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 扉が乱暴に開かれ、その事でキリは何かが起こっていると察する。

 トリシャなら絶対にこのような開け方はしないからだ。案の定外から数人の男たちが室内へと入りこんできた。皆腰に剣を佩いている。

 後宮内に男が居ること、そして武器を持っていること、ともに尋常ではありえない事態だったが、これはキリの予想の範囲内だった。

 側室たちからの数々の嫌がらせが激化したが、先日王に願い出たおかげか、一旦はそれらもやんだ。

 しかしキリはこれで終わったとは思っていない。

 平穏は一時の事だと思っていた。

 側室たちはそれぞれ王の心を射止めたいと願い、キリを排除したいと動いている。そんな事をせずとも、王の関心はキリになどないのにと心底不思議でならないが。ただそれを言う機会も場もなく、キリはこの平穏が少しでも長く続けばいいと願っていた。

 東の国との懸案が片付いて、ここから去る日が来るまで。

 その願いとは裏腹に、とうとう事態は動いたらしい。キリのもっとも望まない形で。

 男の一人が、椅子に腰かけたままのキリのもとへ進み出た。

「紫の方、どうぞ我々とお越しください。わが主がお待ちです。なに、大人しく従って下されば、手荒なまねはいたしませんよ」

 キリは男をじっと見つめる。身につける衣装も装飾品も上等なものだ。

 腰に佩いた剣にも細かな装飾が施されている。他の男たちも同様だった。 これまでの経緯を考えるに、おそらくは側室方の実家に関わる者たちだろう。荒事とは無縁の男たちに見えたが、キリが一人で抵抗して逃げられるとも思えなかった。

 見知らぬ男たちに囲まれると、勝手に体が震えそうになる。

 きつく手を握りしめることでどうにかやり過ごす。

 キリの視線の前で、男がいささかたじろいだような声をあげた。

「さすがは王の娘でいらっしゃる、と言うべきか。少しも驚かれませんね。それともあまりのことに声も出ませんか」

 何を言うかとキリはおかしくなった。自分ひとりの事なら、いざとなれば全て投げ出せばいい。けれどここには、トリシャがいる。どうすべきか必死に考えているだけだった。

「……わたしについて来てくれた侍女がいます。彼女はどうするつもりですか」

「あとで会わせて差し上げますよ。あなたがおとなしく従ってくださると言うのなら」

 その言葉が嘘か本当か知る術はない。今のキリには、従うしか道はなかった。

 わかりましたと頷き、椅子から立ち上がる。

 扉の方へ向かいかけ、一度中へ引き返しショールを手に戻ってきた。

 それを肩から羽織る。

「では参りましょうか」

 男が手を差し出してきたが、キリは断った。

「結構です」

「さすがに気位のたかいことだ。ま、いいでしょう、逃げようなどとはお考えにならないことです。あなたの侍女が大事ならば」

 男の嘲笑交じりの声も、キリは気にならない。ただトリシャに何事もないようにとだけ願っていた。

 男たちに取り囲まれたまま、キリは数カ月を過ごした部屋を後にする。

 このような形で、この部屋を出る事になるなんて思いもしませんでしたねと、震える息を零しながら。



 ここでお待ち下さい。男はそう言い置いて部屋から出て行った。

 馬車に揺られ、着いた場所は貴族の邸宅のようだった。立派な造りの大きな館は、ひっそりと静まり返っている。この国に着いてから後宮以外を知らないキリは、ここがどのあたりになるのかもわからない。

 一人きりになり、キリは詰めていた息を吐き出した。扉の外には見張りがいる。それでもあの男たちの誰かが目の前に居るよりマシな気分だった。

 さして広くない部屋は、少人数での歓談に使われるものだろうか。

 精緻な織物で覆われたソファも黒光りするテーブルも上質な品ではあるのだろうが、あまりに派手すぎて落ち着かない。

「趣味がわるいわ……」

 思わず呟いてしまったキリだ。もし後宮でのキリの部屋がこんな感じだったら、一日とて耐えられたかどうか。

 絶対音をあげたでしょうねとキリは思った。

 大国にふさわしく、このような分かりやすい豪華さ派手さがこの国の主流であるとは知っている。

 だからこそ、後宮の部屋に通されたとき、驚きかつ少し安心したのだから。

 わたしがここで居心地良く過ごせるように気遣ってもらっている、と。

 

 国元で何度か会い、言葉を交わした王はキリの中では“少し変わっている人”だった。

 男の人が苦手なキリだったから、初めは側で話をするのも身構えてしまったが、何度か顔を合わせるうち、次第に構えを解いていった。

 王がいつも恐る恐るといった調子で話しかけてきたせいか、もしくは雨が降っていてもいい天気だなどと言ったり、花が枯れているのに、あの花はうつくしいな、などと言ったりする……おかしな言動のせいだっただろうか。 大きな国の王だと聞かされた人ではあるが、何だか可笑しな……面白い人だとキリは思っていた。

 問われるままかつて暮らした世界の事を話し、他愛ない話もした。

 おそらく“王”の立場にある人に対して、無礼にあたる振る舞いもしたかと思う。

 なにせキリはずっと男装のままで過ごしていたし、態度も口調もさしてかしこまったものではない。

 そのままで構わないとアラムやリヒトは言い、あの何もかもに寛容な国においてなら許されるのかと思いキリも振る舞いを改めなかった。

 王も……いつも“偶然だな”と言ってはキリに話かけていたから、あるいはキリが誰かとお茶を飲んでいるときに顔を会わせていたから、とくに正式に顔を合わせたわけではない。

 非公式であるから、衣装についても振る舞いについても何も言わなかったのだろうか。

 そう沢山話をする機会があったわけでは、ない。

 それでもキリにとっては構えずに話の出来るひとでもあった。

 だから、せめて迷惑をかけないよう、煩わせないように過ごそうと思った。

 あちらの国でならともかく、ここで不用意な振る舞いをすればたちまち迷惑がかかるだろう。

 だからこそ王にはこれ以上の気遣いは不要と申し出たのに。


「なんで、ああも険しいお顔をされたんでしょうか」

 キリにはわからない。時々王の口から飛び出す棘のある言葉の意味も。

 言葉だけをとらえるなら、トリシャの言う通り酷い事を言われていると思う。けれどキリは不器用に言葉を紡ぎながら庭園を共に散策したことを覚えている。キリ自身口がたつ方とは思っていないが、それに輪をかけて可笑しな事をいう王を見て内心キリは首を捻っていた。

 大国の王として優れた方だと聞いているけれど……普段はこんな方なのかしら、と。

 そしてしばらくぶりに顔を合わせた後宮で。

 キリに対して“酷い”言葉を投げながらも、王自身は悔やむような泣きそうな顔をしていたから。それが、キリの願望でないなら、いいのにと思う。

 もの思いを振り払うようにキリは頭をふった。

 ここへ通されてからかなりの時間が経っている。これからどうなるのか……自分の立場上命を奪われる事はないと思うが、わき上がる不安を押し殺すのに精いっぱいだった。

 そこへ扉を叩く音がして、キリの返事を待たずに開かれる。

「お待たせいたしましたな、紫の方。それとも、“客人”どのとお呼びしたほうがよろしいか」

 恰幅のいい壮年の男たち三人が室内に入って来る。

 三人は一人一人を見れば違う人間だと区別できるのだが、贅を凝らした衣装といい尊大な態度と言い、とてもよく似通っていた。

 このような三人をキリは知っている。いや一度だけ顔を合わせたことがある。三人の側室たちの様子にそっくりだった。

 三人は椅子や長椅子に腰掛けると部屋の中央で立ち尽くしたままのキリを無遠慮に眺めまわした。

「ふん、王がみずから側室にしたというから、どのような女かと思えば、貧相な小娘ではないか。王の気がしれん」

「女官の話では、ほとんど通ってはおらぬそうだが、贈り物はかかさぬそうだぞ。そのようななりだが、虜にする術を持っているのやもしれん」

 ほう、と男たちの目がじっとりとキリを見る。

 その視線に嫌なものを感じて、キリは背筋を走る悪感を止められなかった。後ずさりしそうな体を押しとどめ、男たちを見返す。

「あなた方はどなたですか。わたしをここへ連れて来て、どうなさるおつもりですか」

 どなたか、と尋ねてはいるが、側室方の父親だろうとキリは予想していた。

「“客人”に名乗る名はない。お前は賊に攫われてその身を穢される事になる。そうなれば王とてもうお前に見向きもせぬだろうよ。安心せよ、命までは奪わぬからの」

 男はいやな目つきでキリの体を眺めている。

「それにしても年端もいかぬ子どものような体つきだな。それがいいという者もおるが」

「どうせ誰ぞにさせるのだろう。お前が味見をしてみればいいではないか」

 キリは沸き上がる嫌悪感と恐怖に耐えながら、声をあげた。

 これ以上聞いてはいられなかった。

「……わたしをどんな目に合わせたところで、陛下があなた方の娘を特別に寵愛なされるとは思えませんが。だいいちわたしがもし、本当にかような目に遭えば、それはすなわちこの国の……陛下の手落ち。国の威信にも傷がつきましょう。まして、わたしを保護していただいた陛下におかれましては、さてどのような手段に出られるか……」

「何を言うか。“客人”ごときどのような目にあったところで、かわりはいくらでもいる」

 吐き捨てるように言う男の顔をじっと見つめながら、キリは静かに言葉を紡ぐ。

 心を畏れで一杯にしないよう、揺らさないようにしながら。

 それにしても、あちらの国では“客人”というだけで大事にされたものだが、こちらの国ではそうではないのだろうか。

 神殿、は国を越えてあるという。そして奉る神もまた同じであるのに。

「それでも、わたしは陛下の“娘”という立場をいただいています。わたしに何かあれば、それはすなわちこの国の手落ちです。外交問題にもなりかねません。わたしごときのために、そこまでの騒動にする気がおありなのですか」

 男たちはそこで初めて難しい顔をした。

 今の今まで、その可能性に気付かなかったのだろうか。

 それではあまりにお粗末すぎる。そして何故キリが側室としてこの国へ来たかも知らされてないようだった。

 知らされていれば、そもそもキリを排除しようとはしないだろう。

 東の国に漏れる事を恐れて、知りうる人間を限定しているのだろうが。

 キリはここが正念場とばかりに、声に力をこめた。

「今なら……今ならまだ何も起こっていません。もしこのままわたしを元の場所に戻して下さると約束していただけるのでしたら、わたしはここで見聞きした事は忘れましょう。口外も致しません。いかがですか」

 男たちは顔を見合わせてひそひそと何ごとかを囁き合っている。何とも拙い取引であるが、これで男たちが我が身かわいさに計画を思い留まってくれればいいと思う。

 わたしが口外しないと言っても、このような派手な行動を王に気付かれないはずがないのだけど。

「そうさな、いい提案かもしれんがな、我らはどうあってもお前が邪魔でな。会ってみてよくわかった。なるほど娘の言う通り、何とも目ざわりで腹立たしい娘だ。我らのことを恐れも敬いもせぬ」

「その目が気にいらんの。何を言っても小揺るぎもせん。その顔が苦痛に泣き叫ぶさまが見たくなったわ」

「ではそなたが味見とやらをしてみるか。我らは高みの見物をさせてもらおう」

 こんな拙い駆け引きが上手くいくとは思わなかったが、最悪にちかい展開になりそうだ。

 きつく手を握りしめ、せめて怯えた顔など見せぬようにとキリは男たちを見据える。

「わたしがあなた方を敬わないのは当然でしょう。ご自分の立場を考えれば、このような振る舞いに出るはずもない。そしてご自分の立場がわからないあなた方が、立場に見合った役目を果たしているとは思い難い。そのような方を何故敬えると思えるのです。まして畏れるなど」

 キリはアラムやリヒトや、カディージャたちを思い浮かべた。

 それぞれ……何のかんのと言いながらも日々自分の役割を果たしている人たちがいる。

 あちらの国でキリが会った人たちは、皆そうだった。

 あの場所から随分遠いところまで来たものだと思う。

 目に力をこめて、精一杯笑ってみせた。

「恐れはしません。ただ呆れ果てるばかりです」

 男たちはしばし呆然としたのち、顔を赤くして立ち上がった。

「この女、言わせておけば……っ」

 男の一人が腕を振りかぶり、キリに振りおろす。

 わかっていて挑発したのだ。

 何が起ころうとも、言わずには自分の気が済まなかった。

 そうでなければ、“客人”の自分を大切にしてくれた人たちに申し訳ないと思ったし、きちんと己の役目を果たしている人との違いに腹が立ったからだ。

 かたく目を閉じて、襲ってくる痛みに備える。

 けれど、痛みのかわりに温かなものに包まれる。

 不思議に思い目を開けると、頬にさらりとした布地が触れた。

 徐々に視線を上にあげ、驚きに声を飲む。王が片手で男の手を掴み、空いた手でキリの体を抱きこんでいたからだ。

 キリが見た事もないほど険しい顔で男たちを睨んでいた。



「私の室に手をあげるとはいい度胸だな」

 男の腕を突き放し、王は底冷えのするような声で言った。抱き締められたままのキリは困惑する。いつもなら嫌悪感が沸き上がってどうしようもないはずなのに。リヒトでも触られるのは駄目だったのに。

 男たちは思わぬ人物の登場にうろたえていた。王の他に幾人もの人間が現れ、男たちを取り囲んでいるようだった。

「陛下……なぜここに、いや、何故我らを捕えようとされるのですかっ」

 王は笑ったようだった。

「なぜ、とは愚問だな。お前らのする事に気付かないほど愚かだとでも思ったのか。そしてこの娘の立場もわからぬほどお前たちは愚かなのか。先ほどこの娘自身が言っていたように、あちらの国との間で問題など起こしたくないからな。まあ取りあえずは」

 王の低い声が響く。強い力で肩を抱かれ後ろを振り返ることできない。

 何が起きているのかはっきりとはわからなかった。

「お前たちの家の者は皆しばらく謹慎せよ。側室の誘拐および暴行未遂については、追って沙汰を出す。以上だ」

「そんな、陛下っ」

 男たちの取り縋る声が聞こえるが、王はまったく取り合わなかった。

「煩い奴らだ……もういい、連れて行け」

 うんざりした声で指示を出す。

 王はまったくの平静に見えたし声も落ち着いたものだったが、それに反して伝わって来る鼓動はとても早かった。このような場面では流石に緊張もするのだろう。

 それとも……少しでもキリを心配してくれたのだとしたら、とても申し訳なく思う。煩わせるつもりはなかったのに、迷惑をかけてしまったから。

 ああそうだ、と王はまるで明日の天気を話すような口調で言った。

「お前たちの娘は、全員後宮から出すぞ。流石にこういう事態になってしまえば、おいそれと置いておくわけにもいかん」

 喚く男たちはたちまち拘束され、どこかに連れて行かれる。

 扉が閉ざされ、やがてその声も聞こえなくなった。

 しん、と静まり返る部屋。先ほどまでの緊張も恐れも夢であったかのように遠い。けれど夢でない証拠に、キリの体はまだ広い胸の中に抱きこまれたまま。

 とくとくと脈打つ鼓動がどちらのものか、わからなくなりそうだった。 

 キリはそっと手のひらで王の胸あたりに触れる。

「陛下、庇っていただいてありがとうございます。もうお放しください」

 びくりと腕が震える。

 もう一度キリが「陛下」と声をかけると、渋々といった様子で腕は解かれた。

 幾らか離れて、キリは王を見上げ、もう一度礼を言った。

「陛下、この度は危ない所を助けていただき、ありがとうございました」

 いや、と王はキリの視線を避けるように顔を背けた。

 今まで大きな体に抱きこまれていたせいだろうか、途端に肩の辺りが何やら寒い気がして、キリはショールを引きあげた。

「わたしはまた後宮に戻ればよろしいんですか」

「いや……そなたは母上のところで預かって貰う。後宮よりは過ごしやすかろう」

「けれど、それでわたしの役目が果たせますか」

「心配には及ばぬ。母が無理を言った事にすればよい」

 もとよりキリの判断する事ではないから、わかりましたと頷いた。王は視線を逸らしたまま、怪我がなくてなによりだと言った。

 視線を逸らさず人を見る方が珍しいとキリは思い、そしてふと疑問が浮かぶ。それを疑問のまま置いておけばよかったのかもしれない。

 あまりに都合よく現れた王。もしかしてと思った。

「陛下、お答え下さい。もしかして、わたしが危険な目に遭うことは、予想されていましたか」

 王は何も答えない。それが何よりの答えだった。

「そうですか……わたしを利用されたんですね。でもそれはお互いさまでしょうから。わたしがここに居る事事態、こちらを利用しているのですからね。わたしはお役に立ちましたか?」

 王は低い声で答えた。

「ああ、この上なく、な」

「そうですか、お役に立てて何よりです」

 心を揺らす何かには気付かないふりで、キリはわずかに笑ってみせる。

 そう、少しでも役に立ったというなら、それでいい。

「わたしなど……生きて、ここに居ればいい、それだけなのでしょうから」




                     


「わたしなど……生きて、ここに居ればいい、それだけなのでしょうから」



 扉の向こうからそんな声が聞こえてきて、ムラートは思わず天井を仰いでしまう。

 侍女のトリシャを後宮から連れ出し、ひとまず王太后のもとへ預けてきた。その足でここへ来たところだった。

 ああ、俺って何だか貧乏籤ひいているかも。

 げんなりとした気分で、思わず替わってくれそうな誰かを目で探してみるが、扉を守る者たちは皆首を横に振るか、もしくはあからさまに目線を逸らしてきた。

 ここはどうかあなたにお願いしますと皆の目が言っている。

 ここに居る者はみな、王とはながい付き合いだ。妙な不器用さも知っている。その彼らにして、この場にいるのが居たたまれないといった様子にさせているのだ。

 アレは一体、何をあの娘に言ったんだろうねえ。

 あんな台詞を娘に言わせてしまうような。

 淡々と紡がれた言葉であるが、その裏にどんな気持ちが隠されていることやら。

 なんとも情けない幼馴染に対する憤りならまだましだ。

 諦めであったら……もう何を言っても通じない男だと諦めてしまったのなら、目も当てられない。

 ここで扉にへばりついているわけにはいかず、ムラートは大きくため息をついた。

 うん、ほんと面倒くさい男だよ、もう見捨ててしまいたいなあ。まだ問題は片付いてないっていうか、これからが大変なのに、ここで自分から墓穴掘って落ち込んでどうするってえの。

 あんな言葉を聞かされて、幼馴染が落ち込まないはずはないだろう。

 あれきり部屋の中からは声はまったく聞こえてこなかった。

 そこで否定するなりいっそ自分の気持ちを打ち明けるなりすればいいのに、それが出来るような男ではなかった。とても残念なことに。

 一応、ムラートとしても、しばらく時間をやったのだ。王が何とかまっとうな言葉を娘にかけてやるのを。

 しかし聞こえるのは静けさばかり。

 たぶん、驚いて固まってるんだろう。

 で、頭だけは動いててそれが空転しまくってるんだろうな。

 ここで助け船を出してやるかと、ムラートは扉に手をかけた。

 王が焦るあまり酷い暴言を娘に吐いても困る。

 娘を傷つけてしまうのもいけないが、自分で吐いた言葉に落ち込むに決まっているからだ。ただでさえ仕事が詰まっているのに、さらに遅れる事が目に見えている。ああ、本当に面倒くさい男。

 皆の眼が、“お気の毒です”と語っていた。

 室内に入ると、娘と王の目がこちらに向いた。

 王は明らかに助かったという顔をした。別にお前を助けたわけじゃないよと胸の中で呟き、ムラートは娘に話しかけた。

「この度の事ではさぞ恐ろしい思いをされた事でしょう。お怪我もなく何よりでした。あなた様の侍女、トリシャと言いましたか、彼女も大事ありませんよ」

「……本当に?無事なんですね?」

「ええ。少し足を捻ってはおりますがね。王太后陛下の所で預かっていただいてますから、ご心配なさらぬよう。彼女もとてもあなた様の事を心配していましたから、早く安心させてあげられるとよろしいかと」

 そう言ってやると、目に見えて娘の肩から力が抜ける。

「では、早速参りましょうか。このような場所に長く居たくはないでしょうし」

 ええ、と娘はショールを体の前でかき合せる。それはいささか低い気温のせいか、もしくは思い出したくないだろう事のせいかは、わからなかった。

 娘を先に馬車へ案内するよう、護衛の一人に指示した。

この部屋を去る前に、娘は王の方を向き、お手本のように綺麗な礼をとる。

「それでは陛下、御前失礼致します。助けていただき、ありがとうございました」



「で。お前は何をしたわけ。あの子にあんな事を言わせるような、さ」

 王は未練がましく娘の後姿を追いかけていた。

 扉が閉ざされてようやく、視線がムラートへと向く。

 そんな目で見ているくらいなら、何故もっとまっとうな言動が出来ないものか。これに関してはもうため息しか零れない。さあとっとと白状しろと目に力をこめていると、王は渋々口を開いた。

「……あれに、バレた」

「なにが。奴らの計画を知っていたこと?それともあの子を囮にしたこと?」

「両方だ」

「ああ~まあ仕方ないねえ。で、お前、ちゃんと謝って、それから言い訳したんだろうね?やむにやまれぬとか、ちゃんと密かに護衛もつけていたとか」

 王は不貞腐れたように顔を背けた。その様子にムラートは状況を察してしまう。

「ああそう、言ってないのね。で、あの子はなんて言ったの」

「……利用するのもされるのも、お互いさまだと。お役に立てて何よりですと言われた」

「おまえ、それちゃんと否定して……ないか、その様子だと。で、あげくにあんなことを言われたってわけね」

 ほんと、救い難い莫迦だねえとムラートは吐きだした。

 これではあの子に嫌ってくれと言わんばかりではないか。

 まだ問題は山積みだというのに、頭が痛くなりそうだった。

「まあ、取りあえずお前は戻って仕事をしなさいね。一度に三つの家に処分を下してその上側室を三人も後宮から出すんだ。根回しはしててもある程度の騒ぎは目に見えている。少しでも仕事は減らしておきたいからね」

「え、だがあれを母上の所に連れて行くんだろう。俺が」

 優しい言葉の一つも言えない口で、何を言うかとムラートは呆れた。

 どうせまた要らないことを言って落ち込むか、もしくは娘からはかばかしい返答がなくて落ち込むかのどちらかだ。

 これ以上落ち込まれては困るのだ。

 仕事が回らないじゃない、ほんと。

「陛下。碌な言い訳もできない口で、何をおっしゃる事やら、片腹痛いですね。あの子は私がちゃんと王太后陛下のもとへ送り届けます。あなたは戻ってちゃんと仕事をして下さい。いいですね」

 ひんやりした笑顔で念を押せば、王は不承不承頷いた。



「むさくるしい男がご一緒して申し訳ありませんね」

 王太后陛下の元へ行く馬車の中。

 ムラートは娘とふたり、向かい合って座っていた。外装は目立たぬよう地味な作りだが、内部は振動が響かぬようクッションを敷き詰めており乗り心地をよくしている。

 娘はもともと馬車に乗りつけていないのか、もの珍しそうに内部を見回していた。

 娘は、いいえとんでもございませんと首を横に振ったが、いささか表情が硬い。

 うん、やっぱりあの莫迦に送らせないで正解だったなとムラートは思った。こんな狭い場所で、あの 莫迦がまた莫迦なことを言ったら逃げ場がないじゃないか。そうなったらこの娘が可哀想だ。

 馬車は速度を落とすことなく走っている。それでも到着するまでには時間がかかる。娘が何かを聞きたそうにしているのには気がついていたが、ここで話す気にはなれなかった。

 もしこの娘が酷くとりみだした場合、宥める“手”がたくさんある場所の方がいい。

 そう計算が働いたのだ。それに娘の顔色のわるさも気にかかる。少しでも落ちつける場所で話したかった。

「……そういえば、かなりたくさん本を読んでおられたとか。お気に召したものはございましたか」

 娘は一度瞬きをしたあと、ええ、と答えた。

「ええ、こちらの蔵書は本当に素晴らしいですね。どれを読ませていただこうかと目移りするくらいでした」

「そうでしたか、それは何よりでした。これから向かう王太后陛下のおられる棟にも、小さな図書室がありますから、よろしければそこをご利用下さい」

「まあ、ありがとうございます。それは楽しみです」

 娘はかすかに笑った。事前に聞いていたところによると、娘の趣味は読書に散策だという。散策はここへ来てから全くしてはいないだろう。ずっと部屋に籠ったままだったから。あの莫迦が言葉足らずだったせいである。

 読書の方も、書物に何かの死体を仕込まれたせいで止めてしまったという。することもなく、したいことも取り上げられていては、本当に軟禁と変わらない。

 こんな状況では、アレに好意を持つはずがないと思う、が。

 あちらの国では、一体どんな振る舞いをしていたんだか。

 何だかとても心配になってきた。

 いや今更だけど、もしこっちでしたような言動をとってたら、ただじゃおかない人たちが居るから……無事にこっちに戻って来てるってことは、あっちじゃマトモな言動してたのか?

 娘に問いたい気はあれど、ここでその話題を出すのは止めた。

「どのような本をよく読まれるのですか」

 娘は首を傾げ、言葉を選んでいるふうだった。

「そうですね、他愛のない物語であったり、歴史書であったり。面白いと思えば、何でも」

「そうですか。では、王太后陛下のもとへ落ちつかれたら、私のお勧めをお持ちしますよ」

「あら、宰相様も読書がご趣味ですか」

「まあ趣味、と言えるほどではありませんが、それなりには」

 それから後は、本の話に終始した。娘は問われたことには簡潔に答え、時折こちらにも問いを投げかけてくる。淡々としたきらいはあるものの、きちんと会話を繋いでくれては、いる。

 娘の一番聞きたい話でなく、こんな他愛ない話題に終始している意図も、おそらくは汲んでくれて、いるのだろう。

 にこやかに話を続ける裏で、ムラートは考えていた。けれどこの娘は、初めに会った時、自分に“王の訪れは不要”と言いきったのだ。

 それはある意味、拒絶であるとも、取れなくはない。

 あの莫迦の不器用さも原因だけど、この娘にも何かありそうだよねえ。

 さてこれからどうなることやら。


 色んな意味で頭が痛いものだと、ムラートはひそかにため息をついたのだった。



                                




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