いちばんはじめの願いは
もう長いこと会っていなかったひとからの連絡に、とても驚いた。
自分と連絡する手段として、とある道具を無理矢理押し付けてはいたけれど、彼の……あの子の事だから、きっとあちらから連絡をしてくる事はないだろう。そうも思っていたから。
旅が終わりそれぞれ自分の居場所を見つけた後は、二度と関わり合いにならない。
あの子の方からそう、見えない線を引いていたのを知っている。
あまり構いつけない方が互いのためだからと、そう考えた上での事だともわかっていた。
色々と鈍い自分がうっかり面倒なことに巻き込まれないようにと。
あの子の傍に居て、余計なしがらみに捕らわれたりしないようにと。
それをわかっていても。
あの子の不貞腐れて渋い顔を見に行くのが楽しみで、思い出したようにあの子の所へ訪れてはいたけれど。それも最近は間遠になっていた。
「う~ん、あの子の方から連絡。なんだかとっても嫌な予感がするんだけど」
遠く離れた相手と、顔を見て話が出来る道具……通信球は“早く出ろ”と催促するようにぴかぴかと点滅している。
嫌な予感をますますかきたてる、それ。
「や~だ~な~……でもしょうがないか……出なかったら次会った時何言われるか……」
えい、と気合を入れて通信球に触れる。
すると今まで点滅していた光は消え、曇りが晴れるように球の表面には映像が結ばれる。
よく見知った顔が、そこに現れた。
「や、久しぶりだね。どしたのきみの方から連絡してくるなんて、初めてじゃない。何かあったの?」
最後に会った時よりも幾分か年を重ねた顔に、わざとらしいほどの明るい声で尋ねてみる。
すると彼は、眉間のしわをますます深くして低い声で唸る。
うん、昔から言ってたんだけど、その眉間にしわ寄せる癖、とうとう治らなかったなあ。
一瞬違う所に気を取られたせいで、彼の言葉を聞き逃してしまったらしい。
「おい、聞いてるのかっ」
「へ?ああっごめんねっ。で、なに、もう一度言ってくれる?」
「あんたはもう相変わらず落ち着きのない……。だから、あんた最近、何か変なことしてないか。ちょっと困った事が起きてるんだが」
ヘンなこと、と言われても。
ことりと首を傾げて、最近の仕事を振り返る。けれど振り返るまでもなく、仕事の内容はもうずっと同じだった。
歪められた流れをただし、あるいは修復し、あるいは再構成する。
ここは歪められすぎているから。そう、自分の友人や兄弟は言った。
一朝一夕には終わらないよ。お前でも長い時間がかかる。そうするとお前はもう二度と此処から離れられない。
それでいいと答えたのは自分だった。
足るだけの力を借りうけて、その“仕事”にあたってきたのだが。
特段、いつもと異なる力を使った覚えはない。
「え~いつもと同じだよ~?も、気分は修理屋さんだもの。一体何が起こったのさ」
これ見よがしに彼はため息をつく。その反応ってなにさと思ったが、彼の口から聞かされた内容にまさしく目が点になった。
「……それ、ほんと?」
「俺が嘘を言ってどうする。一応神殿の者にも会わせたが、この世界の者でない気配がすると言ってたぞ。俺も、会ってみて違和感があったしな」
「うわ~……それなら本当なんだ~……一体どこから何でやって来たんだろ。たまたまこっちに引っ張られた?たまたま落ち込んだ?う~ん……」
起こり得る……けれど非常に低い可能性をぶつぶつと呟いていると、彼から低い声で問われた。
「本当に、あんたが呼んだんじゃないんだな?」
「ええ~?知らないよ~。なんで呼ぶの。というか、なんで俺が呼んだと思われてるの」
「こっちに来た奴がな、何かに呼ばれたような気がすると言っているからな。ここに居る神官にそんな力も術式もない。となるとあとはあんたしかいない……と消去法ではそうなるんだが」
違うのかと問われ、ますます首を傾げる。
「濡れ衣だよ~。俺誰も呼んでないし。そりゃむか~しは弟とか友達とか呼んでたけど、今はもうその必要もないし……あれ?」
“彼ら”を呼ぶための声。何処に居るかわからない“彼ら”に届けるために、全方位に向けて呼びかけを続けた。
遠くへ遠くへ届けるために波紋に見立て、響かせ続けた。
もしかして。もしかすると。もしかしなくても。
ざあっと血の気がひく思いがした。
「どうかしたか、あんた顔色が悪いぞ」
「……ごめん、やっぱり俺のせいだったかも」
「なにい?」
早々にありのままを白状する。
「ほら、俺何度も弟たちに呼び掛けてたでしょ~。あれがどうやらヘンなふうに作用したみたい。もう今は呼んでないんだけど、あの時はそりゃ必死だったからさ……それがこっちに引き寄せる力に変わっているのかも」
彼は何とも言えない苦い顔をする。どんな思いや映像が彼の心をよぎったのか。想像はできるけど敢えて気づかないふりで、言葉を繋いだ。
「うん、あの呼びかけが他の誰かに届いて引き寄せられても、もうここへは来られない。無暗に拒絶しちゃうと弾かれて違う所へ飛ばされるかもだから……引っ張られても元の場所に戻るように調整しといた」
そうか、と安堵の声を零す彼に、でもねえと言葉を続ける。
これを言うのは非常に心苦しいんだけど、言わなきゃ。
もし後で知られたら怖いしなにより。
落ち度もないのに。
たまたまこちらへ来る羽目になったひとの事が心配だった。
「あのね、一度放った力は取り消せないんだ。すでに作用した力も同じく。時間軸までは俺は怖くて触れないから……だからこれからも、どこからかお客さんはやって来るよ」
彼は絶句した後、そうかと重いため息をついて天を仰いだ。
「ごめんね、ほんとうにごめんっ。ああ、こっちに来たひとの所にも謝りにいかなくちゃっ」
慌てる自分をよそに、彼は冷静な声で、謝らなくていいと答える。
「だって……」
「謝っても、もうどうしようもないんだろう。それともあんたはこっちに来た奴をもとの所に戻せるのか?」
「無理。そんな力なんてない」
「だったら謝るな。あんたがしてきたこと、してくれていること、俺は知っている。巻き込まれた奴は不運としか言いようがないが、それくらい俺が引き受けて何とかしてやるから、あんたは心配するな」
「……うん、ごめんね、じゃなくて、ありがとうっ」
あんたはいつまでも変わらないなあ、なんて彼はため息をつく。
それからしばらくして、再び彼から連絡があった。
「そっか、とりあえず神殿預かりになったんだ」
「日常生活に困らない程度の知識が身に着けば、街で暮らすも本人の自由にさせようと思っている。それから神殿にも話を通しておいたぞ。これからもこういった“客人”が訪れるかもしれないと」
「“客人”?」
耳慣れない言葉に首を傾げると、彼はあんたが言ったんだろうとあきれ顔だ。
「お客さんだとあんたが言ったろう。あんたが呼んだ客なんだから、せいぜい大切にしてやるさ。保護して暮らしを保障してやる。だから、あんたは心配するなよ?」
うん、きみのすることだから心配してないよ。ありがとう。
そう言いたいのに言葉が出て来ない。
ただ莫迦みたいにこくこくと頷いていた。
それを彼は、何とも言い難い眼差しで眺めている。
いつの間にこんな目をするようになったんだろう。
いや……思い返せば、初めから彼には呆れられっぱなしだった気もする。
「その、なまぬるい目がいやだ~……」
「ああ?温かく見守ってやってるってのに、なんだその言い草はっ」
「うう、上から目線だっ。いつからこんな子になっちゃったんだよう。初めて会った時は~……あれ、初めから生意気だったねそういえば」
うん、ふらふらしてた自分はよく怒鳴られてたっけ。
「あんたがあんまりにも頼りなかったんだろうがっ。まったくいつまでたっても落ち着きのない……ほんとにあんたがこの世界の神だってこと、この目で見ても信じられなくなるな」
「はい、残念ながら俺が神さまです~。諦めてよねっ」
それには答えず、彼は違うことを口にする。
「名前ももう元に戻せるんだろう?今のままじゃ名無しのまんまだ。そのままで構わないと言ったそうだな」
「いいよ、もう。生きてる人にとって俺の名前が何であれ……無くても関係がない。これまでどおり名前も姿も無くて十分。それでいい、じゃなくて、これがいいんだ」
わかったと彼は頷いた。通信球ごしに向かい合う。磨かれた銀のスプーンのようだった彼の銀の髪も、重ねた年月のお陰で色褪せ白っぽくなっている。顔にも深い皺が刻まれていた。
寂しいなあと思ってしまう。いつも自分は置いていかれる。
けれどそれは、悲しむべきことじゃあ。ない。
そうだ、と不意に彼が声をあげた。そうして悪戯を思いついた子どもみたいににやりと笑う。
「そうだ、また遊びに来いよ。随分とこちらには来てないだろう。遊びに付き合ってやる」
「ええ~?いつもは来るなとか邪険にするくせに、何なの?まあいいよ、それなら大手振って遊びに行ってやるからねっ」
「ああ、来い来い。で、その時に、な」
彼はその時、もうそうなることを見越していたのだろうか。
酷いよねえ。花々に囲まれ眠る彼にそっと囁く。
「これじゃあ、もう遊んでもらえないじゃない」
冷たくなった頬をなで……そうして目指した先は。
この辺りでいいかなあ。
街を見はるかす高台に立ち、頭をおおう布を解いた。
枯れた小麦色の髪の毛がふわりとなびく。
彼は言った。またあんたの歌を聴かせてくれ、と。
いつだったか彼は言ってくれた。
あんたのその歌は綺麗だなと。何を歌っているかはわからないけど、すごく綺麗だ。
「約束だからね。歌うよ。聞いていてくれるかな」
息を吸い込み……風にのせ歌い始めた。
呼びかけるための歌ではなく、遠い場所へも響くように、ただ思いを旋律にのせて。
彼の旅が、どうか恙無いものであるように、と。
END