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「水晶の魔女」の魔法塾

詩歌の魔女マリとインドからの客

作者: 蒼久斎

 3人目の先生というか、むしろ「大先生」登場です。1作目「修辞の魔女アヤ」、2作目「天文の魔女サヤ」&「律動の魔女リオ」の師匠、「詩歌の魔女マリ」登場。彼女とその師匠「歴史の魔女マヤ」の歩んできた、今に繋がる歴史。

 ついに、本格的な「国際交流」です。シリーズにする時、続けるんなら絶対、インド人の魔法使い出すって決めてたんだ! そして、前作からチラチラにおわせていた「魔女」と「魔術師」の対立についてもちょこっと。そしてどうでもいいかもしれないですが、リオの本名判明です。



 わかりやすく言えば水晶、地学的に言えば石英。これらは、二酸化ケイ素を主体とする鉱物である。酸素は地球上で最も多く存在する元素であり、ケイ素はこれについで多く存在する元素だ。少し乱暴に要約すると、いわゆる「水晶」というものは、地球の小さな結晶なのである。

 「水晶の魔女」は、相性の良い「適合水晶」や「番の石」を、小さな地球に見立てる。そして、その「小さな地球」から「大きな地球」へ。つまり、自分たちを取り巻く大自然へと、メッセージを伝える回路を構築する。その回路を用いて、大自然から力を借りる方法を知り、それを実行することで、ほんの少し、不思議に見えることを起こせるようになる。

 これがすなわち「水晶の魔女」の魔法(witchcraft)の概要である。

 だがもう一つ、魔術(wizardry)というものがある。

 ひたすら大自然の声に耳を傾け、己の存在全部を世界に対する「アンテナ」と化す「魔法(witchcraft)」と、「魔術(wizardry)」は、似ているようで異なるものだ。この「魔術」を特に専門とするものを、主に「魔術師(wizard)」という。

 「魔法(witchcraft)」が「聴く」ことならば、「魔術(wizardry)」とは「伝える」ことだ。そして、「魔法(witchcraft)」が「世界」を主に相手にするのに対し、「魔術(wizardry)」は「人間」つまり個人や社会集団を相手にする。だから、もしも「魔術師」が悪意を持てば、社会全体を大混乱に陥れる戦争を起こすこと、すら可能となるのである。

 であるから、男女の別なく「水晶の魔女」たちは、己のことを「魔女(witch)」と名乗る。自分たちは、人々を導いたり煽ったりするつもりなどない、ただ弱者を支える存在でありたいのだ、という意味を込めて、たとえ実は「魔術」の方が得意であろうとも、「魔術師(wizard)」ではなく「魔女(witch)」と名乗るのだ。

 なお、何らかの理由で自然に素質が開花し、師を持つことなく「魔女」になるケースがある。おそらくはソクラテス、また、宮沢賢治などは、いわゆる「野生の魔女」だっただろう、と「水晶の魔女」のマヤ大先生門下一同は、勝手に推測している。

 逆に、師を持たずに「魔術師」になるのは難しい。しかし、この世には自力で魔術師への階段を駆け上っていった数々の先達がいる。彼らは「魔術」の研究について、多くの業績を残しもしたが、中には世に悪名を轟かせた者も多い。

 「歴史の魔女」マヤの弟子である、「詩歌の魔女」マリの弟子の、川辺かわべ理生りおこと、「律動の魔女」リオは、男なんだから「witch」じゃなくて「wizard」だろう、と言われても、全力で己を「witch」と主張する。

 なぜならリオは、師匠のマリ先生に弟子取りを禁止されているレベルで「魔術(wizardry)」がダメダメだ。いくら自称は「魔女」であろうとも、「魔術」もできなければ弟子取りは許されない。それに、弟子取りを許される他の条件も、リオはまだまだ満たしていない。

 マリ先生の教えその1。弟子を取れるのは、教授できるレベルの得意分野が、異なる方向で最低3つ以上ある「魔女」に限る。

 リオのすぐ上の姉弟子であるサヤは、天文学とそれに派生する占星術および占いが第一の得意分野で、名乗りは「天文の魔女」だ。だが、幾何学と代数学といった数学や、物理学と地質学などの「理系」学問が、第二の得意分野。ハーブの扱いといった基礎中の基礎である薬草学も、当然修めている。そして第三分野が、いわゆる「魔術」に該当する部分の広い、言語学・修辞学・弁論術、である。

 このように、理系も文系も出来なければ、弟子を取ることは許されない。

 「律動の魔女」リオの得意分野は、二つだけだ。いや、絞り込んで言うなら一つである。つまり、発されるシグナルを波長として受信することと、それに対処する波長を適正な方法に変換して発信すること、である。たとえば、何か悪意のこもった波を受信している人間を、口笛一つで対抗波を形成して、その症状を改善したり。あるいは、生業と言い張っている鉱物採集業では、大地から発される石英たちの「声」を聴きとって、有望な鉱脈を探し当てたり。

 いわゆる「野生の魔女」の典型である、一点特化型の天才なのだ。


 マリ先生の教え、その2「天才は弟子を取るべからず」。

 天才は天才であるから、感性で正解や最適解を導き出せてしまう。そして困ったことに、リオの適性は言語系でも理論系でもない。あえて言えば音楽であり、つまり、教授に徹底的に不向きなのである。

 リオの姉弟子の一人、アヤは「超人」と形容されるほどの人材であるが、彼女は言語系や理数系の能力も持ち合わせている。天才的な感性と同時に、それを後進の育成に生かす能力をも持っているため、彼女は弟子を取ることを許可された。

 つまりリオは、おそらく永久に弟子なしの魔女なのである。だがリオは、生来の楽天性と、姉弟子たちのおかげで、気楽に「魔女」をしている。

 まずは「超人」アヤをも越える天才である姉弟子の、エリカ。彼女は状況によっては弟子取りの許可が下りるが、直弟子は取れない。なれて第二師匠、第三師匠だ。

 師匠として弟子を取る許可を得るために、三つ以上の異なる方向性の得意分野を持たねばならないのには、理由がある。第一に「水晶の魔女」は、数が少ない。師匠と弟子とで、本当の得意分野が異なるのは、ごくごく普通のことだ。したがって、多くの基礎分野について、最初は一人で教えねばならないのだ。それによって弟子の適性を見極め、それが判明すると新しい専門系担当の師匠を紹介する。それが第二師匠や、第三師匠と呼ばれる師なのである。ただし、名乗りの時には、第一師匠の名を挙げる。それがしきたりである。

 リオの姉弟子エリカは、凄まじい知識量と、恐るべき理論構築能力を持つ。それについていける後進が育つまでには、まだまだ時間がかかるだろう。人が十日かけて学ぶことを、一時間で修得するのがエリカである。彼女が一ヶ月で編み出した理論を理解するために、常人は一年以上を必要とするだろう。そんなエリカは、今日も山奥の一軒家で、野菜と薬草を育てながら、「世界の声」を聴きつつ、恐ろしいまでの頭脳を駆使して、魔法と魔術との研究を進めているのである。

 正直、あの天才を師匠にできるという人材を、リオは想像できない。第二師匠としてであれ、第三師匠としてであれ、エリカが弟子を得るのは、当分は先の話になるだろう。

 ただ、ああして人間関係を絞り込むのは、ほとんど「魔術師」の領域に到達しているエリカの、最後の「魔女」としてのプライドなのだろう、と、リオは思ってもいる。

 その気になれば、エリカは新興宗教の教祖にでもなって、世間をひっくり返すほどの大騒ぎを起こすことすら可能なほどの人材である。だが、しない。それが彼女の「弱者を支える存在」たる「魔女(witch)」としての、誇りなのだろう。きっと。

 ちなみに、研究面ではエリカに後れを取るものの、教育面ではぶっちぎりに優等のアヤは、現在、三人の弟子を抱えて、せっせと後進の育成に励んでいる。そして、アヤはエリカの理論を比較的短時間で理解できる、数少ない人間の一人である。

 正直、時折開催される「水晶の魔女の会合」で、アヤが発表する内容のかなりは、基礎研究の部分をエリカが行ったものだ。

 エリカの能力は極めて高いが、それ故に、他の人間には扱えないレベルのものが多い。直弟子を取れないのも納得である。そんなエリカの開発した技術や理論を、平均的なレベルの「魔女」にも理解・使用できるように簡単にするのが、アヤの凄さである。さすがは「修辞の魔女」だ。

 そんなアヤは、リオにとっても、己の言語化すらできない感覚を、数学を得意分野の一つとするサヤと共に、共有可能な「知識」へと体系化してくれる、頼もしい姉貴分だ。だから、リオは今日も、楽しく「魔女」として生きていける。



 サヤは、とある港町で、バーを兼ねた喫茶店を営んでいる。先年ようやく弟子取りの許可が出たばかりの新米「先生」は、占い師を兼業しながら、それなりにうまいこと店を回していたが、ついに先日、正式に弟子を取った。

 師匠のマリ先生から、姉弟子がついにただの弟子から「弟子持ち」に昇格した、というメールを受け取って、リオは素直に祝福をした。ただし、ちょっぴりの悪戯心をもって。

 つまり、訪問の直前にメールを打ち、タイミングを見計らって、ばーん、と、姪弟子の前に登場してやったのだ。ドッキリ大成功。

 サヤの弟子だというミサは、本当に、新米も新米だった。「魔女」と「魔術師」、「魔法」と「魔術」の違いも知らなかったし、あとで聞けば、適合水晶のペンダントも、半人前の正装である黒の膝丈ワンピースも、ちょうどあの当日に受け取ったばかりだったらしい。

 自分の訪問で、かえって色々ゴチャゴチャさせてしまったのは、悪かったなぁ、と思いはしたが、そこはそれ、細かいことは気にしないのが、リオの性質である。

 わりと大雑把で、テキトーで、うっかりさんなのが、マリ先生門下の基本だ。

 細かいことを気にしすぎると、アンリみたいに「向こう側」に堕ちる。

 さすがに、大師匠であるマヤ先生の門下の、そのまた門下の全員までは、いかに旅をして各地の魔女たちを繋ぐ役割を担うリオといえど、把握していない。

 だが、リオにとって「恐怖」に近い感情を与えた、アンリのことは忘れられない。

 マリ先生から教わった、魔女の弟子取りの掟、その3。

「魔女の子は、なるべく魔女にすべからず」。

 アンリは、マリ先生の息子で弟子の一人、つまりリオの兄弟子だ。

 魔女の息子として生まれ、魔法や魔術に親しんで育ったアンリは、天性の素質もあって、それなりに優秀な「魔女」として、途中までは育っていた。

 だが、エリカの弟子入りによって、アンリは「魔女」の道を踏み外した。

 アンリは、妹弟子の凄まじい才能に嫉妬した。そのすぐ後には、これもまた規格外のアヤが、妹弟子として入ってきた。自分が幼い頃から慣れ親しんでいた様々のことを、乾いた砂に水が染み込んでいくように、次々と修得していく妹分たちを見て、アンリは焦った。実母のマリが、妹分たちに期待をかけていることに対しても、激しい憎悪を抱いた。

 その結果、アンリは「堕ち」てしまった。

 功を焦り、名声を高めることを求める者は、決して「魔女」ではいられない。他人からの承認を希求するなら、世界ではなく人間の声を重視する「魔術師」になるしかない。

 「魔女」と「魔術師」は、近しい存在だし、学ぶ分野も行うことも、重なる部分は大いにある。だが、チカラの使い方というその一点において、決定的な差を持っている。

 「魔女」は人を「支える」が、「魔術師」は人を「導く」。

 アンリは名声を得ようと躍起になるあまり、人を「支える」道から外れたのだ。

 あるいは、エリカが山奥に引きこもっているのは、アンリのこともあるかもしれない。

 エリカは天才過ぎた。天才過ぎるが故に、周囲の心が読めない。いや、こう言うと語弊があるだろう。読めすぎるが故に、一周回って、何故こんなことも読めないのだろう、と感じてしまうのだ。だから、秀才であるアンリの心が、エリカには理解できなかった。

 世代の近い姉弟子たちの弟子たちは、だいたいが今は高校生だ。彼女らに理解できるように表現するならば、アンリは、テストで1点でも多く取ることを目指し、かつ、それを非常に重視するタイプだった。対してエリカは、テストなど娯楽の一つでしかなく、点数にこだわることに全く意味を見いだせないタイプだった。エリカにとっては偏差値など目安でしかなかったが、アンリにとっては死線だった。そこが、天才と秀才の、決定的で、絶望的な格差だった。


 リオたちの学んだ「魔法」や「魔術」は、ヨーロッパ系のものだが、それは、マリ先生がフランス系であることと関係している。アンリは日本では女子の名前にも用いられるが、フランス語では男の名前で、英語のヘンリー、ドイツ語のハインリヒに該当する。

 かつて、ヨーロッパの「魔法の世界」では、現在の「魔女」を形成する流派と、現在の「魔術師」を形成する流派とが、激しく対立し、袂を分かった。

 妹弟子たちとの才能の格差に絶望したアンリは、母マリの師たちと対立関係にある「魔術師」の元に、弟子入りした。人の上に立ってみせることで、傷ついたプライドを修復しようとしたのだろう。だから、マリ先生は掟を追加した。

 現実には、親子で「魔女」なんて、別に珍しくはない。

 ただ、愛する息子が「魔術師」になってしまったことを悲しむ、マリ先生の心は分かる。だから、マリ先生の弟子たち……特に、既婚者であるアヤなどは、自分の子どもについては、もしその子が「魔女」になることを目指すなら、少なくとも第一師匠は、親以外にすべきだ、と取り決めた。

 現在、独身貴族を謳歌するリオは26歳で、恋人もいない。むしろ、結婚したりするかどうか、それすらおぼつかない。姉弟子サヤの言ったとおり、自分は風来坊だ。各地の魔女を結ぶと言えば聞こえは良いが、定住地を持たずにフラフラしているフリーターもどきである。

 自分一人が食べていく分には困らない。

 リオの適合水晶は「ハーキマー・ダイヤモンド」だ。無論、ダイヤモンドというのは「フォールスネーム(偽称)」であり、実際にはただの水晶である。ただ、産出した段階で、すでに研磨済みのようにキラキラと強い輝きを放ち、高い透明度を誇る。柱面に、条線とよばれる線が、ほとんど入っていないためである。

 ハーキマー・ダイヤモンドや、特に色のない「ロック・クリスタル」の魔女は、俗に「番なし」ともいわれる。産出量が桁違いに多いために、まず滅多なことでは「番の石」に出会うことが出来ない。そのたため、世界との強力な「通信回路」を構築できないケースが多いのだ。

 しかし、純粋に近い二酸化ケイ素の結晶と、強く共鳴する能力を持つため、鉱山などで鉱脈を読み当てる能力が高くなる傾向がある。石英を母岩として、その上に宝石質鉱物が成長するのは、珍しくない。リオの場合は、それに振動を感知する天性の才能が加わって、高確率で高品質の鉱脈を見つけだせるのだ。

 リオは、世界各地の鉱山をフラフラしながら、高品質の原石を、最小限の労力で見つけだすことで、それなりの金を稼いでいる。現場の面々も、リオが来るのを拒みはしない。1カラット足らずの宝石を掘り出すために、何トンもの岩や砂や泥をかき分けるのが、鉱山労働だ。リオの鉱脈探知能力は、その労力を大幅に減らしてくれるし、掘り当てた分だけ、彼らの収入は増える。

 なぜならリオは「水晶の魔女」であり、オパールなどの石英系、すなわち大シリカ・グループ以外の宝石には、ほとんど興味を示さない。エメラルド鉱山に来て、大粒の高品質エメラルドの鉱脈を見つけだしておきながら、その傍の水晶だけ寄こせと要求する、風変わりな鉱脈探知者である。たまに「金欠なんだ」と言って、宝石の方を持っていくこともあるが、たいていリオは、採掘者たちの本命の宝石には興味を示さない。

 だから、オパールなどのシリカ系宝石の鉱山以外では、リオはだいたい、大いに歓迎される。その結果、彼は各地の鉱山の所有者と、それなりに顔を繋げるようになった。そして、水晶の導くままに人脈を広げた結果、彼は、新しい「魔法」や「魔術」を探す、探検者ともなったのだ。

 師匠の第三師匠の第二師匠の、姉弟子の弟子の、第二師匠の弟子の魔法。

 答えは「知るか!」である。

 リオの旅は、長い年月を経て拡散していった、様々な知の「再会」をもたらした。

 それが、本日、サヤの店で予定されているイベントである。



「いやぁ、まったく、こきつかわれました。忙しいったらなかったですよ」

 サヤの曰く「ライブラリー・スタイル」の店は、半個室ブースを書棚で作っている。その奥にある「魔女」のための特等席で、リオはそう呟いた。

 男の「魔女」の正装である、黒の長い上着と、かっちりしたスラックス。それに、上部に小さな「ハーキマー・ダイヤモンド」を入れた、無色の水晶のペンダント。

 真っ黒な天板の向こう側、師匠の席に座るのは、銀髪に薄青の目をした老婦人だ。

 彼女こそ、リオとサヤ、アヤとエリカの師である、「詩歌の魔女」マリだ。

 マリ先生は、第一次世界大戦の時にフランスから日本にやってきた、代々「魔法使い」の家系の出身である。当時すでに激化しつつあった「魔女」と「魔術師」の対立の中で、どちらかというと「魔女」寄りの家だった。もっとも、マリ先生の父は「魔術師」だったらしい。従軍してドイツとの戦争で死んだという。マリ先生の母は「魔女」だった。

 そんな家系のマリ先生だが、第一師匠は、インド系のマヤ先生である。正確には、ネパールと国境を接するビハール州の出身だ。

 ネパールは、今でも「魔女狩り」が行われるような地域だ。そこで「狩られる」のは、本当に「魔女」のチカラを持つ者とは限らない。だが、21世紀になった現在でも「災いのかげには魔女がある」と信じられている。魔女の嫌疑をかけられた女の末路は、悲惨の一言では足りない。

 そんな地域で「自然に能力を開花」させてしまったマヤ先生を、見つけだして「保護」したのが、マリ先生の両親だった。マヤ先生は、ヒンドゥーのカーストでも上位のバラモンの家系の出身だったので、ひょっとしたら「魔術師」だったマリ先生の父は、インド系の魔法や魔術の研究をも兼ねて、マヤ先生を引き取ろうとしたのかもしれない。

 また、上位カーストの男が下位カーストの女を娶る「順毛婚アヌローマ」はまだしも、上位カーストの女が下位カーストの男と結婚する「逆毛婚プラティローマ」は、今でも難しい。まして当時は、難しいという形容では済まなかった。俗っぽく言うなら「先祖返り」のようなレベルで強力な「チカラ」を発揮するようになったマヤ先生は、実家の方でも持てあまされたらしく、大先生本人の言によれば「猫の子でも分けるように」、マリ先生の両親に渡されたという。

 とにかく、そういうわけで、マリ先生はフランス系なのだが、マヤ大先生はインド系だ。元の名前はサンスクリット語系で、やたら長かったらしいのだが、あまりに発音しづらく、呼びづらいということで、マヤという名で呼ばれるようになった。仏教の開祖・ガウタマ=シッダールタの母の名であり、ネパール語では「愛」である。

 マリ先生は、マヤ大先生の本名を、今もって知らない。

 だが、それで別に良い、とマリ先生はいつも言う。

「マヤはマヤ。私の大切な、愛する家族で、母親代わりで、尊敬する師匠よ」

 マリ先生の実母は「魔女」だったが、マヤ大先生に娘を託して、「魔術師」の夫とヨーロッパへ行ってしまった。あるいは夫の死を予感していたのかも知れない。伝え聞いた話によれば、マリ先生の父は「魔術」を暴走させて、ドイツ軍と渡り合ったらしい。だが、多勢に無勢だ。一騎打ちで全てが決着した過去の「戦」ならいざ知らず、近代戦の最前線で、魔術師一人のチカラが及ぼせる影響など、たかが知れている。

 ……背後で闘争に人々を煽り立てるチカラは、非常に強くとも。

 だからこそなお、マリ先生にとって「魔術師」というのは、よろしからぬ印象の存在なのである。それに、実の息子がなってしまった。3つめの掟は、その悲しみの象徴だろう。

 当時まだ幼児だったマリ先生にとって、だから、魔法と魔術の師匠というものは、マヤ大先生と、それから両親が残した研究資料だけだった。そこから、師にして姉弟子でもあるマヤ大先生と、後継者を育成できるレベルまで、魔法および魔術の体系を構築し直したのだ。

 そして今、マリ先生と、その最後の直弟子であるリオは、自分たちの大いなる師であったマヤ先生のルーツである「インド」の魔法・魔術体系を学んで、一度は途絶えかけた「縁」を、結び直そうとする試みに取り組んでいる。



 さて、インドは宝石大国である。無論、悠久の歴史を有する国であるから、有望な鉱脈はすでにいくつも掘り尽くされている。資産価値をもつ動産としての「宝石」を多量に産出する国と言えば、ブラジル、ビルマ(ミャンマー)、スリランカ、マダガスカルなどが上がるだろう。特に、ミャンマー産のルビー、コロンビア産のエメラルド、スリランカのパパラチア・サファイア、そしてブラジルはミナスジェライス州の、パライバ・トルマリンなどは、高品質のものであれば、ダイヤよりも高い市場価値を持つ。

 だが「宝石」としての価値は低い石英についていえば、インドは、今ですら無尽蔵とすら形容したくなるほどの埋蔵量を誇っている。ハーキマー・ダイヤモンドの魔女であるリオは、なので、インドもふらふら旅するようになった。それを聞きつけて、マリ先生は、リオにインドの魔法・魔術体系についての研究を命じたのだ。亡き師にして「母」にして「姉」、マヤとのつながりを探して。

 その成果の一つとも言える出会いが、今日、サヤの店にやってくる。

 からんからん、と入り口のベルが鳴る。

「Hallo!」

 入ってきた、精悍に日焼けした青年を見て、リオが大きく手を振った。

 が、相手の反応は芳しくない。軽く頷くだけだ。

「You feel better नमस्ते(namaste/こんにちは) than hello? As my memory, your main language is मराठी(Marathi/マラーティー語), but I cannot understand that now...」

 ほぼ無表情の相手に、わたわたと、リオが言い訳をする。

 インドは800の言語を持つとすら言われる、凄まじく複雑な言語構成をした国だ。インド憲法の第343条では「インドにおける連邦政府レベルでの唯一の公用語はデーヴァナーガリ文字表記のヒンディー語である」と規定されている。しかし、連邦制を採用するインドでは、各州政府ごとに、州内の地方行政と教育に関して、各々の裁量で1つ以上の州公用語を決めることができる。一応、公用語に準ずる扱いを受けている言語だけでも22である。しかも、その22の言語のうち、サンスクリット語はほぼ死語で、逆にシッキム州で州の公用語認定されているレプチャ語が、その22に入っていない。まさに、インドの言語事情は複雑怪奇なのだ。

 そういうわけだから、旧宗主国であるイギリス英語から、さらに簡略化されたインド独特の英語が発達した。インドの言語は南インドのドラヴィダ語系と、北インドのインド=ヨーロッパ語族系とで、大きな差がある。あの逆三角形の中央部辺りを縄張りとするヒンディー語圏は、ドラヴィダ系を含む周辺言語も混じり合っていて、ますますもってややこしい。しかも、同じ言語をわざわざ違う文字で表記(例:パンジャーブ語)したり、母音だけでも10を超したりするから、アルファベット転記すらままならない。そこへ識字率の低さが加わって、いわゆるインテリの人々が込み入った話をする時以外は、案外と「なんとなく」で戦うしかない。まさに言語と言語の交流最前線だ。

「Samayam kittilla(忙しかったんだよぅ)……Ah, by some happenings.」

 彼はそう言って、どたっと席に座り込んだ。顔面がテーブルの天板にへばりつきそうだが、彫りが深めの顔立ち故、鼻と額がぶつかるだけだ。なお、彼が喋ったのは南インドはケーララ州の公用語、マラヤーラム語である。ヒンディー語とは異なる、独自のマラヤーラム文字を持ち、しかもその表記法が19世紀まではっきり固まっていなかったという、ものすごくインドな言語である。

 ちなみに一応、連邦政府公用語であるヒンディー語表記用のデーヴァナーガリ文字に対応する字は揃っている。ケーララ州のお隣、タミル・ナードゥ州の公用語で、かつ姉妹語であるタミル語のタミル文字は、マラヤーラム文字の姉妹文字なのに、字数が足りない。実にインドだ。なお、どちらもドラヴィダ系言語だが、インド=ヨーロッパ系言語であるサンスクリット語からの借用語を大量に持つマラヤーラム語の話者と、タミル語の話者とでは、両者が姉妹言語であるにもかかわらず、互いの母語での意志疎通は難しい。いささか乱暴にたとえるなら、マラヤーラム語が、カタカナ外来語を連発する現代ビジネス語で、タミル語は、茶道や華道の先生が話す少し古風な和語、といった感じだろうか。

「Ah, well... which langage would I speak?」

 マリ先生の困惑混じりの問いに、しかし、二人の声はぴったり合致した。

「「Inglish!」」

 インド英語は、正確には「Indian English」というのだが、発音がどう聴いても「English」ではなく「Inglish」だった。英米英語にはない、フランス語っぽい鼻母音の「inァン」の音だったのだ。まさに「インド英語」である。ニュアンスにズレが出たら、律動で調整します、とリオは付け足す。リオが現在頑張っている、ようやく二つ目の分野は、語学なのだ。

「とりあえず、マリ先生……お互い、正式に自己紹介をしましょう」


 リオは立ち上がると、挨拶の前の独特のステップを踏んで、軽くお辞儀をした。

「Hello, I'm Rio. A male-witch living with the "Rhythm", a disciple of a witch of "Poetry"; Marie, the disciple of a witch of "History"; Maya. My "Partner Stone" is "Herkimer Diamond", high clarity colorless double pointed rock crystal.」

(こんにちは、僕はリオ。「律動」の男の魔女で、「歴史」の魔女マヤの弟子である、「詩歌」の魔女マリの弟子だ。「適合水晶」は「ハーキマー・ダイヤモンド」。高透明度の無色の両錐型水晶だ)

 次に、マリ先生が立ち上がり、自己紹介をする。

「Hallo, I'm Marie. A witch living with the "Poetry", a disciple of a witch of "History"; Maya. My "Partner Stone" is "Moss Agate" that produced from Deccan, India.」

(こんにちは。私はマリ。「詩歌」の魔女で、「歴史」の魔女マヤの弟子。「番の石」はインドのデカン高原産の「苔瑪瑙モス・アゲート」)

 最後に、客人が立ち上がり、二人とは少し異なるステップを踏んだ。

「How do you do, and nice to meet you, the mentor of Rio; Ms.Mari. I'm Soma(सोम), the inquirer of the "Aroma", a disciple of the guru about "Veda"; Vikas(विकास). My "Partner Stone" is "Ametrine".」

(はじめまして、そして、お会いできたことを喜ばしく思う。リオの師マリ殿。私はソーマ。「芳香」の探求者、「讃歌」の導師ヴィカスの弟子だ。「適合水晶」は「紫黄色水晶アメトリン」)

 それを聞いていたバーカウンターの向こう側の人物が、がたん、と音を立てた。

 この店の主、リオの姉弟子である「天文の魔女」サヤだ。

「アメトリン?!」

 同じ結晶に複数の色が入る石を、バイカラー(=二色)やトリコロール(=三色)などと呼ぶ。アメトリンとは、字面通り、一つの結晶が、紫水晶アメジスト黄水晶シトリンとに分かれている「変わり水晶」だ。両色とも鉄イオンによる発色であるため、生成環境の変化によって、バイカラーになることがある。もっとも天然物は珍しく、市場に出回る物の大半は、産出量の多い紫水晶アメジストの一部に、加熱加工を施して、黄色に変色させたものであるが。

 不純物混入型の水晶の適合者は結構いるが、多色水晶の適合者は珍しい。

「サヤ、話に加わるなら、自己紹介なさい」

 師匠マリ先生のお言葉に、はいっ、と返事して、サヤはステップを踏む。

「Hou do you do, Mr.Soma. My name is Saya, a witch living with study "Astronomy". I'm a disciple of Marie, and like an elder sister for Rio. My "Partner Stone" is "Golden Rutile Quartz".」

(はじめまして、ソーマさん。私の名はサヤ。「天文」の研究をしている魔女です。マリの弟子であり、リオにとっては姉のような者です。「適合水晶」は「金線入水晶ゴールデン・ルチル・クォーツ」)

 いささかかしこまった言い回しで自己紹介した姉弟子に、リオがにやりと笑う。

「"elder"だって? "older"でいいじゃないか」

「おだまりやがれ」

 日本語でやりとりするが、ソーマには通じていたようだ。

 ようやく、楽しそうに笑って、リオに言った。

「Hey, your sister is so nice than your chat.」

「PLEASE!! please neva neva!!」

 ソーマの言葉に、あわてて両手を合わせ、頼み込むように叫ぶリオ。

 サヤは、バーカウンターの向こう側から、レモン入りの水を入れたグラスを運んできながら、とりあえず弟弟子を、水よりは冷ややかな目で見下ろした。

「……アンタがソーマさんに、何を喋ったのかは気になるけど、とりあえず『neva』って、ハワイアン・ピジンよね? Mr.Soma, would you understand what my foolish brother's talk?」

 ハワイアン・ピジン。ハワイで独自に発達した、独特の文法を持つ、英語の亜種だ。「neva」は否定文を作る時に用いるもので、いわゆる「マトモな英語」では「don't」「doesn't」の現在形での人称使い分けをせねばならないところを、この単語一つで済ませられる。しかも「didn't」になる過去形の文章でも使用可能という、実に便利な語だ。語源はほぼ間違いなく「never」だろう。

「No problem, Saya! An' please neva say me Mr.!」

 グラスを受け取りながら、はっはっは、とソーマは笑う。

 あ、このヒト、弟分リオと同類だ。

 その瞬間に、サヤは直感した。

「もんのすごい、滅茶苦茶英語ブロークン・イングリッシュですね……」

 思わずマリ師匠にそう呟きかけてしまうと、マリ先生は明後日の方を向いた。

「……マリ先生?」

「私もフランス系だから、訛っているのよね。マヤもかなり訛ってたわ」

 なるほど。

 つまりこの場に、流麗なる上流標準英語クイーンズ・イングリッシュを話す人間など、一人もいないのだ。訛ろうが砕けようが、通じれば良いのである。

 ここはTOEICや、TOEFLの試験会場などでは、ないのだ。

 喋ってしまったモン勝ちである。通じなかったら、通じるまで、頑張ればいい。

「OK, I see, Soma.」

 途端、無駄に洗練された無駄のない無駄なお辞儀をしながら、ソーマはにやりと笑う。

「आपसे मिलकर बड़ा खुशी हुई (āpse milkar baṛī khūśī hūī/お会いできてまことに光栄ですよ), lady(麗しきご婦人).」

 砕けた雰囲気で喋ろうぜ、と言っておいて、次にこれである。

「Oooh, I really understand you are the just friend to Rio.」

 こめかみを押さえながら、サヤはそう返した。はっはっは、と、二人の男は笑う。

 類が友をよんできた。しかもインドから。



 ソーマはマハーラーシュトラ州の州都・ムンバイ生まれのヒンドゥー教徒で、カーストとしては最上位のバラモンの出身であるという。師匠のヴィカスは、ウッタル・プラデーシュ州のイラーハーバード出身で、やはりバラモン出身らしい。そしてソーマとリオが出会ったのは、パキスタンとの国境近くである、ラージャスターン州の州都ジャイプル郊外だという。こうアッサリ書くと「へえ」で終わりそうだが、同縮尺の日本地図を重ねると、とんでもない長距離を移動していることが、よくわかるはずだ。

 ちなみに、バラモンの系譜に属する者は、その父祖とされる聖賢リシの名を継ぐ、ゴートラと呼ばれる氏族名を持つ。が、ソーマはそこまで名乗る気はないようだ。まぁ、多民族国家な上に、超重層的な多言語・多文化のインドでは、名の表記や法則さえ、地域・宗教・階層によってバラバラである。通称やただの個人名でやりとりする方が、色々と楽であるのも一つの事実である。

 なお、現在のインド憲法では、カーストは否定されているが、実際にはまだまだ現役だ。ただし、俗世の些事よりも悠久の神話世界を重視したために、現実世界の系譜の記録の信憑性は、非常に低いのが、インド史を研究する者の大いなる共通の悩みでもある。日本で最も有名なインド人(仮)、お釈迦様の愛称(?)で親しまれている、ガウタマ=シッダールタにしても、その生誕年の計算は、最も早い説と最も遅い説で、なんと約200年の開きがある。そんなものが誤差で済まされるのがインド古代史だ。

 ちなみに、ゴートラの祖となる聖賢リシは、7人である。この計算でいけば、ゴートラは7つのはずである。まぁ、文献によってばらつきがあるので、諸説を組み合わせればもう少し増える。だが、それでも2桁でとどまるはずなのだ。しかし何故か現実のゴートラは、数え方にもよるが、軒並み4桁まで増えているのだ。恐るべしインド。

 もっとも、先祖の職業由来の「ゴートラ」……厳密には「カースト名」とでも呼ぶべきものが、後々出現したことが、この、普通の計算ではありえない数の増加に、拍車をかけたのだろう。たとえば、インド独立の父として、マハートマ(偉大なる魂)と讃えられる、モーハンダース・カラムチャンド・ガーンディーの「ガーンディー」とは、「雑貨商人」という「カースト名的ゴートラ」である。ただし、本人の職業は弁護士だから、これもまったく、テキトーな話である。

 最初の定義的に「真っ当なゴートラ」としては、たとえば『マハーバーラタ』で聖賢リシとされている一人、アトリの系譜が「アートレーヤ(アトリの末裔)」と名乗る例、などが挙げられる。ところが、これがそのまま「アトリ」と名乗っていたりするケースもあるから、本当にインドという国というか、インド文化というものは、複雑怪奇なものである。

 おそらく、そこら辺の説明が「面倒くさい」ので、ソーマは「とりあえずバラモンです」と言っただけで、特段詳しいことは話さないのだろう。リオはそういう人間だし、サヤ自身も自分をそういう、面倒くさがりの人間だ、と認識している。類は友をよぶのである。

 あと、日本では、カースト制度というのは、インド三千~四千年の歴史の中で、仏教が栄えた一時期を除けば、かつてのバラモン教以来、脈々と根付いている身分制度だと思われている節がある。それは違う。カーストとジャーティとヴァルナという、三つの血統と職業とにからむ出身を、今の「カースト制度」という形にまとめなおしたのは、名高き大英帝国様である。第一「カースト」という単語自体、インドのオリジナルではない。この語の由来はポルトガル語の「casta(血統)」だ。

 なんだってこんな制度を整えたのかと言えば、理由は簡単だ。膨大な人口を持つインドのヒンドゥー教徒たちを、階級によって差別・分断することで、統治を容易にしよう、という目論見である。世界史の資料集にあるピラミッド型の図のように、上位カーストとされるバラモンは「少数派の貴族」だと思ったら、大間違いである。定義をちょちょいといじくれば、インド人の半分はバラモンを名乗れるだろう、とまで言われているほどなのだ。そんなものを少数派とは呼ばない。

 むしろインドで問題視されているのは、俗に「アウトカースト」、日本語訳では「不可触民」、ガンディーいわく「ハリジャン(神の子)」、現在のインドでは「ダリット(抑圧された者)」と呼ばれる人々への、しわ寄せという表現では生温すぎる、凄まじい差別である。人によっては、文字を読むだけでトラウマ、心的外傷後ストレス(PTSD)になれるレベルだ。

 あまりにも広大で、あまりにも複雑で、そして深刻な影を持つ大国。

 だが、そういう負の面もあれば、光の面もあるわけで。

 文法試験なら落第間違いなしというほど、ぶっちゃけた英語を交えつつ、ソーマとリオは大いに盛り上がっている。マリ先生も、だいたいは相槌を打ちながら、時には質問をしていた。


 ソーマは「アーユルヴェーダ」を主に研究しているようだ。といっても、これはソーマが「導師グル」と呼んだヴィカスの専攻していた「讃歌ヴェーダ」とは関係ない。サンスクリット語で、「寿命・生気・生命」を意味する「アーユス(आयुस्/Āyus)」と、「知識・学」を意味する「ヴェーダ(梵वेद/Veda)」の複合語であり、インドの伝統的な医学である。

 アーユルヴェーダは、三体液説トリ・ドーシャと呼ばれる説を採用しており、生命を、ヴァータ(वात・風、運動エネルギー)、ピッタ(पित्त・胆汁または熱、変換エネルギー)、カパ(कफ・粘液または痰、結合エネルギー)という3要素と、そのバランスから分析する、というのが基本の原理である。

 ギリシャ・イスラーム系のユナニ医学では、人間には「血液、粘液、黄胆汁、黒胆汁」の4種類の基本体液があり、「熱・冷・湿・乾」の四つの基本性質とそれを組み合わせて分析し、それらのバランスを整えることで病気に対処する、と考える。すなわち「血液」は「熱・湿」、「粘液」は「冷・湿」、「黄胆汁」は「熱・乾」、「黒胆汁」は「冷・乾」である。どこかの要素が暴走すれば、対抗する要素を強化して、バランスを保つ。

 中央アジアなどでは、今でも熱を出すとウリ科の食べ物を食べさせるが、これは発熱を「熱・乾」の暴走ととらえ、「冷・湿」の要素を持つウリを食べさせることで、それに対抗しよう、という、ユナニ医学の理論に基づく。古い医学も、地域によってはなお現役であるし、実際にキュウリなどには、体を冷やす作用があるので、あながち間違いでもないのである。

 アーユルヴェーダの話を流し聞きしながら、サヤは、己の第二師匠だった「治癒の魔女」アユミ先生がもしここにいれば、もっと面白いことになっただろうな、と思った。アユミ先生は、名乗りの通り医者であり、途上国を回って医療活動を行うかたわら、「水晶の魔女」の素質を持つ子どもたちの保護を行っている。日本にいる「半人前」たちは、数こそ多いが、総じて先天的素質に恵まれてはいない。

 おそらく、情報が溢れすぎているせいだろう。「水晶の魔女」とは、ひたすら耳を澄ませ、聴き続ける存在だ。情報の少なかった昔は、自然の些細な変化に神経を研ぎ澄ませ、アンテナの感度を上げて、生きる知恵を探す必要があった。だが、今の日本は違う。テレビとインターネットで、だいたいの疑問は解決される。明日の天気さえ、気象庁が詳細な予報を準備してくれている。

 だが、途上国では、そういった能力が、まだ弱まることなく残っている。それ故に、特にその素養の高い子どもは、良くも悪くも目立つ。マヤ大先生がその典型例だ。天変地異を「予言」する彼女を、ある人々は女神の化身と考え、またある人々は災いを呼ぶ魔女だと考えた。

 バラモン出身で、なおかつ男のソーマは、いわゆる「水晶の魔女」としての能力を開花させても、特段問題は起きなかっただろうが、もしもダリット出身の女の子が素質を開花させていたら……と思うと、ぞっとするという形容ではとても足りない。実家で持てあまされていたというマヤ大先生だって、バラモン家系の出身であるから、ある程度守られていた、とも考えられるのだ。

 特に女性の人権が軽視される地域での「水晶の魔女」の素質を持つ少女の保護は、本業の医者をほっぽり出しそうな勢いで、アユミ先生のライフワークと化している。先日のメールにいわく、現在の滞在地はアフガニスタン。イスラーム圏の中でも、戒律に対して厳格な風潮が強く残る地域の一つだ。女性は、医者といえども男に体を見せることを嫌がる傾向があるので、女性医師であるアユミ先生にとっては、実に腕の鳴るというか、情熱の限りを迸らせてでも走り回りたい地域なのであろう。外務省とトラブらないことを祈るばかりである。

 とりあえず、また防疫を兼ねて、ハーブティーでも調合するか、と思い、サヤはハーブを種類別にまとめてあるパックを開く。一人、テーブルから立ち上がる気配がした。



 はしゃいだ声がまくし立てる。リオの声だ。ということは、立ち上がってこっちへ向かってきたのは、ソーマということになるだろう。

「So, listen, listen, Ms.Marie! Soma and I set to go to Sri Lanka. And then we stroke some vein of high-quality sapphire! Just Padparadscha! මට විනෝ සන්තෝෂ වුණා බොහොම(マタ・サントーシャ・ヴィノーダ・ウナー・ボホマ/すっごく嬉しくて、楽しかった)!」

 なかなか刺激的な内容だった。スリランカに行って、希少なパパラチア・サファイアの、しかも高品質の鉱脈を掘り当てたと? さらに「a」ではなくて「some」ときた。本当に、鉱脈探しはでたらめに天才的な弟分である。その「vein」が単数形なのは、ご愛敬ということにしておいてやろう。後半部分は「律動の調整」その他で、何となく意味は分かる。そして、スリランカでパパラチア・サファイアを掘っていたというのなら、おそらくはシンハラ語だろう。

 ざらざらと、ハーブを混ぜ合わせる作業を始めよう、として、視線を感じた。

 ソーマがカウンター越しに、サヤの手元をじっと見ている。

「What?」

「May I do it? I want to drink my blend chai for you.」

 そういえば、ソーマは「芳香アロマの魔女」と名乗っていた。ましてや、スパイス大国インド出身の、しかも伝統医療・アーユルヴェーダの研究者である。ハーブもスパイスも、扱いはサヤより格段に上に違いない。

「Please...」

 サヤは、むやみな対抗心を燃やすのは諦めて、このインドからの客人を、カウンターの内側に招き入れてやった。検疫してやろうかと思った相手に、逆にハーブティーを調合されてしまうとは、普段なら「コンチクショウ」な展開である。だが、迷いも淀みも一切なく、流れるようにハーブを調合する手つきは、見とれずにはいられなかった。それに、どこか懐かしい。

 天才姉弟子エリカが、これに近いレベルで調合をしていたが、何か違う。そう思ったところで、はた、とサヤは思い出した。昔、まだまだ、まだまだ、半人前だった頃の記憶。

(そうだ……マヤ先生の調合……)

 普段、自分が淹れるハーブティーとは、まったく別物のにおいが漂う。ハーブよりも、スパイスの方が濃い、刺激的でホットな香り。

「Hey, my dear witches! Please taste my special blend chai!」

 ソーマがそう言いながら、マリ先生とリオの席に、四人分の「チャイ」を淹れたマグカップを、勝手に取り出した盆に載せて、運んでいった。

「サヤ姉、サヤ姉の分もあるよ!」

 リオが楽しそうに、ぶんぶんと手を振る。サヤは、軽く一度肩を竦め、店員のエプロンを外して、席に座った。ミルクとスパイスの混じり合う、賑やかな香り。

 一口飲んだマリ先生が、ほろり、と涙をこぼして、そして言った。

「……懐かしい味ね」

 その言葉は、日本語だった。

 そういえば「なつかしい」を訳するのは、英語やフランス語やドイツ語では、相当に難しい、という話を、姉弟子の「修辞の魔女」アヤが言っていた。マリ先生も、こればかりは、日本語でしか表現できなかったのだろう。

「Merci beaucoup.(本当に、本当に、ありがとう)」

 青い目から、ほろほろと涙をこぼす老婦人に、インドの青年は優しく笑った。

「De rien.」





「hallo」と「hello」は、敢えて混在です。誤字じゃないです。ヒンドゥー語はコピペです。サンスクリット系文字、見慣れなさすぎて泣きそう。アラビア文字の方がまだ読める気がする。ヘブライ文字と似てるし。でもマラヤーラム文字は、古代シリアの文字の遠い子孫なんだよな……遠すぎて、読・め・る・か!


さて、リオの本名判明。ちなみに「Rio」って、ポルトガル語で「川」って意味でもあるんで、めっちゃ「川!」って名前ですね。

ちなみに最初に名前出した時点で、マリ先生はフランス系、マヤ先生はインド系orネパール系って決めてました。マヤ先生の本名は不明のままでいくわけですが、マリ先生や、1話目のマイ・モモ・アキ、2話目のミサは、そのうちフルネーム出ます。あとアンリやエリカも放っておく予定ではないです。

……おかしい。バトル展開になりそうな悪寒。日常生活を書くつもりだったのに。


なお、ソーマはマラータ人設定なので、ソーマが「個人名ファーストネーム」で、続いて父親の名前が「ミドルネーム」、そして「家族名(いわば名字)」の構造となります。一応バラモン出身設定につき、結婚などの必要な場合には「ゴートラ名」も参照されるかと(インドでは、同じジャーティ・違うゴートラでの結婚が推奨される。地域差極大だけど。複雑な国ですね)


同じくヒンドゥー教徒バラモン出身設定である、ソーマの師匠のヴィカスのフルネームも、基本構造はソーマと同じです。ただ、ウッタル・プラデーシュ州は、おっそろしく人口の多い、インドの中でも特にカオスな地域で、しかもイラーハーバードは人口100万人オーバーの大都市、かつ州の最高裁判所があるという、ややこしい地理条件。個人名と父名の順番が状況に応じて前後する文化の人々も混じっているため、下手にフルネームを名乗ると、かえってややこしくなることも。

多分このヴィカス&ソーマのインド人師弟、完全なフルネームは、お互いに把握してないんでなかろうか。識別できりゃいいよね、うん。ぐらいのノリっぽそう。むしろ、そういう人間でないと、リオと仲良くならん気もする。



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