喫水線の下の世界では
次の仕事を探さなければならない。
潜水士の寿命は短い。
それでもまだ、趣味で潜るなんて歳でもない。
特殊な世界なのだからこそ、声をかけられた。
AIを搭載した潜水作業艇の訓練だ。
人が潜るには限界がある。
潜水艇は潜られるが、人がいちいち指示しているようでは、とっさの判断が遅れる。
海の中のオールマイティを目指しているのだ。
この歳になって、人工知能がバディに、なったのだった。
俺の意見も取り入れられて、無粋な機械的外見から、イルカに似た、外殻に収まった。
元々、水の中を泳ぐのに適していたからだが、人魚のホルムは馬鹿馬鹿しさに、却下した。
タンクを背負って、イルカロボットと泳ぐ。
俺の知ってることはすべて教えるのだ。
そして、海の中での実践を積む。
左手に付けた液晶パネルの指示機で、意志の疎通をはかる。
俺はこいつに《日向》と、あだ名をつけた。
陽射しのある水面に上がってこられるようにだ。
破格の待遇だった。
俺の意見は第一に守られた。
俺は理解力と記憶力を重視した。
理屈を言わず、まず従う日向は良い生徒だ。
海で作業するものの心得なんてのは、それ以下でもそれ以上でもなく、ただ守るべきものなのだ。
日向は、良いダイバーだった。
潜水病の心配も無いし、勝手な行動もしない。
そのくせ、俺のユーモアにも反応する。
音声認識ソフトを搭載してもらったのは、俺以外の人間とのやり取りに支障が出ないようにだ。
日向に、人間を理解させるのは、楽しかった。
俺自身、人間がこんなに出来が悪くて、日向に手加減の仕方を教えてると思うと、なんだか情けないが、そもそも陸の動物なんだ、人間は。
日向は真面目に、人間を助けてくれる。
そして、できる事が多い。
俺らは、海の中で色んな遊びもした。
イルカの外見の日向は、魚にも好かれる。
イルカが小魚に餌をやってるのだ。
俺は、日向に指示というものは絶対ではないと、教えなければならなかった。
それには遊びの部分が不可欠だ。
刻々と変わる情勢についていけなければ、海では、事故が起きる。
例えば、閉ざされたドアの前で延々と待っていたら、中の人間は死ぬかもしれないのだ。
日向には、焼き切る装置も搭載されている。
暗闇でも1度通った場所に、迷いなく進めるのだ。
海底に魚のアパートとして沈められたブロックや廃車の車などを使って、鬼ごっこやかくれんぼをする。
人を認識させ、人と違うところを伸ばすのだ。
俺は、海を仕事にするもののルールを遊びながら教えていった。
珊瑚の種類や蛸の赤ちゃんなんかも、その中に入っている。
俺らが捉えきれない、それらの幼少期の幼生としての姿は、水の中ではほとんど透明で、どれがどれやら一瞬ではわからないが、日向はいとも簡単に、区分けし教えてくれる。
俺もあんな眼が欲しいほどだ。
このAIに日向と名付けたが、これら幼生は本当に陽の当たる場所で泳ぐでもなく、フワフワと、浮いて波任せに生きているのだ。
流されてきた自分たちより小さなプランクトンを食べている。
もちろん幼生自体、ちょいと大きめな生き物に、喰われるのだが。
俺も日向もこいつらをついついえこひいきしたいのだった。
日向との訓練は、楽しかった。
俺は海を再認識していた。
日向がいれば、俺が陸に上がる日も、今よりずっと先になるだろう。
それに、他のダイバー達の安全も確保されるはずだ。
日向1台で、俺らが束になってもかなわないだろう。
何せ、溺れないのだ。
海底の地図も、日向が捉えたものでかなり精度が上がった。
日向は俺の考える地図を再現できるのだ。
俺からの指示はドンドン少なくなっていった。
やがて、海流の流れや、海底の堆積物なんかの、俺では把握仕切れないデータが、日向には、蓄積されていく。
段々と行動範囲を広げながら、日向は海を覚えていった。
自走式なので日向は、単独で行動するようになっていった。
単独行動も、出来なければ困る。
俺らは、上でモニター越しに日向の行動を見る事になった。
日向がその中に、何を貯めていたのかは、誰も知らなかったのだ。
ここいらは、外海との境で、潮目も荒く、海流も激しい。
島も点在し、海底山脈も長々と連なっていた。
海の中の登山だ。
上から下に、日向は沈んでいく。
日向が送ってくるモニター画面にみんなで食い付く。
日向が人では、潜れない深みに入った。
思ったより魚がいる。
日向は、その身体に、色々な作業用義手と、強力なライトを、完備している。
データ用に岩を削り、サンプルを取る。
珊瑚や魚などの生き物には、手を出さない。
サルベージとしても、訓練してあるが、そうそう座礁船なんかには、当たらないのだ。
俺が訓練した日向は、自分が見たい場所に、向かうのだ。
人があれこれ指示を出さなくても、日向は潜って行く。
これというものに出くわさない限り、無駄にライトでそこらを荒らすこともない。
暗視カメラの白黒な絵が、モニターに映し出されていた。
かなり大きな魚がいたが、日向は気にしない。
やがて、広い砂地が現れた。
その堆積物の下をスキャンして行く。
古い陶器や木材が認められたが、格別何もなく日向は船に帰って来た。
日向を格納庫に収めると、1日のデータを、持って港に帰るのだ。
俺の仕事は次のAIの訓練だった。
慣れてきたので、日向の時より短い時間で、訓練は終わった。
俺のコピーのような、自走式の潜水艇が3台になったのだった。
左手に付けた液晶の指示機の使い方にも慣れたのも大きい。
4台目の訓練と日向達との連携を構築していた時、それは起こった。
海での衝突事故だ。
定期便の船とタンカーが接触したのだ。
衝撃で水中の中、錐揉みした俺を、日向が受け止めてくれた。
残りの3台も素早く、俺の側に集まっていた。
俺は、日向とNo2と3を、偵察に出した。
4番目の訓練機はまだ心ともないのいので、船に帰り、格納する事にした。
俺は、船で事故の報告をしていた。
タンカーは、定期船をひび割れさせていた。
傾きだした船は、徐々に沈み出す。
救命ボートがおろされ、人々が飛び込む。
日向とNo2、3は、音声で話しかけ、救助活動をしている。
ボートを事故現場から、引き離すように、指示をだした。
定期船は、益々傾き、危険な角度になって来ていた。
船は自らの浮力で浮いているが、一旦沈み出したら、誰も止められはしないのだ。
タンカーはあまりに大きく、定期便船は、小さすぎた。
俺らの船にも、No2が背中に乗せた乗客を連れてきていた。
格納庫入り口から、助け入れると、次の救助に向かっていく。
タンカーからも、ボートがおろされ、救助が始まった。
俺らの船には、5人が救助されていた。
その脇に、日向が引いてきた、救助ボートも到着した。
定期船が、嫌な音を出して、その船尾を水の中にグワンと、沈めた。
泡と水飛沫を上げて、船が海に飲まれていった。
嫌な渦を残し、船は海底に飲まれていった。
まるで、それを見届けるように、しばらくしてから、日向が潜った。
巻き込まれないように距離を取るように指示した。
日向の眼が、海の中を映している。
巻き上げた粉塵の中に、船が船首を上に、海底に突き刺さってる。
日向が、遠巻きにスキャンを始めた。
生命反応がある。
船首部分に、2つ。
俺が潜れる深さだ。
その側には、海底の渓谷が口を開いていた。
荒涼たる暗闇が引き裂かれたその口を見せている。
日向は、やがて船が傾く危険を知らせてくる。
すぐさま、予備の潜水具を、呼び寄せたNo2に持たせ、俺も支度する。
俺はタンクを装着するのが早い方だが、この時は、自分がなんてもたつくんだと、イライラしたのを覚えている。
海に飛び込み、No2に引かれて、船に向かう。
No3には、船外で待機させる。
その間に、日向が船内を探索していた。
その誘導で、迷う事なく、船首の空気溜まりに、たどり着いた。
探索といい、日向達の連絡の密さと行動力は、どんなダイバーでも、真似できない。
そこに居たのは、機関士の2人だった。
彼らは、俺の言う事をよく理解した。
日向が教えた通りの行動をとり、彼らに説明までしていたからだ。
暗闇の中、日向とNo2のサーチライトで、2人に、潜水具を装着させた。
狭かったが、どうにかタンクを2人に背負わせる事が出来た。
レギュレターのいらない、フルメットの潜水具なので、かぶるだけでこちらが調整すれば良く、使いやすいのだ。
エアーで膨らむベストで装着すれば、水も入らず、浮力も出て泳がせやすい。
イルカの型の彼らなら、こういった物も、格納して運び込めるのだ。
日向とNo2に、2人を任せ、後を追って迷路のような船内を泳いで行く。
船の外に出た時、定期船は、そのバランスを崩し出した。
巻き込まれる訳にはいかない。
日向は、外で待機していたNo3に1人を任し、すぐさま共に、ここを離れなければならないと、俺に知らせてきた。
その時、上からレーダーにこちらに向かってくるものがいると、連絡が来た。
俺は万が一に備えて、No2と3に、2人を抱える事を指示した。
伸ばしてもらった長い触手を腰に巻いた。
日向は、傾きつつある定期便船のその先を睨んでいるようだった。
その時、あの割れ目からそれは、上がってきたのだった。
日向のサーチライトの中、突然、船が現れたのだ。
俺は、No2と3に挟まれ、2人の民間人を守りながら、海面の船に向かって泳ぎ出していたが、日向を呼ぶのを忘れはしなかった。
嫌な船だ。
ついてくるように日向に指示を出したが、日向は拒否した。
泳ぎ去りながら、俺はその幽霊船を見ていた。
いつの時代の船だろう。
帆船が謳歌した大航海時代の遺物に見える。
船首に飾りもなく、マストは折れ、帆はボロボロで、千切れた大綱が、海蛇のように、のたうっている。
日向のサーチライトが、照らしているのは、幽霊船の一部だが、そいつが巻き上げる黒い堆積物の渦が凶々(まがまが)しい。
俺が見たのは、日向がその幽霊船に向かって行った、一瞬の光の爆発の中だった。
光の洪水は、衝撃を起こし、俺たちを渦に巻き込んだ。
2台の潜水艇が出す作業用義手に掴まれてなかったら、3人ともここにはいなかっただろう。
気絶した人間3人は、2台の作業用潜水艇に助けられて、どうにか海面に出ていた。
気がついた俺は日向の消息を聞いたが、誰も答えられなかった。
日向の位置測定緊急用ビーコンは、その音を止めていたのだ。
日向達は、岩礁に船底を引っ掛けた船用に、岩礁を取り除く為、小型の魚雷を装備している。
それの発射が記録されていた。
No2と3が探索に出たが、定期船も幽霊船も、発見できなかった。
あの裂け目に何もかも飲み込まれたのだ。
あの黒々とした幽霊船は、何だったのだろう。
No2と3の船尾のカメラには、歪んだ黒い大きな影が残っていたが、幽霊船と認識出来るだけのデータは、残っていなかった。
まともにあれを見たのは、日向と俺だけなのだ。
漂う幽霊船と共に、日向は消えた。
俺の左手の液晶パネルには、あの日、日向の最後の言葉が残っていた。
『アガレ。』と、一言。
今は、ここまで。