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日本中に優良作品の数々があふれた。だが素晴らしいアニメやドラマが沢山あったとしても。放送権と使用料金の関係により、テレビで放送できる枠には限りがある。特に地方局では予算も少なく、放送権が買えない。全てのコンテンツを放送できるわけではない。限りがある。
そこで若門書房は日本国内最大のインターネット動画サービスと提携。配信を開始した。動画サービスでは多くの二次創作作品もアップされており、CGMの観点からも意味があった。
これまで日本では、二次創作なら暗黙ということで、多くの権利者から見逃されてきた。
だが二次創作人口が倍増した今となっては、話は別だ。二次創作でも放置したままでは、著作権を放棄したとみられかねない。
ならば、手の届く範囲で公認した方が睨みはきくというわけだ。
他に若門書房は小説、音楽、イラストと、各種創作系SNSとも提携する。若門書房からの公認を得て、二次創作界隈はたちまち賑やかになった。プロ作品と遜色ない、アマチュア作品が続々と発表される。
すると人材発掘する手間を省きたいだけの出版社が、新たな才能に飛びついた。それは一昔前にあった、ケータイ小説の出版ブームに似ていたかもしれない。
ちょっとでも流行した作品・作家がいたら、全権利ごと小金で買い上げ。ろくなブラッシュアップもせずに、そのまま出版。中に映画化できた作品が一本もあればラッキー。出版社が総取り。
あとは、さようなら。有名にしてあげたんだから、各人で頑張ってくださいね、と面倒はみない。
このままでは作家も会社も継続性がない。いつか果ての来る焼き畑農業だ。若門書房は一次創作・二次創作と関わらず、優れた才能を持っているなら出版・流通へと引き上げるシステムを構築する。
若門書房は大合併の際、ハリウッドを参考に、会社の組織システムを再編成していた。
現在ハリウッドでは、映画会社が直接、有名タイトルの映画を作っているわけではない。映画配信メジャーの下に、無数の映画系ベンチャー企業がある。ベンチャーは小規模ゆえの野心的な企画をメジャーに提案。メジャーは採用した企画に機材と資金を貸し出し。各方面のベンチャーが集まって、ひとつのビッグタイトルを撮影するという方式を採用している。
だから映画メジャーは今や、ファンドに近い存在となっていた。
こうした最新のハリウッドのシステム。実は日本でこそ馴染み深いものだった。
例えば昭和の土木ゼネコンだ。大きなプロジェクトがあると横の繋がりで情報を得た、腕のある流れ職人が集まり、終わると解散。また別のプロジェクトへと流れてゆく。
また最近でこそ新興国に押されて苦しい日本の電気機器だが。かつては終身雇用で優秀な技術者を囲い込み。社内の部署ひとつが丸々、ベンチャーとして機能する。このシステムが昭和日本のイノベーションを生んでいたといえる。
そうした、物作り日本を支えたシステムも、現在では既に崩壊していた。
成果主義の導入により、強者にのみ優しい社会が到来。元請けによる下請けイジメに、工賃のピンハネが横行した。結果、土木建築は慢性的な人手不足にあった。
また熟練工の高齢化による、技術の伝承も問題となる。近い将来に開催される国際スポーツ大会を目の前に、大きな社会問題となっていた。
若門書房もハリウッドのシステムを参考に、自社は流通に専念。ただし多くの編集プロダクションを抱えるという形態を取った。各編集プロダクションは小回りがきくゆえ、ひとりの作家へ密着できる。
昭和の有名漫画家の頃まで、編集者は作家と密接な関係にあった。そして次々と傑作を産み出してきた。若門書房はそうした関係を復活させたかったのだ。
そして雑誌の立ち上げなど、大きな企画があれば若門書房傘下の編集者が子飼いの作家を連れて集合、終わると解散。また別のプロジェクトへと集まる。
すると創作者も良作も膨大だから、受け手も成熟する。埋もれた良作を発掘する専門家、いわゆる「スコップ」と呼ばれる人間が登場。
また視聴者数だけに頼らない。玉石混淆の中から傑作を見つける評価システムも、受け手自身の中から試行錯誤で整備された。
いわば「どうコンテンツを受容するか」という態度自体がCGMの結果、洗練されたといえる。
ここまでの有用性を見せつけておきながら。どうやら、アフェリエイトのマーキング効果は大きかったらしい。若門書房の縄張りに、他社は萎縮。《小咄菊造くん》を使うことに躊躇していた。
中にはテレビ局など、頭の固い老人が経営しているメディアでは、「機械に頼るなど、人として創造性が失われる」と嫌悪すらしていたようだ。
すると逆手にとって若門書房は、この作品には《小咄菊造くん》を使用しましたよ、ということを公表。既に市民権を得つつあった《小咄菊造くん》の使用宣言は、JISマークのように安定した品質を持つという、ブランドとして定着した。
そして遂に世界的な大ヒット作品が生まれる。




