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 後宮へは先触れを出していたから、“客人”の娘はうつくしく装った姿で佇んでいた。

 思えば男装をした娘の姿しか自分は知らない。

 侍従の格好にも似た衣装は、娘によく似合ってはいたけれど。

 そしてこの間の姿が脳裏をよぎったが、すぐに頭から消す。

 今思い出していると色々とまずい事になりそうだった。

 薄紫の衣装は、ほっそりとした娘によく似合っている。布が嵩張るようなものでなく、体の線にそって流れるような簡素なつくりだ。

 何枚も薄布を重ね、袖口や胸元には銀糸で精緻な刺繍が施されている。

 裾へと近づくにつれ色がだんだんと濃くなっている。胸元は二重に連ねた白い真珠で飾っていた。結いあげるには長さが足りない髪には、衣裳と同じ色合いの、薄紫の花を挿していた。

 娘が身につけている衣装は、娘の後宮での名乗りを聞いて、贈ったものだった。

 慣例として、王は側室に名にちなんだ衣裳を贈る習わしだった。

 娘が何と名乗るか分からないため、同じような意匠で、色違いの衣裳をいくつか準備はしていたのだ。

 今までの側室たちに、そこまで手を掛けた事がない。

 どう名乗るか前もってわざわざ知らせてきていたので、それに添ったものを適当に手配させたのみだった。

 贈り物は届いている。ならば、やはり自分と関わるのが嫌なのだろう。

 気分が沈むのがわかる。

 そこへ、娘が衣裳の裾をつまみ、優雅な仕草で礼をした。

「このたびはわざわざお越しいただき、ありがとうございます」

 声も表情も淡々としていて、凪いだ湖面のような目からは感情が読み取れない。

「いや……そなたの男装以外の姿は初めて見たな。まあなんとか見られるではないか」

「ありがとうごさいます」

 まあまあ見られる、どころか似合っていると言いたいのに、何故か飛び出す言葉は棘のあるもの。

 しかし娘は表情を変えることなく礼まで言うものだから、何も言えなくなる。

 娘は手のひらで茶器の準備されたテーブルの方を示し、よろしければこちらへお掛け下さいと勧めてきたので椅子に腰を下ろす。

 娘は茶碗に茶を注ぎ、こちらへ差し出した後、向かいに腰を下ろした。

 立ち居振る舞いも仕草も、流れるように見事なものだ。ここへ来るために身につけた所作なのだろう。 

 側室ともなれば、何人もの侍女に傅かれているものだが、娘には国元から連れてきた侍女が一人だけだった。こちらへ来るにあたり、何人かを連れてくるかもしくはこちらで用意しようか打診したところ、両方とも断られたのだ。その一人しかいない侍女は、部屋の隅で控えている。

 茶で喉を潤したあと、さてどう切り出したものかと内心焦っていた。

 娘の姿を見た途端、考えていた段取りも全て頭から飛んでしまい、真っ白になっている。迂闊に口を開けば、また娘を傷つけるような言葉を吐いてしまいそうだった。自分が口を開く前に、娘の方が切り出してきた。

「陛下、まことに心苦しいのですが、お願いがありまして」

 娘はテーブルの上で両手を組み合わせ、じっとそれを見ていた。

「なんだ、言ってみよ」

 娘は顔をあげ、まっすぐにこちらを見る。

 目に、さざなみのような感情が揺れていた。珍しい事だと思っていると。

「実は……最近困った事が起きております。扉を開けた途端、上から石が落ちてきたり、食事に何やら生き物の死体が浮かんでいたり。侍女もわたしも、怪我はしておりませんが、このままですといずれ怪我を負うやもしれません。何とかしたくても、わたしたちに打つ手はございません。陛下を煩わすつもりはないと申し上げた舌の根も乾かぬ間に申し訳ないのですが、何か手を打ってはいただけませんか」

「そこまで酷い事になっているとはな……」

 側室たちの嫌がらせなど、部屋の前に汚れものを置いたり、虫でも投げ込んだりの他愛のないものと思っていたが、これでは性質が悪い。

 そして報告が後宮内から上がっていないことに歯噛みする。側室たちの実家の意向を受けるものばかりで、他国の娘への関心がまったくないらしかった。まして王が通わない娘であれば。

 思わず、内心の声を口に出していたらしい。

「こうなること、予想してらしたんですか?いいえ、起きていることをご存知でいらっしゃる」

「……ある程度はな。義理とはいえ、あの王の娘だ、もっと上手く切り抜けると思っていたが」

「それはご期待に添えず申し訳ございません。しかし陛下もご存知のとおり、わたしはただの“客人”でしかありませんから。わたしだけなら兎も角も、ここにはわたしについて来てくれた侍女がおります。彼女に怪我をさせるわけにはいきませんので」

 どうかよろしくお願いしますと娘は頭を下げる。

 苦い思いがこみあげてくるのを止められなかった。

 娘の願いは侍女の身の安全の事で。自分と他愛ない会話に興じることもなければ、まして通うことを願い出るわけでもない。そして様々な贈り物について一言さえ触れることはなかった。どこまでも自分には関心がないのだろう。

 そなたの願いはわかった、と低い声で答え、立ちあがる。

 同じく席を立った娘の傍らに立ち、手を伸ばそうとした。その、伸ばした手で自分が何をしたかったのかは、わからない。

 娘が喉の奥から引き攣ったような声を上げ、後ろへ下がったことで我にかえる。

 表情は強張り、顔は青ざめていた。

 それほどまでに厭うかと、口元に歪んだ笑みを浮かべた。

「そなたはよほど私が気にいらないらしい。贈り物についても礼一つ言わぬしな。気に入らないのはお互いさまだが、ここへ居る間傷をつけたと難癖をつけられるのも業腹。怪我だけはせぬよう守ってやるからそれは安心するがいい」

 伸ばしかけた手を握りこみ、娘に背を向けた。

「あの、陛下っ、お待ちくださいっ」

 娘の声に耳をかさず、扉の外へ出て……振り返ることなく扉を閉めたのだった。



「お前、今日は一段と顔が怖いよ」

 宰相が言うのに、ぎろりと睨みあげることで答える。

 付き合いの長い宰相は、おおこわと肩を竦めるだけで少しも怯まない。

「どうせ、口が滑っていらないこと言って、後悔でもしてるんじゃないの?」

「……違う」

「押し倒そうとして、嫌がられたとか」

「……違う」

「じゃあなんで、そんな辛気臭いカオしてるの。まあ、この部屋ならね、他の誰も居ないけど。大臣とかが一緒にいる所では絶対そんな隙見せるんじゃないよ。まあお前外面はいいからね、心配はしてないけども」

 何があったと目で問う宰相に、とうとう白状した。

「うわ、結構酷い嫌がらせだねえ。というか、他国の王の娘にだよ、何してくれちゃってるの。何かあったら外交問題だってえのに。その報告はお前のトコにも上がってないってわけ、ああそりゃそれも問題か~……で。お前は何を落ち込んでるの。その子のお願いは当然でしょう。こちらが守るのも。なに、通って欲しいとか言われるの期待してたの。それは甘いねえ」

 ぐさぐさと容赦なく宰相は傷口を抉る。

「……あれは俺に、何一つ尋ねなかった。会わない間に何をしていたとか、何があったとか。懐かしいとも言わない。まるで“俺”に関心がないみたいだった。それが一番堪える」

 宰相はそれまでの面白がっていた表情を改めて、話を聞いている。

 話しながら思い出す、そうだあの娘はいつもそうだった。

 こちらから投げかければ答えるけれど、そうでなければいらえはない。

 問うた分だけのものを返してよこす。

 そしてここでは。“立場”以上のものを返す気がない、というわけなのだろうか。

「あの子が何を考えてるのかなんて、俺にはわからないけど。ただあの子の立場上、お前と個人的に親しくする事は出来ない。今以上に酷い事になるのは目に見えている。それに、たぶん、お前を避けたい気になるのは、少しわかるかな」

 何故だと目で問うと、宰相はあっさり答えた。

「前も言ったかなあ。お前の周りって色々煩すぎだからね。あちらの国でならともかく、余程お前の事を気にいってない限り、親しく付き合おうなんて気にはなれないんじゃないかな」

「……それなら、俺は端からあの娘の眼中にないってことか」

「さあねえ。で、そうだとしても、お前はどうしたいの。諦めて忘れるなら、それがあの子のためかもしれないね。こんな面倒臭い男、俺だったらお勧めしない」

「……誰が諦めると言った」

 へえ、と面白そうな声をあげる宰相に、宣言するように顔を上げる。

「まだ東の国との事が済んでない。あの娘はしばらくはここにいるんだ。時間はまだある」

「わ~……お前その悪役ヅラ、あの子の前で見せるんじゃないよ。怯えられるよ。うん、俺あの子に逃げろって言いたくなってきたかも……って、言わないって!ほんとにもう、さっきまでどん底まで落ち込んでたくせに、なんなのさ~」

 まあ浮上したのはいいけど、妙な方に暴走しそうで怖いんだよねえと失礼な事を言う。

 好きなように言ってろと言い捨てて、椅子に凭れかかった。

「後宮の警備強化はヤズルカに言っておくとして、あとは後宮内にどこまで大臣どもの手がはびこってるか調べねばな……」

 弟のヤズルカは王弟でありながら、母親の身分が低かったため成人すると早々に臣下に下った。剣や体術にすぐれていた弟は騎士団に入り、今では実力で騎士団の副団長まで上り詰めている。

 そして弟は今、王宮警備を統括する立場にあった。

 宰相も難しい顔をして唸る。

「下働きあたりだと何とか潜りこめるんだけどね。やっぱり侍女や女官辺りは警戒が厳しくて難しいな。下働きだと、上が何してるのかわからないこともあるし」

「逆もあるぞ。下働きなどあいつらは眼中にないからな。見えていてもいないものとして振舞うだろう。もしかしたら何かもらすかもしれない」

「ま、それに期待しましょうか」

 王、という一番の権力者のはずなのに、自分の打てる手といえば精々がこんなもので。

 娘に、けして傷つけたりしないと約束できない、そしてもしかしたら……一番娘を傷つけているかもしれない自分に、ほとほと嫌気がさしたのだった。

 それでも。まだ間に合うと信じていたかった。


                              


               

「まったく、信じられないわっ」

 独り言にしてはいささか大きい声で呟きながら、トリシャは後宮の廊下を歩いていた。思い返すたびに腹が立ち、もし目の前にあの顔があれば引っ掻くぐらいしそうだった。

 後宮の女官とすれ違いそうになり、トリシャは慌ててその場をとり繕う。澄ました顔ですれ違い、その後はたちまちニガムシを噛みつぶしたような顔に戻る。

 本当に此処は居心地が悪いわ。

 トリシャは零れそうになるため息を呑みこんだ。

 これじゃあキリさまは国元に帰る時まで籠の鳥じゃないのよ、と。

 いいえ違うわねと思い直す。はっきり言って軟禁状態だ。自由に行動出来るのは与えられた部屋の中のみで、庭を散策する事も出来ない。

 一度生き物の死体が挟まれていたことで、キリは好きな本を読むことも止めてしまった。

 あれは流石に酷かったと、トリシャも思い出すと背筋がぞうっとする。

 あからさまに“あやしいもの”があれば心構えもできるけど、何も構えていなかった所へアレだったものだから、衝撃もひとしおだった。

 もともと部屋にあった本を除き、すべて箱に放り込んで返してしまった。 かなりの量で重さもあったが、トリシャも「お願いしますね」と女官に押し付けたのである。

 それ以来キリは、国元から持ってきた数冊の本を思いだしたように開いている。

 手すさびに、トリシャが教える刺繍をする他は、お茶を飲んだりトリシャと他愛ない話をしたりするくらいしか、することがない。

 キリの趣味でもある散策は、部屋から出られないので出来ないでいる。この国の庭園は見事なもので、キリはそれを楽しみにしていたというのに。

 トリシャは許された範囲であるが、多少ならば後宮内を動ける。キリが見たならきっと喜ぶだろう、そんな庭園が大小いくつも点在していた。

 ほんと、色々予想外だわねとトリシャはため息をついた。

 時々庭を散策して本を読んで。その繰り返しで日々が過ぎれば、いずれは国元へ帰れるだろう、なんてキリは言った。多少窮屈な思いをするでしょうが、仕方ありませんねと笑いながら。

 ずっとトリシャが側についていられればまだしも、キリの侍女はトリシャ一人しかいないので、こまごまとした仕事もある。国元に居る時を思えば、比べるまでもないが。

 ここではキリも、少しくらいは動かないとねと言っては部屋の掃除などもする。もともと人にしてもらうような立場ではないですしねとキリは言うが、トリシャにとっては些か面白くない。あちらでは、キリが何を言おうとも手出しはさせなかったからだ。

 わたしの仕事ですので。にっこり笑顔でそう言いきればキリは諦めて受け入れてくれた。

 ただ、ここで。日に日に元気がなくなるキリを見て居たくはなかったから。

 今日から、キリさまにも掃除とシーツ換えを手伝ってもらいますよ。あら、したくなければ、今まで通りわたしがしますけれど。

 キリはぽかんと目を丸くしてトリシャを見、そしてキリにしては珍しく勢いこんで言った。

 やりますよっ、もちろんっ。

 その様子を見て、自分を曲げてでも提案して良かったと思ったのだ。

 キリも国元では双子の殿下方の相手をしたり妃殿下の相手をしたりなどで、それなりに忙しく日々を過ごしている。それが一転籠の鳥ではさぞかし窮屈な思いをしているはずだ。辛いとか……自分の気持ちは言わないキリであるから、余計にトリシャは気を揉んでいた。

 トリシャが“仕事の手伝い”を言いだして以降、キリは少し元気になったようだ。

 それにひとまずは安心しつつも、まだ気を抜いてはいられないと思う。

 こうしてトリシャが、厨房まで食事を取りに行っているのもそのうちの一つだ。

 お茶に異物が混入されて以来。

 口にするものはすべて、トリシャが自分で厨房まで取りに行っている。

 今までは女官が運んで来ていたが、それは何のかんのと理由をつけて断ってしまった。この前は虫の死体だったが、これが良からぬ薬や……毒であったらと思うと恐ろしい。それを思えば手間などたいした問題ではなかった。

 それに、ここの侍女や女官たちは態度も高飛車でいけ好けないが、厨房にいるような下働きの人たちとは気安く話す事もできる。彼らはおおむねキリの状況に同情的で、美味しいお菓子を内緒で作ってくれたりもする。

 そこで少しのおしゃべりをして戻る事が、最近のトリシャの息抜きでもあった。

 トリシャはもう一度呟く。

「本当に、信じられない。何なのよあれは……」



 あの時。トリシャは沸き上がる憤りを抑え込んで、部屋の隅に控えていた。

 キリの部屋を訪れた王は、側室たちによる嫌がらせを詫びるどころか、キリを見下すような言葉を吐いた。それだけでも許しがたいのに、怯えさせる真似をしでかしたのだ。もし王がキリに触れるような事があれば、なんとしてでもそれ以上を阻止しただろう。

「陛下っ?お待ちくださいっ」

 キリの言葉に耳をかさず、王は部屋から出て行ってしまった。あとに残されたキリは憂鬱な面持ちで呟く。

「どうも陛下とわたしとでは、噛みあわないようですね。けして不快にさせるつもりはないんですけど」

「キリさまっ、問題はあの陛下にあるんですからっ、キリさまが気にやまれる必要はありませんっ。まったく、あの態度はなんですかっ。キリさまはもっと怒っていいんですよっ。何ですか、あんな酷いことばかりっ……」

 トリシャの方が泣いてしまいそうだ。けれどキリはゆるく首を振って閉じた扉の方を見る。

 去った男の影をそこに見るように。

「そうですね、確かに言葉は酷いんですけどね……何故だかあの方、言うたびに泣きそうな顔をされるんですもの。それを見ると、ああ仕方がない人だなあって思ってしまうんです」

「……なんですかそれ」

 さあとキリは仄かに笑うばかりだ。珍しい表情にトリシャの中から憤りも何もかもがすとんと抜け落ちる。

「さあ、わたしにもわかりません。ただ、そういう言い方しか出来ない人なのかしらって思っただけです」

 キリの言葉に、トリシャは思い出した。

 偶然を必死に装って、キリとお茶を飲んだり、庭を散策したりしていた王の事を。若くして王位を継ぎ、そつのない振る舞いと若さに見合わぬ手腕で知られる王にしては、珍しい事よと思っていた。キリが偶然、というのを全く疑ってもいないのがおかしかった。

 もしかして、とトリシャは思う。ああいやだ、勘弁してよと内心呻いた。

「……なんですか、それ……」

 卒のない振る舞いが外面で、その実不器用極まりない振舞いしか出来ない男。思ったことと反対の事しか言えないような。

 そうだ、この部屋に初めて入った時、思ったではないか。王はキリを本当に大事にするつもりなのだと。派手さはないものの、細部まで整えられた部屋や調度品の数々。見た目の派手さよりも落ち着いたものを好むキリを知らなければ用意できないようなものだ。

 ああルドヴィカさま、助けて下さい。面白がるなんてとんでもなかったです。こんな面倒で厄介な男、遺憾ながら私の力では引き剥がせません。

 幸いにして……と言っていいかどうか。キリは王の“好意”については気付いていないようだ。

 なんとか此処を去るまで気付かないで欲しいと切に願う。

 大抵の人なら王のあの態度では、自分がよもや好かれているとは思うまい。

「でもね、トリシャ、さっき陛下が気になることを言われたんですけど」

「何ですか」

「贈り物がどうとか。わたし、何も頂いてないはずですよね?」

 これにはトリシャも首を傾げた。ここへ来て以来、王からは衣装の一枚も、菓子のひとつも貰ってはいない。

「贈り物の礼もない、って言われましたけど……それって、一体どういうことなんでしょう」

 キリと顔を見合わせた。

 側室たちからの嫌がらせより他に、まだ問題はありそうで。

 頭を抱えるしかなかった。



 それから数日が経過している。

 王はどのようにしてか手を打ったのだろう、毎日続いていた嫌がらせは、なりを潜めている。その静けさがいっそ不気味なほどで、余計気は抜けないわとトリシャは気を引き締める。

 このままでは終わらない、嫌な予感がひしひしとするからだ。

 それでも……手を回せるなら、初めから嫌がらせなどされないよう、手段を講じて欲しかったものだと思う。

 神経をすり減らした日々をどうしてくれよう。

 けれど、贈り物の件については、まだ確認が出来ないでいた。それとなく女官に尋ねても、キリさまあてに何かが贈られたと言う記録はございません、と取り付く島もない。

 よく考えれば、あの王が何も贈って来ないものおかしいのだ。

 たとえ本当に、外交手段としてキリを側室にしたとしても、立場上贈り物などのご機嫌うかがいは欠かさないだろう。

 まして、あの王はキリを好いているらしい。尚更贈り物を寄こしてくるはずだ。自分から、キリの元を訪れないとまで言ってしまったからには、余計に。

 どういうことなんだろうか。いつしかトリシャの足が止まる。

 王は贈り物をしたと言う。けれどキリは受け取っていない。王と側室の間を取り持つのは、後宮の女官だ。何の遣り取りをするにせよ、必ず。

 やはり女官の中に、側室の実家の意向を受けている者がいるんだわ。

 いいえもしかしたら後宮全体が、いずれかの家の息がかかっている……!

 下働きの者たちによると、陛下は今まで、側室たちをあまり顧みていなかったらしい。

 色々煩く言うものがいてな、仕方なく側室にあげたようなもんさ、と言っていた。

 あの当時は陛下も即位して間がなくて、前陛下が急に亡くなられたものだから、あれこれ問題が起こってな。仕方なくいっぺんに三人も側室にあげなさったんだ。

 あんたの主で四人目だが、初めてだよ。王に望まれて側室になったのは。

 ……望まれてというか、そうせざるを得ない状況だったというか。

 トリシャは曖昧に笑って誤魔化した。

 側室たちにしてみると、望まれてやってきた娘が、さらに王の関心を得ている事が非常に気にいらない、と。

 はっきり言えば目ざわりであると。

 キリに関わらず贈り物なども寄こさなければ……あるいは本当に関心を失った哀れな娘として、嘲りを受けながらもある意味キリが望んだような穏やかな籠の鳥の生活が出来たかもしれない。

 けれど。王の贈り物は、おそらく“儀礼的”な範囲を超えるものだったのだろう。嫌がらせの激化は、この辺りにも原因がありそうだった。

 女官の背後にいる者たちは、贈り物を隠匿し、二人の間に諍いでも起きればいいと思ったのか。

「このまま後宮に居るのは、危険だわ……誰が味方か分からない」

 キリに、病をえたように装ってもらおうか。

 それでここから出られればいいのだが。

 難しいわね、きっと。王と連絡を取りたくても術がない。普通に願い出た所で王に伝わる前に握りつぶされるのがおちだ。

「それでも、あきらめるものですか」

 トリシャは自分を奮い立たせるように低く呟いた。止まっていた足を動かして厨房へと向かう。まずは食事をしてキリと話しあって、それからだ。

 厨房は後宮の端に位置し、階段を降りた地下にあった。階段を降りようと足を踏み出した瞬間。

 どん、と背中を強い力で押され、体が宙に浮いた。

「え……っ、きゃああああっ」

 大きな悲鳴を上げながら、トリシャは落下していった。




                                   何とかそれなりに、自分たちなりにやってきたつもりだけど。

 まだまだだなあ、なんて思い知らされるのはこんな時。

 きっと自分たちは未だ彼女の手のひらの上。


 それでも、それを悔しいなんて言ってられない。それは彼も同じ。

 大事なひとを守るためには、どんな力だって借りようというもの。



 数日前の事。王と二人で執務室にいる時、王太后陛下の使いを名乗る女が執務室を訪れた。

 現在王宮の一棟に滞在する王太后が、息子である王へ何らかの言伝を寄こしても特段不自然ではない。女はこれを言付かってまいりましたと、王太后の使う紋章の入った封書を差し出してきた。

 王は女と紋章入りの封書とを交互に眺め、封書を受け取るとペーパーナイフで封を切った。

 しかめっ面をしたまま取り出した書面に目を走らせる。おそらくまた王太后が無理難題を言ってきたかと思ったのだろう。

 今までも度々こんな事があったから。

 いつもはお前が回りを振りまわしてるんだ、たまには逆の立場を味わえとにやにやしながら様子を見ていたが、王は見る見るうちに厳しい顔をする。 一体何が書いてあるんだろうかと首を傾げていると、王は書面をこちらに寄こしてきた。書面に目をやり、書かれている内容に息を呑む。それと同時に沸き上がるのは、呆れとこれをどう好機として生かそうかという思い。

「うわ、これは大変だねえ」

 思わず呟いてしまうが、王は女に視線を向け問いただす。

「これは、確かな情報か」

「そうでございます。……お疑いですか」

 女は小揺るぎもしない声で答えた。

「母上のなされる事だ、疑ってはおらんが。念を押したまでだ。

 しかし、どのようにしてこの情報を手に入れられたものやら」

「後宮の女官として、ひとり潜入させておりますゆえ。こたびの知らせも、そこからもたらされたものでございます」

「よく潜り込めたものだね。俺たちにはどうしても無理だったよ」

 王の気に入りの娘を守るためにも、内部情報は掴んでおきたくて。

 画策はしてみたものの、どうにも警戒が厳しくて入りこめなかった。

 女はうすく笑い答えなかった。その代わりに、王太后陛下よりご伝言がございます、と言った。

「母上から?言ってみよ」

 では失礼して、と女は背筋を伸ばした。

「そなたが贈ったものは、殆どあの娘には渡っておらぬぞ。側室たちの怒りを煽る結果になっておる。好いた女ひとり守れぬとは情けない限りじゃな。こたびの事にけりがついた暁には、これ以上愛想をつかされぬよう弁明するがいい。まずはあの娘に、傷一つつけぬようにせよ」

 そう、仰せでございました。女は澄ました顔で言い、私はこれで失礼致しますと退出しようとする。

 王太后陛下は相変わらず厳しくていらっしゃる上に、どこまでもお見通しかと恐れ入る。自分たちの対応のまずさも手落ちも、そして王の呆れるほどの不器用さも。

 叶わないねえと嘆息しながら、頭の中ではこれからの算段を始めている。

 王は女の背に向けて、母上に伝えてくれと言った。

「けりがついた後は、あの娘を母上に預けたいと思っている。よろしく頼むと」

「……確かに承りました。お伝えいたします」



 女が去った後、ひらりと書面を摘み上げ、天井を仰いだ。

 うん、考えなしの娘たちに似て考えなしの親だなあと呆れてしまう。

「本当にこれ実行するつもり……なんだよねえ、あいつらは」

「そうだろうさ。それが万が一成功してみろ、それを想像するだけで俺でさえ恐ろしいぞ」

「まあねえ~でも、今はお前のカオの方が怖いな、俺は。本気で悪役ヅラになってるって。今から殴りこみにでも行く気?」

「まさか。腹立たしいが、きっちりカタをつけるために我慢するさ。この計画を立てるって時点ですでに許し難いがな」

「お前ねえ、それちゃんとあの子の前で言えたらね、多分それなりにうまくいく……かな?あの子もいまいち読めないからなんとも言えないねえ」

「うるさいっ、余計なこと言ってないで、話を進めるぞっ」

「はいはい、わかりましたよ~」



 何ともお粗末な“計画”だったが、これを王も自分も側室たちを廃し、その実家の影響力を削ぐ好機として捉えた。

 ただ“計画”の渦中の人物となる娘には、何一つ伝えられない。警戒されては、あちらの“計画”が変更になったりするかもしれない。娘を利用し、いわば囮にする形になってしまうことについては、王も最後まで迷っていた。密かに娘は守らせる、傷など負わせない。それでも何が起こるかはわからないから。

 それでも王は決断した。ヤズルカに話を通し、娘の周りにはひそかに護衛を増やし守りを固めている。

 そして。

 



「陛下と側室方を交えたお茶会、ですか……」

 ムラートの目の前で後宮を取り仕切る女官が難しげな顔をする。

「ええ。わるい話じゃないと思いますが。紫の方もそろそろ周りに馴染まれた頃でしょうし、他の側室方ともより親しくなりたいとお望みでしょうしね。いかがでしょうか」

 笑顔で伺いをたてるムラートだが、もちろん紫の方……キリの置かれた状況はよくわかっている。

 キリがまったくなじめていないことも、まして側室方と親しくしたいなど少しも思っていない事も。

 この女官も当然知っているだろうとムラートは思う。

 けれど女官にしてみれば、それをムラートに知られるわけにはいかないのだ。紫の方が側室方から悪質な嫌がらせを受けていた事、そしてそれをどこにも報告せず握りつぶしていた事を。

 中立であるはずの女官は、建前としては側室の実家とは懇意にしてはならない。

 その事を知りながらも、女官はある側室と……その実家の利益になるように振舞ってきたのだ。

「ですが、陛下もお忙しいのではありませんか。何もご無理なされなくとも……」

 側室方と紫の方の間は、すでに深い溝がある。

 そこへ“王”という劇薬を投げ込んだ場合、何が起こるか女官には予想が出来なかった。嫌な予感しかしない。だから何とか諦めてもらおうと言を曖昧に濁すのに、宰相はのらりくらりと笑顔を浮かべる。

「それはご心配にはおよびませんよ。なに陛下もうつくしい花々に囲まれれば、疲れも吹き飛ぶというもの。日にちを決めさせていただいでもよろしいでしょうかね。三日後ではいかかでしょう」

「……何分急なお話ですので」

「ああ、そうですね、色々御仕度もありますしね。では五日後はいかかですか」

「……それは」

 女官はなにやら追い詰められた気になった。宰相はにこやかな顔のまま巧みに畳みかけてくる。

 ムラートと女官が向かい合っているのは、後宮の入り口にある女官の詰所の前だった。相手が宰相といえど、本来であれば余計な誤解もしくは疑いを避けるため、このような場所で会話する事はない。

 しかし、すぐ済む話ですからと言われ、そして宰相の提案を何とか断ろうとしている間に、かなりの時間が経っていた。

 そこへ。

 わかい娘の悲鳴が響いたのだ。

「っ、何事ですっ」

 驚いて辺りを見回す女官を尻目に、宰相は、緊急事態のようですので、ちょっと失礼しますよと言い置き、後宮の中へと走り出していた。


「ほんとに筋書きどおりに進んでるんだな……」

 ムラートは声の聞こえた方へと駆けていた。事が起きる時まで、女官相手にのらりくらり会話を続けた甲斐があったものだ。もちろん、女官に話した事はすべて口から出まかせだ。

 本当にそんな計画を立ててみろ、王に猛烈に反対される事は目に見えている。

 廊下の角を曲がり厨房へと下りる階段付近までやってきた。

 すると再び若い女の声があがったのだ。

「なにすんのよっ、離しなさいっ」

 そこでムラートが目にしたものは、必死に手すりにしがみつき落とされまいとしている娘と、その腕を取り、苛立たしげな顔をした男だった。その男の顔に見覚えがあった。

 咳払いをしてムラートは注意をひきつける。

「おやこれはこれは、このような所で何をされておいでです。ここがどこか、おわかりですよね」 

 男は顔を引きつらせ、目に見えてうろたえた。視線をさ迷わせたあと、娘の腕を離し逃げ出したのだ。

「あっ、待ちなさいよっ、あ、きゃあっ」

「おっと、危ない。はいはいじっとしてて、暴れないでね」

 娘は男を捕まえようと手を伸ばしたが、姿勢を崩して階段から転げ落ちかける。

 それをすんでのところでムラートが掴まえた。

 階段の上まで娘を引っ張り上げた所で、離してやる。

「宰相さま……?なんでここに。あっ、それより今の男!探さなきゃ……っ、いたあっ」

 しばしぽかんとムラートを見上げた後、娘……トリシャは勢いよく立ち上がろうとしたが。

 すぐに足を押さえてうずくまる。

 どうやら足を痛めているらしい。

「何があったの?」

「……今の男が、わたしを後ろから突き飛ばしました。運が悪ければ階段の天辺からまっさかさまに落ちていた所です」

「そう。怪我は、その足だけかな」

「多分……うひゃ、何するんですかっ」

「歩けないんだよね。じっとしてて。はいはい暴れない暴れない~」

 ムラートは軽々とトリシャを抱きあげて歩き出した。後宮の中の方ではなく、外へ向かって。そのことに気付いたトリシャが怪訝そうな声をあげる。

「あの……?」

「うん、ごめんね。ちょっと今はまだ話せない。全部終わったらさっきの男の事も含めて話せるから、少し待ってて」

「え、でも、キリさまがっ」

 一人きりで部屋に居るのだ、自分が戻らなければ心配する。

 けれどムラートは笑顔でその訴えを退けた。

「ごめんね」

 あとで幾らでも詰られてあげるから。ムラートは内心そう呟いた。

 もちろん、今のトリシャが知る由もなかった。


 さて、あちらはうまくやっているだろうかとムラートは思いながら、トリシャを抱きあげたまま後宮を後にしたのだった。

 






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