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「まずは、なぜ日本語でないといけなかったのか」
「入力事項を元に連想を行う。ここで意外性を出さなくては面白くならないし、主旨を踏まえてもないと一貫性のある物語にならない」
その通り。さすがに分かっているか。
「ですから《小咄菊造くん》は、表音語と表意語の両方から連想リンクを検索できるようしました。
同じ音の言葉を入れ替える。同じ偏や旁の漢字と入れ替える。表音と表意を行き来させことでズレが生じる。ズレにより意外性が出る。どちらかだけ、では無理だった。
違う機能の文字を使っているのが大事。新たな出会いになる。だから構造的に日本語でないと無理だったのです」
「フン、皮肉かね。その程度なら我々も既に知っている。統計の結果から判明している」
また面倒なことをやって。
「このような意外性、あなた方には不必要なのでは?」
「時間をかけて表意文字の代わりに、アイコンを用意すれば日本語でなくとも、同じ真似は可能だ」
しめた。まずは一撃だ。
「はい、表音語でも可能だと思いますよ。実は《小咄菊造くん》は既に他国語対応を行っていますので」
《小咄菊造くん》をバージョンアップさせる際。ネットを巡回して内蔵辞書を充実させるbotを作成している。そのため実はとっくに、数十カ国の言語に対応していたのだ。
外国語の勉強というのも、《小咄菊造くん》の他国語対応のために始めたことである。
「だ、だが。ならばなぜアメリカから天才が現れなかったというのだ!?」
「失礼」
問われてボクはサーバーを起動、内蔵辞書のデータを表示させる。さらに言語別でグラフ化して見せた。大半が日本語で、英語だけが少ない。地球の総人口から考えても、異常な比率だった。
それはつまり、日本語コンテンツに馴染んだ創作者の数が多いことを意味する。
「botが遮断された時には、既にデータベースの大半が日本語でした。遅かったんですよ。後先考えたり、つべこべ言わずに、一作でも多くの物語を作れば良かったんだ」
「いや、我が国も物語の数は少なくはないはず」
「問題は移民英語だからではないでしょうか」
地域によって、言語によって、虹の色の数にも差がある。日本では魚に関する語彙が多いし。肉食文化圏では牛肉の部位に関する語彙が多かったりする。
その国ごと、地域ごとの言葉、自分の言葉を使ってこそ、文章には味わいが出る。
一方、移民英語は誰にも修得できるよう、簡単に構成されている。そのため複雑な慣用語が切り捨てられるのは仕方ないことだ。
だが複雑な語彙を取り払った結果、物語の機微まで失われてしまっていたのだろう。言語の統一・単純化によって捨てられた細部こそ、物語の根源だ。
物語がグローバル向けになるほど、《小咄菊造くん》を使っても物語は面白くなくなる。かといって語彙を複雑化すれば移民言語としての簡便さがなくなる。ダブルバインドだ。
人は個人だけでは生きては行けない。
「文学の言葉は、個人的な体験に由来します。
ですが、多くの人で共有するためとはいえ。細部の差異が捨てられた言語は、平板になる。さらにそれを国家神話に使おうという。
きっとそれは……古代の官僚語に近いものとなるのではないでしょうか。文学とは最も程遠い存在といえるでしょう」
個人の背景には、家があり、社会があり、風土がある。言語はそうした背景から生まれ、語り継がれてきたのだ。
「いやアメリカも、いくつもの言語がある。移民英語だけではない。言語の統一といっても、物語の話だ。他民族を抱える、アメリカという国が持つ文化的多様性こそ、物語の根源なのだ」
違うのだ。だったら、なぜ民族的文化的多様性を持たない日本に、物語が溢れているのか。
移民から文化を取り込んで、大国が自分の所有物だと主張する。かつてローマ帝国も軍事占領した冊封地の文化を、自分たちの文化的進歩だと誇った。どちらも植民地主義には変わらない。
ならば占領された植民地で、それ以降、文化は育ったか。帝国の文化に支配されて、多様性はなくなる。思い通りに支配した他人は、既に自分の一部であって、他人ではない。多様性とは、美術館に並んだコレクションの数で決まらない。
彼らにはそれが、きっと分からないのだ。
「音と意味といっても、偶然の産物だろう。だが、どうせ我らで解析してみせる。それに、音と意味だけではないだろう」
「やはり、お見通しでしたか」
「音と意味の多義性はしばしば、語り手と聞き手との間に誤解を生む。
例えば「タコ」と音を聞いただけでは、海に棲む蛸のことか、正月に飛ばす凧のことか、わからないように」
「ゆえに語り手と聞き手との間で、言葉を共有するための鍵、文法がある」
「そして物語にも文法は存在する。問題はなぜ君の《中国人の部屋》が面白いのか、だ」




