14
しかし日本にはアジア進出に当たって、言語障壁以上のハンディキャップがあった。他国による国際プロパガンダの結果、数十年前のイメージを拭えないままでいた。侵略的な意味合いを持った活動を日本がやると、すぐ非難が殺到する。ゆえに経済力で圧倒するといったような、帝国主義的な手法は取れなかった。
強攻策は取れない。外交から交渉しようにも、日本政府は腰が重く、役に立たない。
そのために若門書房は現地のテレビ放送局へ投資・提携。フォーマット・トレードを積極的に行った。
企画の様式のみを輸出。製作にも協力し、現地でリメイクしてもらうのだ。例えば、現地の特撮ヒーローを作る、といったように。
フォーマット・トレードならば、各国で言語がバラバラのアジアに対応するのにも合っている。まずは日本式コンテンツに慣れてもらおうという戦略だった。
同じコンテンツを別メディアで送り出す。メディアミックスならば若門書房の得意分野だ。
戦後日本はしばらく、多くの洋楽曲を日本語カバーしてきたた。そこには敗戦国として、優れた欧米に追いつけというコンプレックスがあったのかもしれない。
だが当時の若者はコピーとリメイクを重ね、何十年とかけてオリジナリティある日本ロックへと至った。その土地に合わせたアレンジ。つまりはローカリゼーション(現地化)だ。
日本にはローカリゼーションのノウハウがある。フォーマットを輸出して、日本の通りに作ってもらうだけでは足りない。国ごとの独自性を出してもらってこそ、輸出に耐えるコンテンツとなる。
若門書房はフォーマット・トレードと同時に、指導員を派遣。ローカリゼーションを行った。
特に注力したのは、CGMによる新人発掘だ。若門書房の目指すところは、日本のようなCGM文化の輸出にあった。
創作SNSも全世界で展開を試みる。だがここで大きな問題が起きた。国や宗教によって表現物に対する倫理規定が違うことだ。
現代日本は実際のところ、表現の規制は緩すぎるくらいに緩い。日本だって戦後すぐまではテレビで、恋人同士がキスをしてもセンセーショナルだった時期もあるのだ。
おかたい国にとっては、肌を露出させた水着の女性も、不謹慎どころかポルノに当たる。ポルノを持っているだけで逮捕される国もある。ポルノが許されている国でも、何歳からが責任ある大人になるのかは変わってくる。民主制でない国では政治批判をしてはいけない。同性愛などの性的マイノリティへの寛容さに至っては、国どころか地域によって違っても珍しくない。
そこで創作SNSを開設する前に、若門書房のエージェントが各国政府と交渉。芸術振興を進めたい国と、表現規制の摺り合わせを行った。
そして表現物の内容ごとにタグつけ。さらに政治事情、民族、宗教、年齢で、それぞれ合わせたフィルタリングを作り上げた。
もちろん簡単な作業ではない。問題が炎上するたびに、一歩一歩と倫理フィルタリングは改善された。
日本コンテンツで刺激されたか。一応の指針が示されれば、範疇でも創作をしたいという潜在層は、どこにもいたようだ。
世界中で個人創作家が激増。若門書房はそのためのインフラ、発表の場を与えることに注力した。
そして日本で、優秀な二次創作家を引き上げて商業化していたように。若門書房は優秀な民族芸術を引き上げて、世界マーケットへ流通させる業務を請け負うようになる。
業種は出版、映画、アニメ、音楽、ラジオ、インターネット接続、動画配信、企画と資金の再分配、投資、物流、広告、法務、著作権管理の請け負い、外交交渉、と多岐に渡った。
若門書房は八十年代、映画配給を行っていた時期がある。ノウハウならあった。
一方、日本国内では新聞およびテレビの大手が、みるみる衰退していった。
自分たちを無視して、ネットで勝手にコンテンツを配信する若門書房への反感だろうか。国内の民放テレビ各局は、頑なにネット配信も、双方向性も拒み続けてきた。
その間にもCMによる収益は下落。とっくにインターネットとの逆転現象は起こっていた。
製作と配信との、主役交代が起こる。
刺激を求める若者は《小咄菊造くん》による、面白いコンテンツを求める。テレビ局で独自にコンテンツを制作しようにも、上層部の退職金を維持するため、制作下請けから先にリストラしてしまっている。既に優秀なコンテンツを作り出すことは不可能になっていた。
慌てて、地上デジタルを応用した、課金による番組見逃し対策を打ち出すが。時既に遅し。そして、とうとう、ひとつのテレビ局が倒産した。
連鎖倒産を恐れた他のテレビ局は、早々に若門書房へ白旗を揚げる。
若門書房はテレビ局各社を買収。テレビ局は電波配信を行うだけの存在となる。テレビはネットに飲み込まれた。
若門書房にはフォーマット・トレードによる投資・提携で、世界各国テレビ局とのパイプもある。
今まで日本のテレビは十いくつかのチャンネルに、有料の衛星放送しかなかったが。これにより各家庭、全世界百以上のチャンネルが映るようになった。
遂に若門書房はメディアとコンテンツの両方を掌握するした。こうなると既に出版社の枠には収まらない。若門書房はCGMによる表現活動で産まれた、コンテンツ流通のプラットフォームになりつつあった。
流通に制作。アメリカ抜きで世界へ打って出る準備が、まだ小さな刃ではあるが、育ちつつあった。




