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 博士のいっていた通り、確かに孫は隣の部屋にいた。全ては終わった。手を取り一緒に帰ることにする。途中、職員から車を出すと申し出があったが、歩いて帰ることにする。

 地平線まで続く荒野を、まっすぐな道が延びている。先に町があるらしい。そこまで行けば、まあ交通機関もあるそうだ。……意地を張りすぎたかな? あまりの距離に、早くも後悔しつつ、とりあえず歩くことにした。


 沈黙が続いた。プロジェクトの建物が地平に消え、見えなくなる。口火を切ったのは孫の方だった。

「……なあ、じいちゃん。プロパガンダ、って主義しゅちょーのための広告ってことだろ。ステマ、ステマ」

「むしろステルスマーケティングとか、良く知ってたな。そうだよ」

「ああ、そっか」

 クスクスと笑い出した。

「《小咄菊造くん》がプロパガンダに使えないって……嘘だろ?」

 へえ、我が孫ながら良い勘をしてる。

「気づいてたか」

「だって、道徳的でイー感じの終わり方をする昔話って、定番中の定番だろ?」

「警句とか箴言っていわれるジャンルな」


 警句もしくは箴言。人生の真理について記述した物語。警句も太古から存在する物語形式であり、その意味では神話元型のひとつといえる。ならば《小咄菊造くん》で扱えないわけがない。

 実は《小咄菊造くん》には当初から、警句エンジンが搭載されていた。《小咄菊造くん》は問いに対して意外な答えを返すことで、意外性のあるストーリーを生成する。

 ならば先に、どんな答えを返すか決めておいて、後から意外な質問をするようプログラムしてみたら。はい、警句の出来上がりだったのだ。


 もちろん、どんな質問が設定されるのか制御不能だったりする辺り。難しい課題が残されてはいるが。

 警句エンジンの強力さといったら、大したもので。特定の思想が、意外性を持って明かされるのだから、そりゃもう真理のように見えてしまう。《小咄菊造くん》はプロパガンダとして使用するのに、最高の物語生成プログラムだったのだ。

 タチの悪いことに。


 けど強力なら金になるに違いない。みすみすフリーで使わせることもないだろうと判断。たまたま警句エンジンを制限した状態で、パイロット版を公開開始したのだ。

 そのうちに当時、応酬が繰り広げられていたプロパガンダ戦争に嫌気がさし、警句エンジンの封印はそのままにしておいたのだが。


 人を騙す人間ほど、自分が騙されていることに気づきにくい。真実の中に嘘を一個だけ混ぜるのは、プロパガンダの基本だ。

 彼らが傲慢であればあるほど、この嘘に気づくのは遅れることだろう。なぜなら傲慢な人間は、抱いてしまった自分の考えを否定しようとしないから。

 だから、しばらくは《小咄菊造くん》の警句エンジン発見には時間がかかるだろう。


「あいつら、人を見下してさー、ムカツかね?」

「気持ちはわかるがな。許してあげなさい」

「どうしてよ」

「いろんなヤツがいないと寂しいだろ」


 移民国家であるアメリカは常に、強い国家という神話を必要としている。でないと多民族同士がバラバラになって、ひとつの集団として社会を形成してくれないからだ。

 だからアメリカの神話は大体が、バラバラな出自の者たちが軍隊として連帯感を持つまでの物語。いわば成長物語[ビルドゥングスロマン]となる。

 その意味でアメリカが「身内でない者」を認められないのも、外敵を必要としているのも、それはそれで仕方ないことなのかもしれない。


 ならば、漫画の神様はネズミー映画を参考にした。いわば日本コンテンツは、アメリカの継嗣だというのに。なぜアメリカの物語と袂を分かったのか。

 戦後占領下の日本ではアメリカという他者を受け入れる必要性に迫られていた。敗戦により国家的な自信を喪失し、いつまでも島国に引きこもっていないで新たな他者と出会わなくてはならない、という強迫観念のようなものが植え付けられることになる。

 そこへGHQによる、戦中日本や赤化へのアンチ・プロパガンダが必要となり、整備され。日本にアンチ・プロパガンダの物語を成熟させてしまった。

 結果、日本では「敵にも事情がある」という、価値観の多層的な物語が発達する。いわば、「誰かと出会う」ための物語だ。


 正義が悪を倒す物語と、敵にも事情があるという物語。

 国家を肯定する物語と、国家を否定する物語。

 二項が対立しているのをひとつにする物語と、二項をそのままに対立を解消する物語。

 結末の分かりきったプロパガンダと、意外性の物語。

 赤の他人が仲間になる物語と、旅立ち誰かと出会おうとする物語。


 鏡のように、逆の意味を持った、だが良く似た物語たち。人の感じ方は、ひとつではない。どちらが正しいわけでもない。両立は無理だろう。だが片方だけ盲信すれば、人は容易く歪む。

 例えば日本の物語だけが世界に広がり、他の物語が駆逐されたとしたら。それはそれで何らかの弊害が起こるに違いないのだ。ただしそれは別の物語だ。


 ……って、ゆーかさー。

 何でもかんでも他人の言葉に耳を貸してたら、自分は何も意見がいえなくなっちゃうじゃーん。

 だからボクは大学を卒業して、大人しく実家に帰ってしまった。センスがないなりに、もう少し独力で頑張っても良かっただろうに。その辺の押しの弱さが、もしかしたら才能がないといわれるゆえんだったのかもしれないが。

 その点、アメリカのああいう押しの強さは羨ましくもある。


 きっと今回の騒動だって、アメリカは、自己否定と挫折の経験もない若造みたいな性根じゃあ。多様性などは、うるさい小姑の説教程度にしか思ってないだろう。それこそ敗戦するくらいのショックを受けないと、人はなかなか変わらないものだ。

 おかげで騙せたのは、助かったが。


 幼い孫でも気づくレベルの真実を隠すために。どーでも良い話を積み重ねてみたが。本当、騙されてくれて助かった。

 多様性とか二項対立とか、どうでもいい話だ。

 《小咄菊造くん》なんてネーミング。卒業論文提出前日になって、名前をつけるの忘れてたから、適当にでっち上げただけに決まってるじゃないか。


 にしても、あんなやりとり、もう懲り懲りだ。やはりボクは作家には向いていない。ところが孫は目をキラキラさせながら、ボクのことを見つめ、

「あの嘘の吐き方、凄かったな。じいちゃん、作家になる才能あるぜ!」

「ははは、そうか。ありがとよ」

 才能があるなどと。人から面と向かっていわれたのは、もしかすると生まれて初めてかもしれなかった。


 まだ道は彼方まで続いて、気が遠くなるほど遠い。目的地にはいつ到着するのやら。うんざりする。しかし、嬉しい出会いだってあるのだ。

 だったら辛い旅も悪くはなかったのかもしれない。


 ふと思い出す。博士の言葉。

「君も人類の平和、進歩のため、責任あるはずだ」

 その通りだ。この孫が大きくなった時代のためにも。どうやらボクには老い先少ないなりに、まだやるべき義務が残っているらしかった。

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