりまで吸血鬼を近付け、ホルスターから拳銃を取り出す。
ギュッギュッと雪を踏みしめる音を至近距離に感じた刹那、ヘーゼルは息を一気に吐き出し、吸血鬼の背後をとった。
獲物を視界に捉えた吸血鬼は血走った目を不気味なほど動かし、歓喜の声を轟かせようと深紅に染まった口を大きく開いた。
「……っ!」
トリガーに指は掛けず、グリップの部分で吸血鬼の後頭部を強く殴打する。
声を上げるより早く、ヘーゼルは吸血鬼の肩を掴み体重をかけて雪の中へ押し込んだ。
「グッ……ヴッ……ヴ……」
くぐもった呻き声を出しながら残された力で必死に足掻くが、ヘーゼルが腕をきつく締め上げているため、身動きがとれない。
とどめに、とヘーゼルが先程と同じように殴ると、吸血鬼の腕は力なくダラリと落ちた。
近くにいたもう一体の吸血鬼も同じように倒すと、血を浴びた拳銃を雪で拭い、息と足音を潜めながらヘーゼルは自身が使っていた部屋の手前まで進んだ。
そこから吸血鬼が屋敷の中へ侵入していたにも関わらず、気味が悪くなるほど静かで、様子を見ようと背中を壁に張り付けながら、恐る恐る顔を覗かせた。
「……居ない?……どうして」
木箱の破片が窓ガラスを突き破っているのは確かだが、吸血鬼がいる気配は全くない。
そしてヘーゼルにはもう一つ、違和感を覚えていることがあった。
「風、そんなに強くない気がする……」
木箱の一部と言えど羽のように軽いわけではないのだ。こんなに弱い風で窓ガラスを割るほどの勢いで飛ぶなどということがあり得るのか。
そんな疑問に答える者も居ないため自分の目で見て調べていくしかないな、と割れた窓ガラスに近づいた、その時だった。
「痛ッ……!?」
頭を針で刺されるような、鋭い痛みが走った。
キーンという耳鳴りも同時に襲い、立つこともままならなくなったヘーゼルはその場に座り込んだ。
この状況で吸血鬼と鉢合わせたらひとたまりもない、と体勢を整えようと試みるが、身体が思うように動かない。
寒さであらゆる関節の感覚が鈍っているというのもあるが、今のヘーゼルはそれ以上の苦しみを味わわせられていた。
脳裏に鮮明に浮かぶ、正面から襲い来る吸血鬼の顔と、それを容赦なく短剣で切り裂いて行く自分の手。
断末魔の叫びをあげる喉に銃弾を撃ち込む金髪の女性。
ヘーゼルに縋りつく血濡れた手を、革靴で蹴り飛ばす同い年くらいの少年。
ヘーゼルが失った記憶の一部であることは間違いないのに、やはりそれをヘーゼル自身が拒んでいるようだった。
思い出そうとすればするほど、頭痛は鐘を打ち付けるように激しくなっていく。
気を紛らわそうと、一番信頼できる人物の顔を思い浮かべ、深く深く息を吸う。
頭痛が収まり暫くすると、先程のように脳内に映像は流れなくなった。
ただし、吸血鬼を切りつける感触だけはどうやっても消せそうになかった。
「……わたしは、吸血鬼と戦ったことがあるの……?」
吸血鬼を目の当たりにしてもしっかりと、その赤く発光する眼を見つめ返し、戦闘ではどこが急所なのか、そして相手の行動まで見極めていた。
頭で考えるよりも早く、戦い方を覚えた身体が先に動く。
「……今は考えるよりも前に進まないと」
割れた窓から中へと腕を伸ばし、鍵を外し静かに侵入する。
この入り方を傍から見ると泥棒に間違われそうだが、れっきとしたこの屋敷の客人だ。
パキパキとガラスの破片をを踏みしめる音にヒヤヒヤしながらも着実に奥へと進んでいく。
ヘーゼルが毎日眠っていたベッドや、本を読む度に座っていた椅子も血で汚れていたり、背もたれが壊れたりしている。
「……酷い」
本も何冊か床に落ち、靴跡がくっきりとついてしまっているのを見て、ヘーゼルは胸を痛めた。
赤い手形がびっしりと敷き詰められた扉は、蝶番から派手に外れている。アンがしっかりと括り付けた鎖に力なくぶら下がる形になり、事の壮絶さを物語っている。
廊下にも点々と血の跡が付けられており、ヘーゼルはそれを頼りにアンと吸血鬼の居場所を探っていく。
客室に近いバスルームやトイレからはまったく気配がしないため特に注視せず、背後と物陰に気を配りながらエントランスホールへと向かう。
普段は吹き抜けで開放感のあるそこは、今のヘーゼルにとって虚無感を増幅させる場所でしかない。
壁伝いに逃げるように暖炉の前に辿り着き、ウィルフレッドと共に腰掛けたソファーと、ヘーゼルが戦慄した内容の絵本が目に入る。
ストーリーはともかく、ウィルフレッドと過ごした貴重な時間の一部が蘇り、鼻の奥がツンとなる。
記憶も疎らなままで、大切な人たちさえも失いかけてる今、どうすればいいのか。答えを求めるように、ひっそりと隅に佇む大きな鏡を見つめた。
暗闇に慣れた目に映るのは、色素の薄い肌と鎖骨の辺りまである真っ直ぐな髪に、決して美人とは言えない顔。
貧相な胸囲を隠すために敢えて胸元に大きなフリルの付いたブラウスを身にまとい、同じように肉付きの悪い足を覆い隠すようにロングスカートを履いている。
ヘーゼルの自信のなさが顕著に表れている装いだが、今は意志の強い目が鏡の向こうから睨み返していた。
鏡像の自分に背中を押された様な気がして、ヘーゼルが踵を返そうとした、その直前。
ヘーゼルの背後に赤い目玉が映った。
動揺し動きが鈍ったヘーゼルの肩に、素早く伸びた手は、強引にその肩を引き寄せたのだった。